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仮題:カシューム星人と地球人について 4 [仮題:カシューム星人と地球人について]

【4回目】

 友人がいった、「何やってんのよ」——それは友人がよく口にする友人自身のセリフだった。彼女はそれを聞いた。だが脚本家とたった今までしていたこと、いや——『された』ことを口にできるほど彼女は開き直っていなかった。友人の言葉は挨拶としてはとても適当な言葉であったが、真実は深い。友人自身その言葉は結果を求めるようなものではなかった。「おはよう」とか「めし食った?」とかいうたぐいの言葉だった。
 はたして彼女は友人の言葉にどう応えただろうか——彼女はこう応えた。「おそかったね」——とても小さな声で。脚本家は何かをいったか?——いや、何もいわなかった。脚本家はシャツの裾ばかりを気にしていた。
「ごめんね、このネコがあんまり可愛くて」と友人がいった。そのネコの首には飼いネコであることを示す首輪がついていなかった。友人が取り去ったのだった。友人の腕に抱かれたネコは、胸の中でまぶしそうに目を閉じ、ただじっと動かなかった。きっとネコは疲れていたのだろう。わたしがわかったのことのひとつ——バイオリンを弾くネコの姿はとてもこっけいで、この地球上ではありえない姿だった。ほんとうはネコにバイオリンを弾くことなどできない。そもそもわたし自身、どうやってあのバイオリンの弓を持っていたのだろう? そしてあの四本の弦をどうやって押さえていたというのだろう? 理解できないことである。
 ただ、この曖昧さが地球だった。

 彼女が少し間をおいていった言葉はこうである。「ほんとにおそかった」
 友人は少し顔を曇らせていった——「だ・か・ら——しょうがないじゃん。ほら、クロをひろってきたの——このネコよ、可愛いでしょ」友人はそういいながら、抱きかかえていたネコ——その『名前』はクロと名付けられていた——を彼女の前に差し出した。友人が彼女のワンピースの背中のホックが外れているのに気がついたのはそのときだった。それは型どおりに外れていたのではなく、布が破け片方のホックがなくなっていた。なぜ友人がようやくそれに気がついたか——友人の視力はさほどよくはなかったのだ。友人は視力の無さから目をこらし気味にして、うつむきながらシャツの裾をいじっている脚本家を見た。脚本家はその場を離れたいが離れられずにいた。
 そのとき友人の心の中でつぶやかれた言葉はこうである——『このクサレチンポ! 最悪! 最低!』そして実際に放った言葉はこうだった「おくれてごめん! 行こ行こ」
 友人はそういって彼女の手を取り、連れてきた仲間をうっちゃって部屋を出た。そして右手にクロ、左手に彼女を抱いて汚い廊下を歩いた。ごみ箱を蹴りとばしながら。
 これからが不可解なことであるが——友人はそのままこの街には似つかわしくない銭湯に入った。彼女を連れて。そして友人は——彼女の身体を洗ってやった。ときにタオルを強くこすりつけ——。
 そのときクロはどうしていたか——脱衣かごの中、彼女たちの服の上で静かに眠っていた。このあと、クロは友人が番台で買った牛乳を分けてもらうことになる。クロは友人の手のひらにためられた牛乳をなめた。

 友人が事務所で彼女と待ち合わせた日の出来事が、友人を日本から離れさせる結果になった。——これはたぶん当たっている。だが絶対ではない。それにはもともと計画があった。友人はその一年後、二千五百ドルのディンギを持ってアメリカへ行った。ドルとはアメリカという国におけるディンギの単位である。この国のディンギは円だったが、今は有能な民間首相の政策によりドルになる。
 友人の行為の相手は——彼女の初体験を手伝う生物はアメリカ人だった。ヒスパニック系の白人で、丸いメガネの似合うインテリ風の男だった。ガソリンスタンドにあるストアのバイトと、夜間学校で勉強する彼もまた脚本家だった。その彼の悲しい末路——ある日姿の見えなくなった彼は川に浮かんでいた。下半身には何も身につけていなかった。彼の症状は直腸破裂だった。アメリカ製の脚本家はかなり熱心な行為を行ったようだった。

 脚本家——こちらは黄色人種の方である——の最後の就職先はハム会社だった。そこにおける最終役職は流通部運送課長だった。脚本を書いていた劇団は、友人が出ていってしまったことが直接の原因ではないにしろ、徐々に団員が減っていき、最後には独り芝居をするにしろ、その能力のないものだけが残った。その最後に残った団員は少年の成れの果てだった。少年は心底の自由を得るために家を出、芸術は必ず自分の腹を満たすだろうと考えていた。つまり芸術家はカスミを食べて生きていると信じていた。脚本家はその少年に芝居をさせることをあきらめていた。脚本家は他の劇団のために脚本を書きはじめていた。だが、その作品が認められることはなかった。
 その家出少年はダンサーになった。名ばかりで何の活動もなくなった劇団——少年のほとんどの時間はダンスに向けられた。
 少年は路上で踊り、必要のないさい銭が集まった。少年は必要のない観客の前で、自分が欲するだけ踊り続けた。そのうち必要のないあるプロデューサの目にとまった。その必要のないプロデューサから必要のない指導を受けた(といってもプロデューサが少年にいうことはほとんど——何もなかった。ただ踊る順番を決めただけだった)。そして必要のないステージが与えられた。そしてさい銭の何百倍ものギャランティーが与えられた。必要のない契約をするために必要のない家から必要のない住民票や印鑑を手に入れなければならなかった。少年は未成年であったため、必要のない親から必要のない承諾を得なければならなかった。そして必要のない公演をし、必要のない旅をし、他人に感動を与えた。少年には感動を与える必要性はなかった。そして少年の名は必要もないのに他人に知れわたった。
 少年は必要のないスケジュールに縛られつづけた。少年が必要としていたものは、ダンスと睡眠そして食事だった。
 ある人はただ歌を歌いたかった。彼——または彼女は歌えればそれでよかった。
 少年にとって踊りが職業である必要はなかった。やりたいことは職業ではあり得なかった。——少年はそれでディンギを得る必要はなかった。ましてそこから税金としてのディンギを窃取される必要はさらさらなかった。

 わたしの得た知識のひとつ——地球上には『職業』というものが存在する。そして生活をするためにしなければならないことがある。しかし、わたしにはそれが職業であるとはいまだに思えないでいるのだ。それはなぜか?——わたしたちは生きるために知識を吸収する。それが職業とは思えないのだ。そこでわたしが結論づけたのはこうだ——それは身体が必要とする『養分』のちがいである。人間の身体が今の構造を保ち続ける限り、永遠に必要でないものを求め続けなければならなかった。そしてその身体は時間に支配され続けた。
 時間のエネルギーはいったい?

 少年を見限った脚本家はいかにしてハム会社の運送課長になり得たか? それは好景気に沸いた企業の誤算であった。
 この国では、資産価格がファンダメンタルズを大幅に上回ったことと、低金利で浮かれた時期があった。それはごくわずか数年のことだった。恐竜が生きていた期間にはとうていかなわない。その浮かれた時期は金融の引き締めであっというまに終えんをむかえた。そして恐竜が死んでしまったと同じように、何人かの『自称』企業家・実業家・投資家そしてたくさんの小さな企業が滅亡した。ハム会社が脚本家を雇ったのはそうした浮かれた時期のことだった。
 その頃のハム会社は自社の広告に躍起になっていた。資金の回転は驚くほど満足のいくものだったし、ちょっとした『高級』をうたえば、値段が高くともだれでも商品を買った。だが、それはハム会社に限ったことではなく、他社でも同じことだった。それだから少しでも宣伝を重ね、かさむ宣伝費は商品の値段に積み上げられた。
 さてハム会社には宣伝部というものがあった。そのバカ担当は会社が浮かれた時期に入社させた大バカもので、自分のアーティスティックな——芸術的な才能が評価されて入社したものと勘違いした男だった。バカな宣伝担当の立てた前衛的というよりアンリットなプランはどれもそこそこに効果をあげたかのように見えたが、そのどれもが、浮かれた時期の背景があってこその成功だった。
 バカ担当はアンリットの対象に脚本家の劇団を選んだ。宣伝担当は、劇団の写真をシールにしてすべての製品に貼り付け、こう広告をうった——「さあ、あなたも自然とバイオ技術が産み出した未来思考のハムを食べて、未来を先走る劇団の公演を見よう!」
 そのころの流行は歌で演劇などではなかった。結果としてバカ担当は時代を先取りし損なった。学者が太陽の黒点やあらゆる周期を過ぎ去ってしまった事実と結びつけるように、バカ担当は次の繰り返しが演劇であると予測していた。けっして歴史は繰り返さない——わたしの星では時間はしょっちゅうずれる。それに——この国は前回以来まだ戦争を起こしていなかった。
「地球が助かる未来志向ハム!」——ハム会社が商品化したハムは材料費削減のため、クローン牛で造られたものだった。それがハム会社のバイオテクノロジーだった。大量生産されるハムはどれをとっても同じ味に同じ質——究極の品質管理に置かれた未来ハムだった。
 ところが——最初が悪ければすべて悪い。浮かれた時期に審査された薬剤のように、ずぼらな審査でばらまかれるものは多々ある。未来ハムもそのひとつだった。このハムはとてもおいしい味をもつ高性能な毒薬だった。
 とにかく、バカ担当は未来のイメージを劇団に見いだした。脚本家の劇団は破格の値段——それは0が少ないほうの値段で契約された。ただその中の契約一年の条項として、『一年に十二本の舞台を上演すること』となっていた。それはなぜか?——応募の締め切りが一カ月ごとだからである。
 劇団がハム会社と契約したのは、幸いなことに友人が劇団を離れたあとだった。脚本家は自分の前衛的手法が評価されたとご満悦だった。友人はあの男のどこが新しいのか!——そして脚本家の書く台本を『積み木』と呼んだ。積み方を変えれば一丁上がりである。
 そのプランを最後にバカ担当はクビになった。バカ担当は自社のハムを買う購買層を忘れていた。主婦たちがなぜ、わけのわからない芝居を見るだろう。ハムは全く売れなかった。そしてそのころ——浮かれた時期はすでに終わっていた。
 脚本家がハム会社に就職したのはそのあとのことである。彼の役職は運送主任だった。だがその主任というのは名前ばかりで、ハム会社は脚本家を脚本家として採用したのだった。これは奇跡に近かった。脚本家がハム会社の求人を知ったのはハローワークだった。脚本家は劇団が解散したあとに残った舞台衣装の中から、ペラペラの生地で仕立てられた背広で会社の面接に行った。
「われわれが求めているのは脚本家なんです、それも『素人』の」と会社の面接官はいった。そして少しは責任のありそうな男がいった、「きみにはあらゆるイベントに対する筋書きを組み立ててもらいたいのだ」——そしてその腹心——実際、彼らにはプロを雇うディンギはなかった。少々インテリであればよかったのだ。脚本家の自意識は素人という言葉をすっかり聞きもらしていたようだった。
 つまり?——この世は誰が求められているかわからないということである。
 こうして脚本家はまんまとバカなハム会社の一員となることができた。彼は歯車になったのだ——おめでとう?
 小さな会議・社内で行われる各種会合、運動会や花見——脚本家はそういったイベントの台本を書いた。そして自分の作りだしたセリフを頭のはげ上がった課長、部長、専務や社長にしゃべらせた。会社に属する男女たちは忠実に脚本家の意志に従った。台本の一字一句を間違えることなく——たいへんな努力を費やしながら繰り返した。なかには、「ここんところをこうしたら?」という人もいた。そうした人たちのほとんどが若者だった。彼らは脚本家から見れば『なりたがり』だった。『なりたがり』とは、何にでもなりたがったることで、それを口を出さなければ気のすまなかった。彼らは自らの想像の中で『何にでも』なれるのである。そう——それが知識です。
 脚本家はそんな『なりたがり』の『素人』の言葉などに耳を貸さない。脚本家は自らの恐ろしくねじまがった信念により、それまでも誰が助言をしようとも、自分の本を手直しすることはなかった。
 友人はいった——「あいつの台本どおりになんかしゃべったこないわ、みんないっしょ。それにあいつ書いたら書きっぱなしで舞台になんか来ないしね。稽古だってこないんだからね」まあ、だいたいにおいて信念というのはいつもただしいとは限らない。なぜ初心貫徹できないか?——それはもともと信念が悪かったのである。その結果は浮かれた時期のこの国であり、今だった。
 この脚本家にとっては『春』だった。春とは季節を意味する言葉であるが、この場合は最盛期みたいな感じのことを示している。そう、劇団の頃にくらべれば脚本家は『春』のなかにいた。資金の心配もいらなかったし、会社の事務所は冷房が効いていた。セリフを与えられた者は誰も不平をいわない。脚本家の姿は、短パンにシャツといういでたちから、ブランドもののスーツになった——一着だけだが。
 だが脚本家は間違いをおこす。
 脚本家は企業であるが故に越えられないある一線——それは常識といわれたが——それに大いなる不満を感じはじめた。しゃべらせるだけではだめだ!——脚本家が夜、会社で書きはじめた台本は、社長に牛のぬいぐるみを着せるものだった。「モーモーモー、社員のみんなこんにちわ! ボクはウシくんです。みんなボクのおかげで生きているんだよ。みんなは自分自身に計り知れない値段をつけるくせに、ボクはたったのん十万で取引されてる! それだってボクがつけた値段じゃないんだ。それにボクはお金がつかえない! みんなが生きているのはボクがとてもおいしいからなのさ! モーモーモー」
 脚本家はこの台本でクビになる。
 そのころの脚本家はあまりに幸せだったので、彼女にしてしまったことなど忘れてしまった。

 旧マスターの精神波が急に増幅されだしたのは彼女が脚本家に犯されたことを知ってしまったときだったかもしれない。だがそれはずいぶんあとのことだった。旧マスターの精神波——それは『恋』のエネルギーによるものだった——は手をにぎったことさえない女性に対してわきあがったものだった。
 彼女が乱暴されたことは友人にも少なからず同様をもたらした。その夜——友人は銭湯に行った帰り彼女を部屋に止めた。家賃が二万五千円の部屋は、ソファが部屋の半分を占めていた。二人は二時頃まで数えるだけの言葉を交わしたあと眠った。友人は毛布をかぶって安物のソファに横たわった。眼下の畳では彼女が布団にくるまっていた。友人は彼女を見ながら指を使ってあそんだ——ゆっくりと。ふだんは新聞の通信販売で買った、マッサージ器を使っていた。それは本来マッサージに使うべきものだったが、その形はそうしたものにも使えることをあからさまに訴えていた。そのマッサージ器は一般新聞で買える。おまけに分割払いもできた。
 そういったものは案外多い。
 友人の精神波の高ぶりは、測定器があるなら針が振り切れるほどの激しさで頂点に達した。

 わたしは不思議だった。なぜ友人は彼女を抱きしめなかったのか——なぜ布団をはぎ取らなかったのか。それほど彼女の精神波は強かったというのに!
 それはなぜか?——彼女が起きていたせいである。友人はそれを知っていた。そして彼女は友人があそんでいたのを知っていた。
 こうしたコントロールは旧マスターにも共通していた。旧マスターの若い時代——二十一の頃の話し。男女の友だちとしたたかに飲んだあとに、ひと部屋で雑魚寝をしたことがある。そのとき、旧マスターのとなりには、好きな女の子が寝ていた。その子の胸は下着の上からではあるが、ソフトボールのようだった。旧マスターはその子の胸を十センチ先で目にしながらも、何もしなかった。
 これもコントロールである。

 友人はあからさまにはいわなかった。たとえば、脚本家が友人にした行為については、いくつかの名前がつけられている。友人はそうした言葉はつかわず、ただ『したの』といった。
 旧マスターは「そうですか」といった。わたしは最初、友人が何のことについて『したの』といったのかわからなかった。が、旧マスターにはわかったようだ。これはわたしの浅い知識ではとうていおよばない理解力であるといえた。旧マスターの心は一時さみしくなったようだった。割と上背のある男の体が急に萎んだように見えた。そう、そのとき一瞬時間は逆行したのだ。だがその時間もすぐにもどった。時計は何も変わらなかった。しかしわたしはあせらなかった。時計はしょせん時計なのだ。時計は時間のエネルギーで動いているわけではない——電池かゼンマイのエネルギーである。
 そのとき逆行した時間は旧マスターの時間だけだった。そしてそれはすぐに後戻りし、またすぐに時間は後押しされるように、先へ先へと急ぐように回転数が増していった。旧マスターは時間によって彼女のことを解決しようとしていた。強く念じるように。

 たいがいの場合において、旧マスターや彼女、そして友人たちの交わす言葉の量は少ない。それは言葉を惜しんでいるようであり、言葉では表せないものをもっているのかもしれなかった。そして——わたしは、彼らが言葉で解決不可能なものがあることに感づいているような気がした。
 さておき——わたしは彼らの会話がテレパシーにより成り立っていると考えたことがある。実際にわたしは自分の考えを彼らの精神に送ってみたことがある。だが応えはなかった。それでもわたしは落胆していない。たぶん精神波数が異なっていたか、相手側に応じる力がなかったか——そのどちらかと思っている。わたしは彼らの会話が精神波かそれとも何か別の手段で行われていると信じている。そうでなければ互いにあの強い精神波が発されるはずがない。
 友人が旧マスターに『したの』を話したあと、「ショービジネスをかけて」と旧マスターにいった。旧マスターはうなづくとカウンターを出てオーディオ機器のある場所へ向かった。
 この歌はある意味で——ショービジネス、それがミュージカルであれ道化であれ、それがさげすまれていることの歌だと思っている。その歌は地球上に存在するあらゆる職業——たとえば『肉屋』よりも『ベルボーイ』よりも、とにかく『ショー』がすばらしいのだと歌っていた。たとえ『ショー』の暮らしでどんなに苦労しようとも——
 わたしの結論はこうである。必要とされるものはみなすばらしい。洗濯ばさみはノーベル賞級の賞賛に値する。ショービジネスは多数の歌い手によって歌われ現在にいたる。友人が頼んだものは、女性が歌っている『バージョン』だった。『バージョン』というのは商売上非常に便利な仕組みである。

 彼女が旧マスターの店に顔を出したのは三日後のことだった。彼女は長かった髪の毛を肩にかからないところまで切っていた。そしてその色は赤茶色に変わっていた。旧マスターは彼女がたとえそうした色の髪の毛になっていても、彼女が彼女であることがすぐにわかった。たぶん脚本家にはわからなかっただろう。そのちがいは?——たぶん精神波のちがいである。
 片手に油のしみた袋を手にした彼女は、店に入る前の十分間トンと話しをした。その会話はこうである。「トン、元気?」
 トンは鎖でつながれていなかった。まだ食事を済ませていなかった。トンは、彼女にすがろうとするように、彼女がしゃがもうとすると同時に彼女の身体に飛びつきじゃれついた。彼女は持っていた袋を地面に近づけ、それを揺すってポテトフライを出してやった。
「トン、元気?」——彼女はもう一度訊いたが、食べるのに夢中なトンは、彼女の言葉に応じようとはしなかった。彼女は別に不満を感じなかった。それがごく自然に見えた。
 トンと家出人の共通点はなんだろう?——必要とするものしか必要としないことだった。トンは地球上に住む一生物であるが、トンはダンスを必要としなかったし、財布を持って歩かなければならないわけでもない。そしてトンは必要とするものを自分自身の手で見つけることができた。仮にそれが食事だとする——もしそこに食事が落ちていなければどこかに探しに行き、たまには動物や虫を食べた。そして人を見つけると食事をねだった。なぜねだったか?——それがトンにとり必要なものだったからである。
 時間が必要とするものは何か?
 彼女は旧マスターの顔を見るといった——「ひさしぶり」

 流れている『ショービジネス』を聴いたとき、彼女はなんの反応も示さなかった。実際彼女はこの歌を知らなかったし、歌っている内容も知らなかった。「あなたの友だちがいっていました、あなたがきたらこの歌をかけてやってくれと——」旧マスターがそういったとき彼女は初めてその歌に対して関心を示した。彼女が旧マスターに訊いたのはその歌の名前だった。
 地球上すべてのものに名前がついていた。この名前を覚えることは一般常識的知識である。その名前を知らなければ何もできなかった。だがわたしが見る限り、名前は本質とは関係がなかった。

 旧マスターが昼に店を開けなくなったのは六年前のことだった。夜の客が増えてきたことと、昼に働かなくてもそこそこの商売ができるようになったからだった。それを知らなかった彼女は一度だけ閉まっている店に来てしまったことがある。
 彼女の目の前には普段と変わらないドアがあった。そのドアは店が閉まっていようが開いていようが変わらない。店の外灯はそこだけ電力が低下しているかのように控えめだった。地面に置かれた看板の電気もときどき消えていた。ところがちがうこと——それはトンがいないことだった。
 そもそも店が開店したころトンはいなかったが、その頃はトンがいないことが違和感をもたせるようにまでなっていた。時間は物の存在を造りだした。トンは犬である。犬にも時間があった。だがトンはいったいどんなエネルギーを時間に与えているのだろう。
 ドアはいつものように押すと開いた。丸テーブルの上にはイスが逆さになって上げられていた。店の中をそっと見回す彼女の耳に入ってきたのはこんな声だった。「はい?」——それは旧マスターの声だった。旧マスターはなんと思ったか?——『なんて間抜けな声で返事しちまったんだろう』——そんな感じである。彼女はその声を探した。そして何かが近寄ってくる気配。それはトンだった。
「閉まってますよ」奥から出てきた旧マスターの頭には、色落ちしたバンダナが巻かれていた。彼女の存在を見た旧マスターは正直うれしい気持ちになった。そして自分の年を考える。——わたしはうれしいことをこんなに素直をよろこべるようになりました——ね、『神様』
「閉まってるんだ」彼女がいった。そして足下でじゃれるトンの頭をなでてやった。
「ああ、昼は閉めることにしたんだ——あなたは五人目」
「五人目?」
「せっかく来てくれたけど追い出さなきゃならない——」旧マスターはそういってカウンターにのせていたイスをひとつ下に下げた。「——でもちょっと休んでいったら」
 旧マスターがした行為は他の四人にしたこととはまったくちがうものだった。五人目の彼女には『特別待遇』が与えられた。
 彼女はそのイスに座ろうと思ったが、トンの姿が気になってしょうがなかった。トンの姿があまりにさみしそうに見えた。耳の垂れたトンはひどく怠慢そうに歩いた。その真意をさぐるために、彼女はついにしゃがまなくてはならなくなった。「トン、元気だった?」
 トンがいった、「ウゥーン」
「なんか元気ないね——ねえマスター、トンがおなかすいったっていってるよ」
 彼女は犬語がわかった。
 トンは彼女のクツの臭いをかいだ。トンは腹が減っていた。
「なんだかさみしくてね」旧マスターがトンを見ていった。「元気ないんだ、でも——」
「でも?」
「あなたが来たからちょっとは元気になったみたいだ」
「そんなことないわ」
「そうでもない——ボクといっしょじゃこいつも退屈なんだろう」

 このとき、彼女は春休みだった。就職も決まり、住む場所もすでに用意していた。彼女の就職先は、株式二部に上場したばかりの工事会社だった。社名は英語だったが、しょせんは工事会社であり無骨な男たちが多かった。無骨な男は優しいが、その会社は女性にとってぬるま湯だった。彼女はその会社を十カ月で止めた。
 次に就職した会社は、教材を販売する会社だった。その会社は奇跡を思わせる値段の教材を売りまくることだった。そしてそれを売りさばくことは不可能を意味していた。彼女は朝九時から夜一時まで働いた。その時間の大半は外回りで、街の中を歩いて過ごした。そうした時間のリズムは、彼女を旧マスターの店から遠のかせたか?——遠のかなかった。彼女は夜一時半に店に来て最後の三十分を一杯のスタウトビアでくつろいだ。
 旧マスターの店で注文以外はほとんど口を開かない客がいた。彼女は一度その客に訊いたことがある——「いつも静かに飲んでますね」すると客は応えた。
「あまりに仕事でしゃべりすぎるから、口が疲れちゃってるんだ」
 彼女はその応えに同感した。しゃべることは義務ではない。言葉を覚えることやしゃべることは義務ではない。ただ必要なときがあるだけなのだ。
 彼女はその『奇跡教材会社』を四カ月で止めた。彼女はその会社で働きながら、次の仕事を探していた。そして見つけた仕事はスポーツクラブの受け付けだった。
 彼女の休みは週に一回で、水曜日だった。
 水曜日に休む店は多い。

 友人はバイトをしていた。彼女のバイト先は、アパートのある街の駅から三つめの街にあるコンビニエンスストア、そして、ビニールでできた手袋をつけて作業する、食材加工会社だった。食材加工会社は、ランチボックスなど弁当をつくる会社で、彼女以外の働き手はみな年上だった。はたしてコンビニエンスはどうか——そこはすべてのアルバイターが彼女よりも若かった。
 彼女がアメリカへ行くことを具体的に決心したとき、この二つのアルバイトの他にもう二つ——これは規則的ではなく不定期なものだった——が加わった。交通整理とバーである。そのバーとは何か——それは旧マスターの店だった。
 彼女がアルバイトを探しているときに旧マスターがすすめた仕事だった。
「バイトを探してるの?」
「そうなの——ちょっとでもお金を貯めたくて」
 旧マスターはしばし考え、そして提案した「どうですか、もし夜遅くでいいのならバイトならここで働かないですか?」——そして旧マスターは、夜一時頃から店が終わるまで、洗いものと店の片づけを手伝ってほしいといった。友人はその申し出を一も二もなく引き受けた。
 ちょうど旧マスターと友人の間でその話しがあったとき、彼女もそこに居合わせた。彼女は「そうしたら」と友人にいったが、それは自分自身にいっているようなものだった。
 そのころの彼女は、これからやるべきことが何一つ見えていなかった。まだ応えは見つかっていなかった。それはちょうど彼女が二十二の頃だった。そうしたときに、友人の日々は目的の実行をめざして着実に過ぎていった。
 そのころ彼女の別な友人——それは単に同級生という間柄で彼女の知る由がないところであるが——はセーラームーンという店で働いていた。その別な友人は親元から店に通っていた。それは仕事だった。そして今でも仕事なのだ。
 一時期、仕事をする世界のことは『業界』と呼ばれた。そしてお客を採ることを『営業』と呼んだ。また、漫才という本職を省みるとき、人はそれを『ネタ』と呼んだ。
 このすべては日本語である。
 仕事の『し』の字に足を踏み入れた人はみな『職人』になりたがっていた。
 たいがいの日本人が忘れたこと——それは他人がいることだった。多くの日本人が不満になった原因——それはなんでもない人間が『スター』になることだった。そして何でもない他人がディンギを払っていることだった。
 ある人はそれを『不公平』とみた。
 しかしそれは『逆恨み』というものである。

 それはある大病院がつぶれた日のことだった。友人はその日、アメリカへと旅だった。病院がつぶれたことと友人の出発には何の関連もない。アメリカ入国にはプログラムがあった——それはそれさえ通ればビザなしでも入国できるといったものだった。友人には三カ月のビザが与えられた。友人の所持金は三十九万円だった。

 旧マスターは彼女が乱暴されてしまったことを知っていた。が、それを口にすることはなかった。旧マスターはいつでもそのことを口にすることができたかもしれない。だが彼女に対してそれをいうことはなかった。旧マスターは、少しでも性的な要素が含まれることを女性にいうことができなかった。——らしい。
 そしてわたしカドミウムは、人をかたわにした。だがわたしを弁護してくれる人間もいた。わたしを使ってディンギを稼いでいた人々だった。それでもわたしは悪者だった。だがたしかにわたしは悪いのだ。この星において——わたしは後始末のできない生産者が垂れ流したクソだった。

 彼女が最初にもらった手紙はこうだった。
『今日ニューヨークに着いた。今は——汚いけれど広いホテル。おじいさんが独りでやってるみたい。人がよさそうよ。いきなりバスルームでゴキブリを見たわ。でも日本でも見なれてるからだいじょうぶ。
 でもわたし気がついた——もっと英語を勉強しなきゃならないってこと! このホテルにチェックインするときも一悶着、英会話の本のとうりにはいきません。
 とにかく英語勉強しよう!』

 彼女はその手紙を旧マスターの店で読んだ。昼間は読む暇がなかったし、どこへいっても騒がしい街では、手紙がかわいそうだった。彼女はその手紙をくつろぎながら、暗がりで静かに読みたかった。そして読み終わったあと——映画や本の感動を誰かに伝えたくなるように——彼女はその手紙を旧マスターに手渡した。
 旧マスターはどんな格好でその手紙を読んだか?——旧マスターの身体は客から見えなくなった——カウンターの下に隠れて読んだのだ! これは旧マスターなりの、よろこびの表現であったといっていい。そのよろこびとはなにか?——それは彼女と『あること』を共有することだった。『あること』とは?——なんでもいいのだった。なんと単純で純粋!
 彼女はうれしそうな顔をしていた。彼女もまた、旧マスターとの『なんでもいいこと』を共有することに内心よろこんでいた。
 友人は接点だった。旧マスターと彼女を結びつける接点——それが友人だった。二つ以上のものを接続する点だった。友人は自分の知らないところで接点にされようとしていた。あらゆることにおいてきっかけが必要だった。話しをするにも、歩くにも、そして手を触れるにも! ああ、じれったい!——ああ!——まったく都合がいい。
 つまり友人はスイッチだった。こんな音をたてる——『カチッ』
 彼女の精神波はその手紙を通して太平洋を渡るとともに、一部がもれ出すように旧マスターへと注がれた。そして旧マスターの放つ、彼女へ向かうべき精神波は自分にぶつかったりを練り返した。
 人間にはスィッチが必要だった。それもキャラクターによるものが——ね!

 友人はアメリカに三カ月しかいなかった。それは何故か? 入国プログラムが与えるビザの期間は三カ月だったからである。友人が最初に探したものは仕事だった。どうしていいかさっぱり見当のつかない友人は、ホテルの老人に訊いた。働きながら英語を覚えることができればいい——そう考えていた。
 ホテルの老人は「英語を覚えたければ学校へ行けばいい」といった。友人は『やっぱり学校かぁ』と思いながら、その学校はどこにあるのかと訊いてみた。老人は自分の故郷の学校の名をいった。それはちがう国にある学校だった。
 彼女が結局選んだものは皿洗いだった。その店は中国人の経営するレストランだった。店内では白人の客と中国人のウェイターが英語を交わしていた。彼女の働く厨房や洗い場では中国語のみが飛び交った。唯一外国語を話す相手は、モップを握ったラテン系の掃除夫だった。その年をとった掃除夫は英語をしゃべることはできなかったが、片言の中国語をしゃべることができた。彼女が裏口で休んでいるとき、掃除夫と話すことがあった。
「芝居ね。いいね」掃除夫がいった。
 彼女はそこに二カ月間つとめた。

 芝居をする——それは友人がしなければならない目標だった。が、どうしたらこの街で芝居ができるのかわからなかった。芝居のしかたは知っている。それはどこででもできることだった。ダンサーの家出少年がしていたように。家出少年は路上で踊っていた。それは実に自然な行動だった。家出少年に踊れるところは路上しかなかった。
 友人にとっての芝居には脚本と舞台が必要だった。それが友人の芝居だった。友人はそれを探さなければならなかった。
 わたしの知る限り友人のエネルギーは再生可能だった。リサイクル可能な半永久機関だった。
 友人は単純な毎日を繰り返したが、その心は混沌としていた。部屋に戻ったとき——それはたいがいにおいて深夜だった——友人はひといきり静かに、そして深くため息をついた。窓の側においたイスに座り、桟に肘を立て暗い夜を眺めた。友人は、『夜はどこにいても似たようだ』と思った。そしてこうも思った——彼女はどうしているかしら——。
 友人はどちらかというと手紙を書かない方だった。仮に書くにしろ、——まだその時期ではないと思った。それよりも、友人には書くことがなかった。誰が今日食べたものを聞きたがるか?——だがそれはたいがいにおいて手紙を書けないものの強がりである。手紙を受け取ったものは、それが親しい人からのものなら、どんな言葉であるにしろ感動を得るものらしい。
 友人が窓際でため息をついたとき、夜の先には彼女がいた。彼女のことをひといきり思い浮かべると、テーブルの上においたドラゴン・ディナー・パックを広げた。それはアルバイト先のレストランで働くコック・ウーがこしらえた持ち帰り用のディナーだった。普通はチャーハンの上にとろみのついた野菜炒めがかけられたものだったが、友人が持ち帰ったそれにはコック・ウーなりの愛情が込められていた。その『愛情』とはトッピングされた『シュウマイ』だった。
 友人はミネラルウォーターで遅いディナーをとったあと、コーヒーを二杯飲んだ。

 友人がコーヒーを飲んだとき、彼女は路上にいた。出先の帰り道、午後一時半の遅いランチだった。彼女はハンバーガーを買った。散らかった店の中で食べる気にならず、近場の公園に足をのばした。公園はちょうど昼の清掃が終わったあとで、ベンチはきれいに掃除されていた。
 彼女がハンバーガーを口にしていると、子どもを連れた主婦の姿が少しずつ目立ちはじめた。主婦たちの何人かは彼女と同じ年令に見えた。それでも彼女や主婦たちは同じ時間にいた。
 カバンから取り出した求人情報誌には、彼女の『カン』に訴える見出しは何ひとつ見あたらなかった。彼女はその情報誌に何を見つけようとしていたか?——それは仕事だった。彼女は次の仕事を探していた。
 砂場で遊んでいる子どもの身長は六十センチくらいだった。六十センチ!——長さを表す単位はちがっても、物理的な高さはわたしが知ってる宇宙人と同じだった。そしてたぶん——その子どもたちは栄養と時間によってだんだんその身長を伸ばして行く。
 子どもたちは彼女たちの性から産み出されたが、ときおりそれを望まないものたちのために、その誕生を阻止された。そうして生を失った子供たちの一部は薬の原料や血液製剤にされ、人間に摂取された。子どもは人間の『養分』をたっぷりと含んだ栄養剤だった。
 栄養剤になることをまぬがれた子どもたちは砂場で遊んでいた。その砂場を掘り続ければマントルへと突き当たる。が——どうあがいても子どもたちはそこへ行き着くことができなかった。その砂場はコンクリートで固められていたからである。
 ベンチに座る彼女が口ずさんでいた歌は、『ショービジネス』だった。
 パン屋よりも肉屋よりも何よりもショーがいちばんなのだ。——だが彼女はショーをおもしろいとは思わなかった。彼女は芸術をないがしろに——とまではしなくても、理解を示そうそうとはしなかった。そのほか小説・音楽——それらは彼女にとって、必要のない文化だった。そしてそれらのほとんどが彼女にとってちがう時間のものに思えた。まるで地球の裏側だった。
 彼女は過去がきらいだった。だから明日を探した。彼女の時間は未来に流れようとしていた。
 そんな彼女が口ずさむようになった歌——それが『ショービジネス』だった。

 旧マスターはまた過ちをおかしそうになっていた。過ちとは?——小説を書きはじめたのである。部屋の中でコンピュータの白黒モニターが暗く光った。
 旧マスターは思い出しつつあった。過去に存在した女性を、そして現在に存在する彼女を。過去の女性は、そのまま姿だった。彼女の笑い顔はまだ新しかった。

【続く】



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