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ステファン・グラッペリ/ア・ライフ・イン・ザ・ジャズ・センチュリー(Life In The Jazz Century / Stephane Grappelli) [DVDやら映画やら]

ナチスが侵攻してきた第2次大戦を生き抜き、90歳を目前にして亡くなったフランスのジャズバイオリニスト。戦争が始まったとき、彼はジャンゴといっしょにイギリスに来ていたのか。こうして自分の生い立ちを語るものを残せたというのはうれしいことなんでしょうねえ。記憶を残すのもアーティストという仕事の魅力なんでしょう。昔のことを色々と思い出せるのは、脳が若かったということか。指をいっぱい使ったせいかもなあ。写真に囲まれた日本人形。ジャポネスクが流行ったころの名残でしょうか。彼が初めてバイオリンを手にしたのが1920年。なんという年数を弾き続けてきたのでしょう。リュミエール兄弟による新しい娯楽「映画」に伴奏を付ける仕事を始めると、15歳で音楽組合に入り、演奏料を受け取ることになる。うーん若い。その彼がジャズを知るのは、ジュークボックスの選曲を間違えたためらしい。バイオリンを始めた彼を「流し」に誘ったイタリア人といい、ジュークボックスといい、きっかけというのは分かりません。バイオリンとギターのデュオだと、ジョー・ヴェヌーティ&エディ・ラングがいて、彼らが演奏しているフィルムも興味をそそります。このヴェヌーティさんがステファンさんに影響を与えたようです。グレゴール楽団のフィルムでは、楽団の中で座っている犬がおかしい。ロマの暮らしの紹介となると、ジャンゴ・ラインハルトさんの登場です。ジャンゴさんがソファに座ってセルマーを弾く。その時に彼の手の小指と薬指の様子が良くわかります。「ブリック・トップ」という曲名がありましたが、もしかしてクラブの名前のことなんだろうか。イギリス行きの契約書にまつわるジャンゴさんの話しはおかしかった。戦争が終わるまで、グラッペリさんはイギリスで演奏していた。映像ではにこやかに演奏していますが、きっと不安だったんだろうなあ。ロンドン大空襲まで経験している。終戦後に再会したジャンゴさんとの録音が「ラ・マルセイエーズ」。いわゆるフランス国歌。終戦にふさわしい曲です。スイングの時代が終わり、バップの時代。「ステファン・グラッペリがエレクトリック・バイオリンを弾く」という記事も出てますが、なじめなかったんですね。ジャズからバイオリンが遠くなる時代。そうこうしているうちにジャンゴさんが亡くなる。その新聞記事が映されますが、それを見るだけでも貴重そう。ジャンゴさん死後のマイナースウィングを演奏する映像で、黒いシャツに黒いスーツで演奏するグラッペリさんの姿に、少しうるっと来てしまう。ギターを弾いているのはジャンゴさんの身内みたいですが、セルマーではない変わったギターです。ソロのほとんどはクラリネット、サックスとバイオリン。ギターソロが少ししか聴けないのが寂しい。ディズ・ディスリーさんとのライブで「パリの客と同じだったらどうしよう」という話しも面白い。70歳にして更に名声を得て、その後18年も演奏を続けたというのは驚きしかないです。80歳の記念コンサートでもつややかな演奏を聴かせてくれます。さすがに座ってますが。80代になってもセッションしたことの無い相手とワールドツアーを行ってしまう。これだけ長い間演奏ができたのは、彼の音楽やバイオリンの普遍性と人柄によるものか。彼がやっていることは変わらなくても、演奏をする者にとって常に新しい刺激だったかもしれない。「未練もない・未練は友達に残していく」なんて深そうな御言葉です。良く出来たとてもていねいなドキュメンタリーだなあと思いました。晴れ。


CDJournal:の紹介ページ
http://artist.cdjournal.com/d/a-life-in-the-jazz-century/4208081227


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