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アギーレ/神の怒り(AGUIRRE: WRATH OF GOD) [DVDやら映画やら]

インカ帝国がスペインに征服された後、先住民は「アマゾン奥地にある黄金郷がある」というエルドラド伝説を生んだ。1560年にエルドラドを目指したピサロ率いるスペイン遠征隊がペルー高地に到着後消息を絶った。その隊に同行したカルバハル宣教師の日記がその記録をちょっとだけ伝えていた。これはその記録を映画化したものなのですね。ということは出だしのモノローグはカルバハルのものか。1560年12月25日降誕祭、アンデス最後の尾根に到着。映像を見る限りすごい急斜面を遠征隊の人々が下りていく。遠征隊の中にはガイドや荷物運び、家畜を引き連れるインディオの人々の姿も見える。インディオと言ってもインド人ではなく、アンデスの先住民たち。ヨーロッパの人が勝手にそう呼んでいるだけ。彼らは奴隷のように扱われている。モノローグは非道にも「インディオは役立たずで、気候の変化や風邪などですぐ死んで埋葬の暇もない」なんて言う。その上、遠征隊の兵隊は「ブタども歩け!」と叱咤する。かってに征服してひどいやつらだ。大人数で先に進むのは無理だと考えたドン・ピサロは少人数の分遣隊を作って食料や危険情報、エルドラドの場所を探させることを考える。それも一週間の間に。分遣隊はドン・ペドロ・デ・ウルスア隊長、その愛人ドニャ・イネス・デ・アティエンサ、ドン・ロペ・デ・アギーレ副隊長と娘のフローレス、カルバハル修道士。記録を残した人ですね。そしてスペイン王家の代表として貴族ドン・フェルナンド・デ・グスマン、そして兵隊たちが選ばれる。ピサロがそのことを書面として書き記すが、サインを残すときにテンプレートみたいなものを使っているのが面白い。何より『ピサロ』の名が画面に登場することに意味がありそう。これが本当の映画のタイトルとも思えてしまう。分遣隊はいかだで川を下るが、一槽が波にのまれ、色々なこともあって分遣隊には不穏な空気。そして隊員思いで分別のありそうなウルスア隊長が・・・そのあとでインディオが奏でる楽器の音色と音楽の調子が軽快で面白い。アギーレの勝手もあって隊はだんだん疲れ果てていく。誰もいない村で食料を得たと思ったら食人村と分かって退散したり、いかだは進まなくて足止めされる。それからはもう不穏だらけ。アギーレの『大砲は錆びてないか?』もあれも合図なんだろうな。それを分かる部下も異常。隊を壊滅においやる大きな原因はアギーレの圧政でしょうが、彼の考える未来がまたおかしい。娘と純血な世界を作ろうなんて、娘としちゃうことを前提にしているとしか思えない。反逆してでも新しい王朝を築きたいというのは人間のロマンかもしれませんけど。強者であるアギーレに従ってしまうカルバハル宣教師、グスマン、隊員たち。奴隷に賃金を払ったから反逆罪とはアホな世界。アギーレの上手いところは、貴族であるグスマンを『とりあえず』エルドラド国王にしたてるところ。そうしておけば隊員たちは従わざる負えない。唯一アギーレに反旗を見せるのはウルスア隊長の愛人アティエンサ。彼女は人々が見ている中、命を落とすのではなくただ姿を消した。彼女を見ている人々の表情が印象的。彼女の行く末は分からない。それでもうひとつ映画がつくれそう。アギーレは足が悪いようで、背中を反り気味に歩いたりする様子が動物っぽいというかサルっぽく見えてしまう。そのせいで隊をけしかけるときの姿がサル山のボスのように見えるのはなんだか皮肉。髪の毛もアギーレと娘だけが金髪。彼の暴君ぶりも血筋によるものかもしれない。分遣隊には黒人が一人いるが、その理由が先住民は黒い肌に恐怖するかららしい。だから先住民がいそうな場所には黒人を裸にして先を歩かせる。なんてひどい。カルバハル宣教師の布教ぶりがアホ。イギリスやポルトガルは単純に貿易をン望み、スペインは布教で植民地化を図る国と言われるが、なるほどなあと思ってしまう。『神の怒り』と言いますが、おそらく神は何もしてません。そんな中でナマケモノだろう赤ちゃんがかわいかった。

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