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仮題: welfare, warfare とか 1 [仮題: welfare, warfare とか]

【1回目】

to Yさん: 塗装出した

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《前もって伏線》

【1】
 月並みな言葉ですが世の中は変わった。子供は姿は少ない。原因は冷え性だ。バカバカしいがほんとうだ。地べたに座り込む行為がその引き金になった。まったくバカバカしい。ウィルスやらなんやら、高等な化学などではない。単なる行為によってだ。この変わりようは未来ある淘汰だ――イサオ・セキグチはそう考えた〉

【2】
 ディアナちゃん、今日も普通の子供のように遊んでいます。科学者の日誌は彼女の身長が121.5センチになったことが記されています。なんてこと!――彼女は0.8センチ背が伸びました!
 いつもこの番組『元気な火星っ子・ディアナちゃん』をごらんのみなさまには悲しいお知らせですが、来週からこの放送時間が十分間に短縮されます。それでは今日のディアナちゃんのフィルムを見ながら、さようなら〉
 たいがいのヒトは、スポンサーが降りたなと考えた。大きな金額を賭ける割にはこの子の成長は大したことがなかったのだ。

【3】
 イサオ・セキグチの子供たち一期生のナミオのかんの虫は強すぎたらしい。どうやら計算違いだ。イサオ・セキグチよすぐに回収せよ、しかし今、信頼できるただ一人の科学者アヤベ・クミはいない。
 イサオ・セキグチは頭を抱えた。新しい子供たちはうまくいっていない。アヤベ・クミは地下研究室で時間を放棄してしまっていた――あきらかに自らの手で。彼女はいったい何に絶望したのだ? 結果であるこの子たちに関係があるのか? 彼女に代わる人間を捜すことには苦労しなかった。自己顕示欲が強く、タブーを破りたがる科学者は一山いくらで転がっていた。だがアヤベ・クミのように自制心の強い――自ら時間を放棄してしまうこともその現れだ――科学者はいない。だから彼女が一人の手で行っていたことにも複数の人間が必要になった。何本もの制御棒が必要だった。しかし彼らにアヤベ・クミがやりとげた以上の精子を造り出すことが可能だろうか? 彼女が造り出したものにさえ、ある欠陥があったとしても、それを少しでも少なくすることがあの科学者たちに可能だろうか? イサオ・セキグチは悩む。いまいましいオタマジャクシめ――とりあえずはわたしの精子でごまかすべきか――彼は自分にそっくりな数千万人の子供たちを想像する――ダメだダメだ!
 そこでイサオ・セキグチがとった手段はこうである。
「そう、新しい病気のタネを蒔こう、そしてその病気は♂にしかかからない。そのための検査には精子採取が必要になる――」
 彼はデマ創造機――あらゆる可能性を予測し適切なウソを創造する時間革命用装置を前にした。そして新しいウソのシナリオの検討を始めた。

【4】
 仕事へと向かう道、ゼンジはたむろしながら歩く若者たちを見る。彼らはホモのようにつながれているのだろう――オレはあいつらを信じない。独りを寂しがる奴らを信じない。
 彼らは独自本能の固まりだった。

【5】
 ナミオはあいかわらず舌を出していた。
 ビビアはあいかわず故郷に帰ることができなかった。
 わたしはあいかわらずラダに乗ってグルグルとこの世を回り続けていた。
 モシアズの独り言
「最近では各自が世界を持っている」
 そうした世界をモシアズはこうよんだ
「まるで独自本能だ――」


《とりあえずここから》

 防諜部の仕事は退屈だ――ゼンジはそう考えていた。彼はハローワークで首相官邸内防諜部長緊急臨時代理という職を得ることができた。それは独り者のアパートで何時花が咲くかもしれない小説を書いていた彼を現実の世界へと引き戻すこととなったが、現実が自分の幻想よりも退屈であることを身をもって痛感しつつあった。
 防諜部の仕事の主軸は我が身を潜め、そして守ることだった。けして反撃はせず静かに聞き耳を立て、あらゆる言葉・情報・ビットを収集することだった。そしてその内容につき検討する。それは彼が担当する部署のマニュアルでいえば、『レベル2』といわれる段階までの重要度を持つ情報に対してまで行われる。レベル2――横文字としての響きや、舶来的な格好の良さはエンジニア的職質と未来に行われる核実験的なサイバーさを訴えかけるが、まったくそんなことはない。ゼンジをはじめとして彼の部下たちが行っていることは、『くだらない言葉』をしらみ潰しに探し出すことである。
 唯一のエンジニア的作業といえば、ユニソフトというインダストリアルソフトウェアカンパニーからやってきたニッポン人とは経路の変わった血を持つ人間たちの作業だ。彼らは地球を何周もするようなプリントアウト(正直言ってそんな想像は不自然であるが)を目の前にしながら脂ぎった髪の毛を振り回してそこら中をうろつきまわり、食事時間が二分で済むハンバーガの出前をとる――彼らは秒刻みで増え続けるテロバイルスをいち早く見つけだすことに血眼で通信を監視し続けているのだ。それに較べてゼンジたちの仕事には余裕があった。その結果は一日六回のコーヒタイムで、人気があったものはトウガラシ入りのアラビカコーヒだ。彼らはこの刺激臭ただようトウガラシ入りアラビカコーヒの辛さで世の中の空気を湿らせる汗を流していた。それが唯一の生理外行動かつただひとつの新陳代謝だったのだ。それだから彼らの身体は、基本的に脂汗にまみれていた。

 すでに言葉はなくなっていたので、ゼンジのような古めでもない中途半端な人間たちには少々難しい仕事でもあった。深層心理に置いて外国語に対するコンプレックスを抱いていた人間は、言葉の表現を少なくし、それでも外国語に対するあこがれがあったので、いってしまえばチャンポン(これもまたこの世にはない言葉だ)な言語になっていた。ゼンジのような人間は『進化する人間の特徴が顕著に現れる寸前の生物』だったので、ほんとうに古い人間よりはそうした言語に対する免疫はあった――が、情報として目の前につきだされる言語のられつを理解するには若干の努力を必要とした。
 ゼンジはため息をつく。それはいままで幾度も行われてきたことだったが、彼は飽きずにため息をつく。唇の隙間から空気を漏らすのだ。彼はそれほど失望していただろうか? 確かに失望していた。だが、失望はいずれうれしさに変わるだろう――そんなものだ。
 平らな地平にいることは、なんと退屈なことだろう。彼は自分が住んでいたはずの世界を思い出す。そこはホッカイドウという国だったのだ、車に乗ったりしていれば、目の前に続く道を遮るモノは何もなかったわけで、なんといっても言葉は消えていた。消えていたのだ。それが現実だった。
 さて――驚くべきことは別段そこら辺に存在しなかった。ゼンジの働く場所に特別な緊張感は漂ってはいなかったが、ひとつだけいわせていただくならば、壁に掛けられた肖像画がその部屋の中の監視役を務めているように思われた。その肖像画とは、彼の属する数多くの省のトップに君臨するイサオ・セキグチだった。スーツ姿の上半身がプリントされた若々しいその姿は、最年少の内閣の呼び名にふさわしいモノだった。ゼンジは仕事中に顔を上げその姿を見る。彼はイサオ・セキグチとだいたい同じくらいの時間を費やしてきたので、同世代という思い込みもあり、なにかしらの親近感を感じていた。ゼンジがハローワークで職を見つけ、首相官邸防諜部で面接を受けたとき、イサオ・セキグチはその席にいた。そのときに彼を初めて見たのだった。
 イサオ・セキグチは誰かの後を継いだとか、後継者であるとかいった経緯で首相になったわけではない。首相になる前の彼は一企業の社長だった。彼はニッポンを救ってくれた人間である。彼のけた外れに巨額な富は赤字に苦しむ政策すべてを再建させ、そして彼は首相の座を手に入れた。未だに彼の元には昔ながらの献金政治を懐かしむ人間たちが現れる。浮浪者のような姿で玄関先に現れ、こう叫ぶ――「金だ! 金はどこいった! 工場を建ててやろうじゃないか――仕事も請け負わせてやるよ――それに鉄道も! 何でも望みにしてあげよう――だから金はどうした?――ちゃんと香港の口座に入れておいてよ」
 今、金はディンギと呼ばれ、その実体はアメリカのドルである。すでい円はもうない。また、ディンギとはロシア語で、『お金』を意味する言葉で、ドルと同じように標準的地球語だ。そう、誰でも知っているはずだ。そしてディンギを求める政治家たちも――もうこの世にはいないはずだ。誰も彼もが個庭制度の恩恵を受けている今、誰も賃金など気にしないのだ。個庭制度は番号制度――ややこしい家庭など誰も持たない。これこそがイサオ・セキグチ政治の真骨頂――彼はひとりぼっちの神様だった。そしてゼンジもひとりぼっち。誰も彼もがひとりぼっち。品質強化の工場生産――子どもたちは地下で生まれ、大きくなるまでヒナ育ち、先生はみんなオカマで、昨日の教師はほ乳びんを洗っている。でも知ってる?――大きくなれば誰でもひとつの家がもらえるのさ――とっても小さなひとつの部屋を。普通の政治家ならそこら辺の子どもはみんなコインロッカーのなか――けれどもイサオ首相はみんなに寝床を与える。個庭制度からもれた人間たちにはすてきなホーム暮らし――ホームといっても電車のホーム――今や電車は国家的難民救済ホテル――誰でもそこで寝ているさ――毛布の貸し出しもオッケー!
 というわけで、イサオ・セキグチはみんなに自由を与えたのだ。すべてが平等。だから人の時間を放棄させた人間は子どもだろうと容赦しない。そういったことをしろと彼らは教えていないからだ。たいがいの人間たちは真空ポンプで身体を膨張させられ、そして――『パーン!』って感じであちらこちらに放り出されるわけだ――ああ、アーメン・サラマリコン!
 イサオ・セキグチというVIPな首相にゼンジ・ハマグチというとっても普通な男、そしてその他大勢の人間たち――誰を中心にするかは別として、とにかく地球はくだらないながらも、あるいはとてもエキサイティングな時勢においても――とにかく生きているわけだ。
 それでまあ――とにかく――ゼンジの仕事はたいしたものじゃない。たいていの職種といわれるジャンル分けされた各職業において必ず『プロ』というものが存在していた。どれだけプロの仕事がすばらしいだろうか? 安心して欲しい――たいがいにおいてプロと呼ばれる称号は薄っぺらな経験の上に焼き付けられた思い込みに過ぎないのだ。ごく普通な現象をもったい付けて並べ上げているだけなのだから。それだから誰がゼンジ・ハマグチの成す仕事がプロの技と見られても、本人はそればかりしているのだから当たり前のことだ。幸いなことにゼンジ・ハマグチ本人は自分のことをプロとは考えていない。これは良い傾向だ! ゼンジは自分の仕事にツバを吐きかけたがっている――ペッペッペツ!
 そして彼は今日もトウガラシ入りのアラビカコーヒを口にするのだ。

「ところでどうだ。最近の情報は?」
 ゼンジはモニタとにらめっこしている部下にいった。彼は部下に対して、最近多い情報は何か? と訊いたのだ。部下は目をパチパチさせていた。それは疲れからではない。時折モニタに浮かぶ文字が光り、ぶれるのだ。それはただモニタが古い、という理由だけだった。設備ひとつ取ってみてもゼンジの所属する防諜部の設備は年数だけ取ってみても時代から遠くかけ離れつつあった。ただ使えないほどではない――それがそれを使い続ける理由である。情報設備だけではない。備品――ゼンジの座るイスひとつとってもそうだ。彼のイスはまだ人が座るというイスの目的を失わないでいる。だが『背をもたれる』という機能は既に失われていた。足の先を失った机は、まだ三本の足が残っているので、隙間を五年前の雑誌で埋めながら使われていた。
 目をパチパチさせる部下はいう――「多い情報ですか? いつもの情報は多いですよ。『あなたの幸せを見つけます』とか、『オ○リ丸出しで大事な穴も丸見えの写真を一枚七十五ディンギで!』――」
 ゼンジはため息をついた。またイヌかなんかの両足を強制的に開かせて股間部を撮った写真だろう――と。そして幸せというのは、わけのわからない火星宗教の教祖様のお言葉って奴だろう。それに加えて最近じゃ『出血する乳首教団』――まったくあきれる。彼らにあきれるのではない、そうしたくだらない情報の垂れ流しを覗き続けている自分にあきれているのだ。ゼンジたちが見逃す情報にはこうしたものもある。
『あなたの○したい人とを○してあげます』
 とか、
『あなたが憎んでいる女性をレ○プします』
 やら、
『あなたが別れたい男を半○しにします』
 彼らには情報を取り締まる義務はない。彼らに限らず誰にもない。すべてが自由だからである。犯罪に対する予防措置の放棄が叫ばれて久しくなる。その代わり、その犯罪が実行された場合、すべてのケースにおいて、即日刑が執行される。年少者であろうが明日の行方もしれない老人だろうがお構いなしだ。
 最高だったろうか?
 すべてが疑問符でくくられる。
 それは意志の弱さであって、けっしてゼンジの責任ではない。つまり『わたし』の責任だった。
 わたし?――それはまた今度のお楽しみだ。

 さておき、ゼンジの仕事は調べものだ。彼はそのなかで色々なものを見つけた。彼は写真も調べる。少し前にはまばらだったが、最近では至る所でカメラの監視が行われている。個庭制度の住宅では自分では操作できない自動ロックさえついている。幸いゼンジの住んでいるアパートは古い古いアパートであるので、まだそうした改造は行われていない。その自動ロックの次の必需品がカメラである。そうしたカメラはとりあえず、住人には見つからないところに取り付けられているが、中には見つけている人間もいるだろう。それでもたいがいの人間はそれに慣れっこになっていた。それは何故か?――答えは簡単。それが個庭制度の代償なのだ。たいがいの人間は、監視されていることに安堵を感じていた。安堵は人間に安らぎを与える。二十四時間体制でのニッポン国による監視。みんなそれが良いことだと思っている。それはたいがいの人間が半死半生の年寄りだったのだ! ブーブー口にするのは、進化に乗り遅れた若い人間ばかりで、オカマ教師に育てられた新国民や、すでに年を取ってしまった人間にとって、二十四時間監視は国の義務のようなものだった。監視! 監視! 監視すること、またはされることでこの国は安全に満ちている――ああ、なんという大首相『イサオ・セキグチ』! 彼はカリスマだった。
 進化から外れた人間であるゼンジは、監視体制に対して、あきらかに不満顔だ。だが彼にとってそれは仕事の一部だった。彼は見張らなければならない。それによって彼は糧を得る。彼は鉄道の監視もする。
 そこら中の空にはバルーンが浮かんでる。それはいったい何のため? 広告ではない――そのすべての表面がスローガンで満たされていた。すべては主義や主張だ。それらが短い語句の中に納められていたが、ほとんどがあまりに抽象的すぎて万人が理解するところではなかった。例えば芸術に後からついていくように――
 ゼンジのなかにはすでに主義や主張は消え去っていた。それは彼はとりあえずもひとつのことをやり遂げたための開放感や脱力感に浸っていたためだ。彼がやり遂げたことというのは、自分の娘を妻の元に返すことだった。正確には『妻』ではなく、したがって娘も『娘』ではない。そうした婚姻の根拠は何一つ存在していなかったし、今、狭いニッポンにおける世界は個庭制度で満たされていた。
 彼が費やしてきた時間のなかのある短い一瞬を混乱させた人間――モーガン・サザーランドはすでに地球という惑星には存在せず、愛する廃車『ラダ』に乗りながら宇宙の時間の流れにしたがいながらさまよい続けていた。もちろんゼンジはそんなことを知らず、ただ彼が存在していた時間の出来事をときおり思い出していた。ゼンジが持っていた彼を『恨む』といった感情は、娘を妻の元に返したことを機に和らぎ、自身の利己的感情によってそうした事実は目の前から自動的にどこか窮屈になりつつある部屋に押し込められてしまったのだ。
 ゼンジの身体を間借りしている遺伝子は彼の跡継ぎをこの世に残していた。彼はそのまま穏やかに果てることができるだろうか?――いいや、まだ、まだしばらくの間ゼンジの身体をもてあそび続けるのだ。ゼンジの身体の限界を知りながら――

 ゼンジは幸いに人間だったので
 それも良くあることのひとつだったにちがいない。誰がそれに気がつきましたか?――
 自分をただ調べるだけだったのだ。
 大きく取り上げられてはいないが、の後も彼は常に企業に関連し続けていた。
 だれがわたしのことを考えているというのか、それはまったくわたしの意に反していたことだった――

 ゼンジが空を見上げるとき――それはたいがいにおいて午後だった――その空には雲が見えた。それは誰もが見るであろう雲だったが、綿菓子が好きだったゼンジにはおやつのように見えた。そんなものだ。
 それだけでもわたしはうれしかったのだ。それが彼女のいった言葉だったから――わかりますか?
 どれがわたしに影響を与えたのか?――そんなことだれにもわかるまいくだらないことだ――そう、ほんとうにくだらないことだ!

 自分はほんとうにここにいるべき人間なのだろうか――それは最近ゼンジがよく思うことである。たいがいの人間は自分の時間が放棄されるまでに一度くらいは文化、芸術といった類のことを考えたくなるものだ――そのことをゼンジはわかってはいながらもその理解を超えた範囲で何度も繰り返し考えてしまう。それではゼンジがあるべき姿はいったい何であるのか?――それは『ロックンローラー』である。ギターを手にしたロックンローラーはゼンジが思い浮かべることのできるひつの理想像だった。ゼンジの幻滅――それは今あるすべてのミュージックは『ロック・ミュージック』となってしまったこと。猫も杓子もすべてがロックンロール――まあ、それもしかたがあるまい。古代、『ロックンロール』は『精神』であるとささやかれ、それは『スピリット』といってもてはやされた。そして最近におけるロック・ミュージックの形はじきにその時間を放棄してしまう『クレイジー・トミー』という道化者の姿に凝縮されていた。彼の作る、いや、ゼンジにとってそれは『リメイク』されたものであったが――ロック・ミュージックはときにゼンジを感動させた。繰り返し多少の変化を伴いながら行われるその曲のアレンジは時としてゼンジが受け付けることのできる波長にぴったりと合った。その波長のサイクルは、ゼンジが自分のあるべき姿について考えるときとほぼ同期していた。これから得る結論は何か?――ゼンジはまったくもって普通の人間だったということだ。

 少々、ゼンジはあいまいになっていた。
 ふらつきはじめた頭をはっきりさせるために二階にあるベンディングマシーンで中国製の強壮剤を買う。直輸入品なので成分はわからないが、ラベルの図柄からしてたぶん何かしらの植物ではないかと思っている。しかし、実際のところはどうだか?――エンジニアのウーがいればわかるのだが――ゼンジはそう思いながら小ビンのキャップを開け、多少粘りけのある液体を一気に飲み下す。腹の中が熱くなった。この飲料が頭に作用したというはっきりした記憶はない。そのかわり身体のなかで火が灯る感覚を覚える。

 *********
 モンローの像を崇める教団がニッポンで起こしたもめ事は、地球上に存在していたただ一人の火星人の女の子の消息を不明にする結果となった。だが、その話題もじきに消えてゆくだろう。女の子の世話は地球的規模で成されていたが、ほとんどの人間は彼女についてほとんど失望していたからだ。なぜなら彼女が自分たち人類と比較してあまりに変化がなかったせいである。ある科学者たちは彼女がいつか現すだろう(顕著な)変化を常に期待していたが、次第に自分たちの将来――つまりこの研究は無駄なことではないかという不安を覚えはじめていた。彼女のマニアたちは、彼女のことを精神的なレベルでまったく異なる人類であるといったことを唱えていた。しかし、ディアナの発見とともに興された火星進出事業は、変化のないディアナ研究とともに下火となり、WC―COM社会長マーレー・フラスコが己の時間を放棄したときにほぼ消滅した。WC―COM社も残っている長期プランを消化する方針を見せたが、一年半後、現実的なビル・フラスコはその事業から完全に撤退した。
 ディアナの父、ゼンジはディアナをその母、ナディアの元へと返した。そして誰もがディアナのことを忘れ、三つを結ぶ点――ゼンジ――ディアナ――ナディアは何事もなかったように新しい生活を手に入れた。
 ゼンジは知っていた。ディアナは幸せであり、それ以上にナディアも幸せであると。ナディアはまだ、一度は宗教暴動でほぼ壊滅した町で歌っている。彼女の手はまだバリ・ダンスを踊るためにあった。ゼンジはナディアを思い出す。そしてディアナを。ディアナは間違いなく自分の子なのだ。それを知っているのは、ナディアを火星から連れ去っていった今はもういない間抜けな宇宙飛行士――彼の伝記は既に絶版になっている――そして行方しれずの自称火星宗教伝道師のモーガン・サザーランドだった。そのモーガンもすでにこの世にはいなかった。彼はディアナが子を求める歌を歌っていた町で起こった宗教暴動に巻き込まれ、飛び交う石や瓦礫により時間を放棄してしまったのだ。モーガンは時間を放棄しなければならない状況に追い込まれ、今では頭から血を流したままの姿で宇宙をさまよっていた。愛車で廃車のロシア製自動車『ラダ』のシートに座りながら。彼は成層圏を超えた高いとところから見たいところを見ている。しかし彼は崇高な存在ではない。彼は成り行き任せにモノ事を見つめることしかできない存在だった。

 乳首教団でのいざこざ以降、防諜部を襲っていた郵便爆弾の数は減っていた。ゼンジはその解析のために頭をおかしくしてしまったウクライナから来た技術者アダホ・カーニャのことを思い出す。彼はプロフを作るのが旨かった。そして今ではホンコンのスタンダードとなっているランチ・ボックスの原型『ウー・ボックス』を造り出した苦学者ウー・フォンのことも。彼は優秀な郵便爆弾対策エンジニアだったが、乳首教団の一件以降姿を消してしまった。結局彼はその教団にかぶれさせられた人間の一人だった。彼ら二人がいなくなったあと、労務省ハローワーク人事院は一人だけ人間を雇うことを許してくれた。『人間』と断り書きをしてくるのは、彼らが雇用契約を結ぶ対象が三つ存在したからである。一つはイヌ、ハトといったいわゆる人間以外の動物、二つ目はデスク用の事務処理マシーン――その姿は人間の上半身を多分にデフォルメしたもので、イスに固定して利用されていた――そして最後が人間である。ゼンジは自分の雇用契約に関する必要書類の〈雇用条件〉が〈人間〉と明記されていることを願った。
 ウーの後がまに座った男の名はスタナーといった。彼の特徴は説明しやすい。それはこうだ――『いつも手袋をしている男』――彼はぴったりした手袋をはめながらキーを叩く。仕事にはまったく支障がないように見えた――なら問題なし!
「スタン、仕事はどうだい?」ゼンジがいった。
「ああ、ボス――特に問題ないですよ。ここのところ特に新しいタイプの爆弾はありませんね。ところでお腹でも痛いのですか?」新入りのエンジニアがそう訊いたのは、ゼンジが中国製強壮剤の余韻を鎮めるために腹をさすっていたからである。
「いいや、別に――あのドリンク、けっこうキクのさ」
「ああいったものを多く飲むといったことはあまりおすすめできかねますね」
 ゼンジはかぶりを振った「中国製で成分は全部生薬さ。だから身体に毒になるものは入っていない。きみにも飲むことをすすめるね」
 スタナーは首を横に振った。
「やめときます。ボスはカンジを読めるが、わたしは読めないのでね。遠慮しときますよ」

 *********
 すべての情報は防諜部をとおる。表だってはすべての通信は秘密である。しかし国家事業に秘密はない。彼らにとって民間の自由はクソったれだ。秘密を知らずして、治安は守れない――ごもっとも。
「ボース――また見つかった。あいかわらずウソっぱち」
 ゼンジの部下が無愛想にいった。彼の声は投げやりだったが、機械的に仕事をこなす姿と比較すれば、その声だけ人間じみている。――始末におえないやつだ――ゼンジはそう思う。防諜部の端末に座る人間たちは多い。その面々のほとんどは週単位で入れ替わるが、どれだけその容姿が変わろうと、そのすべての人間をゼンジは嫌っていた。彼らの性格やその仕事ぶりもまるっきりゼンジの好みに合わなかった。彼らのほとんどが中毒者だ――通信中毒者――そして、リンク中毒者。彼らは張り巡らされた情報のリンク先が知りたくてたまらない人間たちだった。そのリンクが途切れると発作を起こす。情報のDNAはいったん途切れ、また必死で次のリンクを捜す。発作を起こした人間はそのままリサイクルボックス行きで、代わりのリンク中毒者がやってくる。そうした中毒者を雇うのもイサオ・セキグチの考えだった。そうした人間は掃いて捨てるほどいるし、彼らは決まったカフェイン入り炭酸飲料さえ与えておけば、際限なく働き続けるからだ。そうしたリンク中毒者が辞めていく理由は他にもある。彼らはある情報を隠し、その情報流出者に対して、脅迫めいた行動を起こすためだ。しかし彼らはしつこくない。一度の脅迫であきらめる。その代わりに意味のない情報を無限に送り返し、相手の端末をパンクさせる。それが彼ら流の報復処置であり、うまくいけば願ってもない臨時収入を手にできた。ゼンジは彼らが嫌いだった。だが、彼らはゼンジの代わりにクソ面白くもないリンクを好きなだけたどってくれる。ゼンジがとるべき最善の方法は、彼らを気にとめないことだった。しかし、彼らが情報を見つければ必ず自分にお呼びがかかる――それがゼンジを腹立たせた。
 と、いうわけでゼンジの部下は、防諜部のネットワークを素通りしていく形のない情報から、悪意のあるウソっぱちを見つけたのだ。
「モニターは目が疲れる――プリントしてくれ」ゼンジがそういうと、部下はその指示にしたがい、表がツルツルで裏がわら半紙といった体の用紙に自分が捕まえた――実際にはたまたまトランジスタの条件にひっかかった情報がプリントされた。そこに書かれていた文句はこうである――
〈ボクはこの減肥剤でこんなに痩せました〉
 そしてその横にはその減肥剤を試用したと思われる人間の使用前・使用後といった体の写真が飾られていた。
「しょっぴこう」と、ゼンジがいった。そしてそのプリントを連行部への通信だけを仕事とする担当員に渡した。「あいかわらずの流言流布だ。ウソの情報はほっとけない。連行の手はずを――」ゼンジは担当員の顔を見る。担当員はドーナツを食べている最中で、口元には白い砂糖がついていた。ゼンジは悲しくなった。そしてため息をつくように続ける――「取ってくれ」
 ドーナツはまたハルおじさんとやらの差し入れか――ゼンジは途方にくれる。『ハルおじさん』とは、自称イサオ・セキグチがいた学校の同級生である。彼は甘いバタークリームを塗ったくったケーキの販売を生業として生きている人間で、「イっちゃんの友達」といった許可証で、ケーキやらお菓子やらを差し入れてくる。それも決まって夜で、すぐにその差し入れは賞味時間が切れたものと理解できたが、それでも防諜部で働くものはみんなそれを喜んで口にしていた。なんでこいつらはこんなにカフェインとかドーナツとかケーキが好きなんだ?――そしてゼンジは自分を嘆く――どうやったらこんな職場に居続けられる?
 幸いなことは、ゼンジが感じる『きらいなやつら』とは壁一枚を隔てて仕事を続けられることだった。
 彼が唯一安息できる場所はクッションの薄くなったイスだけだ。ゼンジは気を取り直す。
「スタン、今日のウソっぱちは五十件くらいだ。少ないと思うか?」
 スタナーは首を傾げた。「どうでしょう、ボス。今までの記録と比較してみては?」スタナーは興味のないそぶりだが、それはそれで当たり前の反応だった。それは彼が関知する仕事ではなかったから。
「ああ、そうだな」
「けれど、ボス、ウソの情報をチェックするなんて無駄な手数をかけているのではありませんか?」
 ゼンジは微笑んだ「前にいたウーやアダホも同じことをいっていた。オレもそう思う」
「それではなぜ続けるんです?」
「その情報がウソだからさ。ウソは人を迷わせるからな」

 これは傑作だ――ゼンジは町で配られていた今時珍しい、『号外』という新聞を見てそう感心した。その新聞は、過去に犯罪を犯した独自本能の素顔を紹介していた。彼ら独自本能が犯罪を犯していた頃は、彼ら自身の姿や写真が世間に知れ渡ることはなかった。それは未成年という身分は若い彼らの将来を保護といった目的で、写真などを公開していなかったせいである。その顔写真が今、この号外の中で公開されている――その理由は簡単だった――たいがいの独自本能の身分がすでに未成年の域を超えていたためである。つまり彼らは分別のある立派な『大人』という身分に達したわけだ。左側に彼ら独自本能の正面と右側から見た顔写真、そのとなりには犯罪を犯した頃の写真、そしてその下には全身写真で、その横に十行ほどの英語のコメントが印刷されていた。彼らのほとんどは一生施設から出てこない。そこで残りすべての時間を消化し、そして時間を放棄する。悪いものにはフタをすべきである。
 アキラという名の元若者の罪は強姦罪と殺人罪、殺人幇助罪そして銃刀法違反。中学生二人をリンチ・強姦したうえでナイフで刺しコンクリート詰めにした。
 元若者ミノルの罪は覚醒剤を服用した上で観光バスを乗っ取り、女性二人をカミソリで切り刻み、彼女たちの時間を放棄させた。逃亡路上で通り魔殺人。一般人五人をカミソリと鉄パイプで殺傷。一人が時間を放棄する。この罪を犯したとき、ミノルは高校一年生だった。覚醒剤は中学校二年の夏休みからはじめたらしかった。
 フユキは自分と同じ女子学生十二人に売春を斡旋し、その金をピンハネする。同会を抜けようとした女子の身体をノコギリでバラバラにしたうえ川や沼に捨てた。頭部は脱臭剤を入れた箱にいれ家に保管していた。高校一年の入学式まで一週間という時期だった。
 中年も終わろうとしているカズエは自分の娘三人の時間を夫の手を借りて放棄させる。いちばん上の娘十六歳はレイプされてから時間を放棄させられた。夫は獄中で自決した。カズエの夫は自決したのではなく、娘をレイプしたことに嫉妬したカズエによって毒を盛られた。収容所は犯人が見つからないままこれを隠ぺいしてきた。
 彼、彼女らは常識を離脱した弁護士たちによって極刑を免れていた。被害者の親たちは控訴したが、二審でも三審でも判決は変わらなかった。司法は最終的に彼ら、そして彼女たちの精神に障害があると見なしたのである。
 号外では彼らの現在の顔が写真で掲載されていた。
 ゼンジは考える――自分はこの号外を発行した人間の拘束を依頼すべきだろうか?

【続く】

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