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仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて 5 [仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて]

【5回目】

♪古いロック・ミュージックに描かれた風景

 トミーが聴いていた歌はとても優しいメロディだった。それはこんな歌詞を持っていた。
 ——暖かいかもしれないが
 ——外には雪が降っている
 ——ボクらは強く生きて
 ——いかなければならないのだ
 ——大きな信頼のために
 この歌詞を書いたロックン・ローラーは詩人となり作家となった。
「ちぇ、つまらねえ!」トミーはそう吐き捨てた。
 トミーが無関心を装っているもの。それは結果に対する恐怖である。

 トミーの苛立ちは実在するにしろしないにしろ、すべてが同じであることに端を発していたように思える。
 彼は自分自身を変え続けた。バンドはシングルレコードを一枚出すたびにほんのわずかな変容を見せた。そのわずかな変容は、十枚目のシングルを出した頃には、その見た目に限ってはけっこうな変わり様になっていた。トミーが最初に身につけていたものは黒いジーンズだった。上半身を包んでいたものは、同棲していた女性からもらったブラウスだった。髪の毛は自然なウェーブでおさまり、まだ染められていなかった。
 トミーがリンボー・デジーを知ったのは、バンドがデビューした後のことだった。トミーはリンボー・デジーを知ってからまゆ毛を剃った。その瞬間から彼にはバンダナが必需品となった。まゆ毛で受け止められていた汗が目に入ってしまうようになったためだ。トミーが見たデジー——それは妙な形をしたギターを抱えて、もともと長い足をさらに長く見せるポーズをとっている姿だった。その写真はモノクロでプリントされたものだったが、カラーのものもあった。カラー版のデジーは宇宙人というより、まるでピエロのようだった。
 とにかく、なんの言葉も、ギターの音も聞こえてこないデジーの写真はトミーにとってある爆発のきっかけとなったのかもしれない。
 トミーに残されたデジーの姿はその写真と記録された彼のロック・ミュージックだった。デジーは彼にとって伝説となっていた——デジーはまだ生きていたというのに! デジーは生きながら埋葬され、伝説になった。仮にデジーが生きているということを知ったとしても、彼の時間は、フィルムやディスクにおさめられた姿のままで止まっていた。誰もデジーが成長することを望んではいなかった。
 デジーを愛するものにとって、デジーはあの世の人だったからである。

♪小指の思い出

 デジーは小指の半分を失っていた。ギターの弦をつま弾く方の手だった。その小指は彼が同棲していた女性と口論したあげくに暴発したピストルによるものだった。
 今のデジーは独り、同居しているのはネコのシンディ。彼のまわりに女性はうろつかなかった。それは彼を好んでいた女性が経過した時間なりに老いてしまったか、またはこの世の時間を放棄してしまったためだ。デジーの顔に出来たしわは作り物だった。その気になればデジーは二十歳の女性と付き合うこともできただろう。

 デジーがピストルを暴発させようとしていた頃、彼はいつもこう周囲に呟いていたという——「誰かがワタシに罵声をあびせるんだ!」——そういいながらカーテンを閉じた部屋をうろついていた。ツアーでホテルに滞在するときは必ず両隣りの部屋も予約した。その部屋は、彼を少しでも外界から遠ざけるためのエア・チャンバーだった。デジーの周りには少しでも空気の振動を避けるための空気室が必要だったのだ。その部屋でデジーは、あるはずのない物音を聴き、そしてあるはずのないピストルを探した。ベットサイドの引き出しを開けてもピストルがあるはずはなかった。マネージャーはデジーにピストルを持たせなかった。デジーが自ら時間を放棄してしまうことを恐れたのだ。
 デジーはわたしに語ってくれた。
「マネージャーはワタシが自分であの世にいくなんて心配する必要はなかったんだ」
 デジーは自ら時間を放棄する手段を知らなかった。それはデジーにとってひとつの悲劇だったのかもしれない。
「ワタシがピストルを探したのは、ワタシの後ろにくっついてくる奴を撃ってやるためだったんだよ」
 デジーは自分から時間を放棄することができなかった。わたしはそれを考えると不思議になった。
「きみはたしか『自らあの世に発つスペースマン』という歌を歌っていたよね?」
 その歌をわたしは今でも覚えている。それは軌道を外れて宇宙をさまよう宇宙船の飛行士が、『もしも』のときのピストルで自ら時間を放棄するまでのことを綴った歌だった。
「あれはワタシが書いた歌じゃない。とにかく自分——ワタシの星に住むみんなはそんな行動を知らない。自分のいない時間を考えるにおいてあまりにワタシたちの生命は長い間継続するんだ」
「きみたちになくなっちまわないのか?」
「そんなわけじゃない。たぶん生きていることすら忘れてしまうんだろう——あまりに長く生き過ぎるんでね」
「『自らあの世に発つスペースマン』に出てくる男は孤独のために自ら時間を放棄する。さまよい続けて自分がどこにいるのかもわからない。地球からの交信もない。家族とも話せない——孤独に絶望的になって、当てが全くない時間に押しつぶされたあげく、ついには銃をとった。きみは孤独じゃなかったのか?」
 デジーは笑ってくれた。だがその質問にはもううんざりだったのだろう。
「孤独?——孤独ってなんなんだ? ワタシたちは集合体なんだ。たいがいの生物は無限大の細胞で構成されている。なぜ『孤独』なんだ?——それがワタシの答えだね」

 デジーはいったい何を恐れてピストルに手を伸ばしたのだろう。わたしは訊いた——きみを追い詰めていたのはいったい誰? 何だったんだ?
「いまでもワタシを誰かが見張っているよ。たぶんそいつはワタシのことを宇宙人って知っているんだろう。たぶんきみにそれを教えてくれた人間じゃないかな?」
 わたしは考えた——それはたぶんマーレー・フラスコだ。わたしは少し冷や汗をかいた。
「なぜきみはロック・ミュージックなんかに手を出したんだ? きみは自分を隔離するべきだったんじゃないか? だまって人をつかってさえすれば成功したはずで、きっと事業家向きだ」
 デジーの答えは明解だった。
「自分の姿を隠すのにこのゴミためはちょうどいいと考えたんだよ」
 デジーの考えは正解だったかもしれない。今の彼は忘れされた生物で、今はとりあえず静かに暮らせている。
「思い出すね」デジーがいった。「ワタシは売ろうとしたんだ——色々とね。けれどこの国にはディンギが必要だったんだよ。ディンギ——マネー、お金。最初のワタシには何もなかった。ワタシがこの星に対して持っている知識はまるでこの星の赤ん坊並みだった。それでも服を着なければいけないと思ったよ。みんな着ていたからね。最初の服はゴミ箱に捨ててあったものだった。『捨ててあった』なんていうのも後から知ったこと。でもそれはものすごく簡単な行為だった。だって犬にだって——あの銀毛のガガーリンたちにさえできたことだったんだ。

 デジーが座っている安楽イスには上等なクッションが詰められていた。彼はその安楽イスの上に浮かぶように座っていた。
 わたしはデジーがそのままどこかへ飛んでいってしまう気がした。

♪最愛のものを失うスタナー

 スタナー、きみの家族はいなくなってしまった。いなくなった家族も思っているかもしれない——きみがいなくなってしまったと——そういったわたしの言葉は、彼にとってなんの慰めにもならなかった。わたしがスタナーのために発した唯一の現実的な言葉はこうである。
「きみはこれからどうするんだ?」

 スタナーは家にはいたくないといった。そして自分には帰るところがないと。会社は二ヶ月間の休暇を彼に与えた。そのかわり給料は七十パーセントオフである。そしてスタナーの思いに応えるかのように、ニッポンでの出張期間の延期を伝えてきた。スタナーは延期を承諾した。だが二ヶ月間という休暇の使い道がわからなかった。家族を失ったスタナーに行くべきところはなかった。
「しばらくの間は仕事に熱中する。やりたいこともあるし」
 スタナーのやりたいこと——それは『ロック・ミュージック・プログラム』だった。
 ——ロック・ミュージック・プログラム?——訊かないでほしい——わたしもそれが何であるか後から知ったのだ。

 警察を含めて大半の人間はスタナーの家族が自動車事故で息絶えたことをただの不運だと思っていた。それはなぜか?——彼の家族の他に時間を放棄した人々が大勢いたからだ。その事故は正午過ぎのハイウェイで起こった。スタナーの妻アリスは、息子のステファンを乗せて空港へとフォードワゴンを走らせていた。
 彼女がなぜ空港へ向かっていたのか? それは誰にもわからなかった。ただ彼女の進行方向の先には空港があったから、そう思われていた。その車線を走るたいがいの車は空港を目指していた。
 アリスの目の前に反対車線を走行していたタンクローリーが侵入してきた。それは遠心力の働きで大きい弧を描きながら彼女の目の前で車線を横切っていった。フォードワゴンは逃げる場所を失った。アリスにできることは、ブレーキを踏みながらハンドルをきることだった。タイヤは軋む音をたてながら路面にゴムの跡を残した。フォードバンはタンクローリーに横向きになって停止した。ステファンが泣き出す間もなく、横向きになったフォードバンに後続のトラックが追突した。その後ろを三台のセダンが玉突きで衝突した。フォードバンは押しつぶされドアは開かなかった。そして炎上した。アリスとステファンは車に閉じ込められたまま焼けた。二人の他に六人が息絶え、むち打ちを含めて十八人が怪我をした。
 事故の原因となったタンクローリーのメキシコ系移民の運転手はひとつの傷も負っていなかった。ハンドルに突っ伏した運転手の目は見開かれ、その心臓は鼓動をしていなかった。彼は口から泡を吹いていた。彼は息絶えていた。
 軽薄すぎるほどたくさんの人が息絶えた。

 その事故の様子は全米のニュースで放映された。ニッポンのテレビ局でもそのビデオを購入した深夜番組がそれをエンターテイメント——娯楽特番のように放映した。まるでドラッグレースのように。一日をホテルで過ごしたならば、ケーブルネットワークのおかげで何十回とそのニュースを目にしただろう。そうして放映されたビデオは大切に保管され、『凄惨な事故よさらば』といった体でまた日の目を見るのだ。ライブラリされた記録とはそんなものだ。
 わたしにとって記録というものは少々荷が重い存在だ。記録は切り売りされている。それに呼応するかのように記録はその質量をしだいに増やしてゆく。記録される内容には様々なものがあった。デジーの記録もその様々なうちのひとつだった。その記録は安売りされ、そして記録は過去がある限り増え続ける。

 スタナーはいった——「愛した人たち失った気持ちは誰にもわからない。けれどそれでわかったこともある」
「何がわかったんだ?」
「口じゃいえない」
「きみの心に閉じ込めたままなのか」
「そうじゃない。わかったんだけれどそれが何かわからないんだ。そのかわり言葉にならない言葉は涙になってボクの目からこぼれ落ちるんだ」
 涙は言葉に変わるものだ——スタナー、それがきみのわかったことじゃないのか?

♪スタナーが思い出深き家を整理する

 スタナーは家族たちに関する知らせを会社からの報告で聞いた。彼は一ヶ月の休暇を得て国に帰った。スタナーは語ってくれた。誰もいなくなった家の整理には『思い出』という感情だけがついてまわった。台所の冷蔵庫は新しいものに代わっていた。その中にはスタナーの好きなストロベリーアイスクリームのバルク缶と、ステファンの小さな口をべったりと汚す、たっぷりのゼリーを冷やすボールが入っていた。台所には逆さに置かれたマグカップのひとつにはトラのマンガがプリントされ、もうひとつは赤色。赤色のマグカップは妻アリスが使っていたものだった。食器棚に目を向けるとスタナーのマグカップがあった。彼の目の前にカップを手にしてソファに座る三人——アリスとステファン、そして自分の——姿が浮かんだ。アリスは泡の立つカプチーノ、ステファンは甘いココア——自分は何だったろうか?——何を飲んだのだろうか?——スタナーは思い出すことができなかった。彼の目から大粒の涙がこぼれ、それはタイルの上に落ちた。彼は三つのマグカップを手にとり、両手で包むように抱えた。アリスはこれで、夕食後にカプチーノを楽しみ、ステファンは麦芽入りのココアを飲んだ。彼らの座るソファの前のテレビには、ダニエル・スティールの書いたドラマが映っていた。アリスは彼女の書いたドラマをくだらないといい、そういいながらもアリスの本棚にはダニエル・スティールのペーパーバックが並べられていた。その本棚は二人の寝室に置かれていた。
 スタナーは寝室に立った。彼は一冊のペーパーバックが開いていた。彼はそのページの端々を拾い読みし、その結果泣いた。それは感動の結果だった。

 贋作家モシアズはこうした作品を書いたことがある。
 【モシアズの贋作——誰でも幸せ】
 夫と別れ一人娘と暮らす母親。彼女の前に独りの男があらわれた。彼は弁護士だった。二人は急速に近付き、結婚を意識するまでになった。娘は——その男を好まなかった。母親が弁護士の家に泊まった夜、娘は二階で独り寝ていた。一階には家政婦が寝ていた。悪い夢を見た小さな娘は、いない母親を探して部屋を出る。暗い廊下——娘の足は階段を踏み外した。転げ落ち、そして足の骨を折った。
 地球滅亡の日を知らせるかのような家政婦からの電話は、二人を行為のあとの甘美な余韻から一転させた。家では娘がソファの上に横たわり泣いていた。足が痛い痛いという。家政婦は二人が戻るまで娘の額や痛いという足を撫でてやったりして時間を食いつぶしていた——ああ、神様! この子に安息を!
 母親は娘が痛がる姿を見て口を開けるばかりだった。彼女はただ娘が横たわるソファの前でおろおろするばかり。口からは娘の名前がもれた。弁護士は娘を抱き上げると「来るんだ」といい、母親を添わせて病院へと車を走らせた。
 娘は弁護士に心を開いた——彼女は弁護士に亡き父の姿を見、そして体臭を感じた。
 そして母親と弁護士は結婚し、娘は二人の娘となった。その二年後、母親が白血病のため時間を放棄した。
 弁護士は娘の骨折を診断してくれた女医と結婚をした。
 娘は結婚し、血のつながらない人間がまた一人増えた。若い夫婦の間には子供ができなかった。そうして——また血のつながらない養子を受け入れた。その繰り返しが延々と続いて行く——
 【続く】

 つまり——みんな他人だった!——ただそれだけの主旨だった。
 モシアズはいった——「ハロー、ボクらって家族なんかじゃない。血なんかつながっちゃいない。誰もが他人。でも大事なことって——ボクらが兄弟だってことさ。神のもとで——インサラーム!!」それだからサワコはモシアズの妻であるが家族ではない。それはなぜか?——他人だからである。
「でも忘れないで! ボクらが細胞でできているってことを——絶対にね!」
 スタナーの家族はいなくなってしまった。ああ、スタナーは一人になった。ひとり、一人——独りぼっちになったのだ! サイコロを振って一から出直しなのだ! あるいはタイプライタでガチャンと行送り!

 居間に置いてあるテーブルの上には書きかけの手紙があった。そこにはステファンの文字が書かれていた。その手紙のところどころにチョコレートの署名があった。その隣にあるもう一枚の紙——それはたぶんアリスの書いた草稿だろう。それはとても易しい言葉で書かれていた。彼女はそれをステファンに書かせてたのだろう。
 スタナーは手紙を読んだ——らしい。彼はその手紙を読んでまた泣いた。わたしはその手紙に何が書いてあったのかは知らない。
 しかしスタナーは知っている。彼はそれに書かれていたことについて話すことはなかった。

 スタナーは庭でステファンのためにこしらえてやったブランコを見た。そして自分たち家族が住んでいた家を見たとき、そこにはなんのあたたかさも見つけられなかった。それはペンキの塗られた棺桶だった。たぶんそれは記録的遺物——スタナーの脳細胞の中にしか残されない記録。スタナーのそれは、彼ら家族が住んでいた家の形状を残した。そのドールハウスの中にはアリスとステファンの姿があった。
 すべてはスタナーの、とてもプライベートな記憶だった。

♪希望すること

 そうこうしているうちに——たとえば間抜けな顔をしてコーヒーを飲んでいたり、中国人女性からマッサージを受けていたにしろ、私たちの真上では衛星が回っている。近くに発行されるであろう保険証を兼ねた国民カードや、デジタルクレジットカードには自分の存在場所を知らせる機能がもれなくついてくる。
 たいがいのプライベートは名前だけのものになる。とても薄っぺらなものになる。
 それに対し、わたしには何の危機感もない。あそこ以外に何も隠すものがないからだ。それでも中国式トイレのような覗き見だけはやめてくれないだろうか。
 そして最後の男が決闘の場に立っている。それはたぶん男だったが女のようにも見える。きっとビフィスタミンの影響かもしれない。

♪時間を放棄しきれないトミー

 クレイジー・トミーは時間を放棄しきれなかったのだろうか?——彼には多くのグルービーがいた。彼ら、あるいは彼女たちグルービーはトミーのクローンでもあった。グルービーたちはトミーの姿を模して街を歩き、ステージに押し寄せた。トミーが頭に孔雀の羽根を付ければ、そこら中が孔雀の羽根だらけになり、バレー選手の女子学生は電線に羽根を引っ掛けて燃えつきた——彼女は息を引き取る寸前まで頭の中や心の内でトミーのことを思い描いていた。身のすべてはトミーのものだった。ああ、神様トミー!——彼はすべてのグルービーのために。
 トミーは時間を放棄する十八ヶ月前からクレイジー・トミーになっていた。それはバンドのポートレイトの中心に彼が立つようになったころからだった。写真や映像に記録されたバンドの中心はいつもトミーになっていた。それはバンドをプロモートしてゆくひとつの方向性でしかなかったが、バンドのメンバーはトミーに対してわずかでも嫉妬心を抱きはじめていた。ロック・ミュージックを、バンドをはじめたころはそうじゃなかったんだ——そう呟くドラマーはバンドのメインマンたる人間だった。

 トミーのように長いが、まったくパーマ気のない髪の毛で頭を守っているドラマーは、バンドが演奏するロック・ミュージックの作曲家であり、フロントマンでメインマンだった。すなわち彼はリーダーだった。リーダーとは主導者を意味する。——そう、すべての裁決は彼の一任だった。

 その彼が最後に立ったステージは、ニッポンのロック・ミュージック史上最高といわれる動員を記録し、息絶えた人々も現れた『トミーほんとにさよならコンサート・リバイバル』だった。主役は以前にもましてトミーだった。デジーは薄っぺらなモニタースクリーンの中で観客に呼応することなく空中を泳ぎ回った。グルービーたちは高い頭上に浮かび泳ぐトミーに手を伸ばした——トミーは何も反応してくれないというのに。
 誰も耳を貸さなかった。ステージから奏でられるロック・ミュージックに貸す耳はなく、グルービーたちは身体でそれを吸収した——音階を除いて。そしてすべての目が手がステージではなく空中をあちらこちらと泳ぎ回るトミーに向かっていた。
 そのころリーダーたるメインマン、ドラマーはドラムを叩いていた。誰も彼を見ていなかった。そしてドラムセットのなかで時間を放棄した。
 ああ、トミーは未だに時間を放棄しきれない。

 境遇はけっこう似ている。
 たとえばデジー——彼もまたバンドのメンバーから嫉妬を受ける立場の人間だった。が、バンドにおいて彼がメインマンだった。デジーがいなければ、たぶんバンドは心臓か脳ミソのない人間だった。バンドの名前は『デジーとマーシアンズ』といった。それはマネージャーが三十秒で考え出した名前である。マーシアンズはデジーがステージでパフォーマンスをくり返すためのオルゴールに過ぎなかった。彼らマーシアンズは演奏をくり返す。何回もネジを巻かれるように——ジーコ・ジーコ。ただし彼らはネジを巻かれるよりもアルコールと女——そして金を要求した。そしてデジーに異を唱えた人間はマネージャーによりクビにされた。それはデジーに対する脅迫でもあった。
 彼らはデジーのことを何ひとつ知らずにマネージャーとプロデューサーのオーディションを受け、合格しマーシアンズとなった。
「なんだこのマッチ棒みたいな小僧は?」——それがベースプレイヤーのデジーに対する印象だった。間違いなく腕力や体格ではデジーがいちばん劣っていた。彼に反し、特にベースプレイヤーはプロレスラーたる筋肉を持っていたのだ。
 デジーはメインマンだった。彼は『バックバンド』マーシアンズを従えたシンガーだった。彼らの演奏するものは音楽の中でも異端のロック・ミュージックであり、かつ、その中でも特異でプログレッシブなものだった。それはまさにその時代の時空を超えた音楽だった。が、——彼の職業的な立場はテキサスのカントリーシンガーと変わることはなかった。ある視点において横並びが崩れることはない。彼はカウボーイハットをかぶった、健康的なシンガーと全く変わることはなかった。
 つまるところ、デジーもテキサスのカントリーシンガー——どちらも『宇宙人』だった。多少食の好みが異なるかもしれないが。

 それにしても色々な点から覗けば共通点はいくらでも見つかるものだ!

 とにかくデジーを疎む人間がいたのは事実である。
 それはトミーも同じだった。彼があの世にいったといわれてしばらくの間も、トミーに対して陰口や、恨みの言葉を口にする人間も少なくなかった。
 ああ、やっぱりトミーは時間を放棄しきれない。
 当のトミーはといえば——月の上で暇を持て余していた。

♪産んで面倒

 前にも口にしたが、トミーはグルービーたちにある疑問を抱いていた。それは彼らのファッションのことである。
「なぜ彼らはオレと同じ格好をしているんだ? オレたちは自由を叫んでいるのに! 誰もオレたちに共鳴なんかしてくれるなよ!」
 そういえばリョーコもいっていた。
「トミーが望んでいるのはそんなことじゃないわ——トミーはただギターを弾きたかっただけ。たぶん彼ってレコードを出すのがきらいなのよ」そして、「レコード会社が出せっていっているから出してるだけ——ほら、『ケイカク』っていうのがあるじゃない?」
 ん——そんなものだろうか?
「そんなものよ、トミーの場合はね——きっと彼ってシャイなのよ」
 しかし彼はあんな格好をしてる。頭には孔雀の羽根だぞ? あれじゃ道路交通法に引っかかるんじゃないか? おまけに彼のギターのノイズときたらそこらへんのビルの窓を粉々にしてしまいそうだ——耳の鼓膜の鍛錬にはなるかもしれないが——
「あれが彼の言葉なのよ。わからない?」——わたしはリョーコが完全なるトミーのグルービーで心底から彼を崇拝しているように思えた。リョーコはいってくれた。「わたしは彼がこの世からいなくなったって悲しまないわ。人は誰でもいってしまうんだから——って月並みね」
 わたしは訊いてみた——「それじゃ彼のグルービーじゃないのか?」
「そんなんじゃないわ。わたしは絵描きや作家が好きなように彼を好きなだけ。トミーは芸術家——アーティストなのよ。みんな芸術家は好きなはずよ」
 トミーは芸術家だった。これは割と新しい発見だった。孔雀の頭に白塗りの顔、そして角だらけの稲妻ギター。わたしは脳ミソの中で新聞で見たトミーの顔写真を浮かべ、貧弱な脳細胞は何度も彼の顔を崩して組み立て直そうとしたが、そこから得られる結論は芸術家にはほど遠かった。どうあがいても彼の印象はというと人間ではないことしか浮かばなかった。わたしがさらに信じがたかったことはリョーコの言葉を母親であるサワコが弁護をしたことだった。サワコはこういったのである——
「芸術家っていうのは自分の作品を出したがらないものなのよ。酒におぼれて自分の描いた絵を酒代の代わりにしても、売れといわれて売るような人はいない——わたしはそう信じてる。葛藤しているのかもしれない。自分の作品をディンギに換えるべきだろうかってね。芸術家にとって自分の作品っていうのはきっと逃げ場なのよ。彼らにはそれしかできないから絵を描くの。それしかやりたくないから絵を描くの。要は自分のしたいことしかやらない。他のことなんかそっちのけ、というよりは他のことができないのよ」
 それじゃトミーにとっても彼の書いたロック・ミュージックっていうのは『逃げ場』なのか?
「そう、あの音楽も逃げ場。その逃げ場を人にさらけ出すってなんだか恥ずかしいことじゃないかしら。そういったものは本質はたいがいプライベートなものよ。とてもプライベートで私事。秘密にちかいわ」
「彼もカットウしてるのよ」リョーコがサワコの後を継いだ。「あらゆる芸術をディンギに換える人たちがいるわ。その人たちは芸術を見てその価値をディンギに換えることができる。そしてみんなそれを信じるわ。芸術を教える方だってそうよ。教師は芸術を見てそこから教えることをつまみ出すの。色がどうだとか、表現の仕方がどうだとか適当にね。それでも見つけだせなければ——たいがい見つからないんだろうけれど——無理矢理ひねり出すのよ。教えることなんてなにもないのにね。
 トミーの音楽もそうなのよ。彼の歌の価値は彼にしかわからない。だって彼が作り出したんだもの。その価値はレコード会社がお互いに協調しあっているディンギで決められるわ。でも人によってはそいつにどれだけの少ないディンギでも払いたくはないと思うだろうし、適当だと思う人もいる。
 でも大事なことはトミーの音楽が好きなのかそうじゃないかって感じることよ。誰もが路頭に迷ってる——答えを見つけるためには何にでも手を出したいのよ。
 わたしは信じてる。芸術家は自分の産み出した作品に価値をつけらることに怯えてる、恐がってる——ってことをね。
 次々に作り出される映画だってそう——それは記録に犯され続けてる。創造される映画の中に記録フィルムが挿入されるなんて創造をバカにしてる!——わたしはそんなの大嫌い! それは芸術バカよ!」

 トミーは自分が創造する音楽、ロック・ミュージックになんらの価値を見込んでいなかった。彼はいってくれた。
「なんにでもいえること——作ってる間だけが楽しいのさ。できちまったもんには何の関心もないね。できちまったあとは面倒がかかるだけ——何百回も弾いてやらなきゃいけないんだからな!」
 ほんとうの価値は本人にもわからない。母親がどれだけ子どものことをわかっているのかにもよる。
 産んでしまった後が面倒きわまりない子どもがいるように。

♪ガソリンスタンド裏の工場

 ハイウェイ——道の両脇には土漠が続く。土埃だけの風景のところどころに乾燥地に耐えうる植物が生えている。
 古びれたガソリンスタンドはすでに営業することをやめていた。地下に埋めたタンクは空になっていた。

 メタンセタニンは習慣性の高い薬だった。ここ数年の間、徹夜の作業を強いられる者やトラックドライバーの間で利用されていきた。ベビーシッターの若い娘も、昼間に疲れた身体が子守をしているうちにくたばってしまわないように毎日それを飲んだ。それは飲むだけではなく、注射することも吸うこともできた。
 メタンセタニンはよくトレーラーや農場で密造された。原料のひとつには大量のエタノールが使用され、メタンセタニンが生産される過程において発生するガスは密造者を苦しめた。当然の報いでしょ。

♪変人の求め方

 やってきたものはここにはない。だがやってきたものは目の前のケーキになっていた。そう、やってきたものはケーキに姿を変えたのだ。
 わたしはこの何十年かの間に数回ケーキを食べた。そう数回である。母親はケーキを作らなかった。だがバアさんはケーキをこしらえた。それはわたしが九歳になるまで——つまりバアさんが時間を放棄してしまうまでのことだった。
 たいがいにおいてリアクションは自分が何かを起こさないかぎり返ってこない。たぶん手紙は自分が書かないかぎり返ってこないものなのだろう。ところが逆を考えてみろ——手紙をおのずからもらうやつもいるじゃないか。それが本当のところだ。逆逆逆——逆もあるんだね!——大半のことは逆だった。

 冷静に——
 スタナーは幸せものだった。彼が起こすべきリアクションは息子直筆の手紙が彼のもとに到着することを心待ちにすることだった。
 だがそれは永遠に起こされぬリアクションだった。

 わたしは気持ちの悪い朝を過ごしてしまった。私の間違いは歯みがきチューブをつかもうとした手だった——わたしの手がつかんだものは歯みがきのチューブではなく、スクラブ洗顔クリームのチューブだった。そのチューブからしぼり出したものを無造作に歯ブラシに塗り、そして口中へといれた。
 ——ウェ!
 わたしの口の中はゆすげばゆすぐほど泡だった。わずかな火でも引火しそうな石油臭さだった。

 もしもわたしが洗顔チューブの成分により口から火を吐くことができたなら、わたしはスタナーと同じくらいの変人になっただろう。

【続く】



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