SSブログ

仮題:センス・オブ・グラヴィティ 6 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【6回目】

 わたしの熱意はだれの目に留まることなく、おのずから冷めた。その熱意とは、今、電柱にぶら下がっている『老人の首に吊り下げ式携帯電話』システムの末端をになう、カバンのような受信器だ。彼、受信器は、雨に濡れながらも老若男女問わず身につけられた吊り下げ式携帯電話からの電波を捕捉しつづけている。そしてそれは『湿度感知式オムツ』とも連携していた。彼はオムツ受信器でもあったのだ。彼——『受信器』は、雨に濡れながらも老若男女問わず身につけられた器械からの電波を捕捉しつづけている。そう——老若男女問わず。今や『老人の首に吊り下げ式携帯電話』や『湿度感知式オムツ』は老人たちのヘルスケアの域を超え、ヒトの赤ん坊コントローラとしての使い方も見いだされていた。赤ん坊が泣き出しオシッコを感知すると、電波が放出され、それを捕捉した受信器は、ごていねいに『社会のオムツを独り占めカンパニー』まで転送してくれる。そして云々カンパニーはその集計回数に従い、新しいオムツのパッケージを届けてくれるのだ。
 そのシステムは云々カンパニーに多大な歴をもたらした。届けると同時に回収されたオムツはまた再利用させられる。ヒトの排泄したウンコちゃんを取り除いて清潔に殺菌し、これもまたきれいに除菌された感知・発信器が取り付けられる。今や『社会のオムツを独り占めカンパニー』の工場の規模は過大に縮小され、原価はゼロに等しかった!
 トキエさんとの暮らしの最期を飾ったあの街の電柱で彼を初めて見たとき、わたしは青二才だった頃のわたしを思い出す。

 トキエさんが函館で暮らしていた頃——つまりわたしがその土地にいた頃なのだが——わたしは彼女を仲介として一人の女性と出会った。その女性はニッポン人とは言い切れない風貌を持っていた。彼女はトキエさんの働いている店で働きたいのだといっていた——わたしやトキエさんにないものを抱えながら。それは何だったか?——赤ん坊だった。彼女はわたしたちよりも遙かに年が若く、その赤ん坊は、出来立てのまんじゅうのように湯気を立てていた。トキエさんはいった、
「そんな子を背中にぶら下げて働けるの?」
 わたしは何も口にせず、赤ん坊の顔を見ては愛想笑いや媚びを売って見せた。そうしながらママが来るのをまっていたのだ。わたしを含め、トキエさんでさえも、その赤ん坊は異様なものだった。どちらも『いい年』でありながら、霊長類ヒト科の成長を直接手伝ってきたことがなかったからだ。
 結局面倒見の好いママが、その赤ん坊の面倒を見ることになった。それは当然の結果だった。ママは今までに五人のヒト科を育て上げてきた。

 世の中がウソだらけだったことは、だれの目にもあきらかだった。わたしが時折してきた仕事は、『ニセ』評論家であり『ニセ』アジテータだった。そしてこうもいった——「これからいったい、どこのだれが本のページをめくりたがるとお思いですか?」——それはわたしが持っていた二つ目の本心だった。ニセモノの代表としてモシアズはわたしに、地球の周りを軌道にしたがって周回し続けるアメリカ人の話しを教えてくれた。
 アメリカ人の名はモーガン・サザーランドといった。彼はとっくの間に時間を放棄していた。彼の髪の毛の薄い頭からは血がほとばしっている——それは彼が時間を放棄した原因といえるもの——ある国の宗教を核とした内乱に巻き込まれた結果だった。彼の姿は時間を放棄した一瞬のままで、それ以上進歩を見せなかった。彼の頭からは流れの止まった血がまとわりつき、顔の半分は薄黒い赤に染まっていた。
 そんな彼は、ロシア製の車に乗って太陽の近くを回り続けていた。
 それは彼の報いだ。彼と彼の友人は、巨大な試験管『トランスポータ』によってニッポン人とインドネシア人を火星に運び出されたが造り出した赤ん坊——母親によりディアナと名付けられたその赤ん坊は、ウソの火星人を造り出したあげくの報いだった。この話しはあまりにおもしろくないので、すべては語らない。彼はただ信じていただけなのだ。メシアが必ず現れることを。
 現存している偉大な通信会社、「WC—COM」が発表して間もない巨大な試験管——『トランスポータ』——それは今でも実現不可能なものの代表として科学技術の頂点にあった。その試験管は、あの町の原子力発電所建設のための資材を運び込むために使われたともされている。

 人種の異なる間に誕生した赤ん坊、ディアナは依然と勘違いされ続けていたままだった。人々の常識において彼女は火星人とされていた。火星人——リトル・マーシアンであるディアナは母親に連れられ、祖国からホッカイドウへとその居場所を移していた。
 赤ん坊を連れてきた女性はディアナだった。
 彼女は宿命的ニセモノだった——

 それが私にできることだったとは——何も考えずに、わたしは自分の身体を、そこから突き放してしまうことだ——向けられた先は絶望だった——わたしは数多い状況のうち、『絶望』だけを耐え忍ぶことができたのだ。絶望の世界において真実以外は存在しなかった。
 モシアズはそれがどんな大ボラであろうと、ウソを口にしたり、記録として残してしまうことになんの抵抗も感じなかった。彼はどれだけのウソを私についてきたか?——そうした証拠を探そうとしても、それはどこにも見つからないような、とても巧妙なウソだった。

 火星で生まれたディアナが実存する人物であったと仮定するとしよう——
 彼女は今でもあの函館で働いているのだろうか? あのわたしたちにとってはあまりに尊すぎるが故に奇異であった赤ん坊は見事な成長を遂げているのだろうか? 突然の変化はそれが起こるべき時間を選ぶことなく現れる。赤ん坊はただの人種の違いの間で誕生したヒト科の生物であり、母親がそうであったように、どれだけ高度な知識や設備を持つ研究所が彼女の身体をすみからすみまで調べ尽くそうが、際だった違いを認めることはできまい。彼ら研究員が出す答えはこうだ——
「被験者の肉体やその動きはきわめて人類に近い、またはほぼ同様といえる資質を持っています」
 彼らの見解は火星人としての肉体が人類に近いことを意味し、彼女が人類であることを認めようとはしなかった。
 モシアズはそれを『先入観』または『思い込み』といった。さらにこう付け加えた——
「彼女のママやパパは既にもうこの世にはいないんだ」

 もともとモシアズは贋作家であったので、ウソを口にすることになんらの抵抗も感じない人間だった。わたしはどうだろう?——この気の弱い貧歯科のナマケモノ、もとい身体中を茶色と緑色で包み込んだ植物的人間はウソをつくたびに霊長類ヒト科へと続く道を遠ざけ、さらなる退化を練り返させた。わたしとダーウィン、それぞれの折返し地点が重なるときもそう遠い日のことではあるまい。
 医者もそういっていた気がする。
 それにつけても怖ろしいのは、何の考えもない歌だった。鼻歌やうたた寝の寝言は何も与えてくれず、底冷えした寒さだけが尻を襲うのだ。ああ、これはほんとうのことなのだ——何も考えていない鼻歌はわたしに何も与えてくれず、ただゆっくりとしながらも着実にわたしの時間を食いつぶしていくのだ。
 ある国のうわさ話によれば、神は七日間で世界を造り出したという。とてもインスタントで原始的な世界だったにちがいない。それともそれだけで満足だったのだろうか?——神は『人間』という分類を知らないまま人間を造り上げた——いちばん簡単に時間を放棄しそうな動物を。そして彼はダーウィンのようなサルも造り上げた。それはとてもよく似通っていたが、人間にはダーウィンのような敏捷さはなかった。だが実際には彼に似た霊長類ヒト科はそこら辺にいる。
 こうした話しは、わたしを見たことがある、といった看護婦が口にしたことだ。彼女はわたしをなぐさめるつもりで話してくれたのだ。あまりにわたしが霊長類ヒト科になりたがっていたものだから。
 彼女の話してくれたことが単にわたしを慰めようとしてくれた結果のことだとしても、モシアズの意見は違っていた。彼は、この世界でいちばん最初に生まれたモノは『音』であるという。
 あちらこちらに舞っていた無数のチリは互いに擦れ合い、ぶつかり合う——彼らは互いの衝突により音を発てる。無数の、無限に存在するチリがぶつかり合うために生ずる音は互いの存在を確かめ合うための言葉となった。言葉は互いに話しかけ、呼応をはじめる——言葉は幻想を造り上げ、その世界は驚くべき速さで、世界中に広がっていった——そう、驚くべき速さで——
 結局、そこらじゅうに幻想のつじつまをあわせるための人間が生まれた。
 神はなにも造り出さなかった。
 世界は戯れあう無数の言葉の幻想から造り上げられたものだった。この世界を包んでいるモノは音だった。

 それがわたしの知っていたことだとすれば——あまりにさみしい出来事にちがいない。紛らわしいタイプの音をわたしのふさがりつつあった耳は常に耳にしていた。
 それでもわたしは、何事もなくこの世を暮らしてきたといえよう——それは事実だ。不便だ不便だと口にしながら、何事もなく生きている人は案外多い。そうしたなかで本当に不便さを感じる人間は、だんだんとその姿を消していった。それもごく自然で当たり前のように。それがごくごく現実なのだ。——当たり前の世界標準——すべては規律正しく動いている。そんな世の中だった。
 さりとて——それに甘んじているわたしではない。わたしはある行動をとった。その行動とは、『とりあえず人のなすがままに動き出す』ことだった。
 わたしは医者のいうことを聞く。
 わたしは会社のして欲しいであろうと思うことをする。
 わたしは人々が不快であろうとすることをしない。
 わたしは人がしてほしいであろうことを極力する。
 わたしはまずいコーヒーでも何もない振りをして飲み込む。
 わたしはさも情報を操っている振りをする。
 わたしは霊長類ヒト科がするように音楽を聴く。
 わたしは霊長類ヒト科が毎日食事を摂ることをさも本能であるかのように行う。
 わたしは他人が行って欲しくないであろうことを極力しない。
 そうした結集が、『湿度感知式オムツ』であり、『老人の首に吊り下げ式携帯電話』だった。
 近年のわたしは嫌でもそうした結集を目にする。たとえばそれは、わたしにとって『不快であろうとすること』だった。
 トキエさんは、そうした現実を知らなかった。彼女は、今ではだれでも知っているであろうその企業の名前すら知らなかった——知っていたとしてもあまりに重要ではなさすぎたのだ。わたしが遠慮しながら費やしてきた時間や人のための所業はどうにもこうにもわたしを追いつめ続ける——つまり現状はすべて『自業自得』の産物というわけだ——アーメン。

 トキエさんが海に落ち、呼吸を止め、そして時間を放棄したことをわたしはママから聞いた。その知らせはショックなものではあったが、わたしはそれを表情の変化として表すことができなかった。店の人々は特に『泣く』といったような具体的な表現方法をとらなかったが、悲しいといった雰囲気が店中を包み込んでいた。その中にあってスミレさんが恨み言のようにつぶやく——「どうしてあのヨッパライだけが生き残っているわけ?」
 仮にトキエさんの代わりにヨッパライの客が時間を放棄していたならばどうなっていただろう——わたしは想像した。わたしのニセ小説家的思考は、あらゆる現実を駆逐し、二人が手をとりながら荒波に乗り出す姿を思い描いた。トキエさんとわたしに待っているものはスリルとレガシーな逃避行、結びつく愛と退廃のピカレスクロマン的展開、そして二人で息をひそめながら安宿のベニヤ板一枚でできた薄っぺらい壁に耳を近づけて気配を伺い、コウモリのように暗がりへと逃げ出す。そして逃避が一段落した後に安堵感に酔う。わたしは間違いなくトキエさんと一体になれただろう——わたしの妄想は音だけが存在していた世界を心のなかで、いや、この『脳ミソ』の中で造り上げた。だいじょうぶ。ちょっとやそっとのウソでわたしの脳ミソは発熱しないし、暴走もしない。わたしのウソは冷静さを保つ。そうでなければ、数々の『ニセ評論家』云々といった職業はつとまらない。
 たとえば、食べていないドラ焼きを「もう食べた」とウソをつくくらい朝飯前だ。

 わたしがあの町を出ていったのは、霊長類ヒト科を取り締まる警察が、トキエさんについて聴きたいことがあるという伝言を受け取った三日後のことだった。ずいぶん前にも似たようなことがあった。わたしがいちばん最初に住んでいた古いアパートにドロボーが押し入ったときのことである。わたしには盗られたものがあったのだが、それがドロボーのせいだとは気づかないわたしの元に警察がやってきたらしかった。『らしかった』というのは、その話しを大家から聴いたからである(わたしは人づての話しを信じるほどのんきな人間ではない。薄笑いは上辺だけのことだ)——わたしはその話しを無視した。
 それはなぜだろう?——その頃、警察というのは秘密の固まりだったからだ。わたしはその秘密をさらに強固にさせるような話しをさらさら口にするつもりはないのだ。
 トキエさんの件もそうだ。彼らは、わたしにはトキエさんのことを一言も他のヒト科——それが警察ならなおさらだ——に話すつもりはない。仮にわたしが彼女について話すことがあったにしろ、話せることはひとつだけ——(わたしにボランティアを教えてくれたナエコさんと並んで)トキエさんがどれだけすばらしい女性だったかということだ。だが、彼らが欲しい話しはそんなことではないはずだった。欲しいものは欲情でどろどろになった人間関係や、世間に対する屈折した不満、そして特異で奇怪なキャラクタだ。そういったゲスな感情だけが絡みきった物事を解決できると考えている。彼らはスミレさんの思い——「あのヨッパライをひと思いにヤッチマイナ!」——なんて話しを聞いちゃくれない。
 わたしは逃げるように出ていったわけではない。その証拠といってはなんだが、ちゃんと店のママやスミレさんたちには丁寧に挨拶をしてから出ていったのだから。
 とにかく。
 そうした伝言を受けたのは、わたしがなじみのすてきな市役所から店に戻ってきたときだった。ところで、その頃、市役所の福祉課には『湿度感知式オムツ』登録の窓口ができていた。わたしはその窓口を初めて見つけたとき、しばらくその前に立ってよく考えたものだ——
「わたしのやってきたことはなんて愚かだったんだ?」
 だってそうじゃないか? これで老人たちは、いや、老人だけではない——応用できるすべての生物がこれでしっかりと結びつけられるわけだ。たいがいの裁判や司法において、被害者としての老人は青年よりも将来性という観点から冷遇されることが多々あった。つまり、その価値である。私情をはさめば『かわいそう』に価値とはたいがいにおいて現存しなれば意味を持たないものだった。特に公示されていない過去はまったく無視されていたので、長い時間を生きてきたたいがいの生物の時間はすべて無駄なものだった。確かにそうかもしれない——その生物の有無がどれだけこの惑星の時間、そして重力の存在に影響を与えようか?
 再度、とにかく——このオムツにより、老人や無力な生物は生かされようが、十羽ひとからげで放り出されようが、その短いであろう将来を他人の手に委ねることにこととなったのだ。
 警察から逃げたようにわたしはオムツからも逃げた。皮肉なことにわたしは自分に与えられた時間の一部を、そのオムツが完成する過程に捧げていた——なんとほとんどの時間をボランティアで!
 わたしはほんとうに青二才だった。
 ニセ『下町工業養護評論家』としてのわたしは、優れた職工が消え去る現状を嘆き、訴えてきたが、その反面、そうした『職人』や『プロ』そして『くろうと』と呼ばれる制度やシステムにも似たヒト科たちを避難してきた。それはあまりにその方向にこり固まった生物たちが若者の職を奪い続けてきたからである。その証拠として、わたしのもうひとつの肩書きはこうだ——『職人による職業占有防止友の会大代表』——もちろんそんな会など存在しない。すべてはでっち上げ。
 けれど今ならばいえるだろう。わたしは確かにある種の『プロ』になりたかった。それはオムツ開発者としての『権威』を取得することだった。時間の問題もあるが、たいがいある生物にできることは他の生物でもできるようになる。
 気づくのが遅すぎた——自身の代わりなどどこにでも存在していた。オムツに支配された老人たちはその代表だろう。
 どこの世界に支配されたがる生物がいるというのか? オムツや電波でくくりつけられた生物たちは間違いなく退化していった——おサルさんの支配階級へと。しかし、わたしの友人であるダーウィンはヒデコさんの肉体の一部を咬みちぎったり、ボスのいない世界を堪能しながら日々自由へと進んでいった。
 支配する者はどこにいなかったし、モノさえ存在しなかった!

 わたしがトキエさんと暮らしていたあの町も今はずっと人口が減っていた。色々な過去の報道や記録を閲覧したわたしの目に浮かぶことは、あのすてきな市役所が原子力発電所誘致の話しで舞い上がり、一瞬でも町が復興したかのように見えたときがあっただろう、そして辞任することになる市長や人々は盛んに対話を繰り返し、みなが顔を紅葉させながらすてきな未来を想像している——そんな様子が浮かぶのだ。
 そんなお祭り騒ぎもウソのように消える。そうしたことがあった——そんなことさえも忘れさられる。WC—COMの工場を誘致させたれたホッカイドウの小さな町のようなものだ——モシアズがそう教えてくれた。そこは守衛一人が働く巨大工場だったらしい。しかも資材はすべてトランスポータ——実現不可能な巨大試験管により運ばれていた。
 情報ネットワークは人を減らして行くばかりで、忙しいのはちっぽけなシリコンのかたまりばかりだった。
 今では人の声が聞こえる工場を探す方が難しい。『職人』?——そんなものどこにもいない。そうじゃないか?——シリコンを遺伝子に取り替えた石だって存在しているんだよ。

 ・・・・・・・・・・・・・・

「そろそろそう難しく考えるのは止めたらいいじゃないかな?——きみは名誉ボランティア功労者の称号を頂いたんだ。何が恥ずかしいことがある。きみの見た目はもう立派な、きみのいうところの——『霊長類ヒト科』だ」
「そうよ、○○○さん。立派じゃない『名誉ボランティア功労者』! よっぽど物好きじゃないともらえない賞よ」
 医者や看護婦はそうわたしに訴えかける。
「これもすべては——ボクにボランティアを教えてくれた女性のおかげだよ」
 虫のいい話し、トキエさんと暮らしていときもわたしは彼女——つまりナエコさんのことを考えるときがあった。そしてトキエさんが完全に時間を放棄し、この地上に存在しなくなってからは、ナエコさんのことばかり考えていた。わたしはこのことについてかなり神経質になっていた。その証拠といってはなんなのだが、この病院に入って十五年ぶりの検査では、アミラーゼの高さを指摘された。肉体に悪いとされるものを口にしないわたしにとって、その要因は精神の疲労であると診断された。検査員がいうにはこうだ——「○○○さん、考えすぎっスね」
 アミラーゼが影響を与える臓器として、検査員はすい臓の名前をあげた。彼は絵や図の入った本を見ながらすい臓のある場所を教えてくれた。わたしはとりあえず返事をしたが、検査員はそれに満足しなかったのか、「それじゃ標本でお見せしましょう」といい、看護婦を呼んだ。わたしはその看護婦に連れられ、廊下を隔てた別の部屋に入っていった。彼女がわたしに見せてくれたものは臓器を模した数十種類のパーツで組み立てられている人体模型だった。それはとても生き生きとした色で飾られていて、看護婦がいうには『最新型』であるらしかった。
「ここに金属の繊維がありますが気にしないでください——」わたしが訊きもしないのに看護婦がいった、「——もちろん普通の人にはありません。元々のモデルが少し普通じゃなかったんですよ。なんだか電気を蓄えることができる人だったらしくて。でもそれ以外はみんな普通の人と同じです」彼女はそういいながら、人体モデルのパーツを丁寧に取り外していった——心臓——胃。そして、ひとつの臓器をわたしに見せてくれた。「これがあなたが探していたものですね」彼女はわたしにひとつのパーツを差し出した。それは魚のように柔らかい感触で、重力を全身に受けているような重みだった。そっと持ってください——看護婦はそう付け加える。
 トキエさんやナエコさん、そしてたぶんヒデコさんも——そうしたすてきな女性に対する思いはきつく集約されてこのちっぽけな臓器を痛めつけていた。

 何度も口にしよう——結局は『自業自得』、そして『身から出たサビ』なのだ。
 結局このすい臓がわたしの致命的な欠陥となるのだ。

 待合室に戻り、マガジンラックを覗いてみると、さっきの本があった。検査員がすい臓の位置を教えてくれた本である。いまいましいことに——そのとなりには、あの『子どもを産んで』という本があった。この世の中は当たり前のことが商売になっていた。
 わたしは自分のすい臓のことについてモシアズにメールを送った。その後、彼は一冊の本を病院宛てに送ってくれた。医者が「後で見せてね」といってわたしに手渡してくれたその本は、ほとんどのページが人体臓器の写真で埋めつくされている本だった。しおりがはさまれたページにはすい臓の写真が写っていた。
「友よ——たぶん燃料にしかなり得ないこの本を(貸して返ってきたためしがないから)『捨てるつもり』できみに送ろう」そして、「すい臓が受ける病気の大半は精神的なことが原因だ」
 ・・・・・・・・・・・
 すい臓?——ボク自身自分の中にそんなものがあるなんて考えたことはないよ。自分の身体の中は空っぽで、どこかがおかしくなったってことは、ボクの胎内宇宙のバランスがおかしくなりかけているってことだ——どこかにぽっかりとブラックホールができかけている——ケツの穴とは別にね。
 ・・・・・・・・・・・
 まあ、とにかく——わたしの身体は胎内宇宙の見本として格好の標本モデルとなるだろう。
 ・・・・・・・・・・・
 たとえばとてもロマンチックなこと。それはナエコさんと歩いていてだれもが彼女に注目するってことだ。とりたてて美人じゃないが、働いている彼女にはだれでもシャッポをぬぐはずさ。それだけ輝いているんだ。
 ・・・・・・・・・・・
 ああ、彼女に逢うことができないものだろうか——わたしは彼女に逢いたいだけなのだが——
 ・・・・・・・・・・・
 簡単でしょ?
 ・・・・・・・・・・・

 マフネちゃんを覚えているだろうか? 彼はたぶんマスターの店のレジスタにあったディンギを丸ごと持っていった(当時でいえば)若者だ。マフネちゃんは「レコードを出すんだ」といっていた。たぶん店のディンギはそのためのものだったのだろう。ところで『レコード』とは数え切れない溝が刻まれたビニール製の円盤で今はもうない。考えてみれば、それはとても不確かな記録だった。信じられますか?——刻みこんた溝の振動を音に変換するんです。なんて原始的な仕組みにディンギを費やし楽しんでいたのだろう? 抵抗により発熱するニクロム線、そっちの方がまだ、科学教育的現象だ。そして本——前にもいったようにわたしは電話帳(これもまた今はない)を積み重ねるほどの原稿を書き上げてきたのだが、マフネちゃんのレコード計画がどうなったかわからないが、わたしのそれも本となってこの世に流通されることはないだろう。どちらにしろそうしたものをお披露目するには大量のディンギが必要だった。
 けれどどうだろう? いまじゃそれは空っぽのリソースだ。だれも金属製の活字なんか使わない。文字はキャラクタでキャラクタは数字で、それらはシリコンのなかに刻み込まれていた。文字を並べるために職工は不要だった。必要なものは電気。あのビリビリっとくるやつだ。
 気をつけて欲しい——そいつらの質量はゼロなのだ!——質量ゼロのリソース——だれがそんなものにディンギを払いたがる? それだからすべてはコピー・複製・焼き直し——何度も何度も——プロテクトなんてお構いなしだった。言い換えれば、すべてのリソースは重力に逆らいながら次から次へと増え続け、いくら増え続けても相変わらず空っぽだった!
「リソースなんてものはもともと存在しなかったんです。何せいくら作ってもゼロ。そいつらは人件費なんてお構いなし」
 ——これはわたしが『衰退する出版と破滅する出版業者』という討論会で喋らせていただいた言葉である。そのときのわたしは存在する放送局に雇われている存在しない『メディア広報担当者』だった。云々『家』ではないだけ罪は軽い(わかっています。どっちにしろ『ウソ』は犯罪だ——絞首刑だ!)。
「リソースのほとんどが無になりつつあります。特に将来へと残される記録の実体は無となり、今後記録されてゆくものもすべて無なのです。リソースゼロの世界——想像してみてください——重さが無くなってゆく以上、重心そのものが消え去る運命にあります。私たちを支えてくれるものが消えつつあります。リソースゼロ——それは本来、わたしたちの頭の中にだけ存在する世界でした。今ではそこらへんの抵抗やニクロム線、そして蓄電するコンデンサと変わらないレベルの遺伝子たち——彼らが蓄えるレベルのものだったのです。さらに彼らが蓄えるものはリソースゼロでありますが、それでも常識的だ——彼らはわたしたちの身体を形作ってくれるのですから。でも彼らの神秘さやけなげさは消えました。質量ゼロリソースを蓄える代表的存在、シリコンがコンピュータを形作るようなものだからです。それに何と悲しいことか——けなげで強引な遺伝子はシリコンの代わりに使われようとしている」
 とにかく、職工は不要だった。それだけは確かなことだった。
 どれだけホラを吹こうが変わらない事実としてあげるなら——わたしは相変わらず重力により押さえつけられていたのだ。
 ——地球人の子ではあるが火星で生まれたばかりに火星人となった女の子
 ——カドミウム星の不定形生物が地球人の知識に滅ぼされていく姿
 ——宇宙から落ちてきたが、自分がオペレータであったばかりに星に戻れなくなった異星人
 ——逝ってしまったが逝ききれないクレージーなロックンローラ
 その他すべてはナフカディル・モシアズの贋作だった。そしてモシアズは今、質量ゼロのリソースを産み続けている。彼はアドバイスしてくれた。
「きみが今まで行ってきた無料奉仕——その結果も質量ゼロなのさ——ほら、結果を見せてごらん」
 いわせてもらおうじゃないかモシアズ——
 わたしの質量はトキエさんの優しさとわたしにボランティアという仕事を教えてくれたナエコさんの勇気に見守られている。ヒデコさんが与えてくれた初めての経験も。そして今わたしがすべきこと、それはウィルス性疾患に冒されたヒデコさんの最後を見守ることだった。彼女の身体は出来そこないの息子たちのために十分痛めつけられていた。さらに彼女の指はダーウィンに咬みちぎられていた。結果として、わたしはその咬みちぎられた指を見て、彼女がヒデコさんであることを知ることができたのだ。わたしがヒデコさんに与えた質量ゼロ以上の記録——安い『指輪』によって。
 わたしがしなければならないことは多かった。医者はわたしの病気が神経や精神的疲労が原因になっていると信じていたので、わたしが担っている(であろう)はずのトラウマの要因(そういったものは見あたらないはずだ)を探し出そうとやっきになっていた。そして彼がアドバイスしてくれた——「親を告訴しなさい」と。それはわたしの一言が原因だっただと思う。父親が時間を放棄してしまった原因は母親にある——ある日わたしはそう医者にもらしたことがあった。彼はいった——「それだ!」
 そしてわたしがしなければならないことのひとつは親を告訴することだった。病院付きの弁護士が呼ばれ、その準備を行っている。あれよあれよという間にわたしは被害者となっていた。
「ちょっと待ってください。確かにわたしは母親が父親を働かせすぎたのが原因で父親が逝ってしまったと口走ってしまったようですが、仮にそれが本心であるとしても、そんなことでわたしは自分の親を告訴できるのですか——裁判なんて起こせるものなのですが?」
 弁護士はいった——「当たり前でしょ」
 医者がいった——「それであなたのトラウマの原因がひとつ減るんだ」
 弁護士はいった——「虐待を受けてきた子どもたちも自分の親を訴える、そういうもんなんだ」
 医者がいった——「もう親も子もないんだな」
 弁護士と医者はいった——「あなたのアミラーゼの数値が異常であることは科学的にも何的にも、どうにでも説明できるんだよ」

 わたしはまだ時間を放棄したくはなかった。それはナエコさんと再び会うことを夢見ていたからだ。まさかトキエさんと会えるとは思わない。時間を放棄してしまった人間に会えるとはとても思わないからだ。そう、トキエさんには会えない。指をダーウィンに咬みちぎられたヒデコさんの未来はもう見えている——医者が確約済みだ。
 それではナエコさんはどうだろう? 彼女はまだ福祉という仕事を続けているのだろうか?
 だが・ところが・しかし・けれども・が・けれど・それでも・でも——しかしながら
 わたしは会いたい人に会うことを恐れているわけだ。たとえばこう——「お前みたいなヤクザものは息子じゃないよ」と母親にいわれる『まぶたの母』の主人公——そんな感じだ。たいがいにおいて、わたしが会いたいと考えるほど、相手はそれに対して負の力を持っていた。
 たとえばこうだ。これは実際にあったことなのだが、一度映画に誘った相手に二年ぶりで電話をした。すると相手は「もうかけてこないで」といって電話を切ってしまった。たぶんわたしは彼女にとって疫病神だったにちがいない。きっとわたしが映画などに誘ったおかげで受験に失敗したか、その他諸々の不幸・不運が彼女をおそったのだろう。この話しは絶対に医者にいえまい。彼ならこういうだろう。
「それは絶対あなたのトラウマになっているね。うん、絶対! さあ、その子はどこにいるの? 住所は? わたしも行くから謝りにいこう——それであなたの心は楽になるよ」
 モシアズもまた、電話で会うことを拒否された人間の話しを書いている。非常に庶民的な話しではあるが、その人間は駅前からホームに向かってテディベアのぬいぐるみを蹴り飛ばした男だ。
 まあ、とにかくわたしが会いたい相手がわたしと同じように考えているとは限らないわけだ。
 思い起こしてみよう——わたしが存在してきた時間の中で、トキエさんだけがわたしを歓迎してくれた女性だったのだろう。数え切れないくらいに繁殖している霊長類ヒト科のなかで彼女だけだ。考えてみればわたしは幸運だったのかもしれない。
 ピーンとひらめくことがある。それはこうしたことだ。
 ——彼女はわたしと同類ではなかったか? ほんとうに彼女はヒト科だったのか?——
 あまりにおこがましい——身の程知らずとはこのことだ。けれどもただひとついわせてもらえるならば、他人のディンギをネコババするのはヒト科以外の生物が行うことだろう(あえて自己弁護させてもらえば、ヒト科以外の生物はネコババをするつもりでネコババをするのではない。欲した結果がネコババなだけなのだ)。

 わたしの進化はわたしで止まる。トキエさんを失ってからわたしは進化することを半ばあきらめていた。たいがいにおいて進化は多くのなかにあって突然変異的に発生するものだ。だが独りであってはどうにもなるまい。

 わたしは何通かの手紙(医者がいうには『何通か』と呼べる代物ではなかったらしい。彼の表現を借りれば『めちゃくちゃすごい』量だった。医者は多少アーティスティック気味なところがあった——どんなことでも『めちゃくちゃすごい』とか、『むちゃくちゃすごい』——そればっかり。多少うんざりだ)を書いた。
 その『何通か』あるいは『めちゃくちゃすごい』数の手紙のすべてはわたしの手元に戻ってきた。その理由はひどく簡単で、宛先が書かれていなかったからだ。わたしはそれを知りながらも名前だけの手紙を書き続けた。今は少し休んでいる。

 それにしてもよくそんなことを覚えていたものだ。
 ビリビリと感じませんか?
 わたしの脳ミソは生き続けている。
 わたしはまるで弦を買えない弦楽器奏者だった。ボウはいつも空を切っている。
 ともかく! ともかく! ともかく!
 わたしがとった行動は逃げることだった。

 彼女は現れた。
 彼女はこの『名誉ボランティア功労者』を探しに来たのだという。彼女——ナエコさん(仮名)は、わたしを捜しに来たのだ。
 彼女はわたしのことを覚えていなかった。わたしが彼女のことを思い出すためには若干の時間を要した。彼女のアゴの形は以前と——遠い過去の彼女のそれと変わることはなかった。髪の毛は真っ白になっていたが、色の不自然さはそれが染めたものであることを分からせた。わたしの方は、切りすぎた髪が顔に不釣り合いで、いつも前髪を引っ張るようにおろしていた(——今まで散髪して後悔しなかったことがあっただろうか?)。しかも色はまばらで茶色に変色した髪の毛は枯れはてた植物のよう、そして白髪はまるでプラスチック製の糸だった。長い間身近に置いてきた石油が身体の中に乗り移り、肉体の半分が人工的なものに成り代わってゆく——そうした過程をまざまざと表現してくれたのだ!
 それに引き替えナエコさんはどうだろう? 彼女はまるで生きているかのように見えた。それが彼女とわたしの違いだったのだ。
「こんにちわ〈国家福祉省・最高顧問グループ・対外企業インターフェイス〉から参りました」
 彼女はそういってわたしに名刺を与えてくれた。その上等な名刺は板のような紙でできていて、その表面は活字と点字で埋めつくされていた。その裏には協賛している企業名や団体の名前がところ狭しと印刷されていて、いちばん右下に、親指を鼻の穴に突っ込みながら、じゃんけんのパーのように手を広げている外人の似顔絵が描いてあった。そして『Boo!!』といった吹き出し。わたしは名刺というものをとても長い間持ったり触ったりしたことがないので、しばらくの間、その名刺の表や裏を何度を眺め回したり、その材質や高級感を確かめるように指でなで回したりした。そんなわたしの姿が彼女には奇妙に映ったのかもしれない——彼女は怪訝そうにわたしに訊いた、
「何か気になることでもありますか」
「これって何ですか?」わたしはBooの絵を指さしながらいった。
「それは火星宗教団体設立者のマークです。彼らもわたしたちの団体に協賛してくれています」
「この会社もそうですか?」次にわたしが指差したものは、わたしがかって働いていた会社(今では『ソシアル・ナッピー・ネットワーク・カンパニー』といった長ったらしい名前がつけられていた)だった。
「ええ、そうです。オムツネットワークによる福祉技術にたいへん貢献してくれています」
 わたしは知っていた。わたしが愛したナッピー——もとい、『社会のオムツを独り占めカンパニー』は、国家におけるひとつの『省』を造り上げてしまったのだ。それがナエコさんが在籍している『福祉省』であり、その基盤となった省を彼らが乗っ取ったのだった。——それがわたしがかって働いて会社の目的だった。彼らは企業としてではなく、また国家として会社を存続させようとやっきになっていたのだ。彼らは自分たちの企業力でひとつの省を買収した。そしてナエコさんたちの職場は彼らに乗っ取られたのだ。
 それで彼らは生き延びられるわけだ——
「たいした会社なんですね」
「ええ、たいした会社です」——彼女はそういってため息をついた。
「疲れているんですか? 少し休んではいかがですか?」わたしが訊いた。
「ありがとう。でもだいじょうぶ」
 わたしはまだ名刺をながめていた。
 そこには他にも聞き覚えのある会社の名前が印刷されていた。WC—COMはそのひとつである。「これって『トランスポータ』を作ってる会社ですよね」
「詳しくは存じませんが——でも夢物語でしょ、物質を転送するなんて」
「それじゃこの『Boo』ってのはどうなんですか? 火星何たらってのが協賛というのはどうも奇妙に思えますが」
「別に不思議なことじゃないですよ。彼らのような団体って何でもしてくれるんです。リーダにさえ話しをつければね」
「そんなものですか。何かを唱えれば反対する、そんな人たちはいないですね」
「そうですね。どこでもこうした団体とつながりはあるはずです。何かを草の根的に広めようとするなら、彼らにいうのがいちばんですよ。どんなことでもやってくれます」
「それじゃあ、このテレビ局は?」それはわたしに『ニセ』職業を斡旋してくれたディレクターが在職する会社だった。彼女はしょうがない、といったあきれた顔を見せた。
「団体と似たようなものです。何か放送してくれといえば流してくれますから。宣言を流布するにはこうしたテレビがいちばんなんですよ」
「もうしわけない——これが最後だと思うのですが——これは? この『デバイスコーポレーション社』——」
「その会社はWC—COMと同じですね、オムツネットワークを現実するために欠かせない会社のひとつです。以前は『ニッポン通信機器株式会社』と呼ばれてましたけど」
 ふーん——わたしは胸の内でそうつぶやいた。その会社はわたしがかって働いていた会社と関連会社の関係にあった。デバイスコーポレーション社とは洒落た名前じゃないか? ソシアル・ナッピー・ネットワーク・カンパニーなんて社名と較べるとシャープでいかしてるし、どことなく悪くはない堅苦しさを与えてくれてるじゃないか。確かなことは、『湿度感知式オムツ』や『老人の首に吊り下げ式携帯電話』の基本的なポリシーはわたしのいた会社で考えたものだが、その実現には(今でいう)デバイスコーポレーション社のお世話になったものだ。彼らがいった言葉を覚えている。
「その仕事には手を貸そう。だが、そのあきれた計画の成功には賛同しかねる。君たちに福祉などといった事業のノウハウがあるかね? きみたちが望むものは作ってやろう。しかしその仕事の成功の光が見えてくるまで、わたしたちの名前はパートナーとして公表することは止めてくれ」——そして彼らは、自分たちの既製品から必要最低限以外の部品をすべて取り除き、下町の職工に作らせた手塗りのすてきなケースでくるんだものをわたしたちに提供してくれた。見た目は遠い昔の縁日で売っている宝石箱のようだった。
 一開発者だったわたしは、そのことをずいぶんと後から聞いたものだ。たぶんわたしが会社を退職させていただく直前のころだったろう。企業においてたいがいの意見はもっともなものだ。何しろ物事や考え方には表や裏があるので、どんなことを意見しようが、考えようによっては正しくなるものだ。これにアーティスティックな感情が加われば、話しはよけい収集がつかなくなって、大半の人間がこう口にするだろう——『まあ、いいや次! 次だ!』
 これがモノ事の進展である。

 何が正しいにしろ、今ではどうでもいいことだ! そうじゃないか?

【続く】


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。