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ザ・テロリスト(RAMPAGE) [DVDやら映画やら]

邦題とタイトルがちょっと違う。原題だと「暴れまわる」とかいう感じ。これだけやればテロリストでもしょうがない。日本語のインパクトの違いでしょうか。市原隼人さんに誰かと誰かを足して崩したらこうなった風の、小柄でどっちかというとイケてない主人公が、欲求不満にまかせて人をやっつけまくって他人に罪をなすりつける映画。小柄だが鍛えた身体を完全武装して撃ちまくる。彼の動機はたぶん屈辱だろう。それはコーヒーショップのマキアートだったり、店員の対応だったり、注文したサラダがろくでもなかったり、車を何台直しても評価されない仕事だったり、何もかもに「屈辱されている」と信じ込んでいる。冒頭シーンで、ラジオかテレビのニュースが続けざまに読み上げられる。そのどれもが経済不安や環境不安、戦争不安、学校の乱射事件について知らせるもの。これは冒頭だけではなく、映画の中にしばしば挟み込まれる。このニュースだけを聞いていれば世の中嫌になるか、芥川龍之介先生ではないが「ぼんやりした不安」を覚えるのかもしれない。などと共感してはいけない。そのニュースの中で、彼が起こしたであろう事件のニュースも、しれっと挟み込まれる。この辺が良いです。責任転嫁の上手い主人公。その主人公の普段の生活を追いながら、ときおり彼の妄想。願望のような悲惨な光景が入ってくる。そんな彼の生活は、ある行動のための伏線・準備になっている。友達だってうまく使う。そう思うと、刻々と爆発までの時を刻む「時限爆弾」ムービーといえる。主人公は正直言ってバカだが、彼にとっては周囲の人間がバカ。彼は屈辱に耐えながらも、友人・両親他すべてをコントロールしているという優越感に浸っている。それは女性たちの前でマスクを脱いだことにも通じる。彼はマスクを脱いだことを「間違いだ」というが、そんな気持ちはさらさた無いはずだ。最初から全部やってしまうつもりだったのだろう。この映画は言葉・台詞、後半は音がだらだらと溢れているけれど、あんまり無駄が無い。主人公たちの「名前」が呼ばれることが少ないことも面白い。気がつくと「エバン」、それから「ビル」くらいしか覚えていない。名前を呼び合う必要の無い話し。それは、大勢の人々が登場しながら、主人公だけの特別な世界の話しで、唯一「エバン」に名前があるのは、自分の分身となるべく少しだけ大事な存在だからか。事が終わった後、いけしゃあしゃあと、親にエバンがどうのと話す姿は、罪を犯した少年が平気でウソをつく姿に重なる。一般的にはゲームっぽい映画とか言われるんでしょう。エンドロールのマイケル・パレの名前に驚いた。疲れました。


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