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魔界転生 (1981年版) [DVDやら映画やら]

2003年版を観たら、オリジナルをどうしても観たくなった。前は深作欣二監督と言われてもあまり気にならなかったが、今となっては構えてしまうというのは悪い大人の先入観。出演されている役者さんの名前だけ見ても、もう満腹。その中でも話題は沢田研二さんだったのでしょうねえ。転生する人物の葛藤が彼ら自身の言葉で語られる。これが濃くて後悔・疑念の塊。転生させるために天草四郎時貞やガラシャたちは一言を求める。例えば「無念」「頼む」「構わぬ」。特に柳生但馬守が転生に至る、「悔い無し」から「生きたい」に変わっていく経緯は素晴らしい。どんな剣豪、知恵者も、戦いたい衝動は消せないのだなあ。やっぱりオカルト的な力は、本人の望みがあって成り立つのか。魔界転生のストーリーで欠かすことのできない設定なのだろう。その中でも真田広之さん演じる伊賀の霧丸は、転生した後も葛藤を続ける。本人の意思が「ただ生きたい」だけだったのか。それとも天草四郎の思いが強かったか。いずれにしろ重要な役どころです。2003年版で霧丸の立場に相当するのは黒谷友香さん演じる「おひろ」だろう。柳生十兵衛の「戦う相手は己の見えるものだけはない」という言葉が重い。王道な台詞ですが、千葉真一さんが口にするとJACのポリシーのようです。JACつながりで志穂美悦子さんもいてほしいところ。天草四郎時貞が不作にするまじないを行うとき、呪文を唱えながら大根や稲にマグネシウムのような粉をかける。なんだか本当のまじないみたい。現実にありそう。そして大人数の村人たちを扇動~江戸へ向かうシーンはとてもダイナミック。そのシーンを含めていちいち舞台やセットがでかい。炎に火事もでかい。さすがは超大作+深作監督。炎といえば城内での大立ち回りも見事。炎をバックに細川ガラシャ、そして但馬守の狂い方が冴えてます。自分の父親や奉公していた者まで魔界に墜ち、独りになってしまう十兵衛が向かう先は、あれを作る大御所俳優のところ。魔界の者と戦うには、それなりの武器が必要なのだなあ。その仕上げにあの棚を斬るとは。罰当たりで滅多にお目にかかれないシーンでは。2003版との違いを挙げればきりが無いが、いちばんの違いは、柳生十兵衛の孤独さではないだろうか。いやあ面白った。曇りですずしい。


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