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仮題:センス・オブ・グラヴィティ 7 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【7回目】

 さて——と彼女はいった。
「事後審査をはじめましょうか」
「わたしも立ち会ってよろしいですか?」——医者がいった。彼女はその要求にただ黙ってうなづいた。医者の申し訳ないという態度に対して彼女は横柄だった。
「○○○さん、『名誉ボランティア功労者』受賞後、何かあなたに変化はありましたか?」
「何も。何も変化はないよ」わたしがそう応じたが、彼女は黙っていた。腕組みをした態度はあきらかにわたしの対応が不満であることを示しているようだった。わたしは場をつくろうように話しを続けた。「——ん、でも、まあ——変わったところとはいえないかもしれないが、この病院にいる婦人がもしかすると、もうすぐ——」わたしは言葉を詰まらせた。
「その婦人がもうすぐ時間を放棄してしまうのね。それであなたはまた彼女に何かをしてやりたい——そんな風に考えている——これでいい?」
「ん・・・まだそこまでは——」
「だめじゃないの。あなたには『名誉ボランティア功労者』を与えたけれど、それであなたのボランティアが終わりってことはないのよ」
「そりゃそうだ、あなたのいうとおりだろうな」
「でもいったい何をするつもり?」
「だからまだそこまでは——」
「それがおかしいわね。もうすぐこの世の時間から開放される人間に対して何をしてあげようかなんてこともわからないわけですか——『名誉ボランティア功労者』であろうあなたが」

「いっておきますが——わたしはそれを『欲しい!』といってもらったわけじゃない。棚からボタ餅って感じでもない。ヒョウタンから駒ってわけでもない。別になきゃないで困らないものでした」
「わたしたちはあなたに証明を与えてあげたのよ。そんなものでもなきゃ、あなたが今まで無駄食いしてきた時間を証明できるモノはなにもないわけ。調べさせてもらったけど、あなたが書いてきた小説だって陽の目を見ることはないわ」
「小説のことはお世話さまです。わたしはモシアズ——失礼、わたしの友人なのだが、彼のようにウソは得意じゃないので、自分のものになることはないだろう。それとお言葉だがわたしは別に今まで食いつぶしてきた時間の証明が欲しいわけじゃない。それを証明して見せて何になる? それから、わたしにもこの世に残すであろうモノがある」
「何かしら?」
「『湿度感知式オムツ』や『老人の首に吊り下げ式携帯電話』——つまりきみのいうオムツネットワークの基となるもの。そいつらを最初に開発したものはわたしなんだ」
「だれが証明するわけ?」
「わたしがいた会社が証明してくれるさ」
「オムツネットワークについてはわたしも少しくらい振り返らせてもらったけれど、あなたみたいな人はどこにも出てこなかった。会社だって『○○○さんが開発したものです』なんてわざわざ公表しないわよ。古ぼけた言い方ですけど、その頃のあなたは『あなた』じゃなくて『会社』だったんですから」
「別にかまわないさ。あなたがあまりにわたしの無意味さを強調するのでついいってしまっただけのことです。すみません。だれも他人のやってきたことを証明するなんて無理なものだ」
「ともかく、あなたは名前は存じませんけど先の短いご婦人に対して最後の無料奉仕をしなければなりません。いいですね」
「はい。します。しますよ」わたしはそういった。だれがわたしとあの婦人——もといヒデコさんとの関係を知ろうか?
 彼女はうなづいた。そして続ける——
「それでは次です。あなたがボランティアを行うようになったきっかけは何ですか」
 わたしは言葉に詰まった。そして以前からつかえていたことがよみがえる——そもそもわたしはボランティアを『意識』したことがなかったのだ。わたしはこれ以上説明の言葉を繰り返すことができなさそうだったので、彼女に正直に話した。
「いわせてください——正直もうしまして、わたしはボランティアということを意識したことがないのです。わたしは自分がやっていることをボランティアと考えたことがありません。結局わたしのしていることはボランティアかもしれません。しかし、それは自然の成り行きだったのです。仕事をしてディンギをもらう——そもそもわたしにはそれが理解できなかったのです。ですからボランティアをはじめるきっかけといわれてもわたしにはそれを説明することはできません」
 彼女は咳払いをした。そして薄い笑みを浮かべ、わたしを諭すように喋りはじめた。
「それではあなたはどうやって生活してきたのかしら? あなたも働いたことがあるのだから会社からお金——あなたがいうところの『ディンギ』かしら?——をもらっていたんでしょう」
「ええ、もらっていましたよ。わたしは働いていたんだ。会社と契約をしてね。それが会社の義務だったんだから」
「そう、あなたはディンギをもらって生活していた。つまりタダじゃ食べていけないわけですよね」
「たしかに、たしかにそのとおりだね」そしてわたしはこう叫びそうになった——『緊急存亡!』
 今が瀬戸際だった。そして毎日が瀬戸際なのだ。わたしはいつもぎりぎりで、わたしには明日という時間が保証されていなかった。
 彼女はそれを知っているのだろうか? わたしはその場から逃げなければならなかった。だがどうやって逃げる?
 わたしの心をはやらせるように彼女は続けた。
「あなたって周りの状況をわかっていないみたいね」
「そうだろうか?——わたしはきみにボランティアを教えられたんだ」いいかげんわたしはいらいらしていた。いらいらのイライラ虫だ。
「だれがあなたにボランティアを教えたかは知りませんが、ほんとにわかってないわ——いつまで過去にこだわっているつもりなのかしら?」
「わたし『にも』わすれたくない過去があるわけだ」
「正直にいわせてもらえばうっとおしいわね——いつまでコンパチビリティにこだわっているつもり?」
「けれど今って『失敗できる』時じゃないだろ」
「バッカじゃございません? とっくに失敗してるってことが『わからない』わけ?」
「あれからどれだけの人を助けてきたのかな」
「ヒモでくくっておくだけよ」
「やはりわたしはヒデコさんのヒモだったのだろうか」
「電波でビビビって感じかしら?」
「電波はもうごめんだ——電波、ID、符号、識別、波——わたしの知っていることは、わたしひとりではどうしようもできないことばかりだ。たしかにあなたのいうとおり、あの『湿度感知式オムツ』はわたしが開発したわけじゃない——わたし独りじゃどうすることもできなかった——ところが造り上げてしまったことはどういうわけだ?——そんなものは簡単だ——すべては『応用』だったんだ——それだけ。みんなに応用され続ける電波の波が押し寄せる——緊急存亡の時間だということをみんな知っているのか?」
「なんだか知らないけど、いつも『代わり』を捜してるんじゃない?」
「Substitute!」
「だれもスプーンなんて欲しくないのよ」
「けれどあれはほんとうに——その——鉄分を補給するには必要なものなんだ」
「補給するなら、肝臓かマグロの血だまりでも食べたらいいじゃない、とっても効果的!」
「身代わりを捜してきた覚えなんかない! だんじて『ない』!」
「ムキになるところがものすごくあやしいわね。やっぱりコンパチビリティから抜け出さないわけね。代わり代わり『代わり』! 絶対に捜してるわ(息切れ)」
「——そうだとしたらだれの身代わりなんだ?」
 医者が口を出す「それがわかればあなたはオッケーだ!」
「胸に手を当てて考えてみなさいよ」
 とても月並みのアドバイスだった。そしてわたしはすぐに閃いた——とっくにわかっていたことだったのだ。たぶんちっちゃーな子どもが確信を突かれたようなもので、『ちがわい!』といってムキになる——そんな感じだ。たぶん彼ら、ちっちゃな子どもたちはそれが正しいことであるのか判断することができない。なぜなら自身が費やしてきた時間のなかで経験されていないことだからだった。
 まあ、つまり、その——わたしはナエコさんの身代わりを捜していた——のかもしれない。
「どう、思い出した?」
 わたしは応えた——「ええ、わかったような気がします」
「やっぱりだれかの身代わりを捜していたんでしょ」
「そうかもしれませんね」
 医者は悲しそうな顔をした——「ダメだなあ、はっきりさせなきゃ——トラウマは消えないよ」
 わたしは笑いながら応えた、「ちっぽけな話しですよ」そしてナエコさんに質問した。これがかんじんなところだった。「ところでどうしたわけでこちらに来られたのですか」
 彼女は医者の顔を見た。二人の表情は間違いなくわたしの正常性を疑う意味を含んだ視線だった。ナエコさんはやさしく説明してくれた。
「ここに来たのは、『名誉ボランティア功労者』を受賞した方がどういう人なのかこの目で確かめたかったの。選定委員会の事後作業のひとつでもあるんです」
 わたしは応えた。
「非常に平凡な答えで申し訳ないのだが、ごらんのとおりです。さえない容貌に植物みたいな生活、なかなか人間らしくは生きられない。生活感がまったくない。ディンギのことなんかまるっきり考えちゃいない。今までしてきたことはウソばかりで、真実をさらけ出したこともない。決まった女性のことをいつまでも考え続けてる。続けることが大事?——そんなものはウソっぱちで、思想ばかりが先走る。ポリシーがまるっきり存在しない思想はいつも保護観察下におかれかねないほど危なっかしくて、いつ思想警察が来てもおかしかないくらいなのです。
 さて、思想評論家として一言いわせていただくならば——」
 わたしの雄弁は続く
 わたしの雄弁が続いている間に、わたしの部屋に到着した人間がいた。それはあのテレビ局のディレクターと年老いたプランナー、そしてカメラを持った霊長類ヒト科の生物たちだった。
「さあ、みなさん——わたしはこの〈国家福祉省・最高顧問グループ〉からいらっしゃった、うなれば『福祉の外交官』を目の前にしてあらゆる苦言をささげましょう
 今必要なものは、遠い未来を見すえた『共同作業所』なのです
 ——  」

 たぶんこの世において不思議なことは何もない。しかしかってはあった——たしかにあったのが今はない。哲学者は他人を敬い、そして手段として使えと提案してくれた。それを記したモノはもう今はないか、そうかと思えば紙クズ同然だった。
 わたしは重力に対してどうしようもなく無力だった。重力がその力を弱める——それは時間が歪みはじめることと同じだった。ナフカディル・モシアズはわたしにいってくれた。まだまだきみは正常なのだと。そしてこうもいった——『恋は人を狂わせる』と。さらにこうもいった——『思い続けることは身体に悪いよ』と。そしてナエコさん(仮名)はこういう——『いつも代わりを捜していたのね』と。
 ところが振り返ってみると、そういったことはたいしてわたしに圧力を与えてはいなかった。わたしに最も圧力を与えてくれたものは、ウィルスを持った突然変異予備軍のダーウィンだった。彼はわたしの将来がけして明るくないことを教えてくれた。彼の進化はわたしが霊長類ヒト科になるべく努力よりをあざ笑いながらダイナミックに変化していく。

 わたしが得た結果。
 それはこうしたものだ。
 warfare?
 ノーだ

 welfare!
 welfare——そしてナエコさん。
 それで全部。

【終わり】



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