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tY:近況112(Radiko, K's TRANSMISSION とか) [他]

今年 2018年 の K'S Transmission J-pop School 先輩がバリバリだった頃のライブ音源を聴く


坂崎さんの話しがあるから面白い特集。平歳最後の夏企画、「昭和の巨匠を学ぶ」なんて新しい企画が始まったようで、このライブ音源の特集も少なくなるんだろうか。


2018/6/1
1974年 かぐや姫『かぐや姫LIVE』

かぐや姫LIVE(紙ジャケット仕様)



コメント覚書
アルフィーのデビュー年に発売された。
いわゆる絶頂期。かぐや姫がいちばんバリバリだった頃。売れたアルバムだと思う。持っている人も多いのでは。
「うちのお父さん」から始まる名曲・代表曲が入っている。ベスト盤のようなライブ。
ドラムがポンタさん。ギターが石川鷹彦さん。アレンジが瀬尾さん。
かぐや姫の解散時期に台頭してきた伊勢正三さんが書いた「ペテン師」はこのアルバムでしか聴けない。アレンジが洋楽。これを聴いたとき、かぐや姫の新しい世界だと思った。こうせつさんと正やんの方向性が違いが分かるが、こうせつさんも洋楽は好きだった。
最初はジョンが仕切っていたが後半はポールが仕切り、そしてジョージが台頭してきた。音楽性や方向性の中でグループが解散していくのがひとつの形だったのでは。いつの頃からか何十周年もやるグループが多くなってきた。
「置手紙」も正やんだが「22才の別れ」の別れより好きかも。ディミニッシュコードが2箇所入っていてモダン。
「加茂の流れ」にはかぐや姫っぽい、かぐや姫らしい、こうせつさんっぽい曲。和風・京都・ちょっと切ない。 (スタジオで弾いてみるが、ギターの指板の貝殻が多すぎて弾きづらい)
「あの人の手紙」はライブのラストやアンコールで盛り上がる曲だが、詞は盛り上がる内容ではないし怖い。やっぱりギターのリズムで圧されてしまうのか。
1曲目: ペテン師
2曲目: 置手紙
3曲目: 加茂の流れに
4曲目: あの人の手紙


2018/6/8
1969年 ザ・フォーク・クルセイダース『FAREWELL CONCERT さよならコンサート』

ザ・フォーク・クルセイダース/さよならコンサート(12" Analog 初期プレス赤盤)



コメント覚書
中学2年のボクは "FAREWELL" という言葉をこのアルバムで知った。
1年間だけのプロ活動。約束どおりに解散。今や北山さんしか残っていない。
ジャケット写真を見る限りモニターとかが置いていないので生声だけが頼り。マイクも下から出てくるようなやつ。
フォークルオリジナルは4曲のみで10曲がカバー。ソロコーナーでは端田宣彦さんがシューベルツで「サウンド・オブ・サイレンス」「風」を演奏している。
最後のシングル「青年は荒野をめざす」の作詞は五木寛之さん。たぶん一部のラストのような盛り上がり。オーケストラが走ってる。
加藤和彦さんがなぜ「ユエの流れ」を取り上げたのか知りたい。カバーだけどフォークルっぽい。他にもジャックスの「時計をとめて」、早川さんの「遠い海へ旅に出た私の恋人」、「ぼくのそばにおいでよ」を歌っている。「ぼくのそばにおいでよ」を日本語で歌ったのは加藤さんが最初では。
フォークルなので面白いことをやっている。北山修さんの「オー・パパ」や「もう25分で」とか。フォークルはこういう曲を見つけてくるのが上手い。
このアルバムには誓いの言葉が書いている。違反したら罰則として「三回回ってワン」をする。フォークルは違反したので2002年のライブでは猿之助さんが口上した。
「悲しくてやりきれない」のキーは半音下げ。ギターがマイクに当たっているような音がする。加藤さんは12弦ギター。ボクが12弦ギターを弾くようになったのは加藤さんの影響が大きい。加藤さんが12弦ギターを持ってる写真もカッコよかった。
1曲目: 青年は荒野をめざす
2曲目: ユエの流れ
3曲目: オー・パパ
4曲目: 悲しくてやりきれない


2018/6/15
1971年 ザ・タイガース『ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』

ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム



コメント覚書
GSのピークが68年と言われている。その辺は高見沢先生か富沢先生かタブレット先生にきいてみたい。69年くらいにはブームは終わっている。
69年は学生運動、70年にはフォークの貴公子、吉田拓郎デビュー。まだザ・タイガースはやっていたの?と思われるかもしれないが、ライブ自体は70年8月のもの。ピーさんが脱退を宣言したり、ソロアルバムや別活動をしていた。
この頃のアイドルは今とは違う。大人は聴かなかった。当時の GS はティーンエイジャーのもので大人のものでなかった。ただ、このアルバムを聴いたらその認識を新たにしなきゃならないかも。本物のロックを志向し始めた過渡期。
音の悪さに熱狂を感じるかも。ビートルズに匹敵するくらいの歓声。
洋楽のカバーを多く演奏しているが、ファンの人たちはこれをどういう気持ちで聴いていたのだろう。元歌を知って熱狂しているのかな。
「スマイル・フォー・ミー」はビージーズが書いた曲。タイガースは同じポリドールなのでビージーズとは仲が良かった。ビージーズを歌うシローさんの声も透き通っていてきれい。
みなさんもうすぐ古希。この頃はいくらシャウトしても大丈夫。若さが爆発しているが大人っぽい。もともとやりたいものがありながら「花の首飾り」とかをやっていたのだろうなあということがうかがい知れる。当時はどのバンドもそうだったんだろう。そうしたことがこういうライブに出るのだろう。
ほとんど完コピな「ハート・ブレイカー」は当時の高校生がよくやっていたグランドファンクの曲。自分も高校のときバンドでグランドファンクのベースを弾いた覚えがある。たまにファンがギャーと言う時は沢田さんがアクションをしていたんだろうなあ。
1曲目: サティスファクション
2曲目: ザ・ビージーズ・メドレー
3曲目: スマイル・フォー・ミー
4曲目: ハート・ブレイカー


2018/6/22
1975年 キャロル『燃えつきる~ラスト・ライヴ』

燃えつきる~ラスト・ライヴ



コメント覚書
伝説というのはこういうことを言う。燃えつきたんです。キャロルが燃えつきたのとステージが燃えつきた。こんなライブは無い。CAROL の電飾に火が点いたのはみんな演出だと思ってたかも。アンコールではお客さんがステージに上がってきて、その中で演奏しつづけたキャロル。野音は詰め込んで3000人くらいのところ7000人がやってきた?
PA はギンガム。また加藤和彦さんが影響してくる。PA システムを衝動買いして会社を立ち上げた。当時アコースティックギターはマイクで録っていたがハウリングが起きる。だから小さな音にするとロックバンドに負ける。せっかくの D-45 の音を聴かせたいので PA を買ってきた。
元々は矢沢さんが楽器屋さんにメンバー募集の張り紙「ビートルズとロックンロールが好きなやつ求む」を出したことから始まった。やってきたのがリーゼントのジョニー大倉さん。ロン毛だった矢沢さんはリーゼントを見て笑ったらしい。リーゼントに革ジャンのスタイルはジョニーさんが元かも。そのスタイルはハンブルグ時代でデビュー前のビートルズ。リンゴが入る前。CAROL という名前も良かった。
キャロルを見たのはリブ・ヤング。すごかった。でも自分たちの参考になるという感じでは見ていなかった。
フォークとロックが別れていた頃。前座がリッキーさんのバッド・ボーイズだけど、面白いのは途中で紹介するゲストがボーカルさん、まだガロの大野真澄さん、なぎら健壱さん、武田鉄矢さん。フォークの人いるじゃん。あとデイブ平尾さん、内田裕也さん。みなさん野音の楽屋で話しをしていたのかな? これは矢沢さんの人脈なんだろう。ボーカルさんやリッキーさんと仲が良いのは知っていたが、なぎらさんと鉄矢さんは誰と仲が良かったんだろう。ジョニーさんとは思えない。もしかしたら二人ともリーゼントだったかも。そんなわけない。
キャロルはロックンロールだけど切なくて良い曲が多い。切ないジョニーさんと乾いた矢沢さんのハーモニーがメイン。英語のカバー曲も多いが基本的には二人の曲。
内海さんのリードギターが印象的。独特な音と無駄が無い。ジョニーさんと矢沢さんの双頭バンドだが内海さんが好き。コピーしやすい・分かりやすいというのもあるんだろう。でもボーカル力はキャロルならでは。
火が点いたのにはギンガムのスタッフとかが「参った」と言っていた。
メール紹介:「愛の叫び」の後、矢沢さんが「何やってんだおんどりゃー」とか言っていたり、「ジョニー・B・グッド」ではユウ岡崎さんのバスドラが途切れたりとナゾが多い。真相が聞きたい。
火が点いたのは最後の「ラスト・チャンス」終了直後に爆竹を放ったらしく、その残り火が発泡スチロールに燃え移ったのが最初みたい。
1曲目: ファンキー・モンキー・ベイビー
2曲目: 涙のテディー・ボーイ、やりきれない気持
3曲目: ヘイ・タクシー
4曲目: ルイジアンナ
(ラスト・チャンスの後半の爆竹音とかハプニングの様子を聴く)


2018/6/29
1969年 『京都フォーク・キャンプ』

1969京都フォーク・キャンプ



コメント覚書
ビートルズが「アビー・ロード」の頃。日本ではフォークルが解散していたがフォークブームはけっこう熱くなっていく。GSブームがかげりを見せていたころ。
コンサートの後の打ち上げ会場でもコンサートがあった。打ち上げコンサートの方が最初にレコードになった。URC会員用。それがほんとうのコンサートだと思っていたが、調べてみたら打ち上げだった。その場所は京都円山公園野外音楽堂。2003年にCD化。本当のコンサートのCDが出たら琵琶湖サンケイバレイだった。参加者700人。打ち上げの方は1500人。打ち上げの方が人が多かった。今日は琵琶湖の本当のコンサートの方を聴きます。フォーク・キャンプとしては第4回目。
岡林さんがMCをしている。この頃の自分は中学2年か3年。その自分が岡林さんの最新アルバムに参加しているなんてえらい事件だ。
この一週間ほど前に中津川フォーク・ジャンボリーが開かれた。1969年にはウッドストックもあった。大きな野外コンサートというと、ウッドストックより前に1959年からニューポート・フォーク・フェスティバルが開かれている。その前、1954年にニューポート・ジャズ・フェスティバルがあった。ニューポート・フォーク・フェスティバルにはボブ・ディランさんも参加しているが、65年には エレキギターの Stratocaster とバンドで登場したら大ブーイングを浴びた。そのときの Stratocaster がオークションに出た。ディランさんがエレキを持って登場したとき、それがロックの夜明けと呼ばれているのでは。日本のフォーク・キャンプはそれから5年目。まだまだ日本ではエレキを使う人がいなかった。
ニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランさんが先輩のピート・シーガーさんとやったのがプレイボーイ・プレイガール。この曲は日本人もよくカバーして、戦争や政治への批判やメッセージを歌っていた。アマチュアだからレコード会社のしがらみもなかったかもしれない。
今もフェスはあるけれど、前は歌を通じて共有する集会的な意味があったと思う。討論会が始まったりもした。出演者は音楽を楽しみたい。お客さんには音楽を楽しむ他、何かを見つけたいとかちがう目的があったのかも。
岡林さんが22歳、高田渡さんが20歳、友部正人さんにいたってはまだ10代。でも歌っていることはませている。
1曲目: 友よ(岡林信康)
2曲目: プレイボーイ・プレイガール(フォーク・キャンパーズ)
3曲目: 第五氷河期(三つの赤いシャックスとえんどう豆の木、早川義夫、遠藤賢司、中川イサト)
4曲目: 三億円強奪事件の唄(高田渡)


tY:近況112(Radiko, K's TRANSMISSION とか)
tY:近況108(Radiko, K's TRANSMISSION とか)
tY:近況107(Radiko, K's TRANSMISSION とか)



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