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カレ・ブラン(CARRE BLANC) [DVDやら映画やら]

熊の話しからはじまり、数字が読み上げられる。クロッケーに今夜子供をつくったら?なんていうアナウンス。工業的デザイン感満々の建物や閑散とした風景。色身の無い映像の中に浮かびあがる赤い挽肉パック。四角模様が並べれた意味深なマーク。何も言わない作業員。不安そうな顔。そのままデストピア的近未来のお手本のようです。オフィスらしきところで行われているのは、一見社員教育のようですが、虐待かいじめか、それとも新手のSMとも思える。何が起こっているのかよく分かりませんが、名前から察するに、施設にいる少年・少女は、子供ができない夫婦、フィリップとマリーの若い頃らしい。どうやら施設で教育を受けたフィリップは、その教えを実践しているようだ。しかしクロッケーとはなんじゃらほい。もしかしてエッチのことか。クロッケーは家族のスポーツというし。バットが大事というのは比喩的表現か。エッチをして子供ができる。子供がある程度まで育つと母親、つまるところの母熊はどこかに行かねばならない。フィリップの母親は「心を隠せ」と教える。そして身を投じた。いや、もしかしたらクロッケーはフィリップとマリーがいた施設のことだろうか。クロッケーは人生の学校だと言っているし、子供を隠せばクロッケーの権利を失う。つまり子供がいないんだからクロッケーには行けない。母親がいなくなったあと、フィリップは車で施設に向かう。母親が「心を隠せ」と言ったのは、子供が施設に連れて行かれるの知っていて、その施設での教訓を説いたのか。施設ではみんな一様に押し黙り、いじめのような暴力も当事者以外は見て見ぬ振りのよう。たぶん施設内は競争で、残った者は人間を選別する係りになる。社会では仕事を失敗した人間はバッグに入れられるまで叩きのめされる。バッグに入れられたものはたぶん、真っ赤な肉になる。この競争はゲームと呼ばれ、生き残るためには非情でなければならず、すなわり「心を隠せ」ということか。パトリスの子供か孫が実在するとしたら彼は子供を隠していることになる。さらに女性になれ・母親になれという。なんのこっちゃ。マリーは子供が欲しい。フィリップは乗り気ではない。子供をつくれば母親はいなくなり、子供が施設に入ると考えているからか。何よりマリーを失うであろうことが辛いのか。なんだかんだと勘ぐっても、クロッケーはやっぱりゲームかもしれない。子供がいることが条件な。あざやかなバットさばきが必要なクロッケーは、社会の最高位にあるゲームで、これに勝つと何か優位な条件が得られるのだろう。芸術的とかいっても、たぶんクロッケーは単純な殺し合いだと思う。あまった親はどこかに行き、残った子供は施設に行く。マリーはパトリスに「あなたも見えるのね」と訊く。フィリップには見えない。それが見えたとはっきり言えたとき、下がりっぱなしだった数字カウンターがひとつ上がった。関連はいかんせん、マリーとフィリップが最後に交わした言葉、独白がすべてなんだろうなあ。一回ではわからず、三回ほど観た。でも、久々に頭を使ったので面白かった。でもまだよくわからん・・・


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