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仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて 1 [仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて]

【1回目】

または「スタナーとその真実の時間」

♪残されたもの

 ある場所にスタナーの両手首が残されている。その場所とは博物館である。彼の身体から切り離された両手首は、博物館のガラスケースのなかに飾られていた。今、生きたスタナーはこの世に存在していない。ただ、彼が生きていたのは事実であり、残された両手首はその記録だった。
 たいがいの陳列物にはそれを説明する札が添えられている。スタナーの両手首のために博物館がこしらえた札はこんな調子である。
 《電気放出端子——体内に発電設備となる筋肉を備えた男性の手首。発電された電気は、この手を通じて体外へ放出された》
 白い札にはこのような説明の文字が彫られていた。つまり、この両手首を持った人間は、電気ナマズとか電気ウナギのような生物発電ができる生き物だった。わたしはその能力が後天的なものであると信じている。

 その両手首を持っていた人間をわたしは『スタナー』と呼んでいた。彼は幼い娘の命を救い、迷える若者の魂を成仏させた。そして、地球に住まざるおえなかった宇宙人を、この星から解放するヒントを与えた。そうした事実をつくり出したきっかけはほとんどが偶然の産物かも知れなかったが、そのおかげでわたしはスタナーを知った。
 わたしはスタナーの友人だったろうか?——たぶんそうであるとわたしは信じている。わたしはスタナーの心に触れてあげることができただろうか? それは彼に訊いてみないとわからない。だがいえることは——わたしとスタナーの間にゲイのような関係はなかったということだ。

 スタナーは英雄になった。彼のシビレる手はクレイジートミーのギターから生命を奪い、デジーを数十年ぶりに孤独から解放した。そして彼の眼球に貼り付いたネコ目を隠すための地球人コンタクトをひきはがした。スタナーに抱えられたクレイジートミーのギターは、稲妻のごとき光を放ち、アンプへ信号を送り込むコードからは炎が吹き出した。多くの人々がそれを見た。
 彼のロック・ミュージック的感性はトミーやデジーの二人だけではなく、リョーコも救った。彼ら三人ばかりではない、彼に救われた人間は多かった。

♪時間を放棄していたトミー

 そもそもスタナーはトミーを知らなかった。彼が多くの『グルービー』と呼ばれるファンたちにあがめられていることも知らなかった。トミーはスタナーの前に奇妙な姿で現れた。それは現実ではなかった。トミーはスクリーンの中にいた。トミーは立体に見えるけれども奥行きのない真っ平らな平面のなかにいた。
 トミーは生命の言葉でいえば『死んでいた』のだろうか?——スタナーはスクリーンを見たとき、彼がすでに時間を放棄していたとは知らなかった。彼はガスを吸って時間の放棄を企てたのだ。トミーはそれにより時間の上から消えてしまったとされていた。とりあえずトミーは時間を放棄したように見えた——だがそうではなかった。
 トミーがいなくなって残ったバンドのメンバーは、彼のための追悼集会ツアーの構想を練りはじめた。たいがいの若者はそれをファンクラブの広報で知った。ある年令を超えた人間たちは下馬評テレビジョンとサイズの小さな新聞で見た。ロック・ミュージックを忘れてしまったか、もともとそれを体験しなかった人間は彼が何者であるかがわからなかった。トミーは人間のようには見えなかった。みじんの黄色も見あたらないその顔からは誰がニッポン人だと想像できただろう。彼の赤く輝く髪の毛の奥には黒い新毛が見えていた。耳たぶはピアスのために重く垂れ下がっていた。

 トミーが立つべき場所にはモニタースクリーンが置かれていた。それはちょうどトミーの背の高さ程だった。
 モニターに在りし日のトミーが写し出された。それは一昨年前に行われたコンサートの映像だった。等身大のトミーを写し出すモニターの中で、トミーの映像はトミー自身が一昨年にしただろう動きを寸分違わずにくり返した。残されたメンバーは何をしていたか?——彼らはもうその時間流の中のある点にしか存在しなかった曲やその決まりきったシークエンスにあきあきしながら、トミーに同期すべく予定された動作でトミーに引きずられながらバンドを演じていた。
 すべてはトミーに続いていたということ。
 バンドはこのツアーを演りたがらなかった。彼らのマネージャーはバンドがこのツアーを演りたがっていないことを知っていた。それよりもトミーが望まないことだろうと——彼らはトミーを愛していた。それは今までの三面ゴシップが書き散らかしてきた雑ネタでもわかることだった。大半の大人も知っている。しかし彼らはそのツアーをせざるおえなかった。

 わたしはモニターに映っているトミーと話す機会があった。
 トミーはいってくれた。「ボクのファッションはもともと自分をアンドロギュノスに見せるためだったんだ」そしてこういった——「けれどボクのあそこは——男性そのものだ」
 わたしがいってこましたのは——いや、いってやったのはこうだ——それはどうでもいいことじゃないか? きみにはカリスマが必要だったんだ。
「カリスマ?」トミーはカリスマってのはカッコいいことかと訊いた。わたしはそうだといってやった。そうするとトミーはいった。「デジーみたいに?」デジー——それは史上初のアンドロギュノスロッカーだった。わたしはすこしの間言葉を失った。トミーは顔色を変えるとつばを吐くようにいった。「——デジーは宇宙人だった。若い頃はね。でも今じゃ人間だ。ティラノザウルスみたいな恐竜のように吠えていた彼は今地球の歴史をくり返すように化石になって土に埋もれているんだ。深い地下の何層もの下に埋まっているんだ。埋もれ続けていてもデジーはサファイアやルビーなんかには変われない。メノウにだって。デジーの行き先はひからびてミイラになって——炭になって忘れ去られる。そして思い出し笑いのようにリサイクルされる——いや再生すらされることなく完全に消え去ってしまうだろうよ」
 ひどいことをいうじゃないか?—わたしはトミーにいった。昔は好きだったんだろ。トミーはこう説明してくれた。「五六歳の頃に好きだった彼女のことをまだ好きだっていうことかい?——」
「つまりそういうこと。千九百七十八年までのレコードは全部持ってる。ディスクじゃないぜ、レコードさ。でもそれだけ他のも持っていたけれど、残っているものはその頃のやつだけ」
 それこそ化石だ。そいつらはデジーに取り残された過去の遺物——わたしはそういってやった。きみは年を重ねたくないだけだったんだ。——トミーは黙っていた。わたしは続けた。きみが地球から姿を消したとき、きみは三十二歳だった。これからも永遠に三十二だ——きみの姿形はね。きみは早く時間を放棄したがった。債券や印税で暮らしたくはなかったこともある——きみが好き『だった』デジーみたいにね。それにきみのしわは化粧をしなければ隠せなくなってしまった。きみらにとっちゃ化粧もまるでクスリみたいなものだ。使ってゆくうちに手放せなくなる。時間が経つにつれ衰えてゆく若さを覆い隠すために使い続けなければならないクスリだ。でももう心配はいらないだろう——きみはこれからもきみが時間を放棄したときの姿のままだ。それ以上年を重ねることはない。そのかわりその化粧顔がきみの顔だ。どれだけのクレンジングを使ってもきみは自分の素肌を見ることはできない。それに——
「もう止めてくれ」トミーは静かにわたしの言葉をさえぎった。彼はギターのネックを握りしめていた手を離す。ギターはトミーの腰下でゆれた。
 わたしはいった——不思議じゃないか?
「何が?」——トミーがそういった。わたしは答えた——ロック・ミュージックって仕事がさ。
「あんなもの仕事じゃない。好きなことさ」

 録音されていたトミーのギターサウンドは壁のようなアンプ、ステージに備え付けられたサウンドシステムやモニタースピーカーから発せられ、マイクによって拾われたサウンドは波形化されてラジオによって運ばれ、世界中のあらゆるスピーカーから吹き出した。
 ファンたち——グルービーは知った——トミーは生きている! 彼は確かにいなくなった。整理券の配られたあの葬儀は忘れない。だがスピーカーから流れてきたのは間違いなく彼のサウンドだった。
 モニターの中でトミーはギターを弾き歌っていた。ときどき弦をスクラッチさせてはソニックブームのような効果音を響かせた。彼がステージを走り抜けるとき、それはモニターが移動するときだった。液晶で作られたモニターは薄く、ニッポンの障子のように軽々とステージを左から右へ中心へ——さらには宙へと飛んだ。
 バンドでベースを弾く男は——彼はリーダーだった——こう思った『まるで看板だな』
 そのとおり! トミーは風によって踊らされている看板だった。会場内には台風が吹き荒れていた。その吹き荒れる台風のなかで、モニタースクリーンになった一枚の板切れであるトミーの身体は開場中を舞った。トミーの姿はその高さが二メートル、幅が一メートルの板切れの中だけにはいなかった。会場内の壁を取り巻く巨大ディスプレイにもトミーの姿は映っていた。
 他のメンバーはトミーのバックバンドだった。もともとトミーは遅れてやってきた人間だった。彼の前に在籍していた地味なギタリストは、ギターのローンを帳消しにすることを条件にバンドを離れた。それは自分の愛人であるトミーをバンドのメンバーにするためにマネージャーが行ったことだった。
 トミー追悼集会はニッポンという国の五ケ所で行われた。わたしがトミーを見た集会はトーキョーで開かれたものだった。なぜわたしが宗教じみた集会へと足を運んだのか?——それはリョーコに誘われたためだ。正確にいえばわたしはリョーコのお守りだった。わたしとシビレ男——スタナーは、リョーコの母であるサワコに頼まれ、リョーコのお守りとして会場にいた。

 会場に響いた言葉はこうである——《トミーのスピリットは戻ってきた!》——これはラジオのDJが流行らせた言葉である。たいがいにおいてこれはグルービーの間でトミーの再臨を認知しあう合い言葉になった。

 トミーの気紛れは、異次元にある自分の姿をモニタースクリーンに写し出したことだった。そして彼は気紛れでリョーコをさらってしまったのだ。

 トミーの独り言——わたしはそれを陰で聴いていた。
「オレはハイブリッドミュージシャンだ!
 何でもできるだろう、ここに観客はいないし、なんのしがらみもない——それだから、だから何でもできるのさ——好きなことが!
 誰かのためにやっているんじゃない、自分のためだから何でもできるのさ
 とりあえずはシャドーギターを繰り返そう——何度も何度も。
 けれど悲しいことに目をつぶれば観客が見える——パンティを片手に叫んでる女の子、それに男のくせにオレのことを好きだっていうやつ——
 ここは月の上だ。ブーツは重くても、でもジャンプはできる。宙返りをしながらギターを弾けば、そのサウンドは永遠のフィードバック効果で震え続ける——ここには空気なんかありゃしないってのに
 オレの頭はからっぽでそんな矛盾を考えている暇はない——ヘイ・ミスターベイカント!——みんな空っぽだ——そう、ボクの彼女は可愛かったけれどみんな空っぽのベイカント!——とっても頭が悪いのさ
 でも——クレイジーなんかじゃない!!」

 トミーは月の上でただ独りギターを弾き続けた。彼は『スピリット』と呼ばれていた。肉体を消してしまいながらも蘇ったスピリット——だがどうだろう、彼の顔色は?——トミーはガスを吸って最期を迎えた時、そのままの姿だった。顔は化粧をしたままだった。どうやったってその化粧を拭い去ることはできなかった。トミーの顔はファンデーションによりほとんど真っ白だった。赤くて長い髪の毛は逆立ったままだった。その髪の毛はもう垂れることがなかった。そのトミーの姿は彼が送ってきたロック・ミュージック・ライフの中でほんの一瞬の時間だった。その一瞬の時間を封じ込めたトミーの姿は今でも変わらない。愛車のガスを吸って時間を放棄した、そのままの姿だった。その姿は永遠に変わらない。
 トミーは音の響かない世界でシャドーギターを練りかえす。彼はスペースマン、憧れの宇宙人になった!

♪星に帰るべきデジー

 空っぽのベイカント・トミーには憧れていたミュージシャンがいた。そのミュージシャンは『宇宙人』の異名を持っていた。くり返す歴史の中のある一時を代表しうるそのミュージシャン——『リンボー・デジー』はロック・ミュージックの短い創世史に残る輝かしいストーンだった。
 デジーはロックに限らずミュージックに映像的・視覚的表現を持ち込んだ最初の人間だった。彼は見るものを惹きつけた。ステージで身につけた衣装はまるで近未来のアートだった。ライオンのたてがみのようなヘアースタイルにまゆ毛を剃った青白い顔——それはけっして化粧による効果ではなかった——は、『異星人』だった。どちらにしろ今までの人間には見えなかった。デジーはステージの節々や曲が変わるごとに、衣装を変えた。時に彼は身体に三メートルにもなる羽根をつけたり乳首にワッペンをした裸を見せた。

 これは事実である——デジーのまゆ毛には毛根がなかった。そして彼の胸にはポッチが——乳頭がなかった。それはデジーの肉体的特徴とされた。
 あるときプールで女を刺して現行犯逮捕された男のニュースを観ていたバンド仲間がいった。
「ワオ、みんな真っ裸」
「すげえ、血だらけだ」
「あんな人前じゃすぐに捕まっちまうぜ」
「デジー、お前がやったらすぐにばれるぜ——その乳首用ワッペンのせいでね」

 異星人スター・デジーは人気があった。彼のマイルストーン——軌跡をたどってみれば、彼がもっとも輝いていた期間は二年半だったにちがいない。彼の下降は友人と思っていたミュージシャンの不在によって幕を開けた。ロック・ミュージックに新しい光を与えたクリエーターたちの命は短かった。
 それでもデジーと短命なクリエーターたちの間には決定的なちがいがあった——それは何か?——宇宙的規模での『人種』のちがいだった。
 デジーの作り上げた歌はビニールの円盤となって世界中にばらまかれた。それはディンギと引き替えに取り引きされた。『ディンギ』とはお金のことである。今でもお金はディンギと呼ばれる。
 デジーをプロモートしたときの言葉——それは『宇宙の果てからやってきた異星人』だった。デジー自身、ミュージック——とりわけロック・ミュージックを生きるために利用しようとは考えもつかなかった。彼がミュージックに足を踏み入れるきっかけ——それは街頭でスカウトされたことだった。それもファッションモデルとして。
 スカウトマンにとってデジーの顔だちは彼らの理想、はてはファッションメーカーの想像をはるかに上回っていたにちがいなかった。デジーの持つ頭蓋の形とアゴ、そして彼の首はクリエーターがつくり出そうとしている服のイメージから奇抜さを消し去った。彼らはデジーに人間を超えたセンスを見い出したのだ。人間を越えたという点はあやしいにしても『人間』という観点において彼らは正しかった——なにせデジーは人間ではないのだから。

「あの頃のワタシはいろいろなデバイスを考えた——自分が持っていた様々なデバイスをどのようにしてみんなの前にさらけだそうか考えていたんだ。みんな宇宙で使っていたものだ。とても小さな精密デバイス。部品は少なかった。でもこの惑星では、ワタシの星で使っていた石を発見することはできそうになかった。たとえばワタシの手のひらにすっぽり入るデバイスをこの惑星で作ろうとしたら、ホテルのスィートルームいっぱいになりそうだった。
 そんなこんな——ワタシは惑星のテクノロジーと大差ないものをつくり出し、それをある会社に見せたんだ。それはその頃流行ってたストロボライトを連続的に写し出したり、ライトのベクトルをアメーバのように変える——まるでサイケデリックみたいに——そんな効果をプログラミングによって無限のパターンをつくり出す装置だ。それを気に入ってくれたのは、大きなサウンドシステムもプロデュースしていたイベント会社だった。ステージを組んだりもする会社でね。彼らのためにシーケンサーも考えた
 それよりも——ワタシがこの惑星でいちばんはじめにしたこと——それは服をただでちょうだいしたこと。そこがゴミ箱だってわかったのはあとのことだった」

 デジーは誰にも怪しまれなかっただろうか?——わたしは老婆心と恥ながらも訊いた。
 デジーは小指のない手で頬杖をつきながら考えた。ちなみに——わたしの小指も欠けている。
「誰かがいたかもしれない。ワタシはずっと監視されていたんだろう——いつも人目が気になっていた」
 人目が気になっていた?——その当時のデジーには大勢の取り巻きがいた。マネージャーにプロモーター、印税用の口座を作らせている銀行が十二行、顔に傷がついたときのための保険会社が三社、化粧会社——それからグルービー、衣装を提供するアーティストに贋作主義者——すべてのメディアがデジーの尻にくっついて離れなかった。誰もがロック・ミュージックの価値に気付いていた時代だった。
 たとえばデジーが今彼が座っているよりも豪華でデラックスな安楽椅子に座りながら地球製のシガーをふかしている。彼の目尻がすこしでも険しくなる。煙りが入ったのだ。そうすると彼のもとにオリエンタルマッサージを施す女が集まる——マッサージ師は彼のどこを揉みほぐしてやるというのだろう——彼の身体はガリガリに痩せていた。それでも彼女たちはデジーの肌を撫でるようにマッサージした。そうするしかなかったのだ。
 何匹もの犬がデジーの周りをうろつき回る。宇宙飛行士のような銀色で毛を染められた犬は悲しそうに泣いていた——クウゥーン。
 それでも犬たちにとってよりどころはデジーだった。彼が彼ら——犬たちの帰るところだった。
 デジーは険しい顔を見せた。しかしそれはすぐに柔和な表情になった。そこには——あきらめの意がうかがえた。
「あの犬たちのよりどころがワタシだった?——あの銀色ガガーリンやトビーたちが?——そうかもしれない。彼ら三匹はいつもワタシのバックステージで、レストランで、ホテルの部屋でボクを待っていた。不自然で気味が悪いくらいにね。ガガーリン、トビー、それから——ウー、彼らはものすごく大きな首輪をしていたよアルミニウム製でゴツゴツしていて——ロボットみたいだった。最初は撮影用に集めた犬だった。血筋はワタシなんかよりも高級だ。ワタシにとっては奇妙な出会いだった——ワタシは最初彼らを——ガガーリンたちを人間の出来損ないかと思った。あいつらには体中に毛が生えているし、しょっちゅう舌を垂らしてる。あれで彼らは体温を調整していたんだ。彼らは生きることにやっきだった。そのために——ワタシに媚びを売っていたんだ」
 デジーは涙を浮かべた。

 デジーがこの惑星に立った千九百六十六年、地球ではサーベイヤー1号が地球を離れていた。千九百六十九年のアポロ11号で人類は月面に立ったときデジーの人気は絶頂にあった。
 デジーは今ネコと暮らしていた。ガガーリンたち銀毛の犬はもう十八と十六、そして十五年前に時間を放棄していた。
「ネコは長生きするね——」デジーはそういった。わたしはデジーにじゃれつくでもなく、ただじっとソファの上でうずくまるネコを見た。そいつはガガーリンとちがって「主人を待つ」といった意志は持ち合わせていないようだった。そのネコ——デジーが呼ぶには『シンディ』にとって、デジーはただの同居人だった。

♪デバイスであるトミー

 トミーはアポロ11号の降りたった月面に立っていた。トミーの稲妻ギターは張られた弦を震わせることなく空間を歪ませていた。
「オレはいったいどこにいるんだ?——」
 トミーのいら立ちは彼のトレードマークである稲妻ギターにぶつけられた。彼のギターにはたくさんの角があり、乱反射するミラーメタルが貼ってあった。
 トミーの稲妻ギターはカスタムメイドだった。そのギターを作るには事務所の了承が必要だったが、見た目を重視する事務所は、彼の要求を即座にのんだ——「イヤッホー! 最高じゃないか! ピカピカ光るギターだって? ベイカントな奴らの目をつぶすピカピカギター! あらゆる照明を乱反射させるギター! 最高、最高だよトミー! そのアイデア、俺たちゃのったぜ!——トミーの『稲妻ギター』!」
 稲妻ギターはトミーに愛された。彼は最初丸い、卵のようなギターも考えた——それにロケットみたいなギターも——それはデジーが持っていたものだった。それらのギターはデジーのマネージャーが考案したものだ。『宇宙時代のロケットギター』——たいがいのものは文化を繁栄した形になった。それは浅知恵ともいった。いつでも文化は軽んじられた。重い文化は探すことが難しい。
 彼の『稲妻ギター』はテレパシー能力を持っていた。それは彼の意志を具現化するものとなった。前の世界に存在していたとき以上に。

 わたしにはトミーについてある程度の予備知識を持っていた。そのほとんどはサワコの娘であるリョーコの受け売りである。スタナーも知らなかった。だが——彼はロック・ミュージックに対してある郷愁に似た思いを持ち、そして持ち続けていた。スタナーは幻覚を通じてロック・ミュージックを敬愛していた。その幻覚とはクスリである。彼はロック・ミュージックを心から——心臓の奥から敬いそして愛したが、それに後悔しつつもあった。彼らが与えてくれたものは?——自由・永遠(かといってそれはとても短い時間だった——)・心臓に血を送り続けること・動き続けること・うるさくすること——それと反抗することだったかもしれない。スタナーは最後までロック・ミュージックを聴き続けていた。彼はロック・ミュージックに幻想を見る人々の一人だった。
 トミーの手にある稲妻ギターは、ロック・ミュージックにうねりと波をつくり出す崇高なデバイスとなった。

♪デジー債券

 デジーは数字にかけて頭がよく働くほうだった。彼は十以上の企業の経理を一人でやってのけるだろう。彼の言語は数字であり思考は数学だった。それが彼のいた惑星だ。債券とか投資だとか株なんてのは彼にとってなんでもない普通のことさ。そう! ごく普通のことなのさ!
 デジーはこれまでに築かれた自分の財産を有価証券に代えた。
 トミーのマネージャーもしかり。彼は四時間のコンサートを消化するためには、十七時から開場しなければならないと考えていた。
 たぶん計算できる能力は必要なのだ。

♪スタナー、人を愛するだけではない

 愛されるだけがすべてではない——スタナーはそういった。
 スタナーとは彼の本名ではない。結果的に彼を創造してしまったマーレー・フラスコという男が勝手に呼んでいる名前である。彼は自分の名前を持っていた。わたしもそうだが、人間には名前が必要だったのだ。必要性から二つ以上の名前を持つ人間もいた。そのかわり名前の無いウマはいっぱいいる。名前をもつウマの大半は賭事や金もうけの対象になっている。名前を持つ犬のほとんどが飼い犬である。デジーの銀色の犬にはガガーリン、トビー、そしてウーという名がつけられていた。
 わたしはスタナーをスタナーと呼ぶが、わたしにはなぜわたしがそう呼ばなければならないのかわからない。また、その名前——スタナー——はわたしにとってとてもしっくりする言葉ともなっている。スタナーはスタナーだった。
 スタナーは立派な成人で人間だった。彼には妻もいれば子どももいた。可愛い男の子である。スタナーがニッポンに行くことになったある日、息子のステファンはいった——「ねえ、パパ、ボクもニッポンにいかなきゃならないの?」妻のアリスは明らかに不機嫌だった。
 これはたぶん事実である。つまり——すべての地球人がわたしたちが今存在している国を好んでいないということである。スタナーの妻であるアリスにとって、ニッポンとは、あそこにサックをはめている野蛮な原始人だった。そして何より——アリスは日本人の黒い髪の毛が好きではなかった。その理由はこうである——「黒い毛ってなんだか重々しく見える。なんだか肩がこるのよね。空気まで重くなっちゃうわ」そしてこれもたいがいの反応。それは、「おれは、うーんなんちゅんだ?——パ、パ、パツキンって好きだなぁ」パツキンとは金髪のことである。それは今では存在しなくなった言葉だった。
 毎日新しい言葉や名称が生まれる。これは主にコミュニケーションを発展させるためであるが、そのほとんどはすぐに消え去ってしまう。今は誰もパツキンとはいわない。
 つまり誰が自分のことを好きなのかわからないくらいに、すべての人が自分のことを好きではないかもしれないのだ。考えると怖ろしいだろうか?——わたしは好きになられるほど疲れることはないと思う。
 ところが——わたしの友人であるアユム・ハマグチは、人を好きになるのは大変疲れるものだといった。わたしはこれについてクビをひねる。わたしはいくらでも人を好きになることができるし、好きにならずにいられない人にも大勢会ってきた。それに対してわたしは『疲れた』などと感じたことはない。アユム・ハマグチは、基本的に受け身の人間なのだろう。彼はいつも誰かに愛したがってもらっていた。そこでわたしはこういってやった。「アユム、いいかげん人を好きになることだ。そうじゃなきゃチャンスは来ないよ」
 アユムは相変わらず独りである。
 スタナーもニッポンでは独りだった。
 スタナーはシビレ男だった。その名のとおりに『シビレ』るのである。スタナーの筋肉の一部は電極と蓄電池になっていた。彼の筋肉は衝撃を与えるまでの電気を発生する発電器で、電極は彼の手のひらにつながっていた。
 スタナーはいかにしてシビレ男になったか?——彼は薬品の臨床実験により生まれた——とされている。

 そういえば——わたしはスタナーの友人で、モーガン・サザーランドという名前を持った男である。友人とはいっても、わたしは彼を会社で初めて見たのだ。彼は一見、わたしより十才は若そうだったが、事実はわたしと同じだった。

 スタナーは毎日規則正しい仕事をしていた。彼の会社は(それはわたしの会社でもあるが)、電子機器——それらは電力や電源といった一次デバイスから、いくつものプロセッサが使われる汎用・個人用コンピュータ、通信機器、小さなハンディフォン——そして衛星の製造だった。その会社の一部であるスタナーは、それら製品の納入先に対する、技術サポートだった。彼の午前中はほぼ電話で占められる。それはカスタマーからの問い合わせだった。午前中の多忙が過ぎ去ると、会社のレストランでシーザーサラダからはじまるパスタのランチを摂る。そして午後は、午前の問い合わせに対する回答調べに追われた。ほぼ定期的な日々だった。八気筒のエンジンがつまれたフォードのバンで朝八時に出勤し、午後の六時までの就業——その後はまた同じフォードで——ときおり馴染みのガソリンスタンドでガスを入れてから——家へと帰る。

 ちなみにわたしの仕事はカスタマーが見るマニュアル作成である。といってもわたしはマニュアルを作成するにあたっての、技術的な内容など何も知らない。わたしはただマニュアルの体裁を整えるだけなのだ。ただわたしたちの会社が製造している機器を考えると、そのマニュアルの種類は大変多くなる。それだから、肝心な中味もさることながら、体裁を整えるだけでもけっこうたいへんな仕事なのだ。
 幸いなことにわたしは芸術が好きだった。

 わたしたちの会社は『WC—COM』という。その創始者はハービー・フラスコだった。そして今、マーレー・フラスコがとって変わっていた。
 WC—COMで毎月行われるものは多々ある。『月予算調整会議』『重役親睦会議』『国官僚懇談会』『国防省との精密武器および機器生産調整会議』『通信技術公開会議』『投資信託に関する今後の展開会議』『株主との懇談会』『企業間連絡会議』『労使確認会議』『地域住民親睦会』その他うんぬん百以上の会議がある。——が、マーレー自身はどの会にも出席することはなかった。マーレーの居場所はただひとつ——『ラボ』だった。
 たいがいの関係者たちはこういったものだ——「うちのボスはちっとも会議に顔を出さないんだ」

♪スタナー泣くなかれ

 スタナーはいった、「なんでボクはシビレ男なんだ?——」彼は泣いた。彼は息子の手を握ることができなかった。
 わたしはスタナーの泣いている姿を見たくはなかった。だがその姿を自分の視界から外すことはできなかった。そのためにわたしは身体を動かして彼から目を背けなければならなかった。

 スタナーの息子ステファンは、どちらかというと母親似だった。ステファンは彼が六カ月のときにプレゼントされた、大好きなテディベアを抱きながらベッドで寝ていた。ステファンの身長はテディベアよりも大きくなっていた。それは栄養と時間がステファンを育んだ結果だった。
 わたしはスタナーの家を見たことはない。だが、スタナーが話すにはこうである——
「ボクの家は白いんだ。外壁がね。ボクが塗ったんだ。結構かかったよ——二カ月くらいかな? 休みの日にしかできなかったからね。塗料はドラム缶がひとつ。ステファンとアリスは塀を塗ってくれた。ステファンなんかは鼻を白くしてた。窓枠は薄い緑色でね。ジーンの家はステファンとボクで作った。ペスにしては大きな家——ぜいたくな家だよ」
 わたしは家の中のことを訊いた。
「テーブルやイス——ちょっとした棚もみんな手作りなんだよ。アリスといろいろ店を回ったんだけど、なかなか気に入るものが見あたらなくてね。アリスの意見をよく聞きながら考えたよ。でもアリスの注文はけっこうたくさんあってね。ボクが頭を抱えていたらこういったよ『釘だけは出ないようにしておいてね——ステファンがけがをするから』
 スタナーは眼が悪かった。彼はメガネをかけていた。コンタクトレンズはアンドロイドみたいでいやだといった。彼は車に乗るときにもメガネを必要とした。たとえば車に乗って交差点で信号待ちをしている——対面に立っているだろう信号の色はおぼろげにわかったか、それが信号の赤であるということは交差点であるという前提でわかったようなものだ。同じように前で停止している車のナンバーが見えなかった。
 スタナーはメガネを六つ持っていた。それは同じフレームで色ちがいだった。

 マーレー・フラスコがスタナーに与えた臨床実験とはなんだったか?——それは視力矯正のために研究された治療薬のためのものである。

【続く】



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