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tY:近況56(映画 シン・ゴジラとか) [他]

面白かった。シンは「新」やら「真」とか「神」だとか、もしかして「清」だったり、審判の「審」かもしれない。監督の名前からいただいたわけではないでしょう。色んな「シン」がありますが、いちばん合うのは、「sin」つまり「業」とか「罪」だと思った。輸出時のタイトルが、「Sin Godzilla」なんてわりかし有りかも。東宝マークのロゴが同じカラーでも古いものに切り替わるのがすばらしい。その後の「東宝映画作品」というのもノスタルジー。どうせやるならテロップも手書き風明朝体にしてほしかった。伊福部昭先生の音楽がすばらしいのは当たり前ですが、大戦争マーチは攻撃準備中に合う曲で、攻撃シーンでは使ってほしくなかった。それとエレキギターであろうパワーコードの曲はちょっと合わない。昼のシーンが多いところが良い。たぶん発熱しているのであろう赤い斑は要らないんじゃないかと思ったが、夜のシーンを考えると正解かも。科学者とかその役に相当する方がたくさん出てきて楽しい。秀逸なのが市川実日子さんにリーダー津田寛治さん、そして少しスピリチュアルっぽい塚本晋也さんの三人。特にメガネの市川さんがすばらしい。今までの東宝映画では見られなかったタイプの科学者。「キューティー・ハニー」つながりの出演でしょうか。自衛隊の鶴見さんがかなりエヴァンゲリオンの人っぽい。今までのゴジラ映画と大きく違う点は子供が出てこないところ、お涙をもらいますがないところ、過去の著名なゴジラ役者さんが出ていないところ、そして夢のようなスーパー兵器が出てこないところ。平成ガメラでもスペシャルな武器は出てこなかった、というかガメラではガメラがいるので必要なかった。自衛隊の出動を官房長官が言及するシーンを見たのも平成ガメラが初めてだったと思う。その会見場には日の丸国旗が無かった。シン・ゴジラでは政府の連携・自衛隊出動や防衛過程までを克明に描いている。政治的リアリティーが徹底されるほど核をエネルギーとするゴジラがファンタジーに見えてくる。映画の中でゴジラの進化形態を見れることがすばらしい。「ゴジラの息子」に悲しんだ人々は歓喜するだろう。どうやって東京を火の海にするかも見物。あの派手な光線はちょっと進化しすぎかも。あとは当然、核を使わずにどうやってゴジラを倒すか。ラスト近くの攻撃におどろく。これは劇中で準備過程シーンが無かったと思われ、いきなり出てきたのでおどろいた。考えてみると、その攻撃や鶴見さんの起用とかは、すべてエヴァンゲリオンを実現するためのプロトタイプなのかもしれない。ゴジラによる被害は拡大するが、最初の攻撃さえ無理にでも実行していれば、もしかしてもう少し小さい被害で終わっていたとも考えられる。その当たりも政府の決断ポイントかも。核、そして過去に落とされた原爆についての静止映像とか心理描写、台詞があるが、それをカットしても十分話しが通じるところが面白い。諸外国に輸出するとき、きれいにカットできるように配慮してたりするかもしれない。ある国によっては「美化してる!」ってうるさそうだし。最初の「ゴジラ」の背景には原爆への怒りや抗議があり、それを踏しゅうしているんでしょうが、必要なのはゴジラが人間の英知を超えた存在であること。そしてとにかくゴジラが出てきて壊しまくることだと思うので。どうせなら核抜きのゴジラ映画はできないものか。劇中の「○○は続くよいつまでも」という台詞は、劇中や現実の日本の他、どうしても原爆や核から離れられないゴジラにも当てはまる。巨大化の理由=核エネルギーはいつまで続くのか。ただの巨大な生物ではダメなんだろうか。でもそれではゴジラじゃないか。タイトルが示すとおり「Sin Godzilla」は「業」の「核」とか「原爆」。更に元をたどれば「人間」。全部人間が悪くていちばん怖い。「ゴジラを研究/予言していた人がいた」という設定もそろそろ変えても良いんでは。オリジナルのゴジラと比較して面白い点は、「なぜゴジラが陸にあがって来たのか?」というところ。初期ゴジラでは夜の明かりや音につられてあがってきたり、平成ゴジラでは原発目指してやってきたりしたが、その理由がはっきりしないところがいちばん不気味だったりする。皮肉なことは、首脳勢ぞろいの前半に比べて、後半の首脳たちの立ち回り。少数精鋭、下におちようがなければ這い上がるだけということか。前半では「駆除反対!」とか「政府は止めろ!」といったデモのシーンでも出てくるかと思ったが、あからさまに出さなかったのは、デモの見苦しい一面を隠すためかも。最初は動画とかコメントとか、ネットと関係したシーンがいくつか出てくるが、被害甚大の後半ではそれも無くなるところも良かった。エンドクレジットの小池・枝野両氏の名前にこける。小池氏は防衛省としてのアドバイスをしたのであろうことは想像できますが、枝野氏には何を求めたのだろうか。スピーディーの使い方や「総理大臣は現場に行かない方が良い」とかだったら面白い。ゴジラを知っている大人が作ったゴジラ映画。仮に続編ができるとするなら、平成ゴジラでおなじみの「G対策室」とかエヴァンゲリオンみたいな基地が出てきたりして。そうなるとすべてがファンタジー。せっかく長谷川さんと國村さんの「進撃の巨人」コンビが出ているので、終了後のおまけ映像とかで、長谷川さんと國村さんの巨大化冗談対決が見たかった。ついでなので、「シン・ゴジラ」に「進撃の巨人」に「エヴァンゲリオン」に「ガメラ」も合わせてなんかやったらどうなるか。


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長谷川さんと國村さんに石原さんに幹事長役の方を見ると、どうしても「進撃の巨人」が頭に浮かぶ。いまだにその衝撃を思い出すカルトでトラウマな映画、いや演技だったのかも。

後で Wiki を読んだら映画の筋がすごく詳しく出てた。先に読まないで良かった。事前知識無しで見に行って良かった。でも登場人物が覚えきれないので助かったりする。あと、ゴジラデータや博士データの解析結果による結論とかが簡潔に書かれていて助かる。映画を見ていたときは博士たちのおどろきぶりに気をとられたり、早口についていくのが大変で「何のこっちゃ」だったので。ゴジラを研究していた博士の写真が岡本喜八さんだったが、故人であるし、今後はどうやって絡んでくるんだろう。色恋が無いところもすばらしい映画ですが、ジャニーズさんたちが見当たらないところがまた良い。そういう意味では避難する女性役の方が残念。

第1とか第2形態とかいうとヘドラだが、ヘドラも最初はオタマジャクシだったような。古いゴジラだと「ゴジラ対ヘドラ」、平成だと「ゴジラ対ビオランテ」や釈さんの「ゴジラ対メカゴジラ」に並ぶ映画。

でも、これが見たいゴジラだったのかと思うとそうでない気もしてくる。大体、どんなゴジラを見たいのかがはっきりしなくなってきた。単純に着ぐるみで無いのを見たかっただけかも。ただの「ゴジラ」ではなくて「シン・ゴジラ」だったのは正解。ゴジラであってゴジラで無いゴジラ。台詞とか情報量が多いとか現実的とか言われますが、それは重要ではなくて、見たいのは都会を壊しているひたすら怖いゴジラ。高倉健さんがばしばし斬っていく姿を見るのと同じかも。


ゴジラ
ゴジラ (1984年版)


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