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仮題:センス・オブ・グラヴィティ 5 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【5回目】

 わたしの体重が軽くなっている——そう気づくことは毎日の日課で、その理由が病気のせいであることもわたしは知っていた。わたしの持つ浅はかな知識は、ウソの○○○家を演じるたびにしようのない脳細胞にこびりついていった。広く浅はかな知識ほど悲しいものはない。わたしは、わたし自身の判断により、わたし自身の身体を滅ぼし続けてきた。
 わたしの体重が軽くなってきた。
 これは重力からの解放を示す兆候か?
 体重がゼロに近づいてゆく。
 ゼロはいいね。
 重さなし、質量ゼロ、身長もゼロ、ウエストゼロ——
 けれどもわたしは間違いなく存在していたし、今もしている。
 その証拠?
 たくさんとはいえないが、少なくとも限られたヒト科の生物たちは、わたしの所在を認めてくれたからだ。
 人の目にはわたしの姿、もとい、存在が草木のように見えるはずだ。
 最後には細分化されて結局分子だ。
 だからだれもわたしを捜せなくなるだろう。

 沈黙——それはわたしの時間だった。わたしの時間があまりに長すぎ、騒音すら間延びして沈黙に変わっていた。
 天井にさえぎられて空など見えない部屋にいるはずなのに、わたしの身体全体を覆うように空が重くのしかかってきた。ここは部屋の中だというのになんてことだ! わたしの心身の中に被さる漆黒の闇——わたしは射手座の弓を引き、オリオン座の重圧に耐えながらひしゃく星がこぼす水をなめた。その水はあまりにも冷たかった。
 気がついたとき——横になったわたしの口元から頬にかけて白湯がひとすじ、そしてまたひとずじと流れ落ちていた。吸い飲みをくわえる口からこぼれおちたものだった。
 こぼれたっていいじゃないか? すべては自身の胎内宇宙に起因するものだ。
 わたしはただじっと動かずに座っていることのできた人間だった——それこそ『王様』のように。そして今のわたしはじっと寝ていることができた。わたしの頬をつたう白湯は水というそれ自身の性質も手伝いながら、地球の起源をほうふつさせる生命力を見せつける。そうした生命力とわたしがいっしょにいる様を見て、たいがいの霊長類ヒト科の生物はこう表現するだろう——
『この人死んでるみたい』
 わたしの周囲を埋めつくす時間がどれだけ年を食いつぶそうとも、わたしには新しい記憶が生まれない。そして古い過ぎ去りし時は虫に食いつぶされる運命にあるはずなのだが、それは未だに残っている。
 わたしの頭の中に鮮明に張り付いている記憶のトップ3は、ヒデコさん、トキエさん、そしてわたしの進化に岐路を与えてくれた女性だった。その女性ときわめて近い場所に存在した時間はたったの三時間だった。それにも関わらず、彼女の記憶がいちばん鮮明だった。
「そうじゃのうボウズ——聞いているかな?——あれは——あの方は最高の女性じゃった」わたしはもし機会があるならば、ミトコンドリアを捨ててまで人間の核になろうとする精子——わたしが持っていた唯一の繁殖手段——にそう語りかけるだろう。わたしは語りかけ、そして相手は応える。
「(ピョン——相手は跳ねまわる)それじゃボクをその人の中に入れておくれよ」
「それはできない相談じゃボウズ」
「なんでさ(ピョン)」
「あの人は人間だからじゃ」
「じゃあ(ピョン——相手は宙返り)ボクはいったい何になるの?」
「とんでもないものになるぞ。多分わたし以上に人間からかけ離れたものになるじゃろう。ああ、おぞましい」
「それは病気ってことかい?」
「ちがう。病気じゃない——先祖返りに退化——それとも進化だろうか。ええい、ボウズがいちばん知っているはずだ。ボウズの身体の中にしまわれている細胞をいまここで広げて見ろ——そうしたらわかるはずだ」

 老婆の身体はときどきダーウィンの歯や爪によって傷つけられた。ダーウィンはただ彼女にじゃれていただけなのだ。しかしそれはわたしの見解で、ダーウィンが他の考えで彼女を傷つけたとは思いたくないだけだった。
 少ない確率で老婆に待合い室で会うにつれ、彼女がわたしに話すことの大半は愛犬のこと、そして本人いわく『たんまり』蓄えたディンギのことになっていった。最初よく口にしていた息子たちの話題は薄れていって、わたしにはそれが悪い兆候であると感じられた。たいがいの人間は悪口を口にするらしいので。
 わたしは病室に入ってくる看護婦に訊いた——「あのおばあさんの加減はどうですか?」
「あの人は・・・」看護婦はそういったきり口をつぐんだ。まあ、いいさ——わたしは素直にそう思った。だれにでも秘密はあるのだから。そしてだれでもそれを隠したがるものだ。だがそれと同時に大きく、ウンカの大群のような公衆の面前で時々一笑しながら強弁したがるのもまた事実。それが報道の原点でもある。わたしをエセ評論家/学者/文化人に仕立て上げたディレクターもポーズをつけ、かつ自然そうにそうまくしたてていた。あのなつかしい、ある時点においてわたしに働きかける重力の中心であったバーの中で。そうそう——あの店によく顔を出していた広告会社の女性社員もそれに賛同していた。
 それにしても『知る事実』とはよくいったものだ。知りたい事実など事柄が過ぎ去った後にしか残らないのだから。それにその事実のほとんどは報道がなければだれも知ろうとは思わない。過ごしたこともない古い時間がなつかしく感じるのは、その頃の時間はとてもゆっくりしていたであろうからだ。わたし自身の時間はそのころとあまり変わらない。言い換えれば——わたしは取り残されたのだ。
 ナフカディル・モシアズは彼自身の小説でわたしをいたわってくれた。彼によると、わたしが取り残された理由は、だれかが、時の流れを波ではなくデジタルに変えたためだった。時の流れがデジタル信号に変えられるときに生じるジッタや誤差——わたしの時間はちょうどそこに存在していたためだというのがモシアズの見解だった。

 わたしは小さな病室の窓から月を見た。月もずいぶんと小さくなったものだ。わたしは月を見ることが大好きな女性を知っている。それはとても——とてもプライベートな話しなのでここでは伏せよう。自分の脳細胞に刻みつけられた大事な、とても大事な記憶だ。

 わたしはすべてを引きずった状態(そう、いつも引きずりっぱなしだ)でトキエさんと再会したとき、わたしは柄にもなく『とても素直』に『感動』した。ただ感動したのだ。なんのくもりや混じりっけのない純粋な感動——わたしはほんとうに心から感動した。トキエさんに会えたことはわたしに生命の尊さを知らしめてくれた。絶滅寸前の生物が最後の同類に出会った——たぶんそんなことだったのだろう。今ではありえないことだ。今のわたしにそうした同類はいなかった。
 トキエさんは肩ひもで吊らされたスリップみたいなワンピースに毛玉だらけのカーディガンを肩をあらわにしながら羽織っていた。当のわたしは、相変わらず土か草みたいな格好だった。
 彼女——トキエさんはトキエさんであり、しかしトキエさんでないようにも見えた。それは服装のせいだったかもしれないが、わたしが覚えている限りではあの口紅のせいだと思う。とても真っ赤だったのだ。総体的にわたしが市役所で見ていた彼女ではなかった。
 わたしはトキエさんが働いていた場所に案内された。遠く離れたところに海があり、その場所にも潮の香りが漂ってきて、わたしの鼻をムズムズさせた。案内された場所は飲食店のようなカウンターがあって、パッと見たところラーメン屋が居酒屋といった体だが、カウンターの中には小さなガスコンロとヤカンしかなかった。カウンターには調味料も置いていない。スポーツ店の名前が入ったカレンダー一枚きりしか飾りのない壁には、たぶんメニューが貼ってあったのだろう痕跡がうかがえた。実際そうだったのだが、そこは店をたたんだラーメン屋のなれの果てだった。
 わたしは足が四本で背もたれのないパイプイスに座り、カウンターの前でかしこまった。知らない場所では当然の仕草だ。トキエさんがお冷やを出してくれて、わたしはそれを遠慮もなく一気に飲み干した。そしてトキエさんがわたしの隣に座ると同時に、二階へと続くのだろうカウンターに近い階段の奥から音が聞こえてきて、心の準備もできぬまま、その主が正体を見せた。
 それは太った年増の女で『ママ』と呼ばれていた。

 わたしが何かを訊ねる相手はたいがいにしてモシアズだった。恥ずかしい話しだが、わたしは『彼』ならわたしの『気持ちがわかってもらえる』のではないか——そう考えていたのだ。わたしの悩みのひとつ——それはどういったことか?——それはこんな感じだ。
《拝啓
 ナフカディル・モシアズ様
 わたしは自分の母親がきらいです。なぜなら、母親は父親の命を奪ってしまったからです。つまり彼女は父親の時間を永久に放棄させた張本人なのです。わたしの父親は対外的に病気のために命を落としたことになっていますが、実際はストレスによるものです。そしてその源は母親なのです。このことはだれもしりません。話してさえもいません。なぜならみな母親のことを信じているからです。彼女は労られてさえいます——なんという完全な犯罪だと思いませんか? 毒薬も凶器も何もいらないのです。ただ生活するだけ——それだけなんです。
 最近、わたしもある恐怖を感じています。ストレスです。血液中アミラーゼが順調にその値を上げ続けている現状であり、わたしは自分の臓器が腐敗していくさまをただ自分で感じ続けるしかないのです。
 母親の前に立つと、彼女の犯罪者としての顔がわたしの身体を震え上がらせ、またストレスを感じる——その繰り返しの毎日で、わたしの身体は日々破壊されつつあります。
 わたしはいったいどうするべきなのか?——》
 モシアズは返事をくれた。それはこんな調子だ。
《父親の一件は警察に話すべきでしょうが、そうしたケースは多々あるので、拾った十円玉を届けるのとあまり変わらないでしょう。つまり『お帰りください』ということです。
 それから母親のことですが、こう考えたらいかがでしょう? 自分の産んだ人間によって時間を放棄されるなら、それはそれで自然の摂理というものです。母親の意志——これは父親にも当てはまるのですが、育てるために産んだということばかりではないということです。それもまた彼らの意志なんです。滅ぼして当たり前——または滅ぼされて当たり前。意志や考え、それに哲学はどこにでも転がっています。そうしたものをつぎはぎにつぎだしていって、あなたの人生は決まるのです。
 それともうひとつ。
 わたしたちはみんな神が造り出したコピーです。たまにはコピーも失敗する。小さな会社じゃよくあることで、ひろーく考えれば、みんな、すべてが、この世の中を形作るすべてのものが等価となります。
 つまりこうですね。
「だれが失敗コピーを捨てるために『悩み相談室』に手紙を書きますか?」
 まあ、気を落とさずに毎日をゆっくり過ごしてください。》

 わたしはトキエさんと再会した土地に根つき、その場所でもボランティアを続けた。時間があれば、店の手伝いもした。といっても料理を出すわけでもないその店では、床掃除くらいの仕事しかいらなかったが。
 その場所の市役所はとても立派だった。わたしが最後にいた場所の市役所——つまりトキエさんといっしょに働いていたところよりも、見かけも内容も格段にちがっていた。大きくはないが趣がある——壁の外装やタイル——とても落ち着いていて上品だった。小粋なホテル。あと少し手を加えれば、一昔前の王朝のようだ——というのはいいすぎだだが、とにかくすばらしかった。
 わたしはトキエさんに話した。
「トキエさん、すごいところだよあそこ——行ってみたことある? 食堂は安くて、サシミもあるんだ」
 トキエさんは「ああ、そう」というだけだった。
 以前よりも疲れて見えるトキエさんはたいがい夜に仕事していた。店を閉めるのは二時過ぎだが、客しだいでは午前五時までかかるときもあった。そうした時間だと飲み屋を何軒もはしごした人間たちがほとんどで、わたしは彼女にいたわりの言葉をかけてやった。するとトキエさんはこういった、
「あんたってあいかわらずやさしいわね。でも心配いらないわ。その頃の客ってたいがい事始めのビール一杯で寝てしまうわ。結局何もせずにお終い。でもなかなかいかなくてずーっと腰を動かしてるやつもいる。そんな時は参るわね」
 それでもトキエさんは朝の十時には起き、借りているアパートの窓に置いた小さな鉢植えに水をやった。髪の毛は方々の方角を向いていたが、その姿が窓から射し込む陽のシルエットとなったとき、わたしは羽衣を着た天女を思い浮かべた。
 トキエさんの羽衣——実際彼女が着ていたものといえば、昨日のままのスリップ一枚だったり、電気メーカーの名前がプリントされた薄っぺらでペラペラのTシャツだった。
 それが羽衣だ。
 感動は素直なもので、ウソなんかこれぽっちも存在しなかった。
 天女は浮かぶ。彼女は重力を無視し続ける。

 クルリンと一回転。サルの仲間に分類されるダーウィンの行動は敏捷・しなやか・奇抜で力強く、そして軽やかだ。彼は重力を妨害できる『何か』を持った生物だった。わたしは重力に足を引っ張られ続けだ。ダーウィンは平気で何回でも宙返りを続ける。彼は無邪気だ。だが彼は恐ろしくもあった。
 彼、ダーウィンはたった今隣の老婆に致命傷を与えてきたのだ。
 ダーウィンは人差し指を口にくわえていた。それはあきらかに霊長類ヒト科のもので、爪にはマニキュアが塗られていた。彼はそれを食料と間違えたのだろうか?
 わたしの目にキラリと光るものが見えた。それは人差し指の第一節にはめられていた指輪だった。ダーウィンはこそれが欲しかったのかもしれない。だからといって指を咬みちぎるなんて——わたしは恐ろしくなって、実際血の気がひいた。
 それからわたしが気がついたこと。
 その指輪は、遠い昔——たくさんの時間をさかのぼったところで見える事実——わたしがわたしの初めてを捧げたヒデコさんに買い与えたものだった。

 わたしがトキエさんと暮らしていた本土に近い雪の降る港町は、わたしたちが住みはじめる前から徐々に人工が減りはじめていた。それは景気の後退によることで、仕事にあぶれた人間は街を出てゆくしかなかったのだ。景気がよかったころ、ヒト科たち——主に本土のヒト科だったが、彼らはたくさんのレジャー産業を産み出していったものだが、それもいまじゃお荷物だった。特に完成を待たずに尻切れになったものがほとんどだった。駐車場にしといたほうがよっぽどディンギになる——わたしは無責任にもそんなことを口にしたが、「あんな山の中にだれが車を停めにいくべ」といった意見でひと蹴り——やはりまだまだわたしはケツが真っ青な青二才だった。とにかく廃れた観光施設は多かった。時間をさかのぼれば、多くの人間たちが行楽の落とし金——ならぬ落としディンギに期待を寄せていたのだろう。大繁盛になるはずの施設に就職の決まっていた人間の大半は絶望のためにそこらじゅうに火種をまいた。
 わたしは彼らを養護できる立場ではなかった。それはなぜだろう。一度ならずわたしは『失業評論家』の職についたことがあるせいだ。わたしは失業者の味方などしなかった。仕事にあぶれる人間を避難し、経営者にリストラや首切りを指南したくらいだったから。わたしは筋書きどおりに口にした——
「相手が泣き出したら困りますのでティッシュペーパーくらいはとなりに置いておきなさい。泣いた相手をなぐさめてはいけません。同情は禁物です。第一にあなたは経営者で自分の会社を存続させる権利がある。そしていちばん重要なこと——泣きやんだ相手は次にいったい何をするでしょう? 二通りのことが考えられます。ひとつはグチをいいながら部屋を出ていく。そしてもうひとつ——これはあまり考えたくないことですが——あなたを殺すつもりでかかってくるのです! じっさいそうでした——どれだけの経営者が危ない目にあったことか! しつこい人間は何度でもやってきます。あなたがたのような零細企業ではボディーガードをつけることもままならないでしょう。そんなことに回す経費はないでしょうから。ですが、何か不意をつかれたときに返すことのできる、そんな『技』を身につける必要がありますね」
 貴重な時間をそうした戯言で食いつぶした後、わたしは『警備保障評論家』になった。わたしの経歴は、《世界に暗躍する殺し屋組織に詳しい——》そんな男になっていた。
 これだけ長い時間を過ごせばときにはウソも必要になる。だがウソのつきすぎも良くない。ほんとうにそうだ。
 とにかく、景気の悪い世の中で、わたしはいつも仕事にあぶれることはなかった。わたしの仕事はボランティアで、公園の掃除をしているときがいちばん幸せだったからだ。それだから今までにわたしに与えられた肩書きのなかで、『ボランティア評論家』と『福祉評論家』には割と満足している。わたしが感謝すべきことはナエコさん(仮名)である。彼女がわたしに与えてくれた福祉の道は、わたしにぴったりと吸い付いた。『ソシアル・ナッピー・モノポライジング・カンパニー』もとい、『ソシアル・ナッピー・ネットワーク・カンパニー』が販売するナプキンのように。
 ナプキンの歴史はわたしが費やしてきた時間の合計よりも長い。

 景気が悪くなるにつれてすさんでゆく心は、自分によく似た同類を見ることで、慰められた。自分には想像も及ばない苦境に立たされた同じ人類を見ることは、一時の清涼感を与えてくれるようになった。そして他人が説教されているのを見てよろこぶ——そうした人間が多くなったのは事実で、今でも増えているのではないだろうか?
 わたしの善行のひとつ、それは他人を説教することを主軸としたテレビプログラムへの出演を断ったことだ。もともとわたしには霊長類ヒト科を説教する力がなかった。それに旅費が高かったせいもある。本土への距離が遠くなりすぎていたのだ。
 あたりまえのようでいて気がつかなかったこと。それはこうだ——『たぶん人間は収入さえ考えなかったらどこででも暮らすことができる』——そうでしょう? トキエさん。

 わたしの目前にいつももう一人のわたしがいた。月並みなことであるがあえてそういおう。わたしの面倒をみてくれている医者はそれを妄想だといったが、医者の心配事は他にあって、それはわたしが名誉ボランティア功労者の称号を得たという事実をわたしに伝えるべきかどうかということだった。結局わたしはそれをテレビで知ることになったのだが、それは単にわたしがよほど世間に対してタダ働きをしてきたのかを証明するにすぎなかった。タダより高いものはない。だが、わたしが暮らしていけるのは、ヒデコさんが残していったディンギのおかげである。
 ヒデコさんは財務部部長のディンギには見向きもしなかった。彼女はそのディンギに手をつけることなく日々を過ごした。彼女はこういってくれた。「脱税をしている人たちのほとんどは悪党——とても救いがたいディンギの亡者。けれど税金を払いたくない気持ちはよくわかるわ」
 罪を憎んで人を憎まず——ヒデコさんはそういった女性だった。それだから彼女はわたしともつきあってくれていたにちがいない。彼女のような人は二度と現れないだろう。
 彼女には悪いがわたしは悪党だ。たとえ名誉ボランティア勲章を頂いたとしても。わたしはニッポン国政府に反旗を翻したヒデコさんが漬け物石のようにほったらかしにしていたディンギをこの手で消費している。今でもわたしが帰るべき部屋の家賃は、そのディンギから払われ、わたしが唯一の収入源である人の好い大家を生きながらえさせている。しかしそれももうすぐ終わるだろう。それを考えると頭が痛い。いくつかのたやすく想像できるシーン——それはあの大家が首をくくっているか、せっぱ詰まったあげくに百パーセント見込みのない銀行強盗や幼児誘拐をしている姿だ。わたしのディンギ——しいてはわたしの生命が彼を生きながらえさせていることを考えるとわたしはたまらなくなる。背負っている荷物は重すぎた。
 わたしはどうにか今まで生きている。心配など無用な話しで、わたしはしばらくこのまま生きているだろう。だが、ディンギはつきる。利子は追いつかない。
 そうしてわたしは人の時間を放棄させることになる。弁護士を雇うディンギもないのだ。わたしは時間を放棄する直前でついに犯罪者となる——悲しいことだ。そのときにはボランティア功労者の称号は剥奪されるだろう。そして、わたしの二つの罪により何らかの刑を言い渡される——はずだ。
 とにかく医者が心配していたことはわたしに名誉ボランティア功労者としての称号が与えられたことを伝えるべきか否かだった。特に医者は、わたしがそうした称号、それと賞品を得ることをかたく拒むと考えていた。なぜならわたしは普段から自分が貧歯科の生物であると念を押しており、ヒト科がもらうようなものを手に入れてはいけないと公言していたせいだった。バナナよりダイヤを欲しがるサルはいなかった。ダーウィンは口に入らないものをゴミ箱に捨てるという習慣をもっていて、いたるところのゴミ箱は、『貴重品』でいっぱいだった。わたしはその貴重品のなかに寸前で入ってしまうところのノリコさんの指輪を救ったのだ。
 かといって——わたしに栄誉を、称号を与えてくれる人々は、わたしに対してバナナを与えるという行動にはうつれなかったわけだ——それもおかしなことだ。
 つまり『区別されてる』ということ。
 それだけだった。
 わたしのボランティア功労者の称号は、全国の市役所が発案し、まとめたもので、ニッポンじゅう、または全世界を通してみればけして公平とはいえない選出のされかただった。その選び方というのは、あの大きなネクタイをぶら下げた国籍不明のスーツ男がいじっていたようなデータベースから抽出されたという単純なもので、抽出された数の多さがわたしの存在を際だたせたわけだ。わかりますか?——数なんです。
 なんだかんだといいながらわたしはボランティア功労者の称号を受け取った。そのとき、わたしはヒト科の生物を真似た権利としてこう主張した。「顔写真は載せないでください」
 拒否すれば大騒ぎで受け入れれば面倒くさい——わたしは結局称号を受け入れ、顔写真には『友人』のダーウィンの顔写真が貼られた。人の指を咬みちぎることを忘れない、進化しながら習慣の残っている彼はわたしよりもヒト科に近い生物だ。
 わたしがこの病院に入ってからは、テレビプログラムに登場したことはない。あのディレクターはわたしを探しているか——もしくは探していたのだろうか? たぶん代役はいくらでもいたはずだ。ウソをつけるお人好しは掃いて捨てるほどいるわけだから。

 ところでわたしの目前にいたもう一人のわたしだが、彼はわたしにそっくりなのだがわたしよりも博識だった。彼は「遠心力を利用して出てきたのだ」といった。わたしの身体の中でグルグル回っていたのはそれだったのだ。そして彼はわたしにこういった——「自分は遺伝子だ」それからもうひとつ——「きみは勝手すぎる」
 彼にくらべるとわたしはとってもバカだった。

 医者はカルテを拾い読みしてる。その姿は興信所の人間か本屋で立ち読みをしている人々と何ら変わりはなかった。わたしは顔がほてるのを感じながら思い出す——老人たちに福祉器具のテストをしていた自分を——「さあ、足をあげてみて——かゆいところはないですか?——オムツはかぶれませんか?」
 神々しく賢そうな医者は、独り言つぶやく。それは弱々しいながらもわたしの耳に入ってきた。「・・・シビレ男、シビレ男・・・」そう口にしながらカルテをめくる医者にわたしはたずねた——「そのシビレ男ってなんですか」
「秘密だけど、臨床実験の対象者なんだ」医者はどんな態度の変化も見せなかった。彼はわたしを見ていなかった。もしかすると医者はわたしの存在さえ気がつかなかったのかもしれない。たぶんわたしを草か木もしくは土であると考えていたのかもしれない。たしかにわたしの服装はそんな感じだった。白状するがパジャマさえ茶色か緑色なのだ。単なる草や土——しかも有機が完全に壊滅してしまった、死んだも同然の存在だった。わたしはさらにそうした草木を装いながらシビレ男について医者に訊いた。
「別に話したって困ることじゃないから教えてあげるよ——彼は——シビレ男は俗称で『スタナー』と呼ばれている。美人はその風貌やグラマラスな身体で男をシビレさせるが、彼は老若男女、生物やモノを問わずシビレさせるのさ」
「どうやってシビレさせるんですか」
「電気でね。彼の筋肉は電気貯蔵庫になっている。心臓の鼓動は発電機の回転数」
「彼もやっぱりヒト科の方なんですか?」
「ああ、そうだよ。でもちょっと変わっているんだな」
 結局医者はわたしの身体にさわりもしなかった。

 ダーウィンが咬みちぎった指の持ち主はヒデコさんで、そのヒデコさんというのは出来の悪い息子たちをつくりだした老婆だった。わたしがヒデコさんと顔を会わせていたのは——そう、アルバイトしていたスナックでのことだった。そこでは約二年ほど働いていたので、ヒデコさんとの付き合いもそれきりだった。わたしは老婆——いや、ヒデコさんの顔を見ていながら、それがあのヒデコさんと気がつかなかった。それはヒデコさんの顔を飾るアオタンのせいだったのかもしれない。たしかにそれはわりかし強烈な印象を与えていた。それから病院服のひらひらの袖から見える細い腕を飾る赤く腫れた——たぶんだれかに叩かれたのだろう——痕だった。そうしした腫れは身体中にあったらしい。
 わたしの人生はずっと美人局で終わるのかもしれない——ヒデコさんが側にいることに気がついたときにそうした思いがわたしの脳裏をよぎった。『美人局』とはトキエさんに絡んだ泥酔男がわたしに吐きかけた言葉で、男はわたしがトキエさんを働かせ、養わせ、そして女房のように世話を焼いているのだと考えていたらしい。夜中の三時にホテルの前でカサを持ちながら女性を待っている姿を見れば容易に捻出できる言葉だった。たしかにわたしはトキエさんの世話になりっぱなしで今でもそうだ。銀行口座のディンギがどのような経路で手に入ったにしろ、わたしがそれで暮らしていることは間違いのないことだ。そのことを思い出したから、わたしはヒデコさんの美人局にはなるまい——そう決心した。しかし今さら遅い。
 トキエさんと永遠に別れ、世話をする女性がいなくなったわたしの側に、ずいぶんと遠い昔にわたしを男にしてくれた女性が現れた。それは正直わたしの心を戸惑わせた。
「どういった感じで彼女に会えば良いのか?」
 わたしは彼女に会うことにちゅうちょした。それはなぜだろう? 簡単だ。恥ずかしいこと、それから彼女のあまりの変わり様だった。わたしに限らず、たいがいの生物は、自身の目で自身の姿を見ることができないので、自分の変わり様をしらない。唯一の媒体は鏡だったが、それだってほんとうの姿を映しているのかはわかったものじゃない。そのかわり自身の目は他人を認めることができた。わたしは考えた。たぶん多くの生物は周りを見なければ生きていけないのだ。あまりに障害物が多いせいかもしれない。
 とにかく——わたしの目はヒデコさんを確認していたのだが、わたしにはそれがほんとうのヒデコさんとは思えなかったのだ。わたしの手元に残された今ではすっかり干からびてしまっている彼女の指を見ながら、わたしは考えた。
 色々なことを考えていると、関連して色々なことを思い出すもので、やり手のマフネちゃんや大きな声で気弱なことをいうマスターの記憶がよみがえった。あの店はとうにつぶれてしまったのだろう——マスターには悪いが景気は気まぐれだ。ファンダメンタルを無視してつくりあげられた投機目的の経済は、価値観のない景気を作り上げ、価値のないものは結局滅び去ったのだ。
 それでも——確かに景気はよかったのだ。それにも関わらず、わたしはディンギに縁がなかった。けれどもわたしの時間が生きながらえてきたのは、ディンギのおかげである。わたしの胎内宇宙のなかには消化器官があり、他の生物のように食料を摂取しなければならかった。そのためにディンギは非常に役立ったのだ。空腹を満たすのはわたしの静かなプライドのせいだったろうか? いや、そうじゃない——それは単に欲求だった。
 わたしは人に愛されて生きながらえてきたのかもしれない——なんとおこがましい言い方だ——訂正しよう。たいがいの人間は、外観上ヒト科の姿をしていたわたしに『難くせ』をつけたり『仕事』を与えたり『慈愛』の手を差しのべたりした。そしてわたしがいうとおりにすると何かを与えてくれたものだ。振り返ってみれば、ペスやダーウィンと似たようなものだ。ペスとは、わたしが幼いときに住んでいた家の側にいたイヌである。彼はこう鳴く——『ワンワン』——海を越えれば『バウワウ』だ。
 ディンギに縁がなかったことはその使い方も知らなかったわけで、食料に費やされた以外はほとんど残っていた。今では食料に代わってほとんどが部屋代に消えていった。
 すべてはトキエさんが残してくれた。遺産だ。
 結局わたしはヒデコさんがヒデコさんであると知ってから結局会わなかった。それはヒデコさんがダーウィンに指を咬みちぎられたあとに時間を放棄してしまったからである。狭いのか広いのかわからない建物のなかを流れる風のうわさでは、ダーウィンが身体の中で育んでいたウィルスのせい時間を放棄してしまったらしい。わたしがヒデコさんに会うか会うまいか、そう悩んでいたとき、ヒデコさんはすでに意識を失いかけていたらしい。同じ時間でなぜこうもちがうものか! わたしはほんとうに間抜けすぎる男だ。
「こんなものがあったのよ」年増の看護婦がわたしに見せてくれたものは、シリコン製の男性自身だった。「この間なくなったお婆さんが持っていたの」彼女はいいわけがましくこう付け加えた——「これはちょっと家族に見せられないから病院で預かっているのよ」ヒト科の生物である看護婦が『だからわたしが預かっているの』という既成事実をつくりあげる努力をしているのだ——わたしは彼女の話しを聞きながらそう考えた。
 その男性自身とは、遠い昔、マフネちゃんがバケツに自身をつっこんで造り出したたくさんのマフネちゃん自身のひとつだった。マフネちゃんが今どこで何をしているのか知らないが、たとえ時間を放棄していたとしても、彼は後世に伝えられるものを残して去っていたのだ。シリコン製のマフネちゃんは、また次の女性(あるいは男性)の元へと旅するだろう。やり手のマフネちゃんは不滅だ。

 トキエさんがいなくなったのはいつのころだったろうか?——それは確かにずいぶんと前のことだ。しかし、わたしには昨日のことのように思える——月並みな言葉で失礼。
 けれどもトキエさんのいなくなった場所、つまり彼女が最後に暮らしていた場所は覚えている。それはあの景気の悪い街だった。
 たしか、夏も終わりかけのころだった。八月の終わり。ところが残暑きびしく、夜でも半袖のシャツで生きのびられるほどの気候で、その土地にはめずらしいことだった。それだから、トキエさんや彼女の友人たちの姿は夏の盛りをそのまま引きずっていて、薄っぺらい衣装に身を包んでいた。トキエさんは相変わらず薄いスリップ(彼女はそれを一週間分持っていた。それはたしかなことだ)に毛玉のついた(緑色の)カーディガンを羽織っていた。そうした体で、トキエさん含め、友人たちは店の前に置いてある竹のベンチを囲んで雑談をしていた。そこにわたしが現れたのは老人ホームでの仕事の帰り——もちろんタダ働きだ——のことだった。
 わたしは朝のうちに、トキエさんの部屋の掃除を済ませ、そして朝市で買った魚をおろし(それはまったくの自己流だったが、少なくとも包丁の目的をまっとうすることができた。それは『切る』ことだった)トキエさんの昼食の材料にして、公園のボランティア、つまり掃除に出かけた。午前中の時間をゆっくりと掃除ですごし、そして昼飯にした。そのころのわたしは、そこら辺の店で食事を買うなどということはまったくせず、もっぱら朝食ついでにこしらえた弁当を昼食にしていた。たいがいにおいてそれはオニギリだった。
 午後には老人ホームに出かけた。そしてホームの管理人に何か手伝うことを訊ねると、彼はわたしに廊下とトイレ掃除をあてがってくれた。あまりに早く終わったので、庭や玄関の掃除もした。その代償はドラ焼きが五つ。ホームの住人がくれたものだった。最初、ドラ焼きをくれた老婦人は、「箱ごともっていったらいいべ」といってくれたが、わたしは断り、差し障りなく、五つだけもらった。そのホームには何回も足をのばしたものだが、そこでわたしは決まって『博士』と呼ばれた。なかには「テレビに出てた人だべ」というおじいさんもいたが、わたしは笑って首を横に振った。
「普通の人はテレビになんか出られませんよ」
 わたしが名誉ボランティアの称号を受け取ったときには、その老人はすでに時間を放棄していただろう。たぶんそれくらい前のことだった。
 わたしはドラ焼きをおみやげ代わりにトキエさんの働く店へと戻る。店の人たちは小腹をすかせていたところだったので、わたしのドラ焼きはたいへんな歓迎を受けた。トキエさんにひとつ、ママにひとつ、それから男(トキエさんの代わりに市役所へ電話をかけてきた男だ)にひとつ。そして残りの二個をスミレさんという若い女性にあげた。トキエさんはわたしに「あんたの分は?」といってくれたが、わたしは「もう食べてきた」とウソをついた。トキエさんは何もいわず、自分のドラ焼きを二つに割って、半分をわたしにくれた。
 若いスミレさんは竹製のベンチの置いてある歩道のガードレールに尻を休ませながら、満足そうにドラ焼きを食べてくれた。
「スミレって、富山だっけ?」ママがいった。
「そうよ」
「雪が多いでしょ」とトキエさんがいった。
「まあね」
「なんか美味しいものあるでしょ」そうママがいった。
「あるわよ」
「じゃ、今度何か送ってもらってよ」
「どこからよ?」
「家からにきまってんじゃない」とママがいった。
「それは無理よ。わたしがここにいるなんてことだれにもいえないわ」
 スミレさんは夜逃げをしてあの街にたどりついた。彼女はたくさんの借金を帳消しにするために身を潜めなければならないヒト科の霊長類だった。スミレさんは小股を広げ、団扇で風を送り込んだ。「この風にのっかってどこにでも行けたらね」
 スミレさんは悲しくもさみしそうでもなかった。ただ笑っていた。彼女はトキエさんよりも時間が若いが、その店の仕事のキャリアといった店では、トキエさんを勝っていた。
 スミレさんはいった、
「わたしオムツ買わなきゃ」——わたしはなぜ? と訊いた。返答によれば彼女のお婆さんはほとんど寝たきりに近い状態なのだという。
 四十三ヶ月という時間が食いつぶされた。わたしがこの街に最初にたどり着いたときからすでに下降気味だった景気は、盛り上がる気配も見せず、悪くなる一方だった。商店街のなかには無くなってしまった店もある。そうした確かなのは現実ばかりで、夢は全くの夢である時代だった。
 わたしは特に変化のない日常に不満を覚える生物ではなかったので、どれだけ街の様子が変わらず、またはその行く末に何らの希望が持てないにしても、わたしはごく普通に暮らすことができた。ただ、奉仕できる仕事さえあればいうことはなかったのだ。それだからわたしはある種の依存症なのだとも診断されている。わたしが依存するもの——それはボランティア。そして付け加えさせてもらえるならば『トキエさん』——だった。
 それはともかく——確かに変化のなかった日常だった。
 そんなわたしに訪れたちょっとした変化は、町の中で発見された。〈介護士教育〉という電柱に貼られたチラシ。実習と試験のために費用は確かインフレの影響もあっただろうが二百五十万円くらいだった。そして〈介護士募集〉——その日給は十八万円だった。そうしたものはどうでも良い——わたしの給料は相変わらず『ちょっとした』現物支給だったから。それよりも興味を惹かれたモノ、つまりそれが『変化』だったのだが、それはこうした文字だった。
〈お年寄りに安心の電気オムツアンテナ設置場所〉
 わたしは自然と電柱の上を見上げていた。そしてわたしの顔は思わずほころんでしまった——そこにあったものは『湿度感知式オムツ』が放射する電波の受信用アンテナだった。わたしの古びた知識はそれが『老人の首に吊り下げ式携帯電話』のアンテナを兼ねているモノだと思わせた。ずいぶん昔(のように思える)にわたしが作っていた試作品とまったく変わらない姿だった。
 振り返ってみよう——そのとき思わずほころんでしまったわたしは幸せだっただろうか? 瞬間に存在した心の起伏をとどめておくことは難しい。思い起こせば背筋が寒くなる——そうした想い出は無数にある——でしょ?
「トキエさん覚えてる?」
 わたしは彼女に財務部部長にワイロを持ってきた会社のことを口にした。するとトキエさんは、あのディンギは丸ごと残ってるわよまだわたし貯金があるから、といった。
「いや、あのディンギのことじゃなくてね、あれを持ってきた会社の話し——あそこのオムツがこの町にまで進出してきたみたいだ」
「オムツって?」
「無線式のオムツさ。湿度感知器がついてるやつ」
「へえ、くわしいわね。そんなのあるの?」
「ま、まあね。でもスミレさんのいってたオムツってそれのことなのかな?」

 雪の降る日はとても暖かだったが、その前の夜から明け方までの冷え込みはかなりのものだった。冷たく冷え切った空気はやがて雪へと変わっていた。トキエさんは「寒い」といい、わたしは「そう?」と応えた。わたしは元々二人が暮らしていた場所から地続きの場所に住んでいたので雪の存在はとても身近なものだった。わたしは自分の住んでいた場所について口にしようと考えたが、一度したことがあると思いよした。たいがいにおいて、二度も三度も同じ話しを聴きたくはないはずだったから。
 〈ふるさとは遠きにありて思うもの〉
 これはひとつの標語のようなもので、これもまたたいがいにおいて耳をふさぎたくなる言葉である。そしてこれもまた——再び——たいがいにおいて——人類は世界が近いものだと考えていた。それは通信、たとえばWC—COMのような企業が提供するインフラストラクチャのためだ。けれどもどうしたことだ!——あちら側では雪など降っちゃいない!
 WC—COMのインフラは情報を運ぶ——『湿度感知式オムツ』や『老人の首に吊り下げ式携帯電話』システムも彼らのインフラを拝借したなら、海をまたぎ、世界中のメイドたちにご主人のお漏らしや予想だにしない徘徊を知らせることができた。わたしは情報を得る——わたしは霊長類の情報を得る——わたしはそれを見失ってはならなかった。けれどわたしは植物になろうとしている——クロスロードはいったいどこにあったのか? わたしの勘違いは末恐ろしい——一瞬でもトキエさんやヒデコさんがわたしと同類だと考えていたこと。
 モシアズの助言——「彼女たちはきみと同じになろうとしていたんだ」
 クロスロードはそこにあった。皆進化の分かれ道に戻ろうとしていた。できればやり直したい——そう考える人類がどれだけ多いことか。
「退化するために重力に逆らっているんです」そう口にしながらも、わたしはますます重力により下へ下へ押しつけられる。ベッドは日増しにへこんでいる。重力と時間、その二人の兄弟が、互いの相乗効果を武器にしてわたしの身体を完全に動けないものにしてしまっている。
 地球という惑星に落ちてきたカドミウム星人が地球の知識に侵されながらも、時間の裂け目を修復しようとしていた。その裂け目が始終彼らの時間を後戻りさせるからだ。けれど多くの人類はその裂け目を欲しがっていた。ほんとうにたどり着けるかもわからないくせに——。

 町が選んだものは原子力発電所の誘致だった。それは地域復興の一手段である。人の雇用やそれにともなった地元経済の発展である。その工場が建てられることに一年もかからなかった。人々の選択は正しかったろうか?——いや、まったくの的はずれ——その工場は無人で稼働するものだったから。発電すら自前だった。潤ったのは一時のファンダメンタリズム——それもバナナみたいな叩き売りだった。

 家族から、どうしようもない息子たちからひどい仕打ちを受けているヒデコさんは退化の道を知る前に時間を放棄してしまうだろう。それも医者の確約済みだ。取り付け騒ぎの起こる銀行の慌ただしさもなく、それは万事が平穏無事に近付きつつある。

 トキエさんが時間を放棄したのは、それから一週間後のことだ。彼女は客の男性と酒を飲んだあと、二人で港を散歩し、港湾から足を滑らせて海の中に落ちた。男は助かったが、トキエさんは帰らぬ人となった。
 トキエさんがヨッパライの気まぐれに付き合ったあげく時間を放棄してしまったことは、悲劇としての運命だった。わたしはどうにも意味がまとまらないまま、医者やモシアズになげかけた。彼らは同じ意見をわたしに返してくれた。
「もはや人間というのは動物以下だね」
 そして、
「きみは人間でなくてよかったよ」

 モシアズがわたしにあてた小説はこんなものだった。
 ある市街地に戦闘機が墜ちた。幸い家もビルもない場所で霊長類ヒト科の命が失われることはなかった。その戦闘機は送電線を切断してしまって、街一帯の電気の送電を停止させてしまった。あるヒトはエレベータに閉じこめられ、すし屋は冷蔵庫が動かないことに血管をひくひくさせた。あらゆるヒトはパニックに敏感で、失われたヒトのことなど構わない。
 ビルを避け、なんとか市街地まで機体を運び続けたパイロットというヒトに間違いはあっただろうか?
 モシアズはわたしあてのメッセージとしてこう書いた。
 ——たいがいの熱意は無視されてしまうものだ。
 だれがいったい大事なんだ?
 火星に人類が降り立ったニュースは、共産国で原爆が誤爆したニュースよりも大きかった。気がついた頃、ヒト科の人間たちは、知らない間に少なくなった人口と、陽がもれることのない、分厚い雲に気づく。
 分裂する国家と、泥沼の戦争。平民はじわじわと兵糧責めを受け、命を絞り出されるパスタのように細々と生きながらえさせている。ブルジョワの処刑は、一瞬の時間量でこと足りた。その遺体を気にかけるものは野犬かネズミくらいなものだ。
 どちらが幸せだろう?

【続く】



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