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仮題: welfare, warfare とか 8 [仮題: welfare, warfare とか]

【8回目】

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 イサオは端末を使うために机の上に散らばる原稿用紙を束ね他へどかせた。束になった原稿用紙はほとんどが白紙で、最初の数枚だけがずいぶんと古いインクで染まっていた彼の創作活動は進まない。過ぎていく毎日は戻ってこないし、残酷にもあの世にいった人間は帰ってこなかった。そういう点はすべての動物に共通で平等だった。例えばあの世から帰ってきたイヌやサルを見たことがありますか?
 イサオの端末、いや通信メディアは旧式で、まだ非常時接続のものが使われていた。情報は勝手にやってこない。だから自分で確認しなければならないのだが、イサオにはその方が性にあっていた。
 イサオがしるかぎり、彼のまわりにはネットを通じて連絡をしてこようなんて人間は誰もいなかった。そうでなくてもたいがいの人間はそうしたやりとりに食傷気味だった。人間の大半はテクノロジーのついて行けなくなる。その理由の大半はテクノロジーが個人的な資産左右されるためだ。たいがいの通話サービス供給会社は加入者の費用滞納によって大きな損失を被っていたし、通信の活発を景気のあてにしようとした政治は、サービス供給側の考えと大きくことなるものだった。結局、政治が指摘した通信の拡大は景気どころか、多くの通信サービス企業をつぶし、投資していた企業のほとんどが、何の効果を得られないまま巨額の損失を計上してしまった。残された通信設備はイサオ・セキグチ国家の元で稼働している。必要のない限り設備は拡張されず、テクノロジーは一部主要エリアをのぞいてすべてが古いまま。今、ネットで送られる情報の類は、ダイレクトメール代わりのくだらない勧誘か、宣伝費を常に削減される残された企業の広告、防諜部にいるようなリンク中毒者たちが繰り広げる醜聞や性に関する情報に、常になんらかの反応が現れるまで送り続けられる自己顕示者からの独り言で占められていた。ゼンジは思い出した――そしてモシアズだ。
 ネットにつなげてみると、いくつかの広告が届いていた。ひとつは健康補助食品――ちょっと前まではサプリメントと呼ばれていた代物による報酬プランの紹介だった。補助食品を他人に紹介し、それが達成されるたびにボーナスが与えられるというもので、飽きもせずに繰り返されてきた歴史ある矛盾システムだ。月収二百万円も夢ではないとうたってはいるが、実際は差し引きゼロなら良い方で、ほとんどが高価な商品を購入するための金額で借金の泥沼にはまっていく。ゼンジにとってこうした情報の発見は単に仕事が増えただけのことにすぎない。最初は稚拙なやり方にいくらかの哀れみの感情を抱いていたが、今ではクソったれとかアホとか、そういったののしる言葉さえ思いつかなかった。ただ心の中で思うのだ――「おバカさん」と――やさしいママが愛しい息子にやさしい罵声をつぶやくように。明日の朝にはリンク中毒者が発信者を捜し出し、午後には連行部がお出迎え。しかるべきところに放り込まれて、その先は時間が過ぎるにまかせるしかない。次の情報は『末期ガンも完治、神が作りだした水メキシコはトラートの水!』――却下だ、とゼンジはひとりごちる。次の情報はサークルの会員登録とその申請費用を払い込めば、抽選でペットや旅行をプレゼントするというものだった。これもチェックすべきだなとゼンジはそうつぶやく。目的は個人情報を集めることか?――いや、今さら個人情報はどこにいても手に入る。じっさい、色々な企業が右から左に情報取引を重ねてきた。そうなるとディンギしか目的はない。だいたい『抽選』で確実にプレゼントを送られるかあやしいモノだ。すでに昔話しになってしまったが、テレビのクイズプログラムで一億円のディンギを手にする権利を手に入れた人間が、帰り道に交通事故にあい時間を放棄してしまったことがある――それはプロデューサによって仕組まれた事故だった。また、宝くじで三億円を当てた人間の九割はサクラで受け取ったディンギはそのまま銀行に返されていたことも歴史上の事実として残されている。プレゼント――特にディンギはプログラムや場を盛り上げるためには必要不可欠な存在だった。大半の人間はそれを獲得する権利に飢え、夢見ていたが、それはほんとうに夢の話しだったのだ。
 ネットの中はウソとねじけた自由で溢れていた。ほとんどの情報はあらゆる欲で埋めつくされ、その芯にはディンギがぎっしりと埋まっている。ディンギなど要らない、欲しいモノは他にあるのだ――そんな独り言は簡単にネットからはね返されるか、融合しようとしても拒否反応により煙さえ起こしかねない――ゼンジがそこに入り込む余地はない。
 裏情報売ります――これも明日リンク中毒たちにチェックさせよう。それじゃ、次だ――次の情報に進んだとき、ゼンジは声をあげた。
「あ――」
 ゼンジが見た情報――その送信者は『ナフカディル・モシアズ』だった。

 あいつ何をオレに送りつけてきた――ゼンジはひとりごちた。彼はその情報内容を見る。個人的に送られてきたものではない。たぶんこれはあの患者、アユムや他のリーダーたちへ送られるものだ。ゼンジもその中の一人に数えられたわけだ。クソ面白くない――ゼンジがつぶやいた。なぜオレがお前の読者にならなきゃならない。他人の借金督促状を毎日送りつけられるようなものだ――オレはこんなもの要らない!――彼は声に出さずも、こころの中で激しい怒りがこみ上げてきた。
〈すべての勇敢な読者たちへこれを送る〉
 それが情報の前置きだった。
〈火星のひとりっこ〉
 それがタイトル――題名だった。

〈ある晴れた日のことだった。もうずいぶんと前のことまだ二〇〇〇年にはなっていなかった。人類が世紀末といって騒ぎ出した一九九〇年代も半ばのころだ。
 ミスター・イグチは独身の男だった。彼の年令はもう三十四になろうというのに――〉
 モシアズの小説は続く。
 彼、ミスター・イグチには友人がいた。彼の名はスタンレー、純粋なアングロサクソン二号型アメリカ人だ。二号の特徴は目の上でカサのように張り出す眉の部分にある。表沙汰されていなかった事実だが、そのころのアメリカは数種のアングロサクソン型の元となる種を研究し、保有していた。実際にテスト・ランを兼ねて使われはじめたのはさかのぼること約三〇年前、一九六〇年代のことだ。限りなく初期型のアングロサクソン種に近い。現在の種においても、その基となる部分にはスタンレーの影響を見ることができる。ただ、当時としては画期的であった、日差し対策用の出っ張った眉も、一九九〇年から振り返れば稚拙なデザインであったことは否めない。その年代における最新型の種はアングロサクソン+5.02号だった。細かい仕様の向上により、もっとも新しい型の種では、それまで特にもろいといわれていた、間接部、特にくるぶしの部分が改良されていて、すぐに水腫をつくってしまう神経反応が、向上(悪くいえば水腫を作らないように鈍化)していた。それまで種においては、強めにくるぶしをどこかにぶつける――例えば、バスのステップにぶつかったとき、しばらくしてから血腫とともに水だまりができてしまった。もちろん最新型以前の種でも、そうした神経を後から手を加えることによって改良することはできた。だが、それは短期間しか効果を及ぼせないもので、すぐにもとの神経が復活した。根本的な原因を執刀により入れ替えれば、元通りにはなる。だが、その後処理――リハビリには一年とはいわないまでもかなりの日数を費やし、それら手術を受ける者たちの生活状況によらなければならなかった。独身の設定であるスタンレーは、長期間のリハビリを受けることができた。彼には所在の明確さが特に重要とされなかったためである。すでに妻帯してしまた者や、子供がいる設定の種は、長期間の不在が許されない状況にあったため、いくつかの改良手術を受けることができなかった。秘密裏にされてきた種は、その改良を大病院なら受けることでできるわけではなかった。彼らはその執刀を受けるためにニッポンに行かなければならなかったためである。
 スタンレーはいくつもの改良手術を受け、その型種としての性能は最新型のそれに近付いていた。だが彼の眉のカサはあいかわらず張りだしていて、一見遠い昔の旧型の容姿だった。それだから観察者や執刀者は必ず、肩の部分に埋め込まれた履歴チップをチェックしなければならない。もしそのチップがなければ、すべての型種の変更履歴のひとつひとつをその型種の身体の内部を比較チェックする必要があった。これは多くの時間を費やす作業で、この効率性を加味したあげく、後保障を放棄された型種もおおぜいいる。そのほとんどは型種側に非があるわけではない。執刀者の怠慢である。仮に履歴チップを埋めたとしても、そのチップが必要とする電圧と型種が発生させる胎内電圧に大きな差があった場合にはチップが焼けこげるか、または種型に何らかの深刻な異常が見られた。特に初期の型種はチップに高い電圧を必要としていたので、それに合わせた型種内部構成が設計されたのだが、テクノロジーの変化とともに変わっていくチップに型種側が対応できない場合が多く、多くの焼けついたチップを目の前にして、彼らは幅の広い許容電圧を持つチップの使用を進めてきた。最新型の型種はどれだけ精神が不安定になろうと自分のチップを破壊することはない。スタンレーのチップ動作は正常だった。初期型はよけいなデータがないぶん、大きすぎる許容を加味して設計されていた。
 いったい誰がなんのために彼らのような『型種』を産み出したのか。まず『誰』であるか――それは当時、父親ハービーの前ではまだまだひよっ子の青二才だったジョセフ・フラスコだった。彼は総合電器プロダクトメーカーとしてスタートした企業WC―COMの経営者になっていた。ハービーの後をついだのである。父親ハービーは息子ジョセフのために『アストロノーツの宇宙冒険』という絵本を出版し、そのラジオ番組を作り、そしてウルトラ・ロングラン・TVプログラム『アストロノーツの宇宙旅行』を自費でプロデュースしてやった。ジョセフはいい年をこいた大人になってもこのTVを欠かさず見ていた。そのエンド・ロールの最後にはこうプリントされている。
〈この惑星上最も知性あふれ、慈愛に富み、優雅である我が最愛の息子、ジョセフに捧ぐ〉
 と。
 たいがいの視聴者は二通りの反応を持っていた。親バカか、ほんとうにバカかのどちらかだと。だが、そのTVはロング・ランを続け、ジョセフがあの世にいったとともにその幕を閉じた。
 ハービーは宇宙に旅立つことのできる人間を作るために型種の創造に着手した。これが『なぜ行ったか』に対する回答だ――〉

 なんだこの話しは?――ゼンジは腹を立たせながらもモシアズの情報に書かれていた文字を追っていた。

〈アングロサクソン二号型種、スタンレーはミスター・イグチとともに火星へと向かう。どうやって?――簡単だ。ジョセフの後を継いだマーレーはテレポートマシンを完成させていた。それも秘密裏にだ。彼らはそれをどこで完成させたか?――ニッポンだ。ニッポンはごちゃごちゃとした国だが、誰もまわりに関心ごとを示さなかった。彼らには工場誘致による就職率アップだけしか考えていなかった。だから、その工場がドライヤーでもポテトチップでも、ヘアーピース――何を製造しようが関係なかったのだ。子供を作るのだといえば、彼らは必死になって後尾を繰り返す。彼らは自分の国の言葉さえろくにしらなかったので、コミュニケーションにも困らない。「えー」とか「だって」と口にして後は笑うだけだだ。彼らはテレポートマシンの部品を作っていることなどわかってはいなかった。まったくもって愉快な国民だ。秘密裏どころかなんらの疑問を持ち合わせなかったから。
「火星は死の星だ。そこには何もない」とスタンレーはミスター・イグチにいった。
「いったい何をしに火星に行くんだ?」とミスター・イグチが訊いた。
「我々のメシアを捜しに行くんだ。神の再臨だよ。彼はまたわたしたちのもとに現れる――そして救ってくれる」
「チェ、スタンレー、頭悪いんじゃないか? 火星なんて行けるわけがないって」
 スタンレーは笑い顔を見せる。そしていった、
「だいじょうぶ。ちゃんと行けるんだ」
 スタンレーはかわいいテレポートマシンをミスター・イグチに見せた。なんだいこのガラスビンは?――彼はスタンレーに訊いた。
「まだわからないのか? これで火星に行くんだ。さあ、入った入った――順番だからな。まずはきみからだ。きみはこの操作をしらないからな」
 スタンレーはミスター・イグチの首根っこをつかみ大きなガラスビンの中に放り込んだ。彼はガラスに頭をぶつけ一瞬くらっとしたが、それが回復しないまま見えるものすべてがプリズムのような光に塗りつぶされていった――スタンレーの姿もかき消えた。
 ミスター・イグチが気がつくと、そこは火星だった。そしてスタンレーではない誰か――容姿を見る限り、それは女性そのものだった――がいた。彼女もスタンレーに連れてこられたという。彼女はなにかピンポン玉のようなものをくわえていた。口を丸くしたまま動かない様子にいっしゅん吹き出しそうになったが、よく考えてみればイグチ自身もそれを口にしていた。
「それは呼吸器だ」その声はスタンレーだった。「それを絶えず身につけていなくてはだめだ。スペアはいっぱいある。あのテントの中に。彼が指でさしたテントは、つぎはぎだらけのボロボロテントだ。「見た目はあんな感じだが、演出には必要なものだ。きれい好きな神や宇宙人よりも、多少すりきれた様子が強調されるのも人の目や同情を引くには悪くない演出だ。ああ見えてもテントのシールドは完全で、あの中は酸素で満ちている。休むときはあそこで休みなさい」
 そしてスタンレーはいった、
「また様子を見てくるからな」
 そのままスタンレーは消えてしまった。
 その瞬間からスタンレーともう一人の女性、その女性は東南アジア系の女性でユビタワという名前だった――の生活が始まった。〉
 最後のパラグラフはこうだった。
〈今度に続き!〉

 こりゃ誰の話だ? 誰ってオレの話しじゃないか?――ゼンジは当惑した。なんというんだ?――ぷ、ぷ、そうだプロット?――はまるでオレの話しだ。しかもほとんど脚色がない。スタンレー、たぶんこいつはモーガンだ――この型種ってのはよくわからないが――これはオレの、そしてナディアの話しじゃないか?

「スタン、ちょっとリンク部屋に行って来るよ」ゼンジがいった。
 また防諜部の一日がはじまるわけだ。ゼンジは朝のうちにきのう、自分の端末に入っていた情報のチェックを済ませ、午後は患者のところに行く計画を立てていた。モシアズからの強制情報の一件――あの患者ならなにかしっているにちがいない――そう考えたからだ。
 リンク部屋、つまり情報をチェックするリンク中毒者のたまり場。そろそろ人替えの頃合いかもしれない――ゼンジの経験では三日に一人の割合で、中毒者交換が必要だった。ところが十日の間、誰もまだ異常を来していない。けっこうまともなやつを入れてしまったかもしれない。ゼンジはそれが良いこととは思わなかった。リズムを狂わせちゃかなわい。これからは一定周期の交換とするか――久々に提案書でも書きたい気分だった。何もかも入れ替えてすっきりしたい。この部屋もそうだ。一昔前に流行った銀行や証券のコールセンターみたいにきれいな娘をいっぱい座らせて――部屋いっぱいに漂う女の匂いを想像した。無理に決まっているが夢想するのは人の勝手だろ――なあ、イサオ・セキグチ。
 近場のオペレータに問いかけた。
「こいつを調べてくれないか?」ゼンジはそういって、きのうの情報内容をメモした紙を渡した。そのメモを受け取る男の指はドーナツの砂糖でぐちゃぐちゃだった。あらそうですか、お前さんもりっぱなリンク中毒者なのね――心中ゼンジは彼らにあきらめきっていた。常にあきらめきっているのだが、彼らの姿を見るとまたあきらめきってしまうのだ。ゼンジは心中、その奥底で彼らが(自分が考えるなりに)まとま人間に変身していたら、という願望があった。だが彼らが変わったためしはない。変わるのは入れ物、外観が変わるだけで、そのなかみはさっぱりだった。防諜部で働くということがとたんにみじめに感じられる。他の部署はもっとまともだろう。交通部では幹線道路や交通施設一般の管理を行っているが、その方がよっぽどましだ。そっちの昔ながらに荒ぶる人夫たちとつきあっている方がよほど張りがでるにちがいない。それにナエコさんがいる福祉省、あそこもなかなか人のためになる仕事ができるはずだ。オレたちの連絡先である連行部にしても、今でもよく再放送をしている一昔前の刑事ドラマのようなかっこよさがあるのではないだろうか?――転属依頼を提出しようと考えてみても考えるだけムダなことだ――オレのように臨時雇いのサブコンじゃそんな権利などありゃしない。仮にやめたところでまた新しいやつが代わりにオレの席に座るだけだ。それに現実的なことを考えてみれば、今、職を失うことはオレを確実に堕落させるだろう。することのない生活は自分を怠惰にし、食事を摂ることすら忘れさせてしまうのではないか――そしてオレはよく新聞をにぎわせていた飢えすぎたために時間を放棄してしまった老人のようにこの世とおさらばするのだ。あばよという相手もなく、口にしたとしてもただの独り言――いや、その間際には色々な人間と出会うことができるかもしれない。あの世へ導いてくれる優しい人たちに。それを信じれば未来も恐くはない――だがいままで未来から帰ってきたやつはいない。つまりあの世からただいまと手を振りながら帰ってきた人間はいないのだ。ゼンジはオペレータにいった、
「なあ、早いところ頼むな。オレには時間がないんだよ。すぐに三十分以内に頼むよ」彼はオペレータの目を見た――「オレはあんたの能力を信じてるんだ。見たところあんたはこのなかオペレータでいちばん優秀だ。なんといったっけ――そうだ、ハッカー、世界最高のハッカーだ」
 オペレータは不快な顔した。あたりまえのことを並べ立てられた耳がタコという表情――だが、メモ用紙を一瞥した彼の指が激しくキーを叩きだした。モニタを見てそこに映しだされる反応を確認しながら、またキーを叩く。ゼンジは思った――どうやら彼のプライドを刺激することに成功したようだ。たいがいの反逆者は賞賛をきらうが、その内心はまんざらでもない。どうだ見てみろよ、オレのキーさばきを――オペレータは身体全体でゼンジにそう語りかけている。こうなるとゼンジは側を離れるわけにはいかない。彼が目を離せば彼の動きはまたドーナツを食べる動作に戻ってしまうだろう。しかたがない、これも計画のうちなのだ。彼らの扱いにくさは今に始まったことじゃない。禁断のリンゴを口にしてから人間は目を離せない存在となってしまった。そしてそれはオレも同じことなんだ。ゼンジは爪を噛みながら結果を待った。
「ボース、一人見つかったぜ」オペレータは操作台から吐き出された連行部への依頼書を兼ねた連行者詳細レポートをちぎり、ゼンジを見ずに差し出した。健康補助食品情報に関する報告だった。そして矢継ぎ早に、うそっぱちのトラート水、抽選プレゼントの結果が出た。そして次だ――
 次の情報の探査は難航しているようだった。オペレータの顔を見ればわかる。彼は時折へこたれそうな顔を見せながら、何度も何度も同じ操作を繰り返しているようだった。額には汗がにじんでいた。ゼンジが今か今かと待っているうちに三十分が経過していた。オペレータはキーを叩きながら低いうめき声をあげる。背もたれによしかかっていた上半身が前後に揺れ出す。ゼンジは声をかけあぐねていた。操作台も壊れちまうぞ、その前にこいつけいれんして倒れちまうんじゃないか? ゼンジは考えたあげく、オペレータの肩に手をやり、「どうだ?」と遠慮気味に訊いた。そのとたん、オペレータは両腕を思いっきりあげて操作台の上に振り下ろした。
「ダメだ! ダメ! ダメだよ!――ぜんぜん見つからない。とどりつけない! まったくレスポンスが返ってこない! 手応えがない!」オペレータは悲鳴に近い声でいう。そしてゼンジを見て懇願するようにいう、「ボース、これはウソだろう? こんな情報はなかったんだろう? どうだ、オレをからかっているんだろう――ありもしない情報を見せてオレに何をさせようっていうんだ!」オペレータは泣き声をあげて操作台の上につっぷした。
 ぶっこわれちまった――ゼンジはひとりごちた。こいつはほっとけばいずれ治る。泣きやんだあとには、あいつオレにかまをかけやがったなどと吹聴するだろう。それがこいつらオペレータのプライドなのだ。まあ、暴力沙汰を起こさなかっただけましとしよう。
 戦争でも起きている方がまだましだった。狂ったままでもおかまいなし。こんなやつでも普通に見えるはずだ。
 ゼンジがオペレータに調べさせた情報はモシアズからのものだった。ゼンジは気味が悪くなった。そしてふと現れた不安。それはモシアズがこのことをしってしまったのではないかということ。あいつはこちらのオペレータが接続しようとしている様子を冷静に眺めていたかもしれない。ゼンジにはモシアズがどのくらいの人間たちに自分の情報を流しているのか把握していない。その数は天文学的な量かもしれない――あいつは誰からも連絡を欲しがってはいない。そう考えれば、彼が自分への接続を完全にふさいでいてもおかしくはない。
 ゼンジは自分の表情が険しくなっていることを自覚した。不安になった。モシアズがうすきみ悪く思えた。自分が不穏な状態にあることを感じずにいられなかった。いつも行っている他人の情報傍受が、逆にこちら側がのぞき見られているような感覚に――じっさいそうなのだろうが――おそわれた。自分の短いあごヒゲをさする。そして彼はどうしたわけか――バニーピンクを思い出してしまった。バニーピンクのパーソナリティ――人格が今の自分に必要だった。
 ゼンジの脳ミソのなかで聞こえないはずのバニーピンクの声が再生される――
〈何を悩んでいるのかしら?〉
 彼の脳に記憶されたバニーピンクの声が組み立てられる――
〈不安になるとエッチしたくならない?〉
 再生は続けられる――
〈ねえ、どうかしら?〉
 映像が現れる――バニーピンクの顔はナエコさんの顔に変わっていた。
「バカかオレは」ゼンジはそうひとりごちた。しかしそれが自分の願望であることは否めなかった。願望は変わる。今、彼が想像する唯一の逃げ場はバニーピンクであるナエコさんだった。
「モシアズのクソったれ!」
 ゼンジが怒りを含ませた調子でいった。だがその言葉に反応するオペレータは誰もいない。モシアズを捜しきれなかったオペレータはただ泣いていたし、まわりのオペレータは端末に向かったままだ。別になぐさめてくれるとは思っちゃいなかった。だが、少し――さみしいじゃないか?――もともとは正常なヒト科のホ乳類だったはずだろ。ちょっとは関心をもってくれてもよさそうなものだろ!
 ゼンジは他のオペレータにモシアズの居所――正確には情報の発信元であるので、そこにモシアズがいるとは限らないのが――を探させようと考えた。オペレータたちに目をやる。彼らはゼンジが下心ありありで見やっていることにてんで気がつく様子はない。ゼンジはあきらめた。オレはダッチワイフと暮らしているのか。それが正直な疑問だった。口をぽっかり開けて、男のいいようにひっくり返ったり逆さまになったりしてくれるがしょせん空気マグロ。脳ミソのかけらもありゃしない。ゼンジは頭をかいた。またバニーピンクが現れそうだった。なんだかガキの頃に胸を高鳴らせながら見たエロ本観賞後のような気分だ。どきどきしているし不安でもある。自分がとんでもないものを見てしまった気になる――世界といわず自分の生きている日常がひっくり返る衝撃だ。イブが食べたものはリンゴといわず、木の枝にぶら下がっていたアダムのポコチンだったんじゃないか?――そしてアダムはその生涯をイブの奴隷として生きた。楽園から人間の世界に堕ちてきた人間は一人の女と、ポコチンを食いちぎられたオカマちゃんだった。産まれた子供は煩悩の固まりだ。そして人間の世界が産まれた。贖罪のかけらもありゃしない。
 ゼンジは握りしめられてぐしゃぐしゃになった連行者詳細レポートを連行連絡担当員にだまって渡す。担当員は怪訝そうな顔をした。ゼンジはその顔を見ながら平静を装う。担当員の丸い目を縁取るまつげには目クソがたまっている。彼は心の中でいった――いいから連絡してくれればいいんだよ。それからいいかげん風呂に入ってくれ、お願いだ。担当員はゼンジが差し出したレポートを不潔なものに触れるようにつまんだ。そしていった、
「わかりました」
 ゼンジにはわかっていた。担当員は連行部から来た人間だったので、彼にとって自分は何ものでもない、よその人間だ。そんな人間から指図されることがたまらなくいやなのだ。だが――こいつは自分の本当のボスのいうことだって耳を貸さないだろう。この男、実は女かもしれない男はそんな精神構造を持った人間だ。取り残される人間たちのほとんどが犯されてしまったメガ感性に反して、この男は独自本能に乗っ取られている。少数の常識を信じ、自分に存在した過去を常に顧みるメガ感性に進歩はなくたまらない悲哀が感じられる。彼らは大きな時間の中で取り残されるだけだ。独自本能はのさばり続ける。ある時代にピークに達した、他人の時間をたやすく放棄させてしまう人間が持った独自本能。『彼ら』と呼ぶことも苦々しい人間たちは自分が生きていることを確かめるために人の生命を断ち切り続けた。『彼ら』は人間たちのなかで発生した産まれた自己免疫だ。そうした犯罪に手を出さなくても、人間たちのなかに自己免疫は発生し続けた。ガンはウィルスに変化した。たいがいの人間は他の人間を異質なものとし、彼らを絶えず排除しようと試みる。ある自己免疫はその時間を放棄させたが、たいがいの自己免疫は軽視、黙殺、そして侮べつをそれの代わりとした。彼らにコミュニケーションはない。ゼンジは以前は軽べつしていたツールを造り出すコミューン連中の方がよほどましだと考えるようになっていた。ゼンジは、彼らコミューン連中がツールを創造していくさま――彼らの脳ミソのなかで行われている思考の変化を想像する。しかしその想像は黒一色で塗りつぶされる――つまりゼンジには考えることができなかった。想像は単色で塗りつぶされ、その色の中でゼンジはただ手を伸ばし、自分の居場所を探すしかなかった。しかし、ゼンジの首をひねらせるツールはその中から現れる。コミューン連中の脳ミソは未知だ。きっかけさえ、その脳ミソをほどかせる糸口さえ見つかれば、自分も彼らに近づけるのかもしれない――ゼンジはそう考える。彼らコミューン連中はツールを不作法にあやつる人間たちに較べればよほど大人しくしている。彼らはまるで人間を試しているようにも見える。悪意のない創造心は原爆を作りだした科学者たちに似ているのかもしれない。今頃彼らは苦悩しているはずだ。作りだしたツールが、積極的に使われ、それが世の中を混沌とさせた。
 借金取りが人質で使われている使用人をげんこつで殴る――ふとそんなイメージが頭に浮かんだ。たいがいの人間が不幸の匂いを嗅ぎたがる。あなたの両親は離婚したの? へえ、男と逃げた――えっ、坊やのママは借金取りに逃げられて夜逃げ、それはひどいわ――不幸の匂いを嗅ぐ行動は、目玉が飛び出るほど高価な衣装を羨望の眼差しで見ることとそっくりだった。
 どうするゼンジ? お前はどっちだ――すべてを見放し、頭を空っぽにしてRationedタバコを吸い続けるか、それともくだらないウソの中で必死にあがくか。異端と認めても放ってはくれない独自本能の中で、じわりじわりと受動型進行性ウィルスにむしばまれていくか。マリアは生きている。たぶん彼女には迷いがなかった。すべてを投げ出している?――それはちがう。彼女はすべてをしっている。すべてを把握しているからこそ、自分のいるべきところを見つけた。彼女はまちがいなく生きている。みずみずしく、独自本能の自己免疫をうち消す新たな抗体を造り出しながら生きている。
 マリアがすべきことは『なぐさめボックス』を手に入れること。彼女はすべての無意味に見えるものの中から少なくともそんな目的を自らの意志として実行しようとしている。オレはどうだろうか? すべては無味乾燥で心に訴えるものなど何もない――そう信じている。いや、信じきっている――それしかないという八方ふさがりの四面楚歌状態。オレの周りを囲んでいるのはかろうじて息をしているメガ感性連中か、利己でこりかたまった自己免疫を増殖させ続ける独自本能のクソったれだ。だがその状況はオレだけではない。オレの古くさい感性はそのことに目を向けさせることに強く働く。神経過敏? 神経症一歩手前? ボランティア患者を看る医者は、患者が強い脅迫観念にとりつかれているといっていた。オレがメガ感性や独自本能に対して持つ感情も、医者の手にかかればその一言ですまされてしまうかもしれない――たぶんそうだろう。執念、執拗な思い込み、情緒不安定、トラウマ、強すぎる記銘力――そしてやたらとホラ話しをしたがるコルサコフ症――あのボランティア野郎と同じで、要はボケだ。医者はいう――ありゃ、肝臓の機能がすっかり麻痺してますね。で、様々な視点から見て、結局あなたは偏執狂だ。それではちょっとしたテストをしてみましょう。ここに紙がいっぱいあります。真っ白い紙です。そして鉛筆――で、やってほしいということは、この紙に鉛筆でちーさな○や△それに□をいーっぱい描いて欲しいんですよ。こまかーく、たくさん描いてあるほどいいんです――
 あげくはメガ感性の中の一人になるというわけだ。おかしな病名が付けられるだろうな。今まで病名のない病気はない。なければ作られる――結局名前だ。それがこの世の中のレコードをセーブする唯一の手段だ。それがいかなる行動、あるいは習性であっても。
 ゼンジが見ていたところ、連行部連絡係は通常の手順を踏んで一連の作業を行ったようだった。たぶんこいつは何かトリックを使ったんだろう――ゼンジはそう決めてかかっていた。それが静かな独自本能を満足させる唯一の手段だ。だが、こいつも結局ツールを利用しているに過ぎなかった。ある人間にとっては強力なエクスタシー、そしてオルガスムスを与えるコミューン連中が書き上げたツールを利用して。だがオレにとっちゃその価値さえわからない仮想、ほんとうに『現実ではない』世界だ。コミューン連中以外の誰があのシリコンの中に宇宙規模の世界があることを想像できる? オレの世界じゃドアを開けるために0とか1に対応するボルテージを必要としない。あえていうならオレの腕の中に存在する筋の形状をした収縮機能を持つ器官がドアを開けさせる。もちろん指令を出すのは三十七年間も付き合ってきたこの脳ミソだ。おおよそ三十四万時間使い続けてきたこの脳ミソは一度のアップデートもしていない。いつも目的に向かう軌道の修正ばかりに時間をとられているので、達成に要する時間は多すぎてたまらない――無駄な時間ばかりだ。ゼンジはあごヒゲをつまむ赤と茶色で染まったヒゲは髪の毛よりも太かった。ゼンジはひとりごちた――
「なぐさめボックスってのはいったい何ディンギで買えるんだ?」

《《ここまで第8回》》