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仮題:カシューム星人と地球人について 2 [仮題:カシューム星人と地球人について]

【2回目】

 過去の旧マスターは会社帰りに居酒屋によるようなごく普通のサラリーマンでもあった。旧マスターは小さい頃サラリーマンという言葉に憧れたことがある。それは『マン』という言葉のおかげだった。
 強い男は何とかマンと呼ばれるものである。何か英雄的な仕事と思えたのは、くだらないテレビのおかげだった。しかし、旧マスターはそれをくだらないテレビとは思っていない。旧マスターがそれをくだらないと思うのは、自分が費やしてきた時間——つまり年令を自覚しているからである。なつかしさを懐古するテレビを見るたび彼は無性に腹が立った。
 つまり大半の過去は経験ではなく情報であったからだ。これは真実だった。実際を知る人々が未来へ残すためにつくり出した記録は所詮情報に過ぎなかった。

 店で開店の準備をしていた旧マスターの目の前に現れた男は『銀』を売る男だった。銀を売る男は様々なグラフを旧マスターに見せた。その男の最初の一言はこうだった——
「それではこれだけお聞きください」
 そのフレーズは何度となく繰り返され、話しが終わった頃は五十分を過ぎていた。ちなみに銀とは鉱物の一種である。
 旧マスターは仕事をしていたことがある。今の旧マスターも仕事をしていたが、その仕事というのは、『会社』で働いていたということである。会社とは地図かブロック積み木のようなものだ。それは今でもそうである。

 世の中のどこに幸せがあるというのだろう?
 わたしにとってルールと原理は同意語である。それはなぜか?——そのように覚えたからである。

 旧マスターがカウンターに立ったとき、客はいなかった。開店前からやってくるほど性急な客は常連にはいなかった。常連たちは常連を装いながらも、離れた距離をおいていた。そこに精神波は存在しなかった。
 ある日、店にいた彼女にマスターがいった言葉はこうである。
「今日は寒いね」——そのころの『カレンダー』は十月だった。カレンダーは時計の一種である。そこには地球が太陽を一周する時間が二十四時間単位で記されている。
 カレンダーに時計、それらはたぶん意味がない——少なくともわたしの星では。いたるところにある時間のひずみは、わたしたちの今をすぐに逆回転させたり、跡形もなく消し去ってしまったりする。自分の身体の一部をわたしにしてしまった母親は、小さな子どもの姿である。
 旧マスターや彼女たち人間はほぼカレンダー通りに過ごすことができた。

 時間は彼女を高校生の終わり頃まで成長させていた。旧マスターの身体は、彼の知らないところで『ガタ』がきていた。時間とはそんなものである。
 旧マスターは薬を飲もうと思っていた。そしてその一日後、正確には二十五時間と二十五分後に、旧マスターは薬局で一本のドリンク剤を買い求めることになる。

 彼女は寒かっただろうか?——悲しいがそれは彼女にしかわからなかった。彼女の服装はどんなだったろう。彼女の服装はおよそ夏らしくはなかった。それもそのはずである。十月であったから。彼女は冬用の制服を着ていた。彼女の学校では、冬には冬用の制服を着なければならなかった。
 彼女が頼んだものは湯気の立つカップではなかった。それはグラスに滴がつくほどに冷えたレモネードだった。日が沈みかけていた。
 そのころの旧マスターは、少しの昼休みの後、六時から店を開けていた。彼女は映画を見た帰りだった。それらにどんな関係があるか?——そこにあったものは時間だった。彼女が映画を見終わった後、旧マスターは店を開けていた。——それだけだった。
 その時間のことであるが——わたしは時間が永遠の内燃機関であるとは思わない。しかし時間が必要としているエネルギーはいったい何なのだろうか。いまだにわたしの知識ではそれがわからない。わたしの星のものたちにもわからないだろう。それだからわたしたちは知識を得ようとする。それは何世代も繰り返され、先代が狂っていなかったことを証明できるとき、突然変異のようにその正体を現すのだ。
 ——ああ、わたしは知りたいのだ。この時間を動かすエネルギーを。まだわたしにはわからない。このわたしが最近知った知識——それは新マスターがよく鼻クソをほじることである。それはこうしたものだ。まず五本の指の中でいちばん太い指のとなりにある指を一本たて、それを息を吸うためにある鼻の穴にいれるのである。そしてその中にためられていたホコリのかすをほじり出す。そういった行為である。この地球ではこんな『アホ』な知識ならたやすく得ることできる。わたしの知識はそんなアホで埋まっている。

 彼女の見た映画は、『最後のコンサート』という映画だった。それはその頃から十五年ほど前の映画である。その題名は英語だった。が、それがつくられた国はフランスである。英語とフランス語はそれぞれが似たような機能を持つ『言語』であったが、言葉がちがった。
 それはこうした映画である。
 ひとりの初老の男がいた。彼は指揮者だった。そして彼には妻がいた。その妻は二カ月前に死んでいた。それに続くように、彼の所属する交響楽団も、三カ月後には解散することが決まっていた。さらに不運なことは——指揮者の右腕は骨のガンに犯されていた。医者は最後にはその腕を切断しなければならないことを示唆していたが、それは彼が愛用の白いタクトを二度と振れなくなることを意味していた。彼の腕は死につつあった。初老の男は時に流されるまま末路に向かっていた。彼はそれに対して悲観することはなかった。ただ、希望を持つこともなかった。『希望』とは未来に対して望みを持つことである。『望み』とは、自分の運命が自分の思う方向へすすみたいということである。その男には望みがなかった。彼はすべてをあきらめきっていた。彼は間違いなく時間の制御下にあった。彼のなかにあった生きるべき未来への希望は、妻を失った時点で揺らぎはじめた。楽団が解散することは失職に対する恐るべき不安を抱かせた。そして医者の話しを聞いたときが最後だった。彼は時間とともに生きることに決めた。限られた時間を。
 しつこくいえば——彼の心には『覇気』や『気力』もなかったし、生きようと思わない代わりに、生きることをやめようともしなかった。彼はただ時間が過ぎていくのを待つ肉体だけを残した抜け殻だった。

 彼女がこの映画を見たのはなぜか? それは単なる『暇つぶし』だった。その映画の内容を知ってはいなかった。彼女が映画館に入ったとき、タイルの敷かれた廊下にオレンジの絵が描かれたジュースの缶が落ちていた。それはオレンジジュースでなければならなかったのか? それは何でもかまわなかった。古いポスターの貼られた壁に挟まれたせまい廊下を歩き、そして重たいドアを開けた。八人の客の前に張られたスクリーンにはなにも写っていなかった。湿っぽい席に座って十三分後、映画の予告編がはじまった。八人の客のうち、二人は寝ていた。
 さて、寝ている人と起きている人の時間のちがいはなんだろうか。彼女は間違いなく起きていた。

 初老の指揮者は、生きながら時間を放棄していた。ある日指揮者は何通かの手紙に目を通した。それは聴衆たちからの感想をしたためた手紙だった。ときどき人間は、感動を与えてくれた相手に対し手紙を書いたりした。指揮者は一通の手紙に目を止めた。それは十四歳の少女からの手紙だった。その内容はこうである。
『親愛なるミカレコフさん。わたしはいつもあなたの指揮するハインバック交響楽団が奏でる音楽をレコードで聴いています。あなたの指揮するお姿を写真で拝見しながらです』
 ——彼女もこんな手紙を書いたことがある。それが中学二年生の頃だった。映画を見ながら彼女は正直に背中が熱くなった。小さな思い出のよみがえる瞬間のなんという恥ずかしさ! 見も知らぬ人間に対して抱いた信頼のなんという軽さ!
 ただ彼女と十四歳の少女がしたためた手紙には大きなちがいがあった。それはこうである——
『わたしの命はあと三カ月です』
 彼女は手紙の主——その十四歳の少女をあわれに思った。自分の死を伝える老いぼれの男——彼にもまた未来がなかった。彼女が思ったことはこうだった。
「死ぬことなんてしょうのない話し。わたしは誰にもいわないわ——」
 何を?
「——自分が死んでしまうことなんてね」

 初老の指揮者と交響楽団が行った最後のコンサートを見ながら少女は死んだ。そして指揮者は腕をなくしたまま生きた。

 旧マスターは彼女の頼んだレモネードにハチミツを多めに入れた。旧マスターは安心していた。彼女がアルコールを頼まないことにである。この国では、人間は誕生してから二十年という時を経るまでアルコールを口にすることはできなかった。そうした決まりを破る人間を放っておくことは罪になる。だが、たいていの人がそれを注意することができなかった。それはなぜか?——たいていの人が二十年という時を過ぎる前に、アルコールを摂取していたためである。他にもこのアルコールのようなケースにはタバコなどというものがある。
 彼女はタバコを吸っていた。時々だった。それは細長いハッカ入りのタバコだった。それを買うためには、二百八十円のディンギが必要だったが、そのディンギは彼女が自分よりも年をとった親からもらう六千円のディンギから捻出されていた。そのディンギは『おこづかい』と呼ばれていた。
 彼女はタバコに火をつけるためにマッチというものを使った。彼女は『リン』という鉱物が発生させるその色と臭いが好きだったのだある。
 彼女が見た映画は、彼女に少なくはない感情の変化を与えた。彼女の涙腺はわずかばかりであるが、その栓をゆるめたのである。それは彼女の意志に反したものだった。
 彼女は片腕を失った初老の男と、死んでしまう十四歳の少女に対してなんらのあわれみを持っていなかった。そのどちらも彼女にとってはどうしようもないことだった。それはとても普通の出来事だった。
 実際彼女は十代で時間を放棄した少女を二人知っていた。彼女の友人とはいわないまでも、同じ中学校の同級生であった。その十代の少女たちは連れだって、校舎の屋上から飛び降りたのだった。二人の時間は一瞬にして止まった。即——その時間は放棄されたからである。二人の落ちたところはコンクリートで舗装されていた。それだから二人が地面にたたきつけられたときタイヤがパンクするような音がした。たとえばこんな音である——『パーン!』
 誰も二人が時間を放棄したことに対して理由を見いだすことができなかった。一枚の、一行の遺書らしきものも見つからなかったからである。それだから二人の周囲にいるものはお互いに憶測を交わした。そして——泣いた。彼女は泣いただろうか?——彼女は泣かなかった。彼女は親が死んでも泣かない自信があった。
 彼女が認めたものは二人が『校舎』の屋上から飛び降りたこと。そしてその二人が時間を永久に停止させたことだった。

 わたしは彼女ならば私の疑問に応えてくれるのではないかと考えた。彼女はきっと時間が必要としているエネルギーの正体を知っているにちがいない。わたしの知識は彼女によって満たされるのではないか?——わたしはわずかであるがそう信じた。わたしは彼女がわたしと同じ疑問に突き当たり、そして彼女の唇からそれがもれてくるまで待つ必要があった。だが結局その言葉を聞くことはなかった。だが——彼女はいなくなった。
 それでも彼女は時間の正体を推測させるヒントを与えてくれたのだ。それは旧マスターも同じだった。

 とにかく——彼女は泣きたい感情もなかったくせに涙をこぼした。一筋、二筋の涙が頬を伝った。映画のラストシーンはこうだった。
 初老の指揮者は少女の墓を見舞った。そして男は墓石に深く頭を下げるとともにキスをした。

 旧マスターは彼女にこう訊いたことがある。
「勉強は難しいんでしょうね」
 彼女はそれに対してこう応えた——「まあまあ」
 旧マスターはあとからそれを知ることになるのだが、彼女は『秀才』と呼ばれる分類に入るものだった。俗に、頭がいい——そう呼ばれる人間だった。『テスト』という名のついた紙には、いつも九十とか百とかそういったポイントが書き記されていた。そのポイントは個人の知識の確実さを示すものである。
 この地球で過ごすためには必要なもの。それは『名前』である。そしてもうひとつ——『数字』である。
 旧マスターときどき、彼女にチョコレートなんかを出してあげた。彼女はそれをよろこんで食べた。そのときの笑顔は、たぶんそのときのものだったにちがいない。旧マスターは彼女が甘いものが好きなのだと思った。その推測は当たっていた。彼女は甘いものが好きだったのである。彼女の顔には吹き出物が見あたらなかった。彼女の身体の新陳代謝は成人に近かった。
「このチョコの形って変わっているね」
 彼女が手にしたチョコはネコの形をしていた。

 わたしがネコに姿を変えたのはそのチョコにならったものである。話しは前後するが、彼女は変わった形のものに興味を持った。彼女はビンだった頃のわたしを何度さわったことだろうか。彼女の白い手はビンであるわたしに何度も触れた。わたしの身体のいびつなくびれを確かめるように。
「そのビンはおもしろい形をしているだろう?」旧マスターにいわせれば、わたしは『おもしろい』形だった。おもしろいには『笑われる』要素が多分に含まれていた。もともと『プライド』とか『見栄』といったものが存在しない星に住んでいたわたしにとって、その『おもしろい』は痛くもかゆくもなかった。笑われてもけっこうである。ちっともわたしは構わない。とにかくわたしには虚栄心とか見栄は存在しなかった。それは今でも変わらない。ただ問題は——わたしがそういったものの存在を知ってしまったことにある。それはあらゆる知識をどん欲に取り込もうとした結果だった。仮にわたしが自分の星に帰ったとしても、それらの知識が何に役に立つだろうか。わたしの記憶のなかのほとんどの知識は全く役に立たないものである。役にたたない、栄養価の低い知識だった。それは今までこの星で収集してきた知識だった。
「このビンはただの『できそこない』よ」彼女は旧マスターに笑って応えた。
「そうかな——」旧マスターは笑いながらいった。「でも工場なんかじゃ機械でつくっているからみんな同じ形にしかできないよ」そしてわたしのことをこういった。「これはきっとビンが作られはじめた時代の一本にちがいないんだ——そう、とても貴重なものだ」

 ビンであるわたしはそろそろ自分の姿に飽きていた。わたしは酒棚のなかに置かれるビンではなく、店のカウンターに置かれる置物になりたかった。わたしの身体はどこにあっても、わたしの感応波はどこへでもつながった。ときどき電波と混信するが——。

 地球は平和だった。時間の終わりは見えつつあった。わたしはわずかな地面の揺れをこの金属製の身体で感じとった。その揺れは海を越えた中央アジアから伝わってきたものだった。
 ——つまりこうだ。わたしたちは時間のエネルギーを知らないが、たぶん時間の息の根を止める方法を知っている。だが時間を始動させる方法を知らない。
 この星にはかって火星宗教があった。その創始者はモーガンというアメリカ人だった。モーガンに限らず、宗教を信仰するほとんどの人々が何らかの神を信じていた。それが偶像であれ生きていてでもある。その『神』はわたしの答えを知っているらしかった。宇宙で出会ったモーガンもそれを知らなかった。彼はこういった——「そのことなら神に訊くことだ」
 そんなことをいうくらいなら、自分で訊いてほしいものだ。
 とりあえずの結論——この星は知識を得るには大変難しいところである。あたりには書物が散乱し空中を電波が乱舞する。そのどれもがわたしの知識からほど遠いものだった。この星の情報は『名前』であって『知識』ではない。『数字』であって『知識』ではなかった。

 いつだったろうか?——店にタイ人が来たことがある。タイ人たちは三人連れだった。そして人間の他に一匹の動物がいた——それはネコだった。とても小さな子どものネコだった。タイ人たちはそのネコを代わる代わる抱きあげては、ネコの腹の上に顔を押しつけてくすぐってやったり、胸の上でじゃれまわした。手当たり次第の愛情を次から次へと繰り出した。ネコは白色を基調として背中や顔に黒に近い灰色の毛をまとっていた。
 彼女は後ろの方のテーブル席に——そこはタイ人とネコの席だった——ときおりちらりと顔をむけてはそのネコの可愛さを見た。
 そのうちにタイ人の一人と目があった。するとタイ人は彼女の方に歩み寄ってネコを彼女に抱かせてやった。彼女の戸惑いもすぐに消え、タイ人に「ありがとう」といった。彼女の手はネコの毛の柔らかさを感じとった。それはほんとうに柔らかい毛だった。旧マスターは、「動物はちょっと困るんだよな——」そう小声でいったが、彼女のネコに頬すりする姿を見ると、もう何もいわなかった。その時、マスターの身体から発される精神波が若干強まったことはいうまでもない。
 ほんとうに可愛いわ——彼女はそういいながらネコをさすった。

「わたしネコって好き」そう彼女がいった。
「犬よりも好きかい?」旧マスターがいった。
「どっちも好き」そして、「バイオリンを弾いているネコがいいわね」といった。
 旧マスターは首をひねった。旧マスターにとって彼女の頭や心は宇宙だった。
 わたしは急に心配になった。はたして旧マスターは、片腕を失っても生きていけるのだろうか?
 その日、彼女は自分の観た映画の話しを旧マスターにしなかった。その理由にはふたつあった。ひとつは旧マスターがそれを訊かなかったこと。映画の話しでなくても、旧マスターは彼女が店に来るまで何をしていたか訊かなかった。だいたいにおいて旧マスターは、『いままで何をしていたか?』といった質問を客にしたことはなかった。
 そして第一の理由は——彼女がその話しをしたくなかったことである。

 そしてその夜、わたしはバイオリンを弾くネコになった。忌まわしいホラー映画のような有り様でもって。

「あのビンはどこにいったんだよ!」旧マスターはそういって、わたしを——以前のビンの姿であったわたしを捜した。しかし見つかるはずはなかった。なぜならわたしはすでにバイオリンを弾くネコの姿をしていたからである。当たり前だった。
 旧マスターは店にある棚の扉という扉を開け放しながら、そこら中を探し回った。台所も、そして裏口にも回って空き瓶を保管してある箱も探した。だが結局最後にはカウンターの中にしゃがみ込んで小さく溜息をついた。そして両手で顔をおおい口を閉じた。
 わたしは思った——わたしが昨日までしていた姿が見えなくなったことは、旧マスターにとってよほど悲しいことにちがいない。ほんとうに悲しいことらしかった。わたしは旧マスターが『気の毒』に思った。気の毒——そうした感情を持ったのはこのときが初めてのことだった。旧マスターは植物の繊維から精製された材料で作られたズボンに付着したホコリをはらった。
 旧マスターはついにわたしの姿に気づくことはなかった。わたしは少々妙な気分になった。旧マスターにはわたしが見えていなかったのである。ビンの姿であるわたしと、バイオリンを弾いている間抜けなネコ——実際わたしの姿はネコに近かった——どちらも『わたし』であるにも関わらず。それであるから外観というものは非常に大切であることをわたしは知った。
 わたしはつけ加えよう——大切なものは、名前と数字、そして『外観』である。
 それらは大切なものだ。

 また何度目かの『ある日』——店に最初に入ったのは競馬新聞を持った男だった。その男はコーヒーを三杯のみ、千五百円のディンギを払った。この男もわたしに気がつかなかった。それは別にその男を避難することでない。人間には興味の対象というものがあるからだ。その後に現れたのは、スパゲティを食べに来たパチンコ屋の店員だった。その店員はよく店にやってきた。その男はいつもケチャップのからんだスパゲティにチーズをたくさん振りかける。それは朝食をとらない男にとって貴重なタンパク源であった。しかし旧マスターはいやな顔を見せた。旧マスターは正直だった。
 昼間と夜では客がちがった。そのころ、夜に来るであろう客のほとんどはどこかで仕事をしていた。彼らはあるひとつの共通な乗り物に乗っていた。それは時間だった。すべての結果を産み出すものは時間だった。
 わたしが企業家であり、技術者、そして生産者であるマーレー・フラスコに与えたものは物質転送機のアイデアだった。ある物質を短時間で移送するその装置も『乗り物』だった。マーレーやモーガンはそれを『トランスポーター』と呼んだ。
 トランスポーターは時間に対抗できるかに思えた。だがマーレーには、はなから時間に勝とうという意志はなかった。だいたいにおいてマーレーは時間のエネルギー自体に興味を持っていなかったのだ。
 ただわたしの考えるかぎり、彼らは知らないうちに、その時間がもたらす効果に期待しすぎていたふしがうかがえる。時間が進むために必要なエネルギーをわたしは知らない。だが彼らは時間を早める技術を知っていた。時間を早める——つまりは永遠と思われる時に終末を与える技術である。
 それは何だろう?——『生産』である。
 マーレーの工場はミサイルを造っていたし、大学で同級生だったインド人は原爆を自力で開発した。
 それらは『生産』なのだ。——生産! 生産!

 彼女が高校を卒業する間近のことだった。 彼女は一人の女性——彼女の友人を連れてやってきた。彼女は友人を「演劇部の子なの」と旧マスターに紹介した。
 友人は髪の毛を赤く染めていた。
 時計——これは一日の時を数字で表すものだ——が六時を指していた。客はいなかった。カウンターに座った二人は冬用の制服を着ていた。彼女はレモネードを頼んだ。友人はしばらく悩むとアップルティーを頼んだ。暖かいティーである。
 彼女と友人は互いに話しをはじめた。旧マスターはカウンターの中でコップをみがいたり、カウンターを拭いたりしていた。わたしには旧マスターの身体から発される精神波を見た。それは太陽表面のコロナのように渦巻いていた。
 旧マスターから吹き出るコロナのような精神波を知ることなく、彼女と友人は演劇や芝居の話しをした。どちらかといえばその話しの聞き手は友人のほうだった。役を演じているとき友人はどんな気持ちであるのか? 恥ずかしくならないのか?——彼女は友人にそんな質問をした。

 そのときのわたしはバイオリンを弾くネコだった。わたしの姿は彼女の視界にまだ入っていなかった。彼女の目とわたしの間には、バーボンやアイリッシュウィスキーの大きな酒瓶が立ちはだかっていた。それにわたしの身体は二十五センチほどの大きさしかなかったのである。

 恥ずかしいと思ったことはない、と友人は応えた。その理由はこうである。「役を演じているときって、ほんとうの自分になったような気がするの」——わたしにはわからない話しだった。自分にほんとうもクソも——あ、失礼、大変下品らしい言葉である——とにかくそんなものがあったものか? わたしは友人がこの星でいう『病気』ではないのか思った。わたしの得た知識によれば人にはそれぞれ性格があり、ときとして二つ、またはそれ以上の性格を有するものもいるらしい。そうした人々は『分裂症』などと診断され、それが人を裁くときにも大きく影響する。こうした事実——これも人間が時間に乗っ取られた歴史のなかで得た知識によるものだった。彼らは——人間は物事のそれぞれをある特定の分類に納めたくなるらしい。まあ、わたしはそれでもかまわない。分類されていれば説明がはかどるというものだ。まことに合理的でご都合主義のクソったれである。そう『クソ』でございます!
 この国に限らず、地球上のあらゆる国で日々言葉が増殖している。最初、そうした言葉を作り出し、それを使うことのできる人間の頭のよさや心の豊かさに感動したものだった。しかし、実際にはその意味を知る人々の数はごくまれで、最近では人間の曖昧さにわたしは少々疲れはてている。そして時にわたしは、人間が物事を学ぶことは、言葉を学ぶことなのだと結論づけたくなる。
 たぶん言葉を知らなければこの星では生きていけないのだ。

 とにかく彼女の友人はその時点において自分のほんとうの姿を知りえなかったのだろう。役者は脚本に書かれているものを忠実に表現しなければならない役割を持っているらしく、友人は脚本が変わる度に自分自身を変えていった。実に不思議である。友人には二つ、もしくはそれ以上の断片的に続く時間が存在していた。
 友人はこうもいった——「わたしは自分自身を変えたいの」そしてこうもいった——「変わり続けるの」
 それはこうである——友人はいつか自分自身が変われるものだと考えていたという。それはきっといつか——時間が変えてくれるはずなのだと。だがそれは間違いであったらしい。時間は友人に年月しか与えなかった。友人の場合に限らず、ほとんどの人において時間はそうしてきた。
 わたしはこう考えたことがある。ほんとうに時間は存在するのだろうか? 時間はたえず強引であるが、その反面あまりにも無力なのだ。ひょっとしたら——時間はエネルギーを要求しないのかもしれない。すべての結果は仮定の過程から続いていた。
 友人にはひとつのファンタジーがあった。それは世界の舞台で役を演ずることだった。友人はそのことを彼女に打ち明ける前にそっと念を押した。
「たぶん夢は他人にしゃべるとかなわないものだと思ってる。でも——」
 そういって友人はしゃべりだしたのだ。
 結果から——つまり今の時代から思い起こせば、友人は世界の舞台で役を演ずることになるし、実際演じたのだ。今でも演じているかもしれない。ただしその出だしは不幸なものだった。
 その不幸なもののひとつは、友人自身の知らぬ間に、ポルノフィルムに出させられたことだった。頭頂部が禿げたナスビ顔の白人が彼女に激しく抱きつきキスをしたとき、彼女はそれを押しのけて、与えられていないセリフを口にした。それはこうである。
「何すんのよ! バカ!」
 わたしがいちばん最後に見た友人の髪の毛はオレンジに染まっていた。友人は何度も髪の毛を染め直した。その理由はある特定の人種にしばられたくない、そして人種という枠から少しでも抜け出すためらしかった。たとえば『ある』とき、友人は『ニッポン人』でいたくはなかった。

 彼女は友人の夢を賞賛した。賞賛しながらも心は暗かった。彼女自身の中には、そういった夢を現実とする目標が存在しなかったのである。彼女は旧マスターに「バレリーナになりたい」といったことがある。そう口にしたとき、彼女はどういった状況下にあったか? それはヨーロッパのバレエ映画を見た帰りのことだった。——そんなものかもしれない。こどもがテレビで見た怪獣になりたがるように。
 ところで、わたしが思い出すに、彼女と友人はよく似ていた。実際見かけは正反対だった。彼女は毛を赤く染めていなかったし、顔の形もちがった。友人の身体は彼女よりきゃしゃに見えた。だがわたしには今まさに二人がお互いを吸収しあって、ひとつに固まろうと、——一体化しているように見えた。それはなぜだろうか?——たしかに二人はお互いを引きつけあっていたのだ。それはとても静かで激しいものだった。二人の意識は知らずのうちにそれぞれの身体に入り込もうとしていた。
 旧マスターは彼女たちの場所から離れていたが、その意識は彼女たちに近づこうとしていた。旧マスターのでっぱりは、彼女たちのへこみを欲していたのかもしれない。——が、旧マスターが自分の気持ちに気づいたのは、ずいぶんと後のことになる。彼ら人間は、自分の意識をコントロールすることができなかった。その変わりだいたいの人間は手足の動きをコントロールしたり目玉をきょろきょろさせることはできた。
 彼女と友人の手はそれぞれカウンターの上に置かれたまま、時に指先をいじる程度の動きを見せていた。それに反して彼女たちから遠いテーブルに座る女性二人連れの腕は常になにかに向かって振り回され、落ちつく先は長く曲がりくねった髪の毛だった。その二人の客は自分の肉体をコントロールする術を知らないようだった。わたしはわかった。二人の客たちの肉体は絶えずなにかに向かってぶつかっていた——時には時間よりも早く。たぶん彼女たちは『あせって』いたのだろう。
 彼女と友人は静かだった。二人の間に会話はほとんどなかった。しかし、わたしはそのとき、その場所にあるべきものは会話ではなかったのだと思う。そこにあるべきものは——『つながり』である。これはもっとも人間らしい言葉だろう。だがわたしにはなんの栄養にもならない。それでもわたしの知識はそれを記憶している。

 旧マスターは人生が二度あればいいと思ったことがある。それは時々あった。どんなときにそう思ったか? それは恋に破れた時である。前妻と別れたときは「もう一度人生を!」と思う以前に、その時がすでに新しい人生だった。このときの旧マスターは、喜びに満ちあふれていた。その時点で旧マスターが知らなかったこと。——それは別れた配偶者のおなかには赤ん坊がいたことだった。
 旧マスターは二十四歳のときに結婚した。その結婚はごく基本的なことを忠実に実行しただけの——つまり婚姻届という『書類』を提出しただけの結婚だった。ところがその届けも実際には出されていなかった——旧マスターは印鑑を押した。が、妻になるべく女性は、それを役所に提出しなかった。二人とも働いていたし、よくできた会社は厚生年金やらの保険システムに対する変更も要らなかった。その結婚は結婚というよりは同棲に近かった。その同棲は半年で終わった。
 旧マスターが籍を入れようとした理由は何だったであろうか? 旧マスター曰く「何となく」——それがあらゆる質問者に対する応えだった。しかしそうした回答をしているうちにこうした応えも見つけた。
「二人で住んでいた頃のアパート代は安かった」
 旧マスターの考えもあながち間違ってはいない。確かにこの国の土地に対する価格は高い。それ以前にこの星はすべての人類のものであるにも関わらず、すべての人がディンギを払わなければならない。ディンギとはお金を意味する言葉である。地球上でお金を意味する言葉は多々あるが、わたしはこの『ディンギ』という言葉が好きだ。だからといってわたしは主義を唱えるわけではない。
 この国は人類だけの星ではない。ウマやゾウなどの星でもある。彼らはディンギを支払う代わりに、皮を剥がれたり、殺されたり、テーブルの上を飾らなければならない。モーガンのいう神が、人間と動物の間につくりあげたいちばん都合のいい事実——それは両者の間に言葉がないことである。わたしは人間たちの間でも国がちがえば言葉が通じないと思っていたが、そのあいだには言葉の解説書が存在している。もしこの本がなければ、人間たちの間では、彼らのはじまった歴史のころと同様の殺しあいが、今も引き続き行われていたかもしれない。彼らはその衝動を、練り返される仮想的な殺しあいを見ることでやわらげている。
 動物の他に、植物さえ死んでいる。だが彼らはいずれ復活するだろう。彼らは純真であるから。

 旧マスターが説明不可能な理由で結婚、そして車に乗れないがために離婚をしたことはほとんど知られていなかった。さらに旧マスターが自分に娘がいることを知ったのは、それから五年後のことだった。それはこんな具合である。
 旧マスターは離婚——実際には単なる同棲の解消であったが——したあとも同じ会社に勤めていた。ある春の頃、彼の事務所——それは繁華街に立つ雑居ビルの四階にあった——を少女が訪ねてきた。その年頃は五歳だったが、その少女の口から発された言葉はこんなものだった。——「パパはいましゅか?」
 応対した事務所の女性は対幼児モードでこういった——「パパのお名前は何かなー?」
 パパは百八十平米の事務所の隅にいた。彼の座る席の後ろの壁には、ネコの描かれた絵がかけられていた。その姿は今のわたしより、とても上品でエレガントなものであった。もしかするとこの話しの主題はネコだったかもしれない。野生化する前のネコはたぶんトラだった。——わたしにはネコとトラはよく似た動物に見える。ネコやトラは土地代を払わないので、ほとんどの最後は人間に殺されるという結末、つまり彼らの時間を止められるという運命にある。だが彼らもそうやすやすとは殺されない。それが正当であり、それが普通なことである。それはたぶん現在でもそうである。
 旧マスターは『パパ』と呼ばれた。それは彼にとり、あまりに突然のことであったから、冷や汗をかくとかあわてるとか、そうした反応も忘れていた。
「ほんとうに覚えがないんだ」旧マスターは表面には見せないながらもどよめく同僚にそういいながら、子どもの手を連れて事務所を出た。旧マスターの背中で「結婚してたのかしら?」「さあ、なんかやばいことやったんじゃんないか?」「何よそれ、どんなこと?」——といった声が聞こえた。それらは大抵において女性の声だった。そして何人かは我慢できずに、こっそりとすり足で旧マスターの後ろを追っていった。
 旧マスターは自分の娘だという少女の手を握って事務所を出た。少女の身長は腿の中程までしかなかったので、背の高い方ではない旧マスターも不自然に腰を曲げなくてはならなくなった。少女の手はあまりに小さかった。そしてなぜだか頬が熱くなった。それは変態的性欲を意味するものではない。
 旧マスターは、少女に引きずられるようにフロアの少し長い廊下を歩いていった。少女の歩く速度にあわせようとすると、ときどき足がからんでつんのめりそうになった。腰を曲げた旧マスターの目線の先には少女の頭があった。そしてその廊下の先には——別れた妻の足元があった。

 旧マスターが頭を上げると目に映ったのは別れた妻の顔だった。少女は旧マスターの手をほどき、自分の母のもとへかけよった。別れた妻は旧マスターにこう説明した。
「この子が一度だけでもお父さんの顔を見たいというものだから——」
 旧マスターには自分自身驚くほど動揺がなかった。少しの愛想笑いもない顔の口から、言葉がもれた。それはこんなものである——
「うまくいってる?」
 旧マスターはそのほかにもこういったことを訊こうとした——1・今はいったい何をしているのか、2・どんな暮らしなのか、3・苦労はないのか——しかし止めた。それは別れた妻の姿があまりに上品だったからだ。身体の線をやんわりと包んでいるスーツの妻は、株式二部に上場したばかりの広告代理店の部長になっていた。
「今度カナダに行くんです」別れた妻の声はよそよそしかった。二人の会話はどちらかというと『社交的』になっていた。旧マスターの驚きのない声には少しの快活さも混じってはいなかった。
 旧マスターは少女に名前を訊いた。少女は応えた。
「ゆみこ」
 旧マスターは自分の時間を放棄するまで一度も別れた妻やゆみこちゃんにあうことはなかった。

【続く】