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仮題: welfare, warfare とか 2 [仮題: welfare, warfare とか]

【2回目】

(上塗り前にテープ貼りなおし→塗装に出す)

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 ゼンジはウソの収集をする。それが今の防諜部の役割である。防諜部はイサオ・セキグチの造り出した首相官邸内組織の一部である。ゼンジは正式な組織員ではない。数年前にハローワークで頂いたこの『首相官邸内防諜部長』という役職には、未だに『緊急臨時代理代理』という文字がくっついていた。ゼンジの他の組織員はゼンジ自身が雇用してきたこれもまた、孫請け以降の人間ばかりだ。実際に情報を防諜しているコーラ漬けのオペレータは社会に対して何一つの貢献していないカスばかりで、結局この部がつぶれて企業経営的被害を被るところは何もなかった。
 結局、この部そして役職は、おおっぴらには公開できない性質であることをゼンジは薄々感じつつあって、今では自分の行っている仕事が国に対する反逆以外の何ものでもないことをはっきりと自覚していた。その根拠として、防諜部が連行部に対して容疑者連行を通報するやりとりは一切録音されていなかった。連行部が実行動に当たるさいの通報も『他者からの密告』として処理されている。都合が悪くなればいつでも破棄される運命にあるのだ――ゼンジはそう思いながら役職についていた。暇つぶしのために図書館からダウンロードした本、それは少しばかり古いニッポンについて書かれていたが、その本のなかで彼は自分に似ている職業を見つけたことがある。それは『タコ部屋の管理人』、『おとり捜査官』、『クスリの売人』などなど。どの本を読んでも、そのなかでは彼らに焦点が当てられ、つまり彼こそがそのストーリーのなかのヒーローであったので、ゼンジはお下劣な仮想人間たちに自分を当てはめ、自分自身を慰めていた。そうした本には「ピカレスク・ロマン」という名が冠されていたが、この世界でいちばん悲しいものは悪者なのだ――ゼンジには幾分自身を非難し、かつ情を求める傾向があるようだった。それもつい最近のころだった。人間は弱くなる――ゼンジはそれを疎ましく思う。オレは弱い人間だったろうか? 以前ならば多量のカゼ薬やアスピリンを飲んでごまかしていたにちがいない。頭を軽くするために――けれども今じゃもうそんなことはやらない。まるで子供だ。その代わりに酒を飲む。いまじゃや値が上がりすぎて値打ちが想像できない、つまりそのものが存在しないに等しいバーボンと呼ばれる本モノのウィスキーの一種を飲み薬のような小さなカップで飲むくらいだ。飲み干した後、そのまま眠る――それで少しは気が収まる。無事にその日が終わってくれるという寸法だ。ゼンジにとってそれがいちばん無難な暮らしだったが、問題はそのバーボンだ。実際に本モノを飲めるなんて機会にはありつけない。たいがいにおいて彼はニッポンで作られているものを飲んだ。それは名品と呼ばれる製品の味と効能について分析し、色素を与えた粉末製品を飲料としていた。それを水に溶いてもいいし、はやる人間はそのままベロでなめたりもする――だが、たいがいの場合、それを繰り返すと人に見せられるようなベロではなくなってしまう。もちろんゼンジは水で溶いて飲んだ。けれどもベロをおかしくする人間の気持ちも分からないではない。バーボン粉末を溶くために使う特別に精製された嗜好用の水にもけっこうな金が必要だからだ。一般水では味が変わる。
「たしかにこの防諜部はやっかいものだ――」ゼンジはそうひとりごちた。そういうのも、一昨年に起きた『出血する乳首教団』の集会で起きた爆発騒ぎに関連する者がこの部にいた。頭の切れる中国人、ウーだ。彼は集会で爆弾を爆発させた人間に敵対心を持ちながらも心酔していた。たぶんそれが技術者の性質なのだろう。彼らは地道にモノ事を運びながら、常に自身が突出する機会をうかがっている。その爆弾を造り出した本人はウーと同じ企業からはみ出した人間だった。それもウーになんらかの心証を与えたにちがいなかった。ウーが防諜部でしていた仕事は、その頃多発していたメール爆弾の発見と解析だったが、端末を爆発させるそれを造り出したのもウーが敵対し、心酔するその人間だった。その男(じつはおかまだったが)も今ではいない。自ら造り出した爆弾で時間を放棄してしまったのだ。そしてウーもいなくなった。一週間音沙汰がなかったために、タイムレコーダはその不在を検知し、自動的に対外契約リストから破棄されてしまったのだ。彼がゼンジと同じ部にいたという証拠は消滅された。
 何らかの犯罪に防諜部の人間が関係していたことは証明されることはなかったが、仮にはっきりとした証拠が挙がったとしても、存在しないはずの防諜部はほんとうの姿に戻るだけだった――つまり何もなかった状態にである。そのときゼンジ自身はどうなるか? ピカレスク・ロマン的思考で想像するならば、彼は国家の手先に追われ、すべては彼の敵となり、むなしい逃亡を繰り返したあげく小さな肉塊か、科学的技術の発達度合いによっていは細胞レベルまで分界されてこの世の中から消去されてしまうはずだ。しかし、しょせんは緊急代理なのだ――たぶんゼンジ自身に責任管理能力は問われず、その辺の道ばたに放り出されるまでだろう。しかしこうも考えられる――もし、なんらかの事情でゼンジがその役職名から『緊急代理』という肩書きを外されたときそれこそ自身による自身の抹消を命ぜられるときじゃないか?
 いつ抹消されてもおかしくはないだろう防諜部――ゼンジが配属されたときから変わらない環境が周囲に存在している――変わらない壁紙、クッションがすり切れたイス。イサオ・セキグチはディンギの使い方をまちがえちゃいない。それはたしかだった。イスが新しくなれば、その分居眠りが増えるだけだろう――このイスは人を働かせる。
 防諜部がウソの収集に力を入れるようになった理由をゼンジは知らない。だいたい周りは防諜部がどんな仕事をしているかも知らない。だからゼンジは自分が行っている仕事をしなければならない理由を知っておく必要がない――ということだ。とにかくゼンジにわかっていることは、1・すべての通信を傍受し、2・そのなかからウソ情報を調べ上げること、3・ウソ情報なら連行部へ急ぎ送ること、という三点だった。ウーの後任であるスタンはいう――「ウソを調べ上げるなんて、とても無駄なことだと思う」――たぶんスタンは、言論の自由であるとか、メディアを監視するなということを差しているのだと考えるが、その点においてゼンジは同感できなかった。ゼンジはたいがいにおけるウソ広告が金儲けの手段であることを気にしていた。
〈安全確実な億万長者への方法教えます! (電話質問は米国1―212―504―8329へ日本時間10AM~12PM)〉
 ゼンジが費やしてきた時間の中でそんな現実はない。
〈サイドビジネスのお供にメールアドレスはいかがですか? メールアドレス十七万件 ¥3000〉
 こいつは間違いなく違法だった。民間から選出された首相であるイサオ・セキグチは、電話やネットいった通信媒体にスポンサー広告を掲載、または放送させることを義務づけした。それによってすべての携帯電話には広告が挿入されていた。例えば親しい友人に電話をするとしよう。番号ボタンを押すか相手を選ぶか、とにかくそれなりの手段で相手先を指示する。受話口から聞こえてくるものは、例えばこうである。
〈ハロー・エブリボディ! 割り切った一時を過ごしたい人妻たちが集うクラブ。それが人妻クラブです! バーチャルな世界で出会い、バーチャルに会話を楽しみ――究極のバーチャル・ラブホは人妻に大人気! もちろん現実の世界へ引き込むことも! よかったらそのまま1343を押してね。それでそくラブホにエンター〉
「はーい、誰?」
 これでようやく通話になる。スポンサーは国を超えてこの惑星上にあるすべての企業が対象となっているので、あらゆる言語による広告が行われているが、その成果は定かではない。だが、それによって大半の通信事業費が確保されていた。これはイサオ・セキグチからの政治広報にも使われていた。仮にゼンジが官邸支給の電話端末でコールしたならば、〈首相当てにお便りをください。いますぐ送るなら1343をどうぞ〉そして〈IDクラスDの方の保険証の更新は二十八日までです。それ以降は再更新となり、年に応じたディンギの支払いが必要になります。つまり――もう二度と保険金の支払いは認められません!〉というメッセージが流されるだろう。市役所、図書館、公会堂――多くのパブリック・エリアに置いてある端末を使っても同じことだ。まず最初に広告や広報の洗礼を受ける。それが通信やネットを利用するための儀式であり、避けることのできないちょっとした出来事となっていた。
「どちらにしろ――いちばん無難な部は整理部だな」――ゼンジはそう思った。整理部のやつらは集められた情報にプライオリティをつけてただ並べるだけだ。それぞれに番号をつけ要求されるまま配りまくる。まるで図書館みたいな仕事だ。「うーん、図書部でもいいな。たぶん古い本がたくさん読めるさ」

 ゼンジはマリアにいった。「オレの娘知ってるか?」
 マリアは医者である。最近、彼女はクスリを処方することができるようになった。彼女は免許を取ったのだ。それはまんざらゼンジと関係のないことではない。彼のアリのような存在が一部となって活動を続ける組織の中のある部が彼女らの資格を管理しているからだ。「たいへんだったのよ。三十四回のコースを取ったのだけれど、十五回は予定外だったわ。ほんとうにじれったいテストよ。ああいうのを『ひっかけ』なんていうのね」
「それだけ慎重さと注意深さが要求されるのさ」とゼンジはいい、「それで――」
「でも時間といっしょにずいぶんディンギもかけたわね。ほんと――なんだがディンギで買ったみたいな資格」
「そういう資格はたくさんあるさ。話しだけ聞いていればとれる資格や、経験なんて不問な仕事。みんな人のエゴを利用しているんだ。それよりも――」
「でもうれしいわ――ようやくよ、これでやっと口ばかりのカウンセリングじゃなくて、人の身体を根本から治せるの」
「けれどクスリの資格レベルはどんなものだ? どうせアスピリンを二錠とか、内服用ばかりなんだろう」
「そりゃそうよ。わたし注射なんかしたくないもの。それより量制限付きだけれど少しだけどスマート・ドラッグも扱えるのよ。すばらしいじゃないハーブで人の世界を帰ることができるんだから。ああ、すてき!」
「ハーブってあの――匂いのするやつだっけ? 野菜の一種? それが身体にいいのかね」
「身体じゃない、精神に効くのよ。あなたみたいなただの怠慢な疲れにはどんなクスリも効かないわ」
「オレが欲しいのは愛情だよ。優しくしてくれる誰かの愛情だ」
「それは間違いなくわたしじゃない。わたしが看るのは女性だけだから。あんたに愛情を注ぐのはせいぜいイヌかネコ――そんなものじゃない」
「文句を言わないだけすてきだな」
「そういえばあの人はどうしたのよ? ノリコ――だっけ?」
「いや、会ってないよ。それにあの子と会うには金がかかる。でも何をやってるのかな」
「たしかあんた防諜部だったでしょ」
 ゼンジはため息をついた。そして、「それはあんまり口にするなよ」
「でも今に彼女の情報入ってくるかもね」
「どうしてだ?」
「今、ネット・セックスにはまってるみたいなの。ほら、タチがいっぱいのネコのなかから気に入ったのを選び出して、話しがあえば待ち合わせをする――彼女はタチのほうらしいんだけど、けっこう派手にやってるみたい。ときどきわたしのところに来る患者の中に彼女にだまされたっていうのがいるわ。彼女、身体は貸したんだけれどノリコさんがお金払ってないみたい」
「オレにはしっかり払わせていたぞ。ちゃんと細かく説明してな。あそこならいくらとか、ここなら――」
「そんな話し聞きたかないわ。でも彼女、自分の財布のヒモは堅いみたいね」
「でもそれがほんとにあのノリコさんなのかい? 名前なんかいくらでもあるさ」
 マリアはいった――「かもね。彼女は彼女じゃないかもしれない。けれど、けっこうせっぱ詰まってるんじゃないかしら。TSKは、アメリカから『出血する乳首教団』を呼んだせいで完全に国のものになったじゃない。集会の爆弾騒ぎが原因でね。でもあれにはあんたもひとつ噛んでいるのよ」
 ようやく話しが向いてきた――ゼンジは思った。マリアは話し続ける。
「もうTSKはそんなに派手には営業していない。あそこで働いていた子のほとんどは不妊治療をしていなかった。ピルを買うディンギにも困っていたって。知ってる? ノリコさんって不妊治療をしていなかったのよ! ほんとうに――まかり間違えば――あんたの子供を妊娠していたかもしれない」
「オレだけの子供じゃないさ。二人の子供だよ。核の結合――遺伝子の合成――」
「何よ、学者みたいな口を聞いてさ――でもそれが原因かもね、彼女が女の子に走っちゃった理由は。子供が産めないセックスなら異性は要らないものね」
「彼女ばかりじゃない。不妊治療が違法なのは、これ以上ヒトの身体を変化させないための一手段――ヒトの生殖能力はとっておかなくちゃならない。きみはどうなんだ? 女の子といちゃつくのか?」
「いやよ。わたしは。なんだか鏡を見ながらマスかいてるみたい。どうせっだったら独りでするわ。あんたはどうなのよ」
「悲しいことに時間がいくら経ってしまおうとあそこだけは年をとらないみたいだ」
「ふーん、あそこのせいにしちゃうわけね。それは違う――あんたの脳ミソがおかしいのよ」
「そういうお前はどうなんだ? ときどきカッとなるんだろ。いっしょだよ」
「いっしょじゃない――あんたみたいにのべつまくなしってわけじゃない。わたしのはいたって正常よ。生理的現象なの。ちゃんと体内時計にしたがったね」
 ゼンジはいった――
「オレの子供覚えているか?」
「ああ、あの子――なんだっけ、えーっと――火星人のほら――」
「もう忘れちまったのか。『ディアナ』だよ」
 マリアは笑いをこらえながらいった。「あんたまだそんなこといってるの? しょうがない――罰としてタバコちょうだい」
 ゼンジはワイシャツの胸ポケットから『Rationed』とプリントされタバコを取り出した。その箱の横にはこう書かれている――〈国の基準に従った成分でつくられました〉 マリアはタバコを受け取ると自分が座っているベッドの周りを手探りしてマッチをさがした。
「このタバコってほっとするわよね。有害物質がひとつもないって本当かしら」
「ほんとうだ。だから誰でもくわえることができる」
 このタバコはヒトをリラックスさせる。ヒトから一時的でも攻撃性を失わせる。それでいてどんな反作用も産み出さない。作用はかならず良い方向に向かう――たとえばヒトの疲れをいやし、いやなことを忘れさせる――その記憶の重要度が急激に下がってしまい、おしまいには消えてしまう。自らの手で自らの時間を放棄してしまいそうなやつらは、たいがいこれで自滅を思いとどまることができる。それだけ種の保存に貢献しているわけだ。ところがヒトは子供を作ることができない。それでいてヒトは生きながらえされる。結局、何パーセントのヒトは自滅の道を選ぶ――確実に旧ヒト科を減らしていく確実なアイデアだった。たぶんイサオ・セキグチは天才なのだ。すべては自らのために――
 ゼンジはイサオ・セキグチびいきだった。それは自分と年が近いせいもある。首相であるイサオ・セキグチは見事な国をそして社会を創造した。たいがいに人は働かなくていい。
 社会が新しい社会へと変わる――それに要する期間はずいぶんと長くなる。ちょうどその変化に押さえつけられるように生きる人々も存在する。だがそれもしようのないことで、彼らはちょうど進化の過程で唱えられるミッシングリングとして同情される。そのリングの期間が過ぎ去ってしまえば、そこには根本から覆された社会が存在するはずだった。
「もう、ほとんどの人たちがディアナのことを忘れてしまったろうか?」ゼンジはいった。マリアは少しの間考えた。
「マニア以外は忘れちゃったでしょうね。でもディアナの番組が終わらない限りは忘れさられることはないわ」
 ディアナの番組はほとんどボランティアで続けられている状態だった。彼女の研究機関を援助していたほとんどのスポンサーは火星人養育資金の捻出をためらっていたし、国としての予算にも計上されなくなった。みんな特別な変化のない彼女の様子にシビレをきらし、実際に彼女が火星人であったとしてもほぼこの惑星――地球における人並みの子供の知識しかもっていないディアナに対してなんらの希望を抱くことはなかった。彼女は英語しか喋ることができなかった。しかも彼女の身体的特徴やその中味はそこらへんに溢れている子供のそれとまったく変わり様がなかった。彼女の体内を流れる血液からは、アジア圏のヒトに近い遺伝子が見つけられた。その容姿も西洋人には似つかない。最初はちやほやしてきたアングロサクソンもその顔を見ることに嫌気がさしてきた。彼女の姿にいまだに火星移住に対して期待を寄せる、いわゆる『変わり者』のヒトたちは、なぜ長老然としたものか、科学技術に長けたの火星人を連れてこなかったのかと抗議を続けた。これは『とりあえず』といった体で保険料のようにアメリカに対して出資した国家政府の意見を代弁するようなものだった。結局ディアナは特別あつらえのベビーフードや地球人離れした特別あつらえのベビーベッド、完璧なまでに除菌された高価なノンダスト・ルームの維持ばかりにディンギを費やすただのやっかいものでしかなかった。彼女にはなんら特別なものは必要がなかった――
 ディアナの容姿がアジア系であることから、タイワンが中心になってアジア諸国で設立する研究機関(彼らは自分たちの遺伝子が遠い昔に火星からやってきたというひとつの仮説をたてていた!)がディアナの研究引き受けをアメリカに対し提案したが、アメリカはその研究を引き渡さなかった。
 ゼンジは知っていた――そんなことができない相談だ――今、番組でかわいい顔を出しているディアナはディアナではない。ディアナは今、インドネシアにいるはずだ。優しい母親、ナディアの元に――
 アメリカは今、あらゆる人間をだましている。あの未だに土地が減らない大きな国は、その度合いに見合った大きな『ウソ』をついているのだ。オレにいわせれば即『連行』だ。連行部が何もなかったようにすべての事実をいきなり否定してまうだろう。それまでに費やしてきたすべての時間とそれに相応したディンギはきれいに消え去る。無責任な時間はウソとしりながらそれを受け入れ続ける――あいまいな世界を支えているものは時間だ。
「ディアナはオレの子なんだよ」
「そう」
「信じてくれのか?」――ゼンジはある種の希望を持ちながら訊いた。
「そんなことをいうオヤジやオバサンはたくさんいるわ。あんたもそのうちの一人――珍しくないから病院送りにはならないけどたいがいにした方がいいわよ。仮に――」
「仮に?」
「仮にその話しがほんとうだとしても、わたしにはどちらでもかまやしない。わたしがどうにかなることじゃないしね。それにそうしたことを考えていて幸せならそれでいいじゃない?――逆にこっちがうらやましくなっちゃうわ。あんたは悩んでいるように見えるときもあるけれど、きっと悩み事なんかひとつもないのよ。なくてもあるように思いこませる。そんな風に暇つぶしができるなんて、ほんとにうらやましいわ」
「でも実際――ほんとうの話しだ」
「いいわよ、けっこうね。でもひとつだけいっておくけど、あまりそんなこと他人にいわない方がいいわね」
「するとオレたちは他人じゃないわけだ」
「バーカ、わたしがいなきゃすべてが他人になるからそうな風にいってやってるのさ。でもほんとうにそんなこといってるとあんた仕事なくしちゃうよ。せっかくの官邸仕事が。わたしなんか医者だけれど、なーんか政府のディンギで暮らしてるのが現実よね」
「けっこうなことじゃないか」
「必要最低限の生活を毎日するのがけっこうなことだっていうわけ?」
 ――オレを火星に連れて行くきっかけをつくったモーガンは行方をくらましたままだ
 ――マーレー・フラスコは彼の時間を放棄してしまった
 ――残るものは巨大な試験管――オレとナディアを火星に連れて行った転移装置『トランスポータ』――あれはホッカイドウ、オレが生まれたアサヒカワにあった。まだWC―COMの工場はあるのか?

「そういえばナミオはどうしてる? きみの弟みたいだったあの男の子」
「あの子は勉強――というよりは開発中ね」
「何を作っているんだ?」
「作る? ちがうわ開発されているの。あの子のかんの虫ってなんだかたいへんなものみたいね」

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 防諜部のゼンジを訪ねてきた人間は女性だった。彼女の名前は――『ナエコさん』といった。彼女は福祉省に勤務していた。来訪の知らせを聞いていたゼンジは、どうせメガネでもかけたカタブツだろうと考えていた。それにオレなど違って彼女はプロパーだ――彼女の肩書きに『代理』だとか『仮』なんていう名は冠されていなかった。ところが――実際にゼンジの前に現れたカーキ色のスーツを来た彼女、ナエコさんはメガネをかけていてこそすれ、彼から見てかなり『上玉』に近かった。まずゼンジは彼女のメガネに注目した。それは古い時代のアメリカ兵がかけていたタイプに似ていた。レンズの色を薄くしてある贅肉のないそのメガネはあまりに彼女の姿に似つかわしくなかった。顔が小作りであるせいだろう、その姿は子供がいきがってメガネをかけているようだった。小さなハナからずりおちそうだ。まるでマンガだ、そう、マンガなんだ――ゼンジはそう納得した。彼女は平たい絵から飛び出してきたヒロインだった。次にゼンジが気づいたこと――それは彼女のスーツが麻であることだ。遠い遠い時間をさかのぼった昔、麻は大衆のものだった。だが大麻が広がってからというもの麻は貴重な服飾素材となった。火を点ければ半径百メートルに存在するヒト科が豊かな夢を見ることができるだろう――Rationedタバコの方がよっぽど害がある。
 客観的に――ナエコさんの背は低かった。多分百六十はない――ゼンジよりも十センチは低い。たぶん百五十センチかな――彼は手近の机からパイプイスをひっぱりだすと言った、「別な場所で話しますか?」
「けっこうよ、ここで話すわ」ナエコさんがいった。彼女はゼンジが用意したイスには座らなかった。足下を見られているような感じのゼンジは机の上に尻をひっかける。やっぱりカタブツだ――
「ここに来たのは理由があるからです。まずその理由から話すわ」腕を組んだナエコさんは続ける――「わたしは福祉省のものです。一般には『ボランティア省』で通っているけど――」ゼンジは彼女の話しにうなずきながら応える。
「わたしたちの省では福祉に貢献してきた人たちのなかから毎年『名誉ボランティア功労者』を選び、その方を表彰しています」
 ゼンジは名誉うんぬんといった賞を聞いたことがなかった。そして言葉が口に出る――「どうせ寄付ばかりしてるやつから選び出すのではないですか」
「寄付と精神は違うのです。わたしたちが選出する方法は人の声です。つまりほんとうに人が感動を受けた人に対して与えるのです。人は正直です。いくらよこしまな心で他人を見ていようと、ある時点で、ほんのわずかなきっかけで、たいへんな感銘を受けるものです。人をそう思わせるに値する人――そのなかから最も感銘度の高い人が『名誉ボランティア功労者』に推薦されるのです」
「感銘ね――まあ、結局立派な人だというわけですね。それでどういった要件でしたっけ? オレが――いやわたしがその賞をもらえるわけではないでしょう?」
「わたしたちが防諜部にしてほしいことは、今回選ばれたボランティア功労者の素性調査です」
 素性調査――要は探偵みたいなことをしろというわけだ。いったい防諜部は結局そんな部なのだ――ゼンジは考える。古くさくいえば〈万もめ事すべて引き受けます〉――いや、〈万もめ事すべて引き受けられます〉だ。ハローワーク勤めの職無し時代がなつかしい。しかし考えてみろ――彼女、それに彼らはオレにしか仕事を頼めない。そう考えてみればオレは奴らに対して少しは偉ぶっても構わない立場なわけだ。まあ、そう考えるとしよう――別にそう考えたって状況は変わらない。断れば多分オレがお払い箱になって終わるだけの話し。しょうがないさ、気晴らしのつもりで引き受けよう。外に出て気晴らしができるかもしれない。
「わたしはなかなかちょっと外に出るといった立場じゃないわけで――素性調査というと机でできる仕事じゃないですからね」
「そうね。でも彼の様子を調べるだけだから一日で終わる仕事よ」
「そりゃ無理だ――まず彼の居場所から見つけなけりゃならない。とんでもないところにいるかもしれませんよ。もしかしたらオキナワだとかホッカイドウだとか。そんなことになったら一年はかかるかもしれない。こりゃたいへんだ」そういいながらゼンジの顔はほころんでいた。
「それほどたいへんそうな顔はしてないけれど。とにかく一日で終わることは保証するわ。わたしたち、彼の居場所はわかっているの。半年かけてね」
 ゼンジはため息をついた。頭を振り、次の言葉を考える――遠い昔の探偵だ。
「それではお話をうかがいましょう。その方のお名前、性別、年令、そして今いるはずの場所の住所、それともし電話があればその番号をいただきましょうか?」もちろん〈お代はただ〉だ。ゼンジは机の上のメモ用紙とボールペンをとる。
「彼の名前はアユム。年令はどうかしら? けっこう上らしいわね。わかってないの。残念ながら男よ。そして今いるところは『近代医学研究病院』電話はたぶん電話帳に載っているわ」
「アユムね――」ゼンジが独り言のようにいった。
「あなたの名前といっしょね」ナエコさんが笑みを浮かべた。
 どうして知っているのか――ゼンジはそう思いながらも平静を装う。そしていった、「ずいぶんと前の名前だ。もう忘れていたさ」
「悪いけれど常識ね。ここにいる人のことは誰でもわかるわ。あなただってわたしのことを調べようと思えばすぐにわかる。みんなプライバシーを押さえつけられながら仕事をしているわけだから」
 いわれてみたら当たり前のことだった。久しぶりに自分の名前を聞いた――一瞬他人の気がした。事実他人だった。そいつはオレに何の関係もない。古くさい名前でありながら老人が背負うにはあまりに子供じみた名前だった。小さい頃、アイコなんていう百二十歳のババアの存在が信じられなかったように。やることしか考えていなかったケツの青い青二才は、すぐに熟れた身体を想像したが、実際に見た姿はどうだった?――水を探し回る干からびたバッファローじゃないか!
「その男――アユムでしたね。彼はどんなことを今までしてきたのでしょう?」
「彼はオムツを作っていたらしいわ。知ってるでしょ、おもらしすると電波ですぐにわかる『オムツ・ネットワーク』。それから首にぶら下げる通信機、それから色々――なんだかいっぱい作ってきたみたい」
「テクノロジーまみれの人間か」
「でも彼は今病院にいる」
「いったいどこが悪いんだ。病名は?」
「神経症。詳しくは知らない」
「ひとつ訊いてもよろしいですか」
「何?」
「なぜぼくらのところにそんな話しを持ってきたんだろう」
 ナエコさんはいった、「ピックすることならここに行けっていわれたのよ。それだけ」

 『近代医学研究病院』は大学を改装した病院だった。ゼンジは大学に行ったことがない。その理由は単純で勉強が嫌いだったからだ。だがすぐ後に別に大学は勉強をするところだけではないことを知った。それなら病院になったことは歓迎すべきことかもしれない。彼は病院を眺めながら考えた、
「マリアのところとは全然ちがうな」
 マリアは六畳の旧アパートを住居兼医院にしている。それに較べてこの病院はまるで要塞だ。この中は放射線で埋めつくされている。完璧なシールドは存在しない。中の患者たちは日増しに衰弱していく――根本的な医療ミス――マリアのカウンセリングの方が百パーセント素晴らしい。ただ、この要塞にしろマリアの六畳間にしろ共通するものがあった。それは根拠なき治療だ。そして互いがいう言葉はこうだ――「結局は気の持ちようですから!」
 ゼンジはどこでアユムという男の所在を訊いたらよいのかわからなかったので、見物がてらうろうろしたあげく薬局で訊くことにした。窓口にいた女性は何か在庫のリストらしいノートをとっていて、ゼンジを少し――ほんの十分くらい待たせてから応えた。
「何の用でしょう」
「アユムという男性が入院しているはずなんだがどこにいるかな」
「ご面会ですね、それでしたら入り口にある窓口できいてください」
「入り口ね――」ゼンジはまた引き返す。実際、入り口に戻ってみると何の表示もない窓口があった。窓口には男の老人がいた。彼は自分を管理人と名乗った。
「すみません――それで管理人さん、アユムさんって方は何号室ですか」
「アユム? それだけ? 他にはわからないのかな。でも調べてみようか」管理人は大きなバインダーをめくる。「よかったねあんた。アユムって人は一人だけだよ。たぶんこれだね。621号室、六階だね。ははーいちばん上だ」
 ゼンジは老人に指示されるまま、面会カードに名前やらを記入した。管理人はゼンジに来院カードを渡す。「ちゃんと五時までには出てくださいよ」
 ゼンジは見るからに適当、そんな感じでうなずいた。
「ほんとだよ、五時を過ぎたら扉はぜーんぶしまっちゃうからね」
 そういえばこんなことがあった――これはたぶんデジャビュだ。オレがアサヒカワのWC―COMの工場にモーガンと二人で入ったときだ。田舎町の近代化された工場――その中にオレは入っていった。エア・カーテンの引かれた清潔な通路を通り、そして巨大な試験管、トランスポータのある部屋に入った。オレはそこでナディアにあった。彼女は素っ裸でトランスポータから出てきた。初対面のナディアはオレの前にいきなり裸で現れた。そしてオレたちは火星へと転送されたのだ。すべてが事実――ほんとうのことだった。ナディアをオレは空気カプセルをくわえながら火星を歩いた。家は米軍テント、その生活のなかでナディアの歌を聴き、音痴なリズムを叩いた。彼女はプロフェッショナルだった。その歌はなんとすばらしかったか! ナディアは子供産み――それはオレの子だ――そして三人は家族となった。ナディアは子供にありあわせの洗礼を施し、子供はディアナと名付けられた。もしあのままの生活が続いていれば――
 階段を上り詰め考えることを止めたとき、ゼンジは急に息切れがした。それはエレベータくらいいれておけという不満に変わった。だが変わらないものもあった。たしかにあったのだ。
「621号室――」ゼンジはそうつぶやきながら廊下を歩き、ドアの番号を確かめる。『面会謝絶』といった札が目立つ。まさかと思いながら見つけた621号室のドアにもその札がかかっていた。なんてこった――ゼンジはひとりごちた。そしてあたりを見回す――話しを聞いてくれそうな人はいないか。看護婦ならなおけっこう――

「あの患者は四ヶ月前に運ばれました」
 医者がいった。彼の手には別な人間のカルテがあった。あいかわらずドイツ語で書かれている。医者のアゴは首と同じだった。ゼンジはどうしたらこんな肉体になるのだ――うまいもんばかり食ってるにちがいない――彼はそう考えた。ヒト科の4、5倍は食料を摂取しているのかもしれない。もしくは身体的な異常なのか?――どちらにしろ結果はでなかった。ゼンジにとってそれはうらやましくもあり、かつ悲しかったからだ。たぶん相手にしてみれば、このやせっぽちの身体をあわれんでいるのだろう――だがひとつ彼がしぼりだしたひとつの結論――それはこうだった。〈まちがいなく彼はみにくい〉
「患者の名前はアユム。古い社会保険番号から考えると、彼の年令は四十九歳です。ただし彼自身の口からそれを聞いたことはありません。彼の症状は色々あります。栄養が少々足りなかった。夜盲症――いわゆる鳥目ですね。夜に恐怖を感じるのはこれが原因でしょう。そしてコレステロール過多。これは心臓に負担をかけますね。血が流れにくくなるから。糖尿病にちかい血糖値、高アミラーゼ――これは精神的なものに依存するようです。潰瘍を切除するために胃を開いたとき、胃内壁の異常といえる荒れ方を確認し増した。切り取った内壁から調べると、かぜ薬によるものでした。一度に多量のかぜ薬を何度も摂取していたようです。どういった目的にしろこうした摂取は考え物ですね。細かいことを述べていてはきりがありませんが、総体的に彼の病気の原因は精神面での不良、たとえばヒポコンドリー的な病にあるようです。大きな強迫観念に支えられていますね」
「強迫観念――というと誰かに責められているとかそんな感じ?」
「自身を責めているんですね。例えば彼は『ソシアル・ナッピー・ネットワーク・カンパニー』製のオムツを着用したがらない。この理由は正直に申しまして定かではありません。ただ、それもある強迫観念からの結果であると考えています」
 ゼンジは『オムツ』という言葉からナエコさんから聞かされたことを思い出した。彼はそのオムツ自体の開発に加わってきた人間だった。だがこの医者はそれをしらない。
「『ナッピー―』というと、あの音の出るオムツをばらまいている会社だ。それはともかく、彼は四十九歳だというのにもうオムツが必要なのか?」
 医者の表情は暗くなった――「彼にはおもらしの癖があるのです。痴呆から来るものでしょう。痴呆にもいくつかの種類があります。具体的な病気による変化、それにアルコール、老衰から来るもの――ああ、怖ろしい、ある年を境に脳ミソが減ってゆくのですから。有名なところでアルツハイマーというものです。それとてんかんや――」
 早い話しがボケじゃないか――ゼンジは胸の内でそう吐き捨てた。医者の説明は長すぎる。そうだ――これはマリアとこいつらの共通点のひとつだといえる――そして必ず自分の推論を入れたがる。医者は客観論者であるべきだ。モノ事をよけい複雑にする。彼らは論証のないまま推論をしたがる。そのくだらないブレイン・ストーミングの間でいったいどれだけの人間が――彼らからいわせれば『患者』が犠牲になってきたことか。彼らの口から必要なものは結果だけなのだ。
「――動脈硬化性といったものがあります。あなたがおたずねになってきた患者アユムさんはたぶんこれにあたるものでしょう。長年の不摂生の結果となって導き出された痴呆です。ただ、本人には自分を痴呆と認める様子はありません」
「それでオムツをつけたがらないわけだ」
 医者はため息をもらすようにいった――「正直いってオムツは患者のためのものではありません。その面倒を看る側にとって必要なものなのです。最近の看護婦または看護夫は、人の排泄の後世話までかかわりたくはないのです。排泄物は汚いもので、誰でもいやがっているのがあいかわらずの現状です。ところが、性行為としてのみんな穴を使いたがる。人間はおかしくなってしまった」
「がっかりすることはないですよ」とゼンジはいった。「ところで、実際に彼と面会することはできませんか? ドアには面会謝絶の札がかかっていました。それほど悪いのですか――」ゼンジは〈排泄が〉といいかけた「容体が――」
「だいじょうぶ、面会することは可能です。それほどやっかいな容体ではありません。今はゆっくり養生しているといった状態です。わかりますか?――珍しかったり恥ずかしい患者がいた場合、たいがいの医者はその患者を人目から避けたがるものです」
 彼はたぶん〈恥ずかしい〉患者なのだ。この階にいるほとんどの患者はそういった類のものなのだろう。医者はゼンジを案内するためにインターコムで看護婦を呼びだした。ゼンジは一人でけっこうだといったが、医者は儀礼的なものだという。「患者はいつどういった容体にとなるかわかったものではありませんからね。特にあなたは患者が初めて会う男だ。すでにあなたがいかなる武器や凶器をお持ちでないことはわかっています。それはすでに管理人が点検済みだ。しかしあなたの姿そのものに患者はショックあるいはおびえを受けるかもしれないです」
 この惑星上にはあらゆる注意書きがはびこっている。例えばゼンジが昨日使ったひげ剃り用カミソリにはこうした注意書きがあった――
 ・本製品は、ヒゲのみを剃るためのものです。皮膚を傷つけぬよう慎重にお使いください。
 包丁に添付されている説明書はこうだった、
 ・本製品は食用となる動物を切るためにのみ使用してください。その生命の有無に係わらず、人間に対してはけして使用しないでください。また人間以外の動物でも、他人の所有にあるもの(ペット、観覧用生物など)に対する使用もできません。
 医者の言葉もそうしたくだらないもののひとつにすぎなかった。進化しはじめた頃の人間のように彼らは道具に対してさまざまな応用力を身につけるようになっていた。彼らは、耳かきで調味料を計量し、巻き尺を人の首に巻き付ける。赤ん坊の口にくわえさせるおしゃぶりは禁煙用のパイプになっていたし、ネクタイはハンカチ代わりだ。電話はもっぱらいやがらせ。そのかわり車の使い道はあまり変わらなかった。移動するため、それと人をはねるため、それから自らの時間を放棄するため。歴史的産業の根本はあまりに原始的で、応用力にとぼしかったのだ。
 医者はゼンジに注意書きを読ませる代わりに白い制服を着た看護婦を与えた。彼女は看護婦――実のところ生きた注意書きがオレの一挙一動を監視するのだ。ゼンジは彼女を二十八くらいだろうと推測した。年は新しい国民とゼンジのような旧国民を区別するための重要な要素になる。あと十年も経てば、新国民と旧国民の割合は50/50――それからがイサオ・セキグチ国家のほんとうのはじまりだ。ゼンジは看護婦が本を手にしていることに気がついた。
 ゼンジは看護婦の後ろ姿を見ながら廊下を歩く。彼女の持っていた本は何かの育児書らしかった。育児書や子供に関する本の装丁にはあるパターンがあって、たいがい表紙を見てそれが教育書でないかぎりたいがい検討がついた。子供を育てることのできない現代で育児書を読むのは古い小説を読むようなものだろう――彼はその本のタイトルを確かめようと目をこらした。そうしているうちに患者のいるドアの前へとどりつく。看護婦はいった、
「大声は出さないように。患者に無理は与えないように。話をされるときは適当な間隔を開けるようにしてください。患者が疲れますので」――彼女は第一の注意書きをゼンジに与えた。ゼンジは宣誓する――
「わかりました」

【続く】




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