SSブログ

私が、生きる肌(La piel que habito/THE SKIN I LIVE IN) [DVDやら映画やら]

身体中ストッキングだらけの女性が出てきたら、そりゃ興味をひかれます。女性の名前はベラ、そしてインターホン越しで話すのはマリリア。次はアントニオ・バンデラス。学会の発表のようで、なんだか学者か医者みたいです。現在の様子を映し、その後で昔何があったのかというシーンがはさまれる。バンデラスさんはロベルという医者で、ベラは何か特別な患者なのかなあと思ったのですが、実はとんでもないことをしていたんですねえ。彼にとんでもないことをさせるのは、妻のことを思うあまりなんでしょうが、その土台をあの人にさせるというのは、娘の復讐もあるんでしょう。よく「お金はいいからあの人を返してよ」という台詞がありますが、それをそのまま実践する感じ。その他に人口皮膚研究の実験台とも考えられます。賛成されない遺伝子研究に業を煮やしているよう。彼が人口皮膚を研究する理由はとても悲しくて、そりゃこうなってもおかしくないわなあと、少しですけど思います。ロベルは最初から妻として愛するつもりだったのか、後からそうなってしまったのか。彼の口ぶりからすると完成後のことは考えていなかったように思える。もしかすると、自分の娘と同じ目にあわせようと考えていたかもしれない。案外そうかも・・・たぶんそうだ。でもそれだったら妻の顔にしなくてもなあ。やっぱり違うか。結末を見る限り、彼はベラに溺れてしまった。彼の過ち。そうなってはいけないと忠告していたマリリンも、ロベルに負けじと複雑な過去を抱えています。それに比べてベラの過去ときたら・・・もしかして心の関係で医者にかかっていたかもしれないが、少し仕方ないわと思ったりする。ロベルに記憶を消す力があれば計画は完璧だったんですけどねえ。これはホラー映画か医学映画か。考えてみると、動物の血によって完成した最高の耐久性能を持つ皮膚をまとったスーパーウーマンが出来た話し。タイトル「私が生きている肌」の「私」は、ベラが人工の肌の中で生きているということだと思う。彼女と自然の世界は一枚の皮で隔てられていて、もう自分で世界を感じることができない。人を感じることができない。そんな意味でしょうか。たしか実験中は熱さえ感じなかったはず。彼女はずーっと違和感の中で生きることになる。もしかしてそれがロベルの目的でしたか?肌の移植ということで、映画「顔の無い眼」を思い出しました。面白かった。晴れ。

GEOの紹介ページ
http://rental.geo-online.co.jp/detail-247091.html


共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。