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わたしを離さないで(NEVER LET ME GO) [DVDやら映画やら]

生まれ持った運命を変えることでできるのか? その希望の物語。近未来ではなくて現代の話し。最初のテロップ「1952年~」云々は SF 的設定だが、臓器移植が確立したという設定は実際にありそう。配役が良い。現在と子役の雰囲気がよく似ていて、特にルース役のキーラ・ナイトレイさんと子役の女の子がよく似ていて自然。キャシーというかキャリー・マリガンさんがかわいい。残酷な表現が無いなか、唯一恐ろしさを感じさせるのが、ルースとキャシーが言葉を交わした後の唐突なカット。キャシー役の方も演技もうまい。そんなキャシーをよそにもくもくと手を動かす人たちも怖い。衝撃的。私小説的で青春でソフトなシーンが続くなか、忘れかけていた物語の柱を思い出せるシーン。「オリジナルを探す」といったセリフからがキャシーたちはクローンなのか?と考えてしまうが、子供を産む「母」という知識が薄いだけなのかもしれない。現実的な設定を考えるなら彼女たちは女性から産まれた。しかし寄宿学校の校長やマダムが言う「魂」云々には人であることを疑っているのではとも思える。はたから見ていれば「さっさと逃亡したら良いのでは?」と考えてしまうが、彼らには人として生きるためのものが何もないのだろう。市役所に行っても普通に生活するための書類が存在しないとか。市民ではないし国民でもないどころか出生した事実さえ無いとか。ID があるとすればそれはプログラムのものだけ。公になってはならないプログラムであれば、その ID すらないかもしれない。車を運転しているけれど、それはプログラムによって付与されるものだろう。移植であれば病院だが、それもごく限られた病院かもしれない。ルーシー先生の件で、このプログラムが公に知られていること、望まれているものではないことが薄々分かる。彼女も最初から知っていたのではなく、着任してから知ったのか。彼らが育った寄宿学校の教育も興味深い。彼らはひとつの曇りもなく成長することだけを目的とされるのだろうから、疑問を持たれるようなことは教えないだろう。重要なのは健康な身体を作る運動、同意書のために自分の名前を書けることくらいか。あとは映画の中であったような外界での対応方法。その他といったら美術で人間らしさを保つだけ。どれも想像で映画だけでは分からないところが多い。しかし分かったところで圧倒的などうにもならなさの前では意味がない。悪い状況の時ほど噂は流れるものかもしれない。そんな噂ほど残酷。SF とかミステリではくくり切れない物語だった。タイトルにもなっている曲の存在感が、デビッド・リンチさんの「ブルー・ベルベット」と重なるような。寒い。


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