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仮題:カシューム星人と地球人について 3 [仮題:カシューム星人と地球人について]

【3回目】

 ゆみこちゃんとの出会いは旧マスターにとって、わりとよけいなお世話だったかもしれない。そのときまで旧マスターは自分が捨て去るものはなにもないと思っていたし、「自分が残すべきものはなにもない」——そう考えていた。捨て去るものは何もない、というのは捨てることのできるものばかりしかない、ということの裏返しである。肝心なことは——「残すべきもの・・」というところだった。旧マスターは、少しでも自分の片鱗が今後もこの地球上に残ることに対して不安があった。旧マスターは自らを残すべき存在ではないと決めていた。旧マスターはかなりヒポコンデリーだった。
 ただ、理由がどうあれ、自分がダメでアホな人間だと思っている人々はいっぱいいる。旧マスターは普通の人間だった。たぶん自分のことを好きな人間は少ないはずである。そういった意味で、この国、いやこの星の人々のほとんどはヒポコンデリーである。アポトーシス!
 旧マスターには『ゆみこ』がいた。その事実は旧マスターの存在がまだ続くことを意味していた。いくら時間を放棄しようとも、旧マスターの血は完結しない。子孫を残した以上永遠に完結することはなかった。その血が残されてはいけない異端の血としても。現にまだ続いている。なんと——おそろしい! アポトーシス! トリニティ!
 ひとついえること——旧マスターはそのとき初めて自ら時間を手放すことの意味を問い直したのである。そしてそれを選ぶことを止めた。

 旧マスターと彼女の共通点は何か?
 二人がそれぞれ費やしてきた時間の合計は、旧マスターの脳ミソや肉体が半分腐ってもおかしくないほどかけ離れていた。その二人の間に共通点を探すとするなら——それは多分映画くらいなものだった。月並みな趣味というのは安心するものらしい。しかし映画はあるときからただの光に変わった。

 もし誰か犬がきらいな人がいたとする。かつ、その人が世界一好きな女性が犬を大好きだといったらどうだろう? その女性の家族がみんな犬好きで門には犬がいるとしたら!——その犬は後から大きな光を浴び、照らされた毛はライオンのように輝く。そしてその顔は光の中に小さく愛くるしい目と健康な歯を光らせて見せる。——子供心を除いた無心さでほんとうにこび以上のものが存在することを、その犬は精いっぱい表現する。彼——つまり犬にとって飼い主の地位は創造主以上である。だが誰が犬を造りだしたのか?——それは多分、人間を造ったものと同一人物である。
 私たちを造りだした尊い人は、一方で地雷や原爆を開発する人間を造ったし、その他方で犬を造った。
 ところが創造主はそれらふたつ——人間と犬との間にとても複雑な共通点を用意しておいた。——それは『ものをひろう』ことである。
 そのふたつは創造主たる神——その存在を信じない人々のためにそれをこの星の名前、『地球』としてもいい——とにかくその地球はそのふたつを産み出した。
 はたして神、もしくは『地球』は自ら創造したものに対して平等であったろうか? 神経と心配りの問題である。——か?
 わたしは旧マスターたちと犬の間に何の差を見つけることはできなかった。そのかわり多くの共通点を見つけることができた。彼らは息をしている——それもそのひとつ。ところがもっと原始的なこと——彼らはクソをします。——お、失礼!
 旧マスターの店の前に犬が居つくようになったのは、彼女がまだ高校を卒業しないころだった。その犬は成犬だったが、身体はちびだった。白い毛は短く、右目の下に黒いブチがあった。彼女いわく——「マジりっけなしの雑種!」
 その犬が居つくようになった原因は、店の前に落ちていたタコ焼きのせいだった。犬が地面に鼻を近づけクンクンやりながら歩いた先がタコ焼き——つまり旧マスターの店の前だったのである。タコ焼きは何度か落ちていた。そのタコ焼きはまずいと評判の屋台が売っていたものだった。旧マスターの店から一丁離れた場所の路上に出ているその屋台でタコ焼きを買った人はたいがい旧マスターの店の前でパックの中に入った残りの二三個を捨てていった。その理由は?——大きくてまずかったのである。たいがいの人はおいしくないものを食べない。
 その犬はたいていの場合において『犬』と呼ばれていた。彼女はその犬を『トン』と呼んだ。トンはブタの意味もある。彼女がその犬をトンと名付けたのは、そのしっぽがブタのそれに似ていたからだ。それから耳も似ていた。彼女とトンの会話はこんなものだった。
「ねえトン、トン、トン、元気?」
「ワン、ワン、ワン」彼女はトンの頭をなでる。それにトンはこう応えるのだ——「クゥーン」
 その後で彼女は旧マスターにこういった。
「トンは元気だって」
 トンが現れたことは彼女に何らかの影響を与えただろうか? トンは彼女の前では一方的な聞き手に回った。トンはいつも聞き手である。誰もトンの話しを聞こうとしているようで、ひとつも聞いていなかった。言葉が違ったのである。
 トンの口はいつも開き気味で、その口からは舌がベロリとのびていた。たいていにおいて彼はいつもそうである。それはトン自身が呼吸をするため、そして温度調整のために必要なことでもある。トンは服を着ることができなかった。トンの仲間は今、この瞬間でも人の胃袋の中に入っている。それは食欲を満たすためであり、これが真実かどうかは知らないが——トンの仲間の肉は人間の身体を暖めるのだ。それだからトンの仲間は冬によく姿を消した。
 トンは以前人に飼われていたことがあった。その証拠となるものはトンの首を飾っている赤い首輪だった。トンは自分で自分の首に首輪をつけることはできなかった。トンの主人は、トンを食べることまではしなくても、最後にはトンを追い出すことにした。自宅から車に乗り、この街の付近でトンを降ろしたのだ。それはそれでしかたのないことだった。人間は人間とでも別れることがある。人間と犬が別れることに、どんな不思議があるというのか?
 この段落の締めとして最後にひとつ。捨てるとこはとても大切なことのようである。それはたぶん、次の進化へと続く足がかりになるだろう。だがたいがいの人間は捨てきれないようである。そうした人間が旧マスターの店に集まっていた。そういった客たちはこうしたことを口にする、「ああ、昔は!」
 わたしはそれが別に悪いことであるとは思えない。そうした人々はたぶん——『たぶん』ばかりで申し訳ないが——時間を奪い返すことを切に、かつ力無く望んでいたのだ。彼らはある意味で恐竜だった。間違えて生き延びた恐竜だった。時間を奪い返す——それはできない相談だった。彼らは時間に支配され、振り回され一喜一憂していた。そうした人々は時間を取り戻そうとするが、そんなことは不可能であるので一歩も先に進めない。アーメン——人生の終わりである。ほとんどの人が老指揮者だったのかもしれない。わたしはいまだ時間のエネルギーを探し続けている。
 ——彼女もそうした女性になるかもしれない。

 彼女と友人のつきあいは、少しの距離をおきながら続いていた。位置的な距離は時間を追うごとに遠くなっていったが、わたしはいつも彼女たちの身体から発される一本の線を見た。実体のない臓器——『心』が放つ精神の放射線だった。
 友人は高校を卒業すると、以前から出入りしていた劇団に入った。それはまだ商業的成功にはほど遠い小さな劇団だった。六畳のアパートが事務所兼寝床だった。
 その六畳のアパートで彼女はさらなる精神波を受けることになる。それより前に発されていた精神波——それは旧マスターからのものだった。
 彼女はその部屋を三度訪れたことがあった。
 一度は友人の立った舞台を見た後だった。そのとき友人の髪の毛は青い色をしていた。
 彼女の見た劇は『ノラとその仲間たち』といった題名がつけられていた。

 家を出たノラの足が凍てついた大地の上をさまよった先は、キャバレー兼置屋だった。彼女は酒を運びながら窓のないベッド一つの小さな部屋で日々の生活をしのいでいた。
 ノラはそこで数人の仲間を見つけた。根っから水商売好きな女——彼女は愛人に対する依存症の強い女で、どんなに夫や数人の愛人たちが放蕩者であろうと、その男たちに愛を賢明に注ぐことでしか生きることができなかった。二人の子を持つ、昼は洗濯屋で働く女性。そして帽子を作ることに情熱をかける若い独身女。その執念はいささか度を超したものだった。彼女は今では独身であるが、ノラと同じで夫と離婚した女だった。しかしノラは——家を出たというものの、実際に離婚はされていなかった。
 ノラは家を出たそのときに、それまであったすべてを失ったと信じていた。が、ノラは夫と離婚することを忘れていた。ノラのいない間、夫はノラに課される税金を払い続けていたし、最後に買い与えたミシンのローンも滞納せずにきちんと払い続けていた。
 結局舞台の最後でノラはこういって夫のもとへ戻る——「わたしは自由のためにすべてを置き去りにしただけ——何も失ってはいなかったのよ!」
 ノラの夫が離婚しなかった理由は何か?——もともと人形としか見ていなかったノラに家を出て行かれたことが、どれだけまわりに対して恥ずかしかったか——ただそれだけのことだった。それだから家に戻ったノラは、ほとんど軟禁状態で彼女の時が止まるまでの間をその家で過ごすことになった。

 友人の役は帽子を作り続ける独身女の役だった。友人演ずる独身女は、帽子をひとつ完成させては他人にそれをあげた。彼女はこういうのだ——
「わたしは裸でいるのがたまらなくいや! 手には手袋、足にはクツ、肩や首にはストールを掛けて、——そして頭には帽子なの! そうよ、頭はとても大切なもの、頭には大事なものがいっぱい詰まってる。思い出や自分の好きなもの、忘れられない感情——わたしはそのすべてを守るために帽子を作るの——ほらこれをかぶりなさい! 家の外で、たとえ家の中でも雪から雨からクソ暑いお日さまからあなたの思い出を守りなさい!」
 ワリャーシャ——それが友人に与えられた役名だった。ワリャーシャは記憶喪失の女だった。彼女が覚えているのは街の帽子店で帽子を作っていた——ただそれだけだった。彼女は自分が記憶を失っていることに気づくと、かって自分が働いていたであろう帽子屋へ帰ろうとした。だが——彼女はその店の名を思い出すことができなかった。そしてほとんどの人——仮に帽子屋の客だとしても——彼女を覚えている人はいなかった。彼女はいつも一日十六時間帽子屋の奥で帽子を作り続けていた。
「さあ、守りなさい!」友人は舞台で叫ぶ。ノラはいう——「ありがとうワリャーシャ。でもわたしが守りたいのは思い出なんかじゃない。わたしが守りたいのはまったく不自由のない完璧な生活なのよ」ノラは不自由であると勘違いしていた過去を後悔した。
 ノラは家で軟禁されながらも、すばらしい笑顔を見せる。そして幕が降りた。

 舞台の友人は青色の髪を白いカツラで隠していた。舞台が終わると、友人は衣装を着たまま、そしてカツラもつけたまま会場を出た。カチューシャ風の衣装は友人の自前だった。
 彼女は友人を会場の前のバイパスに面した歩道の街路樹に寄り掛かりながら待っていた。友人の姿を一目した彼女は正直驚いたが、結局はその格好が当然のことであるかのように友人を迎えた。それはひとつの『強がり』というものらしい。彼女にとり、友人は自由が具現化された存在だった。

 そのころの彼女は働きだしていた。ここで彼女がどんな働きをしていたかについて特に記すべきことは何もない。彼女がそこで日々得ているものは疲れだった。そして夏には冷房病。冷房病は風土病かまたは季節病であった。
 彼女がなぜ働きだしたか?——十二年の勉強は『こりごり』だったからで、学校はもう『あきあき』だった。十二年のなかで彼女の見えない精神波がつながりを持つことができたのは、友人ただ一人だった。
 地球には血以上に強いつながりができあがることがあるようだ。たとえばそれは『仲間』である。仲間は不思議な群だった。仲間は血のつながりがないながらも、その関係は深い。それはなぜか?——それには時間が関係しているのかもしれない。彼女の同級生——少女二人は、精神波につなげられたまま、校舎の屋上から飛び降りた。
 この星に存在し続ける——いや、地球を形作る時間のエネルギーは途切れることなく続いていく。たぶんひとりでには途切れることはないだろう。わたしの星の時間はときどき途切れる。そのため時間は後戻りを余儀なくされる。だがわたしは戻らない。時間の後戻り場所にいたものだけが戻る。わたしの星で時間は弱い。
 たとえばある女性にある種の仲間がいた。それは恋人と定義される男性である。その男性は飛行機の爆発事故でバラバラになって地上に落ちてきた。その女性がその男性の中でいちばん最初に見つけたものは二本の大根——いや腿のあいだにぶら下がったシンボルだった。そのシンボルには三つの真珠が埋め込まれていた。
 普通、真珠は二枚の殻をしっかりと閉じた真珠貝の中で作られる。それには長い時間が帆走する。その結果できあがった真珠は、指輪やネックレスにされてそれを欲する人々の外観を飾ると思われる。それがなぜ男性のシンボルにあったのか?
 それは実に簡単なことだった。——要は使い方です。

 彼女の友人はひとつのカップ——それは赤い大きなカップだった——をあるときは歯磨きに使い、それでコーヒーを飲み、ビールを、ウィスキーを楽しんだ。そしてその夜、そのたったひとつのカップは二人の間で使われた。友人がコーヒーを一口すすった。そして彼女がコーヒーをすすった。赤いカップは『カップ』という名前がなければ、ただ土を焼いただけの土器だった。
 すべてのものから名前を外してしまえば、地球は原人たちが現れたころと何ら変わらない。木で作られたイスに座り机を前にする。そして文字を紙に書く。まるで原始人だ!
 すべては産業で、肝心なことは使い方だった。使い方は何ら変わることなく、何千年もの時が流れてきた。
 彼女と彼女の友人が話したことは何だったろうか——それは舞台の話しであり、映画のことだった。しかし彼女たちの間で実際に話された言葉の量はごくわずかなものだった。相変わらず彼女たちは精神波でつながっていた。このつながりは彼女が時間から逃れるまで続くことになるだろう。たとえ二人が離ればなれになろうとも。

 そのころ彼女の話し相手は三人だった。旧マスター、友人——トンである。トンは犬であるが、構造的には人間と変わらない。

 彼女が劇団の事務所によったのはその日のことだった。その部屋はただのアパートだった。その部屋は漆喰の壁であったが、これもたくさんの時間が過ぎたわりにはかわりばえのしないひとつだった。漆喰は石灰と砂からできている。ネズミ色のスチール製ラックはにはゴミかクズにしか思えない紙が山のように詰まれていた。それは劇団のために書かれてきた脚本やチラシ、会報誌の山だった。そして同じくスチール製の机があった。その天板は、これもまた山のような紙が詰まれ、コンピュータ機器さえ埋め尽くそうとしていた。脂のついたそれらの家具には備品番号のステッカーが貼られていた。会社資産の整理品だった。
 まず彼女の目を引いたものはスチールラックに納められた紙の束だった。彼女はとりあえずいった、「事務所みたいね」スチール製の机や家具がそう見せたのだ。タイルの貼られたくくり付けの台所には小さなガスコンロと鍋があった。それは生活感のすべてだった。
「彼って脚本家」友人が身ぶりで示した先はスチール机だった。だがそこに人らしき姿を見ることはできなかった。「お客さんよ」——友人がそういったとき、紙の山から男の髪の毛が見えた。その男はメガネをかけていた。
 脚本家はいった——「あ、どーも」立った男の背は以外に高かった。刈り上げた髪の毛は細い顔に合い、長い首はキリンだった。首は長いほど切られやすい。
 脚本家は頭を下げた——それは、新しい精神波のはじまりだった。そのとき彼女は心の中に『ラ』の音を思い浮かべた。彼女が父親を見たとき、浮かぶのは『シ』の音だった。ものをきらいになることに理由はなかった。それが人間であろうとも。
 脚本家はやせていた。襟元のゆるんだワイシャツから浮き出たあばらが見えた。その下はハワイの絵が描かれたショーツで、畳を踏みしめる足は裸足だった。
「友だちなの?」——脚本家が友人にいった。
「そうよ、ちょっとよっただけ」
 これからしばらく後——三回目の訪問で、彼女はこの脚本家に乱暴されることになる。脚本家はそのときのことをこう回想する——「ぼくはスランプだったんだ」
 それは人間が結合をする理由の一つとなり得るものである——たぶん。

 さて——トンは地面でへたばっていた。トンもときどきへたばる。トンは人間よりも飽きっぽい。人がかまっても何のアクションも見せないときは、そのとおり人間を必要としていないときである。トンが必要とするよりも、トンを必要とする人間がいた。その人間のひとりは彼女だった。
「トン、元気? 今日も疲れちゃった」
 彼女が店に入ると、旧マスターの他に三人の客がいた。男連れ三人だった。三人とも二十を過ぎた頃のように見えた。そのうち一人は、人間の肉を取り去ったあとに残る『骸骨』の絵が描かれたTシャツを着ていた。彼女はその男三人に気がつかない振りをしていた。
 これは事実である。ある種の人々は独りでバーに来る女性のすべてが結合好きだと思っている。そうでなくても、『寂しい』といった感情を持ち合わせていると勘違いしていた。それだから女性はひとりで来ない。こうしたことは考え方のちがいである。——また、仮に結合したとしてその結末も様々である。ある男性は直腸を破壊されて川に浮いていた。そしてバーに独りできた女性は、あそこをえぐられて死んだ。たぶんそれも時間を放棄する方法である。
 彼女はカウンターの席——それはだいたい決まっていた——に座ると、メンソールのタバコを取り出した。
 そう、彼女は人前でタバコを吸いはじめた。そしてお酒も飲みはじめた。彼女が高校を卒業し、仕事をはじめて一年が過ぎようとしていた。旧マスターは、彼女が働きだして初めて店に顔を出したときに酒をすすめた。彼女はまだ二十歳前だからといった。旧マスターは完璧に勘違いしていた。十八年立てば何でもできると思っていたのだ。実際——彼は高校を卒業して働き出すとすぐにタバコを吸いだしたし、酒も飲みだした。逆に——旧マスターの周囲にすすめられたものだった。これはきっとルールに反することだろう。

 彼女が頼もうとしたものは何か?——それはスタウトビアだった。

 カウンターの上をシャクトリ虫が這っていた。幸い、このシャクトリ虫は人間の目に触れることはなかったが、あとほんのわずかな未来にトンに食べられてしまうことになる。シャクトリ虫自身が、自身を構成するシャクトリ虫細胞を包む宇宙であった。そしてトンは別な宇宙——シャクトリ虫宇宙——を自分の宇宙に吸収した。トンの宇宙はシャクトリ虫宇宙の燃焼によりほんの少し生存を持続することができた。
 彼女や旧マスターたちもまた、細胞であり、宇宙だった。宇宙はこれからも生き続けるかもしれない。しかし細胞は運動しなければならないのだ。
 旧マスターという宇宙が布団から身体を起こすと、時計は八時三十分だった。だいたい仕事が終わって部屋に帰ってくるのが三時半であるから、五時間の睡眠ということになる。だが、たいがい旧マスターはまた寝る。
 旧マスターは床屋のような模様——つまり青いシマシマのパジャマ姿のまま、台所に入ると、ビニール袋にゴミを詰めだした。料理をしない旧マスターの台所には食材から発生する生ゴミはなかったが、その代わり、この星を形作るものとはまったく異質な材料のゴミが多かった。
「ねえマスター、環境ホルモンって知ってる?」
「うーん、知ってますよ——おちんちんがなくなっちゃうやつでしょ」
 旧マスターの身体はおちんちんがなくなる前に消えてしまう。旧マスターはそれらホルモンを発生させるといわれるゴミをふたつのゴミ袋に詰め、パジャマのまま外に出た。めざす場所はマンション一階裏のゴミ捨て場だった。その賃貸マンションは、結婚していたころから住んでいるところだった。考えてみれば——旧マスターはここで血を残したのだ。
 階段や廊下で主婦とすれちがう。彼女たちは旧マスターと別れた妻が結婚——いや、正確にいえば同棲していた頃から知っていた。妻——正確にいえば妻ではない、だがとりあえず妻としておこう——と別れた当初、旧マスターの背中を彼女たちの視線が刺したが、もう気にならなくなっていた。その主婦たちはついこのあいだまで、旧マスターが時間を放棄してしまったことについていろいろと噂をしていた。だが今は何もしゃべろうとはしない。その中の何人かが心不全などで時間を失ったせいもある。人を知る人はだんだん少なくなっていくわけだ。
 透明なゴミ袋を両手に持った旧マスターは、ゴミ捨て場に立つと、きちんと分別されたゴミをしかるべき場所においた。そして背伸びをした。
 このとき旧マスターはどんなことを考えていたか? それはこんな感じだった。『彼女がとなりにいたらどんなにいいことだろう』——そう思っていたのである。旧マスターと彼女は、旧マスターの身体がとっくに腐ってしまうほど離れていた——それはさっきもいったことだ。それでもマスターは『彼女がここにいたら——』そう思っていた。とりあえずそうした思いは、何か『もの』が好きだとかそういったものではなく、もっと特別なものであるらしい。またそれには相応の分別というものがあるという。その分別というのは世代である。ただわたしは旧マスターのそうした思いを別に悪いこととは思わない。しかし、それがよいことであるという理由ももちあわせていなかった。もちろん悪い理由もない。わたしにはそうした知識はなかった。
 だがわたしが気づいたこと。それは旧マスターの精神波だった。そのエネルギーは彼のその思いであり、旧マスターの身体から発射されていた。もちろんわたしは精神波のエネルギーを発見したことに驚いた。が、もっと驚いたこと——それは旧マスターの時間だった。旧マスターの身体は間違いなくひとつの時間と——あともうひとつの時間に浮かんでいた。そのもうひとつの時間が完全のそのときの時間を逆行していたのだ。旧マスターには何らかのエネルギーが働いていた。それは精神波のエネルギーと同じものだったのかもしれない。
 それは旧マスターが彼女に会ってから四年目のことだった。
 旧マスターは一瞬に飛んでいった。その先は十五年前だった。もしかすると——それは旧マスターが自分の時を放棄するまでに放たれた数少ない精神波のうちのひとつだった。旧マスターはただの会社員になっていた。それはあとに離婚(くどいようだが実際には離婚ではない)という結果になる以前の時間だった。旧マスターの存在はまるでテレビに映されている映像のようなものだった。そのころの旧マスターはあるものによって精神波を支配され続けていた。『あるもの』とは——それはいったいなんだろう?——そのあるものとは——それは決して届くことのないあまりに利己的で強い精神波を、独りでは立っていられない、他人の美しさに支えられた——今のわたしの知識では『恋』といわれる思いだった。
 そのころ旧マスターは、酒やあらゆる合法的な薬におぼれていた。そのとき彼は『仕事』と呼ばれる、この国に住む人間たちの義務——レスポンシビリティを受け持っているひとつの歯車だった。歯車とはある機関を動かすために作られた部品でありそれは多数組合わさることで強いトルクを産み出す——そのように組合わさることでエネルギーを増幅するもので、組合わさることが重要な部品だった。
 旧マスターはなぜ酒や薬におぼれてしまったか。事実、そのころの彼は夜の五時から朝の五時まで眼がつぶれるほど飲んだ。眠りがせまってくると、抗ヒスタミン剤や、感覚を刺激する物質を飲んだ。それは医者からたんまりといただいたものだったし、成分を見ながら薬局で購入したものだった。そのころはまだ路上で薬を買うことは難しかったのだ。が、そのなかのいくつかはすでに効力が効かないものもあった。時間を放棄する以前の旧マスターの身体はほとんどの抗生物質が効かないまでになっていた。
 旧マスターがそうしたものを——たとえば酒を多量に飲んだりしたことは、店を開くことに何らかの足しになっただろうか——それはまったく何の役にもたたなかった。逆に手がふるえるという後遺症さえ及ぼした。そのころの旧マスターにとって酒は酒ではなく、薬だった。
 旧マスターが酒や薬を摂取していた理由——それは『絶望』にあった。それは自分自身に対してであった。旧マスターはほんの一時、ほんの偶然歯車を発見してから、急にそれが自身にからみつきだした。その歯車から外れない限り自分は最後まで——時間を放棄するまで歯車だった。ひとつでは作用しない歯車がいかにしてひとつになることができるのか——それを見いだせない旧マスターは自信の無力さに絶望した。切に、切に独りになることを希望したが独りになることができなかった。
 わたしはどういった状況下であろうと、悩んだ人を見ると、そこに二つの生命を発見する。ほとんどの人間は独りではない。その一つは歯車だった。
 旧マスターの身体——特に心臓はある程度定期的であるべき鼓動から大きく外れ、その感覚を次第に狭くしていった。旧マスターは三度自分の心臓が止まったことを感じ、四度考えられない痛みを頭に受けた。それらすべての症状は血管の不良に起因するものだった。量産されるブドウ糖は尿に侵入しつつあった。
 まとわりつく歯車に苦しむ旧マスターの絶望感をさらに肥大させたもの——それは『恋』だった。恋は病気である。これは激しく体力を消耗させ、脳ミソの指向性はただ一点のみ固まり、食事も採らないくせに首もとまで何かが詰まっている——万人に当てはまるわけではないが、それが旧マスターの恋に対する症状だった。症状はかなりその状況下でちがう。
 症状がちがう、というのは恋はいつも絶望的ではないということである。恋の大部分は希望だった。旧マスターに希望はあったか?
 答え——ありませんでした。そう、旧マスターの恋はお先真っ暗だった。ほんとに——ほんとに真っ暗だった!
 冷静に——旧マスターの恋は確かに先がなかった。それはどうあがいても——生まれ変わらない限り少しの可能性も見いだせなかった。旧マスターの発する行き場のない精神波は、放出されては消え、そしてありもしない希望を見いだすとまた復活した。それは練り返し放出されるオタマジャクシだった。
 だが、こういった話しはどこにである話しのようである。かなわぬことはどこにでもあった。人間は変えることのできることと、できないことを判断する知恵、そして勇気を求めながら、それを探しきれないでいた。
 で、——結局まだ昔の薬が身体に沈殿している旧マスターは新たな精神波を放出していた。子どもの怪獣がポッポッと口から放射能光線を吐き出すみたいに。それは次第に成獣のそれになっていゆく。
 あちこちで——この店でも街中で様々な電波が飛びかっている。その電波にDNAのらせんのようにからみつきながら不規則なスピードで——あるときは光を嘲笑するほどまっすぐに精神波が飛び交っていた。——通説では電波よりも精神波が先に現れたらしい。しかし、その精神波の大半は行くあてをもたなかった。
 旧マスターはマンションの階段をリズムをつけて上っていた。そして口からリズムに乗った言葉がもれた。それは歌と呼ばれるものらしかった。——「タラッタラッタラッタ、ウサギのダンス」
 ウサギは生きる権利を持ちながら黙殺される動物のひとつである。ウサギたちは決してダンスをしない。

 わたしの姿はバイオリンを弾くネコだった。旧マスターがビンであったわたしを見失い、嘆いたあと、わたしを見つけたのは彼女だった。なんだか——わたしはうれしかった。
「マスター、これ何?」
 わたしは『恥ずかしい』ことをいわなければならない。ただ、今だから恥ずかしいといえるだけで、そのときはそんなことは感じなかった。恥ずかしいということを知らなかったのだ。彼女の手のひらに浮かんだしわの感触が何とも不思議だった。——そう、彼女はわたしを手に取り、そして握りしめたのだ。彼女の手は暖かだったが、その暖かさはすぐにわたしの冷たさに乗っ取られた。彼女の手のひらはなんと不思議だったか——実をいうとわたしは彼女の手のひら——それにかぎらず彼女の肌は、わたしのオリジナルの状態のように完全に摩擦のない『つるつる』であると思っていた。だがちがっていた。つるつるどころか『ざらざら』だった。それでも他の人間よりはつるつるだった。それは『すべすべ』という言葉でも表現できる。

 信じられるだろうか——旧マスターは生きることに対する支えを見つけつつあった。彼女以外に。それは歌だった——歌は店で買うことができた。しかし買わなくても街中の電波に乗せられている。電気の波は感動にまみれながら、空気の隙間を通り抜け旧マスターの持つテレビの画面上で、絵や音となって復元された。
 旧マスターが見たのはひとりの女性だった。その女性とはふたまわり——二十四年近い年の差があった。女性の職業は歌手といわれた。この国において、職業の定義は曖昧である。歌手は職業という意味において、他の歯車と同じように社会保険に加入していたし、税金も納めていた。ただそれは歌手の所属する事務所が行ったことで、歌手の知ったところではなかった。
 歌手は彼女よりもかなり年が離れていた。これは時間に裂け目が生じない限り変わることのない事実である。彼女はいなくなってしまったが、歌手はまだ生き続けていた。
 その頃——その歌手は恋や世の中への不満を歌っていた。旧マスターのスピードが一とするならば、その歌手のスピードは千だった。二人は同じ時間の上にいながら、その時間は異なる回転数を持っていた。それでも二人の間で経過する時間はちがった。それは若さのちがいともいえた。
 旧マスターはなぜ?——普通なら娘といえるような歌手の歌に惹かれたのだろう。旧マスターはまったく回転数のちがう時間がたまたま同期した点——まったくの周回遅れだったが——に足をはめ込んでしまったせいだ。同期した点とは?——人間がたがいに共感するポイントである。そのポイントには個人差がある。旧マスターの場合は少し遅れたような——生理みたいなものだった。誰でも成人になることに要する時間がちがうように。
 ただそれだけだった。
 ほんとうに確かなこと——旧マスターは、その歌手に惹かれてしまった。その歌手の容姿に惹かれたのだろうか?——歌手の歌う、その歌の内容にである。ただ、その歌手の唱方に負うところにあったことも否めない。幸いなことに旧マスターは声や容姿の印象だけで長続きするほどの薄っぺらな感動のレセプターは持ち合わせていなかった。
 その歌手が歌う歌、それと旧マスターの共通点は何か——それは「答えが見つけられない」ことだった。
 これも確実なこと——旧マスターはその歌手の歌を時間を放棄するまで聴き続けることになる。
 もうひとつ——ある晩彼女が旧マスターにいった。「ねえ、マスター、その娘のコンサートにでも行ったらいいんじゃない? それほど好きなら」すると旧マスターはいった。
「もうそんな年じゃないんだよ」だがそのとき旧マスターは予感していた。仮にそのコンサートに行ったなら自分はきっと「泣いて」しまうと。
 旧マスターはしょっちゅう泣いていた、自分の部屋で。ちょっとしたテレビドラマでたくさんの涙を流すことのできる感受性の高い人間であった。
 旧マスターは三十六万七千九百二十時間目にまた恋をし、そして歌を知った。
 確かに旧マスターは感受性の高い人間であったかもしれない。旧マスターは確実に時間を浪費しながらも、古い時間の断片を手に入れつつあった。取り戻す?——取り戻せ!
 旧マスターがどのようにして時間を放棄したか。それはガス吸い込むことによる一酸化炭素中毒だった。

 彼女や旧マスターたちの住む街は木や有機物、砂を結合させたコンクリート、そして可塑性のアスファルトで造られていた。家には鉄材や生命に限りある植物を加工した木材、果ては——紙まで使われた! それらすべては土の上に組み上げられていた。旧マスターの店の壁には石灰モルタルが塗られていた。モルタルにもいろいろある。それはモルタルに何か事情があるというわけではなく、モルタルにもいろいろなタイプがあるということだ。モルタルも発見されなければ自分の住むべき場所でひっそりと暮らせていたはずだった。
 この星の表面はそうしたコンクリートなどでおおわれていた。その下がオリジナルの地球だった。わたしの星にはなにもない。星は生まれたままの姿だった。
 わたしはカドミウムでできている。それだからこの国の基準では土壌を汚染する物質のひとつに挙げられている。わたしは亜鉛鉱物の副産物としてほんの少量が生産されるが、結局親が悪ければその親の子も悪いのである。
 わたしは技術進歩のために利用されているが、その取り扱いは大変危険である。こんなわたしは旧マスターの店を汚染しているだろうか? わたしは廃棄されていない、海洋にも投棄されていない——わたしはそういうべきであろうか? 旧マスターの時間を破棄させたのはわたしであると——
 でもちがうのだ。

 彼女が脚本家に乱暴されてしまったことがあった。彼女の友人がニューヨークへ行った理由のひとつはそれである。少なくともきっかけになった。
 彼女が三度目——それが最後だった——に事務所を訪れたとき、彼女がなぜ脚本家にそのような『すき』を与えてしまったか? それは友人との約束を三千六百秒間違えたためだった。脚本家は彼女にとって初めての相手だった。その行為は畳の上で行われた。脚本家がその行為をおよぶにいたった経過——その間にはたった一杯のコーヒーがあっただけだった。
 彼女の初めての行為は二十分で終わった。時間にもう少し優しさがあれば——少しでもエネルギーの浪費を控えてくれたなら——その行為は二分で終わっていたかもしれない。
 その行為は彼女の身の回りでめずらしいことではなかった。彼女が高校生だった頃に同級生がしていたことだった。彼女がぼんやりわかったこと——そうした行為に理由はない、そしていかにでも理由は与えられた。だがそのときの状況においては、みじんの理由もあってほしくはなかった。
 だがほんとうにそうだろうか。
 幸いにも脚本家から放出されたオタマジャクシは彼女の卵と結び合うことはなかった。それはたぶん『神』の配慮だった。そのかわり少しずつあふれ出すオタマジャクシは彼女の下着をぬらした。彼女はあきれるほど感情を抑えている自分を『バカ』だと思った。
 その行為が終わったあと、脚本家はそそくさと短パンをはいた。短パンをつかむ指にはペンを握ったためにできたタコがあった。その指は黒縁のメガネを探すため畳の上をまさぐった。脚本家はいくつかの言葉を発した。そのなかのひとつはこうだった。
「ごめん」
 ああ!——なんてことだ。これは謝罪の言葉である。脚本家は彼女を悲しませたか、自分が罪を犯してしまったことをはっきりと認めたのだ。しかし——脚本家にとってその言葉はなんの意味も持たなかった。その言葉はただの『言葉』だった。
 それは脚本家なりの知識の成果だったかもしれない。——きっとそうだ。
 彼女はその言葉を聞いただろうか?——聞いた——だが聞かなかった。彼女は自分もバカならこの脚本家は大バカだと思った。この脚本家は今までたいした本を書いたことはなかったろうし、これからも書かないだろう——そう信じた! これは確かなことだった!この脚本家は脚本家自身の一生を通じて、歴史に一文字も残すことはなかった。
 彼女は友人が哀れに思った。この脚本家はバカだ。一生作品を残すこともないだろう。彼女がそう思ったとき、脚本家を初めてみたときに芽を出した精神波は完全に消えた。

 彼女は旧マスターの店で、「脚本家ってバカよね」といった。
「なぜだい?」
「とにかくバカ」
 旧マスターはすこし沈黙すると照れる様子を見せながらいった——「ボクも少し書いたことあるよ」その言葉を聞いて彼女は怪訝そうな顔を見せた。旧マスターは内心とまどった。「——脚本ってやつじゃない。小説かな」旧マスターは彼女の様子をうかがいながら話した。実際、『脚本』という言葉を否定した話しをはじめると、彼女の顔は柔和になった。それは本心からではない。

 旧マスターが何万時間の時を終えるまでに書いた小説は二つだけである。二つといえば少ないかもしれないが、それでじゅうぶんである。なぜならそれは彼の職業ではないからだ。そのかわり、彼には五十六編のアイデアがあった。それは今でも旧マスターが愛用したコンピュータに残っている。そのコンピュータは、廃棄処理を待ちながらいまだに海を埋め立てたゴミ処理場で眠っている。
 旧マスターが小説を書きはじめたのは歴史的事実と同期している。それはワード・プロッセサーというプログラム式タイプライタが誕生してからのことだった。
「どんなの書いたの?」と彼女が訊いた。
「いろいろ」と旧マスターが応えた。
 彼女が好きなものはスタウトビアだった。それが彼女のお気に入りだった。ときどきカンパリを頼んだ。そして名前のない青いドリンク——それは旧マスターのオリジナルだった——どちらにしろとてもゆっくり飲んだ。旧マスターはその様子がとても好きだった。
「最初に小説を書こうとしたときなんだが——」旧マスターは言葉を切った。そしていった「——自分に何が書けるのかわからなかった」そういう旧マスターに対して彼女は実に手きびしいことを訊いた。
「それじゃ書きたいものがなかったんだ」
 旧マスターは黙った。その顔は真剣だった。彼女はそれがうれしかった。年が下のものが上のものを困らせるのは実に楽しいことであるらしい。だが素直に困る大人は少ない。意地を張るにもほどがある。それがなければすべての若い世代も少しは満足するらしい。
 旧マスターがいった言葉の半分には大人らしさが含まれていた。それはまだ若かったことを忘れてはいないと主張しながら、悔しがっていることが丸見えだった——
「書きたいという気持ちはあったね」
 つまり旧マスターはこういいたかったのである。——結局まだ答えは見つからない!
 彼女は少し泣きそうな感情を覚えた。目頭が熱くなった。だが彼女は泣かなかった。その日は脚本家に乱暴された三日目のことだった。会社には有給を申請していた。
 果たして脚本家には何か書きたいものがあったのだろうか?——そうでなくても何かを書きたい「欲求」があったのだろうか?
 彼女はたぶん——優しい声をかけられると泣いてしまう状態にあった。それだから彼女訊いた。「どんなやつを書いたの?」
 旧マスターはいった——「ひとつはよくわからんやつだな——うん、ほんとに変なやつ」
 それはこんな小説だった。

【ボクがいて好きな子がいて、ほんとはその子が好きだけれども、別の子を好きになってしまいには自殺しようとしてしまう】
 ——ね、わからない。

「あとひとつ書いてる——それはSF」

【ある科学者が、火星人を造りだした。その火星人は偽物である。彼女——火星人は地球人が火星で産んだ赤ん坊だった。火星でひろわれた赤ん坊は育っていくが、火星人らしい特徴が何も現れない彼女に地球人たちの懐疑心がつのる。だが地球でひろわれた彼女には火星について知っていることは何もない】

 そういったところで新しい客が来た。旧マスターは注文を取ることで忙しくなった。ひとりが注文すると連鎖的に他の客も注文しだす。旧マスターはカウンターの中で、シェィカーを振ったり、グラスの中味をステアしたりした。彼女はグラスやシェィカーを持つ細い指を見た。彼女はその姿を優雅だと思った。
 勘違いしないでほしい——旧マスターはどんな格好をしていたか? その姿はけっして黒いベストを着ていたり、糊の効いた襟のあるシャツを身につけてはいなかった。彼の姿は実にラフなものだった。たとえばインディゴで染められたジーンズにネルシャツである。そのかわり、その色彩は控えめだった。
 旧マスターは忙しく働いたが、カウンターごしに彼女との会話は続いた。彼女は話しながらも旧マスターが動かす手を見ていた。彼女は間違っても酔っぱらいではない。ホリックなどもってのほかだった。ただ、いえることは——合法的なドラッグのないこの国で少量のアルコールだけが逃げ道だった。
 それでもその日の彼女は寂しそうだった。わたしが告白せねばならないことのひとつ——彼女は店に来ると必ず一度はわたしを手に取ってくれる。その日も手に取ってくれたのだ。それも——とてもやさしく!
 彼女はわたしの身体がカドミウムでできていることを知っているのだろうか——

 彼女が乱暴されたという事実を旧マスターが知ったのは、友人の口から発された言葉によるものだった。

 友人は額に汗を浮かばせながら二人の仲間とともに六畳間の事務所へやってきた。一匹のネコを抱きながら。舞台の帰り道、コンビニエンスの前で鳴いていたのをひろってきたのだと友人はいった。わたしは思った——つまり人間以外のものなら、地面にあるすべてのものは不要なのだ。ネコは黒いネコだった。
 彼女と脚本家は服を着てまだ幾ばくの時間も経っていなかった。脚本家はよく口にするセリフを忘れていた。それはこんなセリフである。「黒ネコは不吉なんだ」
 ああ、彼は脚本家だというのに!

【続く】



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