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仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて 6 [仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて]

【6回目】

♪ラテン系のアル

 人々はマスクをした。それは吐き出された二酸化炭素を水に変えるものだった。人々はよだれを垂らしながら街を歩いた。一日中電気の灯った世界。それがデジーのいう『ゴミ捨て場の地球』だった。

 トミーはピーナッツだった。振ればカラカラ音がする。ミスター・ベイカント!

 デジーはロック・ミュージックの一形態にすぎなかった。そして彼はただのシンガーだった。デジーはマネージャーがこしらえたバンドをバックにギターを弾き歌った。バンド『マーシアンズ』は平穏だったろうか?——そんなことはない。彼らもたいへんだったのだ。
 ギターを弾いていた男はすでにガンにより時間を放棄していた。それもガンの中でも苦痛をもたらす直腸ガンだった。彼の最期のセレモニーでは好きだったバラの花がばらまかれた。
 彼に弾かれたギターは幸せだったろうか?
 彼は銀色のコスチュームに身を包んだ宇宙船のサブキャプテンだった。彼のイメージはバンドが解散してからも消えることはなかった。滅多にステージあがることもなく、彼はスタジオにこもりがちになり、結局自分のスタジオを持ち、それを貸して生計をたてるようになった。スタジオの名前は『スタジオ・スペース』といった。彼のスタジオは小さかったが、集められた機材は人気があった。郊外という場所は静かで、アーティストである客たちはこぞって長期の予約を競った。
 彼は自分のスタジオを使う客たちに頼まれてギターを弾いた。彼の身体はよけいな肉で覆われていた。しかし、息を引き取ってベッドの上に横たわった彼はデジーよりやせていた。
 ギタープレイヤーだった彼は成仏した。
 彼はデジーのことを恨んではいなかった。もともと彼はロック・ミュージック——もとい、音楽には興味がなかったのだ。つまり——彼にとって音楽は逃げ場ではなかったのである。リョーコは悲しむだろうか?

 デジーを疎むものはいた。そのなかでデジーに復讐しようとしている人間がいた。それはドラマーである。彼もまた『オルゴール』マーシアンズの一人であった。彼はドラマーであるがトミーのバンドのメインマンたるドラマーとは別人である。
 ドラマー・マーシアンは、デジーのバンドのオーディションを受ける前日までこげ茶のジャンパーに、茶色のコーデュロイを身につけた、土のような人間だった。マネージャーはこういったそうだ——「なんてホコリっぽい野郎だ」マネージャーは当時流行のたまり場だった通りのブティックに彼を連れていった。次の日——ドラマーの足はヘビ皮に包まれ、上体はヒョウ柄でおおわれることになる。
 オーディションは三十分で終わったらしい。あっというまのことで実際戸惑ったが、彼は正直安堵し、よろこんだらしい。特に彼の妻は小さな娘を抱いてうれしがった。それは以前のクラブバンドの報酬より二十倍の給料を約束されたからだ。彼女はまず下着を買おうと思った。そして洋服を、それから娘をキンダーガーデンに行かせるのだ——今晩はごちそうよ!——彼女はドラマーに抱きついた。
「いずれあんたは成功すると思っていたの。ぜったいにね、だって才能あるもの——わたしは信じてたわ」彼女は彼に五回キスをした。
「でもね——」ドラマーがいった。彼はさげてきた買い物袋を妻に見せた。
「何これ?」
「見てみなよ」
 彼女は袋を開いて中を見た。そこには動物的模様をした服らしきものが入っていた。彼女はいった——「誰が着るの? わたしこんな派手なの着ないわ」
「ボクなんだ」
 妻は首を傾げた。「え? なんていったの?」
「だからボクが着るんだ」
「なんでこんなもの着るの?——まるで○△□みたいじゃない!」
「仕事なんだよ。こんどのバンドはこれを着なくちゃならない」
「なんでこれなの? ヘビやらヒョウ——キャバレーにでも勤める気? だいたい——」
 ドラマーには妻のいいたいことがよくわかっていた。つまりは家柄のことなのだ。彼女の父親は指揮者だった。母親は三流のクラシック歌手——そうした両親の反対を受けながら彼女は将来や音楽的信念のまったくないクラブのドラマーと結婚した。彼女はあいかわらず小言をくり返す両親をこう説得していた——「彼は間違いなくすばらしい音楽家になるの——きっとよ、必ずね!」
 結局ドラマーは嘆く妻を慰めきれないままマーシアンズとなった。次の日、ヒョウとヘビの模様で包装された彼の姿が、デジーとそのバックバンド・マーシアンズにとって初めてとなるプロモート写真に写された。この写真は彼らのマイルストーンのなかの最初の一歩を記すものとして世間によく知られている。
 彼はデジーの後ろで、腿が浮き出る皮のパンツをはき、デジーの背より低いその身体で先天性のオカマを装った。デジーの髪は赤く、ドラマーの髪の毛はブラウンだった。

 ドラマーは今、荒野のハイウェイ沿いの何もない土地の一軒家——それはつぶれたガソリンスタンド——に住んでいた。
 ドラマーの名前はアルといった。彼は大腸ガンで時間を放棄したギタープレイヤーと同じスペイン系の男だった。彼はその燃えたぎる血のごとく、ヒゲの濃い男性的エクスタシーあふれる男だったが、デジーのバンドに入ってからはオカマになった。アルは毎日きちんとヒゲを剃らなければならなかった。ヒゲはスペイン語でビゴーテという。毎日のテキーラはアイリッシュパブのギネスに変わり、その一週間後には宇宙人ドリンクと称されたオレンジ色のリキュールに変わった。そのときに彼の音楽は消えてしまったのかもしれない。オレンジ色のリキュールのほとんどは糖分で三杯飲むと次の日まで残る胸やけがした。デジーをプロモートするための写真で、アルは他のメンバーとともに、ヒモのようなパンツだけの姿でミルクの入ったグラスを持たなければならなかった。ミルクは牛や人間、その他いろいろなほ乳動物から分泌される、基礎的な栄養が含まれた液体である。彼らはなぜそのミルクを持たなければならなかったか? それはミルクが限りなく裸に近い飲み物であったからだ。ミルクの白色は盲目的で、あまりにセクシーで、とても原始的な飲み物だった。プロモーターはいった——「異次元の世界——それが宇宙であっても——彼ら異星人が飲むものはミルクだろう! うーん、なんてセクシーなんだ!!」
 アルはかわいそうだったかもしれない。
 彼はラテン系アメリカ人だった。

 アルは土ぼこりでまみれたハイウェイ沿いの一軒家に住んでいた。その店はガソリンスタンドのなれの果てで、地下のタンクは空っけつだった。彼は壊れたドアの店で食いつないでいた。売り上げはときどき売れるタバコくらいで、カンコーラにはサビが浮き出ていた。アルの手はスティックが持てなくなっていた。ここでいうスティックとはドラムを叩くためのものである。ニッポンの伝統で考えるとタイコのバチである。彼の手はふるえ続けていた。デジーの下降とともにバンドを解雇されたアルは同時に妻と娘を失った。彼が解雇された理由は音楽性の違いである。彼は酒におぼれた。
 アルにとって不幸せだったこと——それはわたしにもいえるし、たいがいの人に共通することだろう——彼は正直者ではないが、ウソをいえなかった。ウソを口にすると疲れる——ほんとうに疲れるのだ。わたしの白髪のうちの何本かはウソによるものである。わたしの失われた毛根のほとんどはウソのためである。ウソとは真実を偽ることである。ウソは真実よりも疲れる。
 アルは今日もメタンセタニンを造る。彼の鼻は少し溶けている。

 鼻が溶けてしまったところでひとつ。
 デジーがデビューを果たしたころ(実際そのデビューも本人の意図するところではないが——)ロック・ミュージックでもっとも人気があったのは偶像ロックバンドのキーアンという男だった。その男のギャラはデジーに比べれば法外なほど破格なものだったし、写真だけで、つまりそのスタイルだけで売れはじめたデジーに比べてその音楽性をとってものデジーの方が地の底へ沈むほど格下だった。
 キーアンは短命だった。酒と薬のためにふくれあがった肌は黄色く焼けヒゲは太くなっていった。鼻からの吸引で溶けはじめた鼻骨は金属プレートに代わっていた。彼は素肌にトレンチコートをはおった露出狂の写真を残して時間を放棄した。吐き出した汚物を喉に詰まらせたための窒息した。本当の彼は太陽の下でのビーチバレーを愛するビーチボーイだった。彼は肌を焼こうにも太陽を受け付けない身体になっていた。

♪ナフカディル・モシアズ

 ナフカディル・モシアズは今日もウソを売り物にしていた。彼はウソを口にしたり記したりすることに何の抵抗もない。彼にとって贋作を産み出す作業は存在する文化への唾はきだった。モシアズは文化に放屁し続けたかったのである。文化は先物取引市場に輝く小麦か銀だった。モシアズはこういってくれた。
「文化ってなんてうさん臭いとは思わないか? ほんとにウソくさくって悪臭がするんだ」
 どれだけ真実を語っているつもりであろうと、それが文化という殻でおおわれているかぎり、薄っぺらな真実にも届かない浅はかで低能な記録だった。今考えてみれば、たいがいの人々は文化と流行の違いを説明することができなかった。モシアズはそれがきらいだった。彼は文化人に心の中で唾をはき続けた。彼の生まれた国はいわゆる『発展途上国』だった。彼の生まれ育った国は発展されていない国とされていた。文化だけではなく、アカデミック、デベロップメント、発展、エボリューション、インダストリアル、トラバッホ、ディンギ——あらゆる面で彼の国は劣っているとされ、すべてが成長する『途上』であるとされた。いったい何が劣っている?——モシアズの疑問は学校の授業からはじまった。
「わたしたちの国は劣っています——」そう女教師はいった。メガネをかけた中学の校長も兼ねる女教師は、その劣っている部分が『科学』と『工業』であると念を押した。モシアズは訊いた——
「何をしたら遅れているといわれないんですか?」
「それには発見することが重要です」
「それじゃ今まで何も発見できていないんですか? なぜ発見できないんですか?」
「私たちの国の環境は、それを発見するためには少し劣っているんです」
「その環境はどのようにしたら整うんですか?」
「物を用意したりそれを考えることのできる人々を選ぶことです」
「それって買ったり、盗んだりできるんですか?」
「盗むなんて言葉は口にしてはいけません。ただ、物はディンギさえあれば買うことができるでしょう。けれどもそれを扱う人々を買うことはできません」
「扱う人ってどんな人?」
「彼、彼女たちは世界の水準に追いつくだけの力を持っていなければなりません」
「どうしたらその『知識』ってのを得ることができるのですか?」
「勉強が必要です。一にも二もなく勉強をしなければなりません」
「それじゃボクたちがしている勉強ってのは何なんですか?」
 女教師はきっぱりといった——「ここはあなた方が何を必要とし、何を勉強すべきなのかを知る場なのです。ここは世界の水準に達するまでの知識を得る場ではないのです」
 モシアズの学校は啓発『だけ』の場だった。「この国は取り残されています。これは真実かもしれませんし、ただの中傷や非難かもしれません。それでも——忘れてはいけません。わたしたちには文化があります。古い古い先祖から伝わる美しいまじりっけなしの文化があります。文化は国の発展を支えると同時にその国を国たるべき特徴をもたらすものなのです」
 校長兼女教師の説明したことが正しいとするならば、首を横に振りながら踊ることはその国の役に立っているはずだった。しかし文化は抹消されたりもする。たとえばペニスにサックをかぶせることとか——それも『まじりっけなし』の文化だった。そしてチョンマゲという文化は国が開かれたと同時に消え失せた——それもまた『まじりっけなし』の文化だった。ある国では文化の象徴である最新鋭の制御装置でコントロールされるガス吹き出し機械がとりつけられた収容所が葬り去られた。
 モシアズはいってくれた——「文化は象徴で流行でしかない。ときに百年も続くけれど、それはたんなる流行。けれどこの流行につけるクスリはないんだ。インフルエンザみたいにいつも後手なんだ。時間を放棄するしか助かる道はない」
 手当たり次第なのは人間ばかりではない。人間よりも動物の方がもっと手当たり次第だ。そんな彼らには『まじりっけなし』の文化があった。
 モシアズはわたしにこうもいった。「たいがいの人間は贋作家でね——彼らはウソという文化に自然となれてしまっている。それを言葉に代えてしまうことを贋作といわずなんとうべきか!」

 きみはひどいことをいう。ほんとうにひどいことを。わたしには隠すものがない。わたしはきっと——ただほんの少し感動しやすくて感傷的なだけなのだ。
 モシアズはわたしに作品を見せてくれた。それはこうした内容だった。

 【モシアズの贋作——
    居酒屋の同志と洗濯場の決闘】
 二人の女は無言で争う。彼女たちは金だらいの洗濯水のかわりに、目から放たれる光線をお互いに投げかけた。そして手にした炭酸酒のグラスはとてもとても小さな振動を受けていた。そう、ほんとうに小さな振動を受けていたのだ——それはカタカタと小さな音さえたてていた。
 男たちは笑っているが、彼らのヤーブルは縮みあがっていた。
 さあ飲もう!——テーブルにはコルホーズで育った動物たちのなれの果て——敵対しあったもの同士が交わす酒は、地下にひそむアジテーター——レジスタンスと鉄のカーテン——血なまぐさくてまどろっこしい心の盗みあいは、否が応でも緊張感を盛り上げる。裁判官はいった——「誰か薬はいらんかね?」
 そのテーブルには五人の人間がいた。二人の娘——富豪の娘アーニャと縫子のターリン、そして銀職人のザボール、町長の息子ジュールに皮肉屋で医者の息子タージンの男三人。縫子のターリンの母親はアーニャの家でメイドとして働いていた。時代の空気からすれば彼ら五人が同じテーブルにいることがおかしかった。それはなぜか?——身分の相違である。また、彼ら五人のいる店——その店は人が二人通ればお互いの肩をぶつけ合う路地裏にある居酒屋——それはつぶれた店だと思われてもしかたのない外観だった。
 その五人がなぜ汚い居酒屋の同じテーブルに座っていたか? 答え——彼らは同志だった! そう、同志だったのだ——同志はお互いの上っ面に被さった共通な意志を熱く語る。同志は形式上ブルジョワを好まない。彼らはデモクラシーを好みながらキャピタリストを揶揄する。彼ら同志の唾は攻撃を円滑にするもので、外部に放出される血液だった。ブルジョワたちにまき散らすウイルスは唾に紛れて散布され、同志たちはその場限りかもしれない命を秤にかけるのだ。彼らは同志——それだから地位を無視するユートピア集団。お互いの身分は形式上頭にない。彼らは同志——楽しい同士!——愉快な仲間——たまにはお互いの傷に気がつきながら見ない振りをすることも必要な者同士だった。そう、彼らの目はメガネを必要としないくらいに普通——けれど彼らは何も見ようとしない。彼ら同志の現実は脳髄の中でのみ膨れ上がってゆく。同志たちに現実は不要だった!
 ところが——恋となると話しは別物だった。二人の娘の目に必要以上の力が込められているのは、二人が一人の男を挟んで対峙する立場にあったからである。アーニャとターリンはジュールに思いを寄せていた。特にアーニャの思いはターリンに比べて激しかった。アーニャに比べてターリンが同志という妄想に現実を感じていた。ところが町長の息子ジュールはターリンに思いを寄せていた!——恋の前に同志は霞だった。恋への欲望は自由すぎ、その自由さはターリンの首をしめた。自分はどうあがこうともジュールへの思いを遂げることはできない——誰が町長の息子といっしょになれる?
 ああ——「誰かクスリはいらんかね?」

 そのころ女性の決闘場所は決まっていた。その場所は石畳の町中にある洗濯場だった。石でできた洗い場に人々が並ぶ。その洗い場は五列あった。すべてが使われると人の数は百人にもなる。女たちは持参した金だらいで水を買い、そして一握りのシャボンを買う。洗い方次第で水やシャボンに費やされる金は地球規模で膨れ上がっていった。
「シャボンだシャボン一杯五スーだ。どうだアノン婆さん、シャボンは要らないか?」
「水、水、水だよ!——そんな大きなたらいを持ってきたってダメ——反則!——ちゃんと計るからな」
 洗濯場の中央付近にある水道で洗濯上経営者が水やシャボンを売る。蛇口のゆるんだ水道管が十本並び、女たちはそこで金だらいにすりきりの水を入れる。
 ターリンの母親はアーニャの家の洗濯物を抱えて洗濯場にやってきた。その中にはアーニャの下着も入っていた。が、彼女が注意すべきことはそんな娘や旦那様の衣類ではない。奥様——つまりアーニャの母親である——の服だった。それはとても上等な生地で作られ洗い上げることにとても繊細な技術を要したのだ。ところが——お湯をあまり浴びることのない生活ではその上品な生地を洗うことが困難なくらいに彼女の手は汗や垢で汚れていた! その繊細な生地に染みついた人間の体液やカスをこそぎ落とすことは、毛が抜け落ちるほどの細やかな神経を必要とした。
 洗濯場にやってきたターリンの母親がまず行うこと——これは他の人類も同じだった——それは極力きれいな洗い場を探すこと。洗い物を少しでも汚さないために! すすぎの水はきちんとより分け、シャボンは固まりが残らないように優しくていねいに泡立てなければならない。洗濯だといって侮ってはいけない——ターリンの時代においてはすべてが手作業だった。やさしく洗い物をもみあげる。砂粒や小石が入っていると生地に傷をつける。注意して繊細に——ターリンは目の前の洗い物にすべての神経をそそぐ。ときおり隣から飛んでくるシャボンを含んだ洗い水。彼女はいぶかしい顔をしてそれをあたかも泥水であるかのようにさける。もう少し、もう少し——七十分間という時間を経て彼女の洗濯は佳境へとなだれ込んでいった。彼女の手により揉まれていたものは奥様のコルセット——特に脇腹の当たる部分の汚れがひどい。彼女はその部分を時折軽く握るように、そして焦らずに長い時間をかけながら揉み洗いを練り返した。最後はシュミーズ——これがいちばんの難関だった。薄い生地はちょっとの指先で引き裂かれそうなほど繊細だった。このシュミーズは彼女の十四ヶ月分の給金と同等な価値を持っていた。これさえ洗い上げて丁寧に押すように水を切れば、この洗濯場での仕事は終わり——あとは屋敷に帰るだけ。
 ここでターリンの母親におそった悲劇——奥様のシュミーズにひっかき傷を作ってしまったのだ! 彼女の目に映った二センチメートルくらいに渡るひっかき傷は、生地の織りをあるところは完全に穴となり、またあるところは目の粗さがはっきりわかるほどに分解していた。ああ!——彼女は奈落に陥った!
 それはシャボンに入っていた石灰のかけらのためだった。いちばん繊細な奥様の下着——彼女の職人的繊細な揉み洗いは知らない間に奈落への穴を掘り続けていたのだ!
「ああ、大事な奥様の下着が!」——その下着は週に三回アーニャの母親が夫と寝るときに身につけていたものだった。ところがターリンの母親はそんなことなど知らない。しかし揺るぎないひとつの事実——その下着に端々に黄色く固まってこびりついていたものは間違いなくアーニャの父親が放った体液だった! ターリンの母親はそれさえも水にうるかせながらこそぎ落とした。彼女の目は恐怖で血走る——同時に恐怖はその責任の所在を明らかにすべく、隣の洗濯場に立つ女——自分の洗濯板のような胸とは対照的なコルホーズ生まれのような女を見た。女を見る目は怒りで燃えたぎる。血走っていた。その目線に気がついたコルホーズ女はアリを見るようにターリンの母親を見た。それほどコルホーズ女は巨大だったのだ! 牛ではなくゾウだった。その巨大なコルホーズ育ちのゾウにターリンの母親は向かってゆく。そして細いガリガリの腕でゾウの胸ぐらをつかむ。
「あんたかい! あんたなんだね、わたしの水やシャボンに石灰を混ぜたのは! それとも石? 砂? どうなんだい!」
 ゾウは身動きもせずにただシャボンにまみれた腕をだらんとたらす。
「うるさいね、なんのことだい」
「何をいっているのさ、ほらごらん、あんたのおかげでこんなになっちまった」——ターリンの母親はそういって奥様のシュミーズをゾウの眼前につきつける。
「しったことじゃないね。こちとらいそがしいんだ」ゾウは胸元をつかんでいるターリンの母親の片腕をふりほどくと自分の洗濯物を洗い出した。「わたしはしらないよ。あんたが悪いんだろ。それに破れたら縫えばいいじゃないか。それとも針や糸もないのかい?」
 ターリンの母親の顔は炎のように赤くなった。「あんたね、これをなんだと思っているの? 奥様の下着だよ。そんじょそこらで売っているようなものじゃない。手作りでとても高いものさ。あんたなんかにゃ手もでない、そんなに高価なものなのさ。それをやぶっちまった! ああ、なんてひどいことをしてくれたんだ!」彼女の目から涙がこぼれ落ちそうだった——彼女は怒りにふるえているというのに!
「あんたのものでもないんだろ。この洗濯女! いいかげんにおし、洗ったあんたが悪いのさ。はやく帰ってその奥様とやらに、『わたしが悪うございました、どんなお仕置きでもお受けいたします』なんて謝るこった」
 ターリンの母親の手は金だらいにのびた。そして両手でひしとつかむと、その中の水をゾウに浴びせた。腕に勢いをつけられた金だらいの水は遠心力が手伝って頭上高いゾウの肩や顔に浴びせられた。ゾウはせき込みながら、「なにするんだい!」と怒鳴った。

 洗濯場で始まった洗濯女同士の乱闘は四十分で終わった。それはターリンの母親に、さらに三枚の衣類に傷をつけるという結果をもたらした。ターリンの母親はアーニャの家を追い出された。そして下着の弁償のために多大な借金を負わされ、返済の見込みのない未来を悲観して彼女は自らの時間を放棄した。ターリンは泣いた。同志たちに為す術がありましたか? 何もなかったんです。コミュニスト礼賛!
 【終わり】

 同志たちは細胞とも呼ばれていた。
 月面にいるわたしの隣を星が通り過ぎた。たぶんそれはターリンの涙だろう。そばにいたリョーコはいった。
「その話しは延々と続くのよ。一編は短いのだけれどそれが何万編も続く——らしいの。ライフワークなんだって。でもきっとすぐにあきちゃうわ。それにパパって書いているはしからストーリーを忘れてしまうの」
 リョーコ——それはたぶんわたしもいっしょだ。

 わたしは動かなかった。ずっと長い間じっとしていたのだ。通りがかりの運勢に訊いてみた。わたしはどのように生きたらいいのか?——と。たとえばスタナーは彼の家族を失いながらそれがほんの少しの間でも生きた。シビレながら。
 わたしのホルモンの中には天然ではないものも含まれている。

♪荒野のアル

 アルが住む崩れかけた小屋は——実際それは店でもあったが——吹き荒れる砂嵐の中で揺れていた。たぶん倒れるだろう。建物はたぶんそんなものだ。ただアルの小屋はあまりに荒廃していた。裏には廃車となったトラックや半分腐りかけたバスが積まれていた。ウィンチが装備されたレッカーさえもそこに置いてけぼりだった。彼らは間違いなく遺物だった。彼らの心臓であるエンジンは、魔法のオイルをいれたとしても息を吹き返すことはなかった。エンジンの可動部はリューマチのように固まり、血液を受け付けることなくそのまま石化してゆくのだ。
 すべてが廃棄物であり、老廃物であり遺失物、そして遺物だった。
 アルは足を悪くしていた。バスドラムといういちばん大きなタイコを叩く足である。彼はアルコール中毒だった父親からリューマチをいただいていた。彼がこの世の中に生を受けてから父親からいただいたものは、たくさんのビンタとアルコールそしてリューマチである。アルが唯一の収入源としているものはメタンセタニンだったが、少しずつ造られるそのほとんどがアルの身体の中に吸収されていった。メタンセタニンは吸ったり飲んだりして服用するクスリである——そう、クスリだった。その主成分はエタノールで、製造方法も科学的に論述することができる。そんな学者が造るようなクスリを飲んで何が悪い? アルにとってはただそれだけの話し。

 ちなみにアユムがわたしに話してくれたこと——
「ボクは思うんだよモーガン。恥ずかしいことかもしれないけれど、ボクはときどきいってしまいたくなる。どんな時かっていえばそれは単純でさ。好きな子に想いが届かなかったときなんかさ。ボクもいい年なんだが、そんな想いがかなったことは一度もない。これはくり返すとなかなかつらいもんさ。そんな時は——ほんとに時間を放棄したい気になるね。けどできない。自分で自分を消すことができないんだ。このあいだビルから飛び降りた高校生みたいにね。自分を消せない奴は——生きてるしかないのかな」
 アユムは生きるとか消すとか——それ以外の選択を求めていたのかもしれない。わたしは生きるしかないだろうとアドバイスをしてやった。そのおかげでもないだろうがアユムはまだ生きている。彼は一生結婚しないかもしれないが間違いなく子どもをつくる。彼にとって性交の目的はそれしかないからだ。

 子どもが泣き声をあげることを誰がどう止めることができようか? おもちゃを与えるなんてのはほんの数秒ととももたないただのまやかしだ。ちくしょう! 彼らはなぜ泣く? 泣かない人間もこの世にいることは確かだ。たぶん何十年と生きていようと泣いた回数は二、三回——そんな人間もいるはずだ。わたしはよく泣くほうだった。幼いとき——わたしと三人の友人は、アパートの屋上にあった住民が共同で利用している温室の中をめちゃくちゃにする騒ぎをおこしたことがある。花の植えられた鉢を放り出し、棚は鉢が載ったまま倒された。それはかくれんぼの延長にすぎなかったと記憶している。その最中に見つかったわたしたちは、一列に並べられわたしたちが見上げるような背丈の主から説教を聴かされた。そして左から順番に頬に平手打ちをされた。わたしの順番は三番目——つまり最後から二番目だった。平手打ちの音が二回聞こえた後、わたしの目の前に電気のような光が浮かんだ。わたしは目から涙をこぼした。打たれる前から泣いていた——平手打ちの音を聞きながら目には涙がたまっていたのだ。他の友人たちは泣かなかった。なぜこんなに痛いのに誰も泣かないのだ?——友人たちはすまなそうな顔をしながらも、彼らの目は乾ききっていた。なぜ彼らは泣かないのだ?——わたしは何度も考えたものだ。わたしはこう考えたことがある——彼らとわたしでは痛みの度合いが違うのかもしれない。わたしが一の度合いで泣いてしまうとするなら、彼らは千くらいで涙をこぼすのか? そうであるなら、わたしと彼らの間では神経の構造も異なっているのではないだろうか? わたしの神経はとても過敏で、もしくは神経をおおう層が薄いために痛みを感じやすいのか。肉体そのものではなく、わたしの感情が受ける恐怖の度合いはどうだ。

 たぶんわたしは特異な人間だった。みんな特異だった。スタナーはシビレ、トミーは時間を放棄しきれずに無限の時間の狭間でギターを奏でていた。デジーは能力がありながら自分の家にすら帰れない哀れな男だった。アルは自分の足を引きずり、他人を恨みながら生きることしかできなかった。

 とにかく涙はわたしがもつコンプレックスのひとつだった。わたしはずっとびくびくしながら生きてきた。誰もわたしが泣き出してしまうような状況に追い込まないでください!——そう心に思っていた。周辺の状況は男は絶対に泣かない、そう取り決められていた。なんてこった。

♪ふたたび——スタナーの悲しみ

 そういうわけで、わたしはスタナーが泣いている姿になんの不思議も感じない。同情すらも感じない。同情は人の涙をいやせないことをわたしは知っていたからだ。誰がその涙の意図をはかり知ることができるというのか? わたしには何もいえない。いくらそれが悪いことであってもディンギは必ず銀行をくぐりぬけている。わかるかい? たとえそれがテロで使われるものであってもディンギは銀行から吐き出され、融資される。それだから銀行を調べてやれば、テログループなどすぐにわかるはずだ。退散した外交使節が残した資産は不可侵だった。すべてのディンギが守られていた。だが誰もスタナーの妻や息子を巨大なタンク・ローリーから守ってはくれなかった。
 スタナーが泣いているのは当たり前のことだった。なぜなら彼の大切な家族が——妻と息子がいってしまったのだから。こういちいち説明さねばならない世間をわたしは忌々しく思う。だがしかたがない。今はそういった世界なのだ。アユムが性交することに理由を見いだそうとしていたように、最近はすべてに理由を整えておく必要がある——人間は進化するたびに直感を忘れていった。

「かわいそうね。交通事故なの」——サワコはそういってくれた。
「そうらしいんだ」——わたしはそう応えた。
 サワコの店には音楽がかかっていなかった。店の中でサワコ以外の目のやり場といえば、壁に掛けられた絵——それだけだった。木のイスは尻が痛くなるので長く座っていられるわけでもなかった。ここはピーナバーである。この店はある種の情報交換の場だった。ある男——その男はミルクのにおいがしていた——は、十九時五分、二十時十五分そして二十一時三十五分のローテーションで店のドアを開けると、三番のテーブル、六番のテーブル、最後にカウンターの四番に座った。彼はいつもスコッチをローテーションで飲んだ。一杯飲み終わるころ別の男がやってきた。前から来ていた男は別の男に店のレシートを手渡すと尻のホコリをたたいて店を出た。どうやら大切な情報は手渡しが基本なようだ。この世界には便利だといわるもの——利点しか見あたらない技術ばかりだ。レシートを手渡した男はクズのような情報を山のように電波に乗せた。たいがいの宝は宝の山に埋まってはいない。最近では『あ』の字を探すのも大変なことだ。
「あー」——そういったのはわたしのとなりにいた男だった。それは何とも間抜けな声だった。男は時計を見るとまたいった。「あー」そして店を出た。わたしにはわかる。たぶん男は忘れてしまったのだ。自分のいいたいことを。脳ミソは一生働き続けるものじゃないんでしょう? それだからときどき止まってしまう。男はちょうどそんな感じだったんだろう。ふと——消えてしまったのだ。彼はへこみの中に入ってしまった。

 サワコがいった、「それで——これからあの人どうするの?」あの人とはもちろんスタナーのことである。彼女はスタナーに対してほんとうに同情を寄せているようだった。わたしは同情など無駄なものだとはわかってはいたが、サワコの優しさを理解し、そして彼女の美しさに改めて感心した。サワコはグラスをピカピカにしておくのが好きだ。そのグラスはみな底の浅いものばかりだった。彼女は洗いにくい深底グラスをきらった。そのせいもあってピーナバーにカクテルはなかった。スタナーがオーダーしたプースカフェをのぞいては。
「あいつは帰ってくるだろうね」わたしはそうサワコにいった。サワコは意外な顔をした。
「何でわかるの?」
「不思議かい? あいつがそういったからさ」
 そう、確かにスタナーはそういったのだ。彼はそれを人生の一区切りであるといった。それはタイプライタのリターンキーを二度叩き、新たに『第二章』とタイプするようなものだといった。そしてこうもいってくれた。
「人生に区切りをつけるなんてのは、意外に簡単なもんだ——カチャカチャってね」
 けれどもわたしは思った。それはスタナーの負け惜しみだと。スタナーの眉間には深いしわがよっていた。
 それはつまり——どうしようもなしになしくずしで区切りをつけなければならないときもあるということだ。そしてその区切りのつけかたはこうである。カチャカチャ——これはリターンキーを二回叩く音。そしてこう打つ。
『新しい人生よこんにちわ』

 こうした話しはとても子供じみていると思ったので、サワコには話さなかった。これは大人の選択——のつもりだった。ところがサワコはわたしにいってのけた。
「人生の区切りをつけるなんて言い方、わたしは大嫌いだけど。区切りをつけるなんてけっこう簡単なものよ。古い原稿をやぶちゃって新しいものを書けばいいんだから」——サワコの脳構造は案外わたしのものと似ているのかもしれない。だとするならば——サワコはいざ自分の身になったときには誰にもいえず、ただ黙ってしまうたちだろう。わたしもそういうたちだからだ。人のことをあーだこーだいうのは得意なのだが——

♪カンジェロギャングの仲間たち

 わたしの耳に聞こえたのカスティジャーノだった。サワコのピーナバーにはロシア人やらアメリカ人、ヨーロッパの人間そのほか多種多様の人間が集まっていた。カスティジャーノは言語たちのひとつ。数多くのなかからカスティジャーノが耳に入ったのは、それがあまりにも下品な話しぶりだったからだ。コサ・デ・マンデンガといった感じ。だがほんとうにわたしの気を惹かせたのは、彼らの言葉の端々にあらわれる名前らしい言葉だった。それはこうである。
「インヘネーロ・マーレー・フラスコ——」
「プレジデンテ・カンジェロ——」
 その名前には聞き覚えがあった。カスティジャーノを話す男はこうもいった——「エル・オンブレ・デル・エレクトリコ」そして「エル・エスポサ・ムエルト・エン・アクシデンテ」
 なぜ彼らはスタナーを——エル・オンブレ・デル・エレクトリコ(電気男)を知っていたか? そして彼の妻がいなくなってしまったことも。品の悪い男だと思った。そういったオーラの漂う典型的なチンピラだった。二人とも髪の毛をたっぷりのグリースでなでつけ、若い方は赤く細いネクタイ、年上らしい方は瑪瑙石が飾られたループタイを下げていた。
 たぶん彼らは会社に雇われている『まとめ屋』であると思えた。たいがいの外資系企業はその国のシンジゲートに対応するための準備をする。古くからの言葉——毒には毒をといった感じだろうか——その筋にはその筋のものをあたらせる。彼ら典型的な純チンピラオーラを持つ男たちは名目上の会社に属していて、その会社は世間一般に恥ずかしくない名前を持っていた。そして経理もいれば秘書もいる。まじめな外回りの社員もいた。そのなかで彼らは実行をつとめていた。今にして思えば、その会社の会長はカンジェロという男だった。そしてそのチンピラたちは年長がイタチ、若者がムースといった。ムースは会社に拾われる前にはサテンのゴールデンベアを着るチンピラだったが、サワコのピーナバーで見た彼は、細かい縦縞の入った黒っぽいスーツを着ていた。着古されたスーツの臭いと体臭は香水で隠されていたが、香水の匂いがきつく、遠くからでも鼻についた。ムースは尾行とか犯罪には向かない男だ。彼の歩いた道は警察犬の良い練習コースになるだろう。
 こうした事実は後からわかったことだ——念のため。

 彼らは歌うようにしゃべっていた。
 たぶん彼らは歌のように薄っぺらだった。彼らは即答するように歌を歌っていた。ほんとうに歌は薄っぺらなのだ。だからわたしはジャズを聴いた。わたしは歌を音とは認めない。絶対に認めない。しかし唯一の例外がある。それはジャカルタの歌手、ナディアの歌だ。

 わたしの翻訳脳が理解できる範囲ではイタチとムースははこんなことを歌って——いや、話していた。それはスタナーのことだ。スタナーの妻や息子のの事故、そしてなぜ彼らがスタナーを見張らなければならないかということだ。それはなぜなのか?
 スタナーが里帰りをしている今がイタチとムースの息抜き時で、テキーラを飲み、あたりに筒抜けの間抜けな話しをしているのだ。
「なあ、アニキ——おれたちゃいったいいつまであの男をみはらなきゃいけないんだ? おれは田舎に帰ってお袋の豆料理を食いたいんだ。この国は何でも高いよ、何でもね」
「そういうなムース。ボスがオーケーというまでだ。それに今は休めるじゃないか、あいつが国に帰ってるおかげでな。予定だと一ヶ月は帰ってこない。それまでのんびりすることだ」
「のんびりって、アニキよぉ——いったいどこでのんびりすりゃいいんだい。こっちにいるやつらはみんな雨ガッパを着たウサギばかりだ。みんなせわしく歩きやがってよ。かと思えば、歩くところがないほど道に座り込んでる。何なんだ? 冬でもああやってるんだろうか? この国の人間は将来きっと痔になるよ、まちがいないね——まあ、おれにゃ気にすることじゃないけど」
 恥ずかしいがムースには同感だ。たぶんこの国の何人かは座りこむことが自由の証しであると考えているにちがいない。そうでなければ大枚のディンギの価値を持つ土地へのいやみだろう。
 それでもとにかく——イタチとムースがスタナーについて話していることに間違いはなかった。それにマーレー・フラスコのことも。

♪保険調査員

 スタナーは泣いていた——わたしはスタナーのためにいったいどれだけのことをしてきただろう。
 わたしの目の前にイタチとムースがいた。わたしがなぜ彼らの名前を知ることができたか?——簡単なこと——彼らに訊いたのだ。それはこんな感じ——「きみたちはあまり見かけないけれどどういった仕事で来たんだい?」。
 ムースはチョンガーだった。チョンガーとは独り者のことである。イタチよりも歳が若く、色白で痩せた彼は、生活感をだらしなさとくねくねした仕種で表現していた。彼の指には指輪がはめられていたが、それと同じものが、耳にもぶらさげられていた。——そいつはいい指輪だ、卒業記念かい?——わたしはそんなこと思ってもいなかった。
「卒業?——」ムースはあきらかに不服そうな顔をしたが、何か閃いたのか笑みを浮かべた「——そう、卒業記念。あまり成績が良いんで校長がふたつもくれたんだ」
 ムースの英語は妙に尻上がりな発音で、投げやりな雰囲気が見られた。それにくらべてイタチの言葉はまともだった。たぶん習い方のちがいだった。イタチは教科書で勉強したのだろう。
 いったいどんな仕事をしているんだ?——ムースは訊かれることをいやがっている様子をありありと見せてくれた。わたしも警察が行う職務質問は好きではない。だがバーのたわ言としては一般的なものだ。たいがいの人々が意志を疎通しあうにはきっかけが必要であり、たいがいの言葉は同意や同情、そして相手の様子を探ることからはじまるのだ。
 イタチは自分たちの仕事をうまくごまかした。彼はこういったのだ。「保険会社の調査員です」——ちがった言葉があらわれたことは、彼が間違いなく怪しい男なのだ私に確信させた。——そいつは大変だ、地道な調査が必要だろうし、かといって時間も限りがある。仕事はきついんだろう? 「たいしたことはない。おれたちはプロだし、待つことになれてる」イタチの言葉は明確だった。——探偵みたいなことをするのかい? 「たいがいの仕事において、なんらかの職業的知識は必要だ」
 彼は自分のことを『イタチ』といった。そして「こいつは相棒のムース」
 ——イタチが指を差した先には、身体をくねらせるムースがいた。それはコードネームみたいなものかい? たとえば『ゼロゼロセブン』とか。
「古くからの名前さ。ガキのときからそう呼ばれてる」
 ——今やってる仕事はなんだい? 何の調査をしてるの?
「それはいえない。調査ってのはたいがいにおいてプライベートなものだ。それだから口にはできない」
 ——そんなものか。でも教会じゃどうだい? たとえば自分でもいやだなと思う仕事があって、神父に懺悔したい時なんかもあるだろう?
「どんな仕事にしろそれは神が与えてくれた仕事だ。迷いはない。危険な調査だって何件もあった。神が与えてくれたものは拒まずにまっとうするだけなんだ」
 浮かばれない仕事もあるだろう? その保険対象——それが仮に人間だとして、その人生が全く浮かばれないことを思い知らされるようなこともあるんじゃないか?
「さあね。そうしたこともあるだろう。だが冷静であるべきなんだ。すべては神の采配。悲しい人間がいるとするなら、それも神の思し召しなんだ。その人間がどんなことをしてきて、どれだけのことを企んだり隠してきたりしたか——そうさせたのは神のある一面で、そのたびに事実は創造されてきた。そう、ここが重要なんだ——『事実は絶えず創造されてきた』ってことが。わたしたちは事実を見つけてる。その事実をつくり出したのは、たいがい調査の対象なんだ。自業自得?——果たしてそうだろうか?」
 イタチはわたしの目から見てもただのギャング崩れにしか見えなかった。ムースはチンピラだった。わたしはただのドキュメントメーカーだった。美しく飾った人の目をひくドキュメントを作る。わたしにとってイタチの言葉はわりと強い印象を与えた。事実は受け入れるべきなのだろうか? 予想は誰が与えてくれるものなのか。
 スタナーの存在は事実だった。彼はシビレてしまった。彼の身体には人よりもはるかに多い電気が流れている。今、電極である筋肉から切り離された彼の手首は、ガラスケースの中に収まっている。
 それじゃ、交通事故で亡くなった人の調査もしたりするんだろ——わたしがそう訊いたとき、イタチの目が鈍くなった。わたしはいってやった——たいがい保険の対象には二種類ある。それは物と人だろ。そのなかで人にかけられる保険ってのは、その人があの世にいってしまったときに支払われるものだ。その原因の大半は交通事故だ。それだから——イタチさん、きみもそういった調査をするんだろ?
「そうした調査はしない。おれたちのクライアントの大半は企業なんだ。小さな交通事故の面倒は見ていない」
 ——そうか、そいつは残念だ。実をいうとね、ボクの友人の家族が自動車事故で亡くなってしまったんだ。ハイウェイで——そりゃすごい事故だったらしい。原因は反対車線から飛び出してきたトレーラー、友人の家族はその車に飛び込んでしまった。
 イタチがいった——「きみの友人はどうしてる? 悲しんでるか」
 ——そりゃもう、悲しんでるさ——もちろん友人とはスタナーのことである。彼は自分の家に帰っていた。そこでわたしはいってやった。「友人は家にも帰らず仕事に打ち込んでるよ」
 イタチはうなづいた。「そりゃかわいそうだ」そしてこういった——「それも神の采配だったんだ。そうして事実がつくり出されていくんだ」
 わたしはスタナーのことを口にすべきだったろうか?——結局わたしはスタナーに関して何も口にしなかった。それはそれで正解かもしれなかった。一言の意味は大きい。わたしがもしスタナーのことを口にしていたならば、わたしの名は彼ら——イタチのたちが所有するリストの中に付け加えられていたにちがいない。いや、考えてみれば——そのときにはもう付け加えられていたのだろう。そのスタナーらしき人間を知っているとして。彼らの仕事が保険会社の調査員であるということは確実にウソだった。
 わたしが後悔したこと——それはイタチやムースと会話するために少々酒の入った体を装ったことだ。わたしは酔っ払いがきらいだ。

【続く】



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