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チャイルド44 森に消えた子供たち(Child 44) [DVDやら映画やら]

第二次大戦前、戦中、そして1953年のモスクワ。人々をきびしく尋問したり、ブロッキーを探しに普通の農夫家族の家に押し入ったりする警察みたいな奴ら。後から分かったが MGB というらしい。戦争が終わってもスパイのあぶり出しは日常茶飯事。容赦なく容疑者たちを撃ち、今度は子供に手をかけようとするワシーリーを鉄拳で叱咤するのは主人公レオ。権力がらみの人々の横暴が目立つ中で、ちょっとはまともな人もいますよというオープニング。しかしこのワシーリーがけっこう引っ張るとは思わんかった。線路で遊ぶ子供を誘う人。この子が受けた所業についてレオがなんとかしろと命令される。偉い人が言うには「殺人は資本主義の病」なので、絶対にあってはならないことらしい。だから子供の様子があきらかに事故ではないと分かっていても、「楽園では殺人はありえない」ので事故にしたい。この「殺人はありえない」というが足かせになってます。その上今度はあの人にスパイ容疑が・・・困っちゃうレオ。子供たち云々と言う話しより、ドストエフスキーかレ・ミゼラブル的なレオの境遇がすさまじい。もちろんライーサも。「真相を求めては粛清される」、そして「おれたちはもう死んでる」なんて夫婦の会話とは思えません。なんだかんだと真相を求めるわけで、その中でタイトルの「44」の意味も分かってくる。ライーサはどこかで見たなあと思ったら、「プロメテウス」のノオミ・ラパスさんだった。しかもこの映画の製作は同作を監督していてリドリー・スコットだし、何か関係があるんかなあ。トム・ハーディーさんの髪型が強烈な映画。前からより、横や斜め後ろから見るべき髪型。髪の毛がぬれているとマイケル・パレに見えたりする。舞台はソビエトだが皆さん英語。でもなんだかモゴモゴして、訛りっぽくしゃべっているようにも聴こえる。大きな声でおおっぴらにしゃべれない時代、世間ともいえる。オープニングで飢きんの話しをしたのは意味があったんだなあ。面白かった。


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