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仮題:センス・オブ・グラヴィティ 3 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【3回目】

 知識が不足しているのは確実だった。わたしは見かけだけでニセ評論家になり、バーで会ったディレクターにいわれるままテレビに出ていた。わたしの容ぼうは、原子爆弾を作り出すきっかけとなった物理学者に似ているといわれていた。
 わたしが数ある評論を行ってきたなかでいちばんつらかったことは、『古代人評論家』の役を与えられたときである。それはニッポンの中程にある山中でわりと古い霊長類のものと思われる骨が発見されたころのことだった。わたしは古代人を実践して生きてきた人間の役をこなさねばならなかった。そんな古代人評論家に与えられた衣装は腐ったあげくに乾ききったバナナの皮のような腰巻きだった。もう秋が終わりかけてきたというのに、わたしはその腰巻きひとつで野外での古代人生活を堪能しなければならなかった。わたしは寒さに震えながらカメラの前でこう解説した。わたしは台本に書かれた文章を何度も——飽きるほど口にした。ほんとうに寒かったのだ。
「古代人はその日、その季節の恵みを食してきました。たとえばこれです。これはお粥のように料理され、古代人の大変貴重な食物でした——(ブルブル)」
 そして岩石を加工した泥だらけの石鍋を石を集めてつくったかまどにかけ、飲料ではない水を利用してヒエのお粥を作った。わたしは腹をこわさずに風邪をこじらせた。滅多に使うことのなかった保険証で医者にかかると、医者がわたしに下した診断は『肺炎』だった。そのあげくわたしはそのころ勤めていた会社を一週間欠勤しなければならなかった。そのときのわたしの栄養源はなんだったか?——それは古代人のようなお粥だった。すべての古代人は病人だったのか?
 その肺炎のころを含め、わたしが今までに入院した通算回数は四回になる。最初はリューマチ、二度目は盲腸、その次は肺炎、そして今が四回目だ。わたしが社会保険を利用したのは肺炎の時だけだった。今のわたしは国民保険を利用している。この保険にももう用はなくなるだろう。わたしにはこれが最後の入院だからだ。
 質問——〈では楽しかったことは?〉
 答え——【それをいっちゃいけないのだ】

 どこにこの世があるというのか?——忘れちゃいけない、この世はここだった。ただ少し時間が止まっているだけだ。重力はわたしの目の前で、カメラのレンズを下げさせた。そのレンズが下がってしまったのは補助が失われたせいである。カメラマンはあまりのNGの多さのために一息ついてしまったのだ。
「ちょっとぉ、困るんだよね。もう巻いてるんだからさ。おじさん、あんたの番組じゃないんだよ」
 ここでいう『おじさん』とはわたしのことである。こうした呼ばれ方は遠い昔には夢のようなことだった。それが本当のことだったとは思えない。今が現実なのだ。けれども過去さえ現実だった。しかし過去は現実ではない。
 ああ、もう少しわたしは時間について勉強するべきだったのだ。だれも教えてくれなかった。わたしの知る時間は時制であり、それは分詞で表される。それが時間だった。ちなみに『詞』とは言葉だった。

 言葉はときどき人を傷つけたりする。ほんとに月並みなことだが、わたしのそうした言葉は『バカ』である。わたしはそれは部活における試合相手に対して口にした言葉だった。そして今でも後悔している。わたしの無神経だった口が発した愚かな言葉を聞いた者のことを思うと、今でも悪夢が襲う。ちかっていおう——その言葉を言い放ったのは後にも先にもそれが最後だった。今のわたしにはそうした言葉をいうはずみもないし、そうした環境におかれてはいない。わたしが相手にする主なもの——それは空気だった。
 空気に重さがあることを、わたしはあらためて感じている。ベッドに寝ていると、日が経つにつれてキルトだけではない重さがわたしの身体に加わってくる。シーツでおおわれた薄いマットレスには金型で押したようなへこみができた。それも日増しに沈んでいる。看護婦が換えてくれたものはシーツだけだった。小さなおばあさんのためにわたしが換えてあげたもの、それもシーツだけだった。

 わたしがナエコさんのことを思い続ける限り、わたしは一生罪に追い続けられることになる。わたしの『思い』は罪だった。裁判官はいうだろう「被告人は終身刑——」
 わたしの罪はストーカーだった。だが何をするでもない。わたしはただ片思いを続けるだけの生物だった。わたしの最期の片思い——今でも考えている——それはナエコさんだった。わたしをボランティアへの道へいざなってくれたナエコさんだった。わたしがなぜ自分がストーカーであることに気がついたか?——それはモシアズの小説によるものだった。
 ある日の惑星——その星では思うことが罪だった。たとえば星の住民が他人のことを思う、それが罪になった。思い人となった住民をどのように見分けるか?——それは口数である。裁判官や住民たちは口数を見て、その住民が思い人であるかどうかを判断した。口数が少なくなれば思い人——つまり罪人だった。なぜそのようなシステムができあがったか? それはジェラシー漬けの王様のためだった。彼は女王——彼の妻が若い愛人をつくってしまったという妄想にかられた。嫉妬は嵐のように城の中を駆けめぐり、彼の感にさわるすべてのものを破壊した。彼は自分を勘ぐらせるものすべてを破滅させようとし、最後には妻を追いつめた。妻を目の前に王様はいった——「わかっているぞ! わかっているぞ!——おれはおまえが何を考えているかわかっているんだ! すべてお見通しだ!」——そういって彼は妻の頭に剣を振り下ろした。
 そして王様は法律を作った——〈何かを考えたものはこの星の軌道衛星に送りこまれ、終身刑とする〉

 そういうわけでわたしの罪は『物思い』であり、それは立派に法に触れたのだ。
 そういうわけでわたしは罪人になった。重い重い、とても重い罪だ。わたしのイスの両肘には電気を通すための手錠があり、身体を横たえるベッドの脇には、決められた順番で液体を押し出す注射器が並んでいた。けれども電気は断続的で心臓の鼓動を強くするだけ、そして注射器のなかには過度の養分で満たされていただけのなので、わたしの身体はけいれんを練り返すか、たまった養分のために鼻血を出し続けるだけだった。わたしの時間は永遠に放棄されず、一生血をためつづけるだけなのだ。時間は永遠に放棄されず、わたしの目の前に糸一本でつながっていた。
 それが今のわたしだ——わたしはあまりに罪深い貧歯類のアルマジロだった。

 窓から見えなくなった木は、消える直前には丸裸になっていた。彼の将来はそれで終わりだった。丸裸になる前に残っていた木の葉をわたしは見たことがある。窓からは一枚しか見えなかった。わたしの視界にたよるかぎり、それは最後の木の葉だった。わたしはそれが落ちてゆく瞬間を見届けることができなかった。

 わたしの股を包んでいる『湿度感知式オムツ』と首にぶら下がる『老人の首に吊り下げ式携帯電話』——それらはわたしが開発にたずさわったものだ。そしてわたしはそれに支配されている。だれでもモニターしたがる——管理! 管理!
 そう、危ない橋は先にわかるにこしたことはない——ごもっとも。
 でももっとかんじんなものがあった気がする——
 わたしが盛岡に入ったころには、すでにそういった不正行為をやり始めたときだった。それもまあ、普通の話しだ。だれでも悩むことはあるじゃないか?

 市役所福祉課の窓口をおじゃましたのはもう二十回を超えていた。その間に窓口に座っている受付の女性も変わることはなかった。彼女の顔はわたしのことを『マニア』と表現していたが、二十年も働きつづけた彼女もわたしにいわせればマニアだ。彼女はわたしが初めて受付に訪れる前からそこに座っていたはずだった。いったい彼女は何十年そこで働いているんだ?
 ある居酒屋で酔った客がわたしに説明してくれたことがある。「公務員はなかなか辞めないよ」——たいがいにおいてわたしは人のいうことをよく聞くほうだ。これは幼いころからの癖で、わたしは親がいえば二分で寝ることができた。わたしには説明に応えるための時間が必要だった。たぶんわたしの時間が彼らより遅かったのである。そのせいでわたしはいまだに生きているのだろう。このまま生き長らえるかもしれない——果てしない年——時間を繰り返しながら。それを考えてぞっとすると思いますか?——そんなことはない。わたしにはそのことに対する感想を述べるための時間が必要だったのだ。ところがこういう人もいる——「君は口数が少ないのさ」——ごもっとも。
 だが、わたしの時間は遅い。そして話しは戻るが、居酒屋の客が口にしたように公務員はなかなかその職場を辞めないかもしれない。つまり彼女もそうだったのだ——そう思う。
 わたしは仕事をすることにほとほと嫌気がさしていたので、何かのはずみさえあればいつ会社を辞めてもおかしくない状態にあった。ぶっちゃけた話し——わたしには捨てるものが何もなかったのだ(ああ、使い古された言葉!)他の霊長類ヒト科の生物とは異なり、わたしは家族の営みというものを具現化してはいなかった。わたしは貧歯科の動物でナマケモノでもあるので、あまりそうしたものに関心がなかったのかもしれない。だが百科事典によれば彼らも家族を持っている。アルマジロもそうだ。悲しいことだが——わたしはそれを薄々わかっていた。たぶんわたしはそれを知っていて認めたくなかっただけかもしれない。それがほんとうの話しだ。
 ——そろそろ真実を話す時間じゃないか?——お互いにね。

 まあ、いいたいことを途中で止めた話しを先に述べるとして、それはこういうことだ——『わたしは窓口の女性とすっかり顔なじみになっていた』
 その人は見るからに霊長類ヒト科、そのなかの性別でいけば♀とされる生物だった。
 わたしがその人と親しくなったは、成り行きだったのだろうか?——わたしは彼女と食事の約束を取り付けることになった。
 ここでおさらいのつもりで、彼女の姿を思い浮かべてみよう——
 まず彼女はわたしよりも年上だった。それで思い出すことは、わたしの初めての相手であるマフネちゃんのおこぼれであるヒデコさん(仮名)だ。それを無しにしてもたいがいにおいてわたしのお相手は年上の女性と呼ばれる生物だった。彼女たちには、優しさと投げやりさ——そのすべてが混在かつ時には離れ離れになりながら同居していた。わたしは彼女たちがそれぞれ二人いるのでは? と思ったものだ。
 話しがそれてしまった——
 彼女は職場で私服を着ていなかった。だいたいにおいてわたしが見た職場での彼女は制服姿だった。それだから彼女が青い服を着たとき、わたしには彼女が彼女でないように見えた。つまりが別人に見えたのである。それはそれで新鮮なことだった。彼女は二人いました。
 わたしはいつまでたっても独りのままだ。細胞は退化する一方だった。わたしの身体のなかの細胞は分裂を忘れ、悲しいかな凝り固まってゆく一方だった。外側を包む殻はますます固くなってゆく。
 わたしの犯した罪はわたしが席をおいていた会社の愚かさにも通じていた。わたしがいた会社は、すでに福祉会社になりきっていた。彼らは老人たちのためなら何でもする。その規模——会社の大きさもわたしが想像していた以上に大きくなっていた。会社の株式は上がり放題あがっていた。だれもが福祉を必要としていたのだ。
 思い起こすにちょうど一九九八年ごろだったと思う。それは福祉産業が鈍く光り輝きはじめた頃だった。だれもが老後について口にした。そこに不安感があっただろうか?——いいや、なかった。福祉産業に手を出した人間のほとんどは、自分たちの事業が盛りに達した頃には過去の老人たちがすべて消えるはずだったからだ。すべての上昇は犠牲をもって行われる。それはロケットが大量の燃料——国中の人間に恩恵が与えられるほどの量だった——と五十年分の酸素を消費しながら成層圏を突き破っていくように——
 犠牲! 犠牲!
 それだから、今の福祉は一九九八年から二〇〇〇年初頭の老人たちの犠牲をもって成り立っていた。こうともいえる——その頃の老人たちは間に合わなかったのだ。スタートしながらもゴールにはたどり着けなかった。そうした人はけっこういる。他にも犠牲者は大勢いる。たまたま生きることができた。それはだれのおかげだっただろう。他人のおかげ?——胸をはっていえばそれはわたしのおかげだ。時間を放棄しようと思わなかった者には次の時間が待っている。わたしはその中にいるだけなのだ。
 老人やハンディキャップを持つ人間たちの前でバスどころかタクシーさえ止まらない世界はたぶん終わった。たいがいの人間は福祉器具のお世話になっていたから。『老人の首に吊り下げ式携帯電話』や『湿度感知式オムツ』そして介護用のベッドや、簡易バスにシャワーのお世話にならない人々はいない。

 わたしが評論家として本来あるべき姿は、『福祉評論家』である。わたしがそうである根底はナエコさんが与えてくれた知識である。わたしが彼女から講義を受けたのは一回きり——わたしが初めて彼女にあった夜——その時間の単位にしてたったの三時間だった。それはわたしにとってひどく有意義な時間であった——そして今でもその思いは変わらない。あの夜わたしと彼女は店にとって二人きりの客だった。店に現れたのは彼女が先だった。それはとても間違いのないことだった。なぜなら店のドアを開けたとき、カウンターに座る彼女の姿が見えたからだった。その前日から考えればおまえの方が先だって?——野暮なことはいわないでほしい——だれも時間には逆らうことはできないはずだ。
(まてよ?——わたしには声が聞こえてくる——おまえにとって時間はたったひとつじゃないのか? 昨日や今日、そして明日がいったいなんなのだ? おまえに与えられた時間はたったのひとつ、ひとつだけなのだ! わかった?

 わたしは重力により生かされている。長い間重力により生かされたきたわたしの身体は、だんだんと重力の力に耐えられなくなってきている。胃や腸やその他もろもろの内蔵は、地下へ地下へとその重みを増し、骨格の一部であるろっ骨さえも、心臓やタールに侵された肺の重みに耐えられなくなりはじめている。肺にどっぷりと染みついたタール——わたしがタバコを吸いはじめたのは、ずいぶんとむかしのことになる。十九歳になったばかりのときにアルバイトをしていた店——そこにいたときにはすでに吸っていた。みんながわたしを許してくれた。わたしはまだ成人に達していなかった。それでもわたしは人前でタバコを吸うことができた。ごくあたりまえのことのように。そう、なにもかもがあたりまえだった。
 まあ、その——つまり——盛岡に入ったとき、わたしは自分の心の中で職業に対する異議を唱えはじめていた。『老人の首に吊り下げ式携帯電話』や『湿度感知式オムツ』に対してである。わたしが手を染めていたことと同様のことを行いながら存在を成り立たせていた会社は他にも多々あった。介護用のベッドや、身体を動かせない人のための簡易バスやシャワー——そういったものを製造し販売する会社もあった。わたしたちの会社は『水もの』や『家具もの』には手を出さない会社だった。『水もの』とは、文字どおり常に『水』との接触を持つ状態を前提とされた製品である。なぜわたしたちは水ものに手を染めなかったか?——それには防水技術が不足していたことがあり、『家具もの』——介護用に特化された家具製品——と同様PL法にぶつかりあうことを恐れたためだった。PL法とはやたらと説明書きを要求する法律であり、非常にすばらしく理にかなったごたくをならべることが義務づけられた法律である。製造者側は消費者のあらゆる反応を想定し、そのすべてに対する注意条項を記さねばならない。
 つまりが——わたしたちにはそうした『業種』に対する知識が不足していたのだ。
 たいがいの霊長類ヒト科の生物はいつも何かに困っていた。わたしは困っていただろうか?——いいや。なにに対しても困っていなかった。しいていえば、わたしには労働の意味がさっぱりわからず困っていた。それだから、マフネちゃんのいる店でバイトしていたわけだ。ああ、理由にならない。

 今のわたしは規則正しい食事を摂っている。
 とある祝日——それは国民の休日だった。わたしはまた公園の掃除をしていた。わたしは今まで三十六回その公園を掃除してきた。わたしはコンビニエンスストアというたいていの食料がそろっている店で昼食のためにいちばん安い弁当と、食事がのどにつかえないように紙パック入りの飲料を手に入れていた。そして昼間、ちょうど飯時の時間にそれを食すわけである。わたしは今までかなりの量の食事を採ってきた。それは生きるためにしようない本能だったが、ときどき飯を食うのにも飽きて、ときおりその行動を抜かすことがあった。そうでしょう?——わたしはこう思ったものだ——本能を抑制することができずに生きているならば、それは限りなく野蛮な生物に近いのだと——わたしは少しでも霊長類ヒト科の生物に近づきたかったのだ。そうした考えはボランティアをはじめたときにはもう薄れつつあった。そして定期的な食事に魅力さえ感じはじめていた。いまではどうだ?——欠かされることなく決まりきった時間に提供される病室での食事は、身体の中にある心臓と匹敵するくらいなリズムをわたしに与えてくれている。規則的なことのなんとすばらしいことか!
 ベンチのところどころに灰色の点が飾ってある。それはハトのフンによるものだった。それらはもともと固くこびりついていたもので、わたしがこそぐように掃除をしたものだった。できるならば色を塗り替えるべきだった。わたしの数少ない後悔のうちのひとつである。もし市役所がわたしに赤や黄色のペイントを提供してくれたならば、わたしはそれを遊園地のベンチに変身させただろう。そしてそのベンチにはまちがいなくウサギの絵が描かれていたはずだ。なぜならわたしにとって動物はウサギであり、遊園地といえば動物だったからだ——いや、待てよ——それをいうならば動物園とするべきだろうか?——やはりわたしの記憶装置は退化の途上にあった。たぶん少しだけ似ているものならそのすべてが同一視されるのだろう——ああ、そんなものだ。案外適当でも霊長類ヒト科の世界ではうまくやっていける——はずだ。たいがいの精神を病んだもの——たとえば一枚の紙をひたすら文字で埋め尽くす変質狂や、自分の友人を忘れてしまった記憶喪失者はそういったことを知らなかったにちがいない。彼らは真剣だったのだと思う。ところがどうだ——現実では真剣になる必要など見あたらない。そうだ、そうなのだ——わたしはそれを最近知った。自分では適当に生きのびてきたつもりだった。だがどうだろう? はたからみれば、わたしは案外真剣だったらしい。その証拠のひとつ——「○○○さんの仕事してる姿って恐いわね」
 わたしはそんなに真剣だったつもりはない。恐い顔をするのは目が悪いためだ。眉間をこらすために顔が強ばってしまうのだ。わたしの口数はけっして少ないほうではない。理解者が少なかっただけだ。わたしにとって理解者との遭遇は、半径十メートル以内で自分の家族を探すようなものだった。
 わたしは会社が開発しようとしていた福祉改善兵器のため、それに見合ったしかるべき人材を探し、その男性にモニターをさせたことがある。そのときわたしは精神的に有頂天だった。気分は高揚していた。それはなぜか?——わたしはケツの青い青二才だったからだ。たぶんそのときのわたしは得意気だった。「きのうはおもらししましたか?」わたしはクリップボードにはさまれたチェック表に赤いサインペンで印しをつけながら、リズムよくそして威厳を持って問診をしたものだった。そのときわたしの地位はその部屋のだれよりも高く頂点にあった。といってもそのときの部屋にはわたしとモニターである老人しかいなかったが——たしかに——ほんとうにわたしはケツの青い生物だった。
 ここでひとまずわたしは記憶をたどってみる。この世の中でケツの青い生物がはたしてほんとうに存在するのだろうか? サルのケツはたしか赤いはずだった。記憶をたどってみれば、わたしの浅はかで張りぼてな知識のなかでひとつだけ浮かび上がる『ケツの青いガキ』——それは蒙古斑を持った赤ん坊だった。ああ、わたしの成長は少なく見積もってさえ、霊長類ヒト科の生物よりも三十年は遅れていた! 今更気づくことではないのかもしれない。この部屋に入って三ヶ月。わたしには考える余裕ができた。何か新しい考えを?——とんでもない!——ただ思い付くことは脳に負担のかからない下らなさすぎる過去だった。しかしその過去すら思い出すことに四苦八苦している。悲しい限りだ。
 わたしがここにいる間、わたしの部屋はほったらかしになっている。だれもその中には入っていない(はずだ)。三ヶ月間の家賃はすべて銀行から引き落とされている。わたしが蓄えている人には見せることのできないディンギが積まれた口座から。幸いなこと、それはわたしがディンギを見ずしてそれを支払えることである。もしわたしがあのディンギを毎日見ていたとするならば気が狂ってしまったろう。

 休憩時間に見たニュースは数十年前に起きたといわれるテロの記録映像だった。そのテロは南米のある国の大使公邸を占拠し、招かれていた数十人の客を人質にして刑務所にいる同胞の釈放を求めるものだった。
 黒いユニフォームに身を包んだ狙撃兵が公邸のいたるところに忍び込み、正確な照準を持つライフルをテロリストたちに向かわせた。ほんの少しの間の静寂のあと銃声が響き渡る。屋上にいた狙撃兵のクローズアップ——彼は身を隠すように中腰でライフルを構え発砲する。屋上には公邸で電気を供給するための電線や、テレビのためだろう——アンテナ線が低く張られていた。
 わたしは見た——一羽のハトがその電線に舞い降りたのだ。ふわふわと降り立ち、二本の足は電線を捕まえた。ハトは習性のように首を辺りに振る。普段と変わらないように——だが辺りには銃声が響き渡っていた。
 床から三メートル高い場所にあるテレビではそうだった。しかしほんとうにそうだろうか?——すべての音や映像は様々な通信媒体を通り抜けていた。ほんとうのすべてはそれらを通じて伝達されているのだろうか? それは現実なのだろうか?——案外、狙撃兵の銃声はこんな音をしていたのかもしれない——『ピンポーン』——そう、チャイムのように。また、彼らはほんとうにライフルを構え殺傷を繰り返していたのだろうか?——現実はちがっていたのかもしれない。彼らはお互い肩に手を回し、ビールのグラスを手に、そしてパーティークラッカーを鳴らしていただけだったかもしれない。
 わたしたちは真偽を知るためにも銃声の音を知らなければならないし、車が衝突する音や人が屋上から落下し、地面に叩きつけられる音や、電車が線路の上で人を押しつぶしていく感触を知らなければならない。すべてを知らなくてはならなかった。特にわたしは——なぜならわたしは仮にも『ニセ評論家』だからである。
 わたしにとっていちばん不安だったもの——それは〈その事実をなぜ知ることができたか?〉である——わたしには事実を判断するための知識がめっぽう不足していた。それが現実だった。成長は遅く、知識の吸収もまた遅かった。そして知識はわたしから逃げてゆく。それも現実だった。

 たぶん鍵は彼らだった?
 霊長類ヒト科の生物よりも時間の遅いわたしが、他の生物と同じ時間を共有できる機会は多々あった。たとえば電車のなかである。そして映画館などもそうだろう。たいがいの生物はそうしたところにでかけることで、それぞれにおける時間のすすみ具合を調整していたのかもしれない。わたしにはそうした機会があまりなかった。だから遅れたのか?——まあ、鍵はそんなところだ。
 わたしには彼らに共鳴できる話題がなかったのかもしれない。色々な媒体を否定することはないし、その利用方法について評論してきたくらいだ——もちろん『マルチメディア評論家』として。わたしがマルチメディアという言葉をはじめて耳にしたときに連想したもの——それはマルチ商法というビジネスだった。それは販売員が購買者を販売組織に加盟させ、それを半永久的に練り返すことにより、製品の流通が促される商法で、購買者は何らかの恩恵——つまりディンギという利益が与えられることを条件として販売組織に加盟することに同意するが、その時点で彼らもまた販売者となり、多量の製品を抱えることになる。結局は売れずに在庫を抱えるだけの話しだった。
 まあ、わたしの理解も悪くはなかった。実際メディアだろうが商法だろうが『マルチ』という言葉はたいがいにおいて怪しいものだった。
 それでもわたしが評論家として論じたこと——それは「メディアがあるから人々はつながってゆくんです」ということだった。そして、「そのメディアこそが人々の共通点であり、共有し共感するところなのです」——ここでまたわたしの裏側が露見することになる。先にも述べたように、わたしにはその、『共通』そして『共有』するものが少なすぎた——ほとんどなかったのだ。それはなぜか?——人々が共有しようとするほとんどのモノ、そのたいがいなモノがわたしの好みにそぐわなかったからである。わたしが好きなモノは少なすぎそして特殊で、さらにやっかいなことはそひとつひとつが巨大で説得しきれないほどのイド的要素でこり固まっていたからである。
 その少ない共有されている(であろう)もののひとつ——それをあげるとするならば『モシアズ』あるいは『ナフカディル・モシアズ』である。その共有点はどこかの国のどこかのエリア、そしてそこにあるであろうビルディング——それは普通の家屋かもしれない——の中の一室(はたしてそれは物置小屋か馬小屋かもしれない)にあるサーバーと呼ばれる金属箱に包まれたディスクという高速回転をする円盤のなかにあった。
 それが共有点なのだ。それが現実だった。
 モシアズ以外にどれだけの人々がその共有点の存在を知っているのだろうか?——もしかするとわたしだけかもしれない。しかし確実にいえること、それは確実にモシアズとわたし、その二人がその点を共有していることである。それも現実。
 わたしがモシアズを見つけたころ、たいがいの本に食傷気味だった。
 わたしの恥ずかしい事実。〈わたしは本がすきでした〉これに似たようなことを考えたことがある。それはこうだ〈わたしはあなたが好きでした〉
 いまさら恥ずかしがることではない。

 わたしの四回目の入院は、わたしの病気を治すために行われているものである。この病院にも『すんませんの場所』があるのだろうか? この病院の中でわたしはまだ泣き声を聞いたことがない。ここは死と無縁の場所なのか?——たぶん——たいがいにおいて——時間を放棄するつもりで入院する人々はいない。
 ニセ評論家であるわたしに気がつく看護婦さんがいても当たり前だった。その看護婦さんもまたわたしより少しばかり年が上だった。彼女はわたしにこういった。
「あら、あなたテレビに出てませんでしたか?」彼女はわたしを深夜の討論番組で見たのだという。ちょうどわたしが高名な博士の話しを引用してしまった番組だった。「色々と博学な方ですよね」
 もちろん、〈そんなことはない〉とわたしは思った。事実ベッド寝ていたわたしが読んでいた本——それは『マンガで解るやさしい国の仕組み』という本だった。それは本とはいえなかった。どちらかといえばマンガだった。わたしがマンガによりやさしく知ろうとした知識、それは『恩赦』だった。
【これは国家がたいへんなよろこびや深い悲しみにめぐりあったとき、それをひとつの機会として、罪を犯してきた人々になさけを与えようということです。恩赦にはいろいろな区別があります。そのもっとも大きなものは『大赦』といい、罪を認められていた人はそれが取り消され、そしてその証拠も消し去られます。罪を認められようとしていた人も、そうなるに至った過程がすべて白紙——つまり『なかったこと』になります。これは国家がけっして決まり事にしたがってしか働かない冷たいものではなく、情け深いものであることを象徴する制度です。恩赦は法務省という法律をつかさどる部門が検討し、内閣や議会の承認ののち、最後には天皇がそれを指示します】
 わたしに情けは与えられるだろうか?
 飛行機会社からワイロを与えられた政治家は恩赦の対象となることはできなかった。
 白状しよう——わたしの罪は収賄罪だ。わたしはなし崩しにワイロであるディンギを受け取ったのだ。だれもこのわたしに与えようとは考えていなかったというのに。
 わたしは看護婦さんにいった。
「それはきっと別人でしょう。わたしはそうした番組には出ていなかったし、そういった席で色々と述べることができるほど博識じゃない。これを見てください(わたしはそういってマンガを彼女に見せた)——これは子どもでもわかる『知識の教則本』です。そう、ほんとうに子どもでもわかる。これは休憩所のラックから借りてきました。わたしはこうした本でないと知識を得る自信がないのです。そうした人間がえらそうなことをいえるわけがありません」
 看護婦さんは笑顔を見せていた。
「ごめんなさい。あなたの顔が——特にそのヒゲがよく似ていたものだから」
 わたしのヒゲは赤茶けていた。それは太陽の輝く砂浜で育まれた健康的なものではなく、確実に遺伝的なものだった。これはわたしの父親から引き継がれた唯一の外観的特徴を持つ遺伝子である。彼女はやさしくこう言い添えた——「その赤いヒゲ、あんまり見ないもの」
 看護婦さんが出ていこうしたとき、わたしは彼女にお願いした。
「すみませんがその本を持っていってください」
 わたしが指さしたものはサイドテーブルに置かれていた『子どもを産んで』という本だった。自意識で満ちあふれた本がわたしはきらいだった。

 わたしが市役所でアルバイトすることになったのはトキエさんの口添えだった。いつものように窓口でボランティアの口を探していたわたしをあるセクションの課長が呼び止めたのは偶然ではなかったのだ。その課長は♂で表される霊長類ヒト科の男性だった。彼のセクションは『保健福祉部介護支援課』といった。
「○○○さんですよね」そう呼ばれたわたしは、彼にいざなわれて窓口の前に並んでいる待合い用のクッション付きベンチに座らされた。
「色々と福祉の方面に興味があるようですね。色々なホームへ足を運ばれたり、街の清掃に参加されていることはこちらでもよくわかっています。うーん立派な方だ。それでどうです? すこしわたしの課で事務関連の仕事をしませんか?」
「仕事? ここで?」
「そうです。アルバイトですね。介護員の派遣とか介護状況調査のまとめ、そういった仕事をしてほしいんです。たぶんあなたは色々なボランティアをなされていて状況はわかっているはず。たぶんすぐにできると思います。時間給は安いですけど」
 たぶん彼はこういいたかったのだ——
『経験者優遇』

 そのアルバイトが決定したとき、わたしは会社を退職した。ようやくのことだ。トキエさんがいった。
「わざわざ会社を辞めることはなかったのに」
「いいんです。前から辞めるつもりだったから」
 わたしはケツの青い青二才を卒業するための第一歩を踏み出しはじめたのだ。それはそれで良いことだった。わたしはわりと満足だったから。
 わたしが市役所で行った最初の仕事は、独り暮らしの老人たちを囲む集いに関する情報の発行だった。それは市役所が発行しているホームページの中で使用されるものだった。悲しいかなわたしの身体はコンピュータの使い方というのを覚えていたので、仕事は内容さえわかれば割と順調にこなすことができた。周囲の人間からも使い方を訊かれたりもした。そういった意味でわたしも少しは人のためになっていたのかもしれない。ここにわたしが発行した老人とのふれあいに関する情報の一部をお見せしよう。

【外へ出てふれあいましょう】
 家で閉じこもりがちのお年寄りと心のふれあいをしませんか? 会場はそれぞれ身近な場所を用意しています。公園センターや近隣センター、商工会議所内展示会場など、街に住む方なら徒歩十分ほどの場所です。各地域の皆さん——お母さんやお父さん、お子さん連れで集まり、お年寄りを励まし、楽しいひとときを過ごしましょう。
〈最近は母親とも疎遠になった〉
〈子どもたちにおばあちゃんやおじいちゃんとふれあいをさせたい〉
 など自分たちのためにもぜひともご参加ください。
 集まりには、おじいちゃんおばあちゃんの知恵や昔話しの他、ゲームや軽い運動も用意しています。特に、
〈最近は足腰が弱ってきた〉
〈家に閉じこもりがちで運動不足〉
 と感じてきたお年寄りの方々も、健康増進のためふるってご参加ください。そこにはお孫さんのようなお子さんたちと楽しいふれあいがあります。
 時間は二時間。参加を希望される方には当日に予定されるプログラムを郵送いたします。
 お申し込みやお問い合わせは保健福祉部介護支援課までお願いいたします。

 実際、わたしが書いたものはこれ以上に長文で、いくぶん童謡の雰囲気のただよう、芸術的な仕上がりだった。しかし——わたしはふと気がついた。この情報をネットワーク上で公開しても老人たちはこれを目にすることがあるのだろうか?
 正直にわたしは困った。実際に困ったのは課長で、この情報に対する問い合わせが期待していたより少なかったのだ。特に問い合わせのあった人々のなかで老人はほとんどいなかった。課長はいった。
「しかたがないよね、○○○くん。まあ、これはジャブなんだ(そういって課長はボクシングの真似をした)——まあ、様子見ってところかな」
 老人たちが望んでいたのは何だっただろうか?——それは『湿度感知式オムツ』だった。わたしは自分がそのオムツや『老人の首に吊り下げ式携帯電話』の開発にたずさわってきたことをだれに対しても口にしなかった。企業の一社員として海外まで福祉機器に関する情報を仕入れにでかけたわたしの知識はまんざらでもなかったかもしれない。
 わたしはこのあと、その知識を隠しながら間接的に、市が発注する物品や資材の調達の入札参加調整に関わることになる。もちろんその物品うんぬんというのは福祉に関する機器である。そのすべてが駄作だった。

 ああ、わたしは過去を思い出すにつれ本を書きたくなってきた。それはニセ評論家であり、収賄罪が確定するであろうわたしのすべてを暴露するものであるというのに!——わたしはよほどのお人好しかそれとも頭のおかしな生物だった。だれかにいってほしいこと、それはこうだ——〈あなたはたぶん純粋なんです〉
 なんといういいぐさ!
 ともかく——本を出版したいというわたしにとってモシアズが利用しているような媒体は不服だった。わたしは枕の上に頭を横に置きながら本を読みたいし、寝返りを打ちながら——お終いには本を投げ出す格好で眠ってしまいたいのだ。しかしわたしがモシアズと出会うための媒体はそのようにできていなかった。彼の造り出した文字が浮かび出るコンピュータは硬かったのだ。できるものならプリントして読みたかったが、わたしはそうするためのプリンタという装置を持ち合わせていなかったし、おまけに紙すら見あたらなかった。それにモシアズが書き出してきた作品たちはプリントするにはあまりに量が多かったのだ。
 白状するとわたしは千百枚を越える作品を書いたことがあり、それは今でもコンピュータのなかに納められている。その作品——『作品』というのもおこがましい出来であったが——を書き始めたきっかけは遺書だった。わたしはいつつかわれるかわからない遺書を書き出し、その書はなんと千百枚に渡った。仮にわたしの生涯を紙にしたためるとしたならばそれはたった二枚で終わる。それが想像と現実の差だ。
 それを共有しようと考えたわたしは、ある出版社に製本と出版のための見積もりを依頼した。わたしは頭の中でせいぜい二、三十万程度のディンギを予想していた。しかし——帰ってきた見積もり額は五百二十万円という額で、わたしにとって高額な部類に入るものだった。枚数が多かったらしい。確かに多かった。印刷された原稿は電話帳ほどの厚さがあった。そのころはまだ不正なディンギを得ていないころだったので、本を出版するという考えは消え去った。
 しかし今はディンギがある。

 そのディンギはもともとわたしが所属していた会社が持ち込んできたディンギだった。それではわたしがそれをネコババしたのか?——いいやちがう。わたしのところへ転がり込んできたものだった。白状してしまえばそのディンギはヒデコさんからわたしの手に渡ったものだった。
 そのディンギがどのようにしてわたしのもとへ舞い込んできたか——それには市役所がしていたことから話さなくてはならない。
 彼ら——もとい『わたし』がしていたこととはこんなものだ——

●緊急通報サービス
 これは高齢な独り暮らし老人に対して緊急通報電話などの設備を取り付けるサービスである。ちなみ高齢というのは六十五才以上の人々を指した。こうした通報機器は電話のように面倒なダイアルをすることなく、ワンプッシュで市役所のしかるべき管理部門や病院、警察へ通報できるようになっている。たとえば赤いボタンは警察、黄色いボタンは病院といった具合だ。必要ならば装備されているマイクやスピーカーで話し合うこともできる。これは主に寝たきりのお年寄りならばその手が届く場所——たとえばベッドの側などに置かれた。
●日常生活用具の給付・貸与
 右記と同様高齢者に対するサービスで、寝たきりの老人に対して、特別にあつらえたベッドや腰掛け式便器、火災警報機に消火設備、特殊排尿器具のなどを与えたり貸与したりするものである。また、電話を貸し出したりもする。もちろん回線付きである。
●ホームヘルパーの派遣
 日常生活を営むに支障のある人々の家庭にホームヘルパーを派遣し、その介護にあたる。基本的に時間制で、一時間あたりの金額が無料から千円程度となる。年金で生活しているものには無理な負担であるので、状態の程度においては無料での派遣となるのだ。
 以上の他にも介護を要する身体に見合うように住居を改善するための『住宅改造費助成』や介護のための助成、訪問してねたきりのお年寄りを入浴させる『訪問入浴サービス』——これにはワゴン車と一体になった移動式浴槽車が使用され、月ごとに利用回数の上限が決められていた。そのほかにも様々なサービスがあった。

 かんじんなこと——それはサービスを色々な観点から眺めてみてわかること——すべてのサービスの共通点は『モノ』なのである。ワゴン車一体型の移動式浴槽は、トレーラー型ラブホテルを造りだしたアミューズメント企業の副産物であったし、住宅改造費助成は倒産を危ぶまれたゼネラルコンストラクターを助け出すために生まれたものだった。そういった企業は市役所が取り決めた入札にこぞって参加した。
 これは市役所の財政部契約課が広報した入札に関する情報である。

【入札希望者の方々へ】
 次年度に市が発注する工事・業務委託・物品・資材の調達に対する入札に参加を希望する方々は、指定する競争入札参加資格審査申請書を期間内に当課まで提出して下さい。(工事の申請に必要となる受付書類の経営事項審査結果通知書は新基準になります。)
なお、今回の登録の有効期間は登録から一年間です。
〈申請書の販売について〉
 今年度一月十一日(月)から、市役所第二庁舎の契約課で販売します。価格は、一部五百円を予定しています。
〈提出期間〉
 平成十一年二月一日(日)から二月二十六日(金)の午前九時三十分から十一時三十分までと午後一時三十分から四時まで(土曜日・日曜日・祝日を除く)
〈受付場所〉
 市役所第市庁舎三階306会議室で行います
〈お願い〉
 駐車場が狭いため、車での来庁はご遠慮ください。
〈問い合わせ先〉
 財政部契約課

 以上が告知であった。
 わたしの働く仕事は直接この契約課と関係を持つことはなかった。しかし、市役所へと入札に現れる企業の人間の姿は否応でもわかった。彼らは住民票を取りに来るような風ではなかったし、税金を納めに来たようにも見えなかった。彼らの足は市庁舎三階306会議室へと向かっていたのだった。ぶら下げたカバンの中には苦心惨たんして作り上げた見積書とそれが実施された場合の計画書、その他諸々の自身たちに有利になるような書類——そしてかんじんな『申請書』などが詰め込まれていたのだろう。
 たぶんかんじんなことは、そのなかにわたしのいた会社からの申請書も含まれていたということだろう——それがなければわたしの口座にディンギはなかったはずだ。

 ディンギを持ってきた男たちは二人いた。一人は専務だった。もう一人——それは若い男だった——その男の手には紫色のふろしき包みがあった——らしい。『らしい』というのはわたしが人づてに聞いた話しだからである。それを教えてくれたのはトキエさんだった。これから先の話しはすべてトキエさんから聴いた話しである。であるから、すべてが『らしい』で終わるべきである。
 二人とそして財務部部長の密談は四階の市長室横にある財政部契約課が用意した接待室で行われた。これもずいぶんと間の抜けた話しである。普通ならワイロの話しはどこか外でするべきものではないだろうか?——わたしはその事実をトキエさんといっしょになって笑い、市役所にいる官僚たちを嘆いた。だがそれも財務部長の策でもあったらしい。彼は自分の城内で密談をすることで、相手側——つまりワイロを送る側に圧迫感を与えたかったのである。話しがこじれるような口答えをひとつもさせたくなかったのだ。
 ——そういったことはすべてが想像だった。だれも本人から聴いたことがない。想像することは自由だった。想像してはいけないのか? わたしの想像癖は先行き広がる未来に対する計画の第一歩であったが、それらのどれひとつをとっても実現したためしがなかった。しかしわたしは想像し続けた。改めていおう——想像してはいけないのか? だがモシアズはいった。彼の回答は見事にわたしを性癖を否定した——想像は『罪』なのだ。それだけだった。わたしは後に逮捕されるだろう。ワイロによる罪ではなく、何かを想像し続けることによって。
 ——そう、疑わしくは罰するのみだ。思想警察はどこかから現れる。わたしはそんな意味でそこら中にある宗教と同じだった。
 さあ、想像するのだ。記憶すら想像される。忘れそうな記憶はおぼろになっているので、ときおり、たとえば思い出す都度にその輪郭を補正しなければならない。補正され続ける記憶はわずかな誤差のために変化し続けるのだ。それだから、一分後の記憶は変わっている。不溶性タンパク質のせいかもしれないね。だれにでも訪れること——早いか遅いか——それだけの話し。

 さあ、紫色のふろしき包まれたものは見かけ上菓子折そっくりだった。遠目や、近目で見てさえも。そしてその周りには細菌がホコリやチリにまじりながらうようよしていた。それは目に見えないものだった。そこがたぶん存在の違いである。見える? 見えない? たったそれだけのことだ。今のわたしをだれが見ているか?——それは二人の看護婦と一人の医者だった。医者は♂だったり♀だったりした。彼らと彼女たち、そうした霊長類ヒト科の生物だけがわたしの存在を証明してくれる。ありがたいことだ。
 もう一度『さて』——そのふろしきは紫色をしていた。それを持ってきた人間をわたしは知っている。だが向こうは知らないだろう。そういった意味で、彼はなんの恩恵もわたしにもたらしてはくれなかった。その人間はわたしの存在を証明してはくれなかったからだ。わたしには彼の存在を証明する必要はあっただろうか?——答え——『まったくない』——だが悲しいことにわたしはその男を知っていたのだ。たいがいにおいて知識は選ばれなければならない。あとあとつらい思いをする。忘れられるべき記憶は得てして残るものだ。その証拠にわたしの脳ミソは彼の姿を未だに記憶し続けている。
 ここで、その男を『取締役』といおう。彼は何のためにそのふろしきを持参したのだろうか。彼ら自社が開発した『老人の首に吊り下げ式携帯電話』や『湿度感知式オムツ』を独占的に納入させていただくことを請うためであった。その金は財政部契約課の財務部長、その『個人』に渡された。その様子は、お茶をもてなした女性により、こう語り継がれている。しかし彼女が当時語っていたことはワイロの話しではない。手がふるえてあやうくトレイを落としそうになったことだった。
 接待室には低いテーブルがあり、それを挟んで、片側に一人掛け用のソファが二つ、そしてその反対側には三人掛けのソファが置かれていた。たいがいにおいて迎え入れる側、つまり役所の人間は一人掛け用のソファに座り、形式上接待される側は三人掛けのソファに尻を並べた。それが習わし——だったらしい。そして紫のふろしきに包まれたおみやげが渡された日も同様だった。ただその日は接待側は財務部長だけだったので一人掛けのソファはひとつ空いていた。財務部長の前には取締役とその付き人のような霊長類ヒト科の生物が並んで座っていた。そしてテーブルの上には紫色のふろしきに包まれた四角いおみやげが置かれていた。
 お茶を持っていた女性の出現は財務部長に対して大きな衝撃を与えたらしい。その姿や挙動——つまり外観上においては大きな変化は見られなかったが、彼の心で発生した地震、いや『動揺』は言葉の震えとなって現れた。
「かー・かー・カンザキくん、どうしたのかね?」
 財務部長の声はひっくり返っていた。ちなみにカンザキくんというのは、お茶をもてなした女性に与えられていた名前である。財務部長の声に誘導されるように彼女もまた少々の驚きを見せた。お茶を乗せたトレイをあやうく落としそうになったのである。たしかにトレイは落ちなかった——だがお茶の入った湯飲み茶碗——その三つのうちひとつは落ちた。
「す、すみません部長」カンザキさんはトレイを抱え、かつそのバランスを崩さないようにそして急ぎながらかがみ込み、落とされた茶碗を拾おうとした。しかし実際にその茶碗を拾ったのは財務部長だった。彼は拾った茶碗を、カンザキさんが胸元で抱えるように持っているトレイの中に置き、こういった——
「カ、カ、カ、カ、カンザキくん、今すごーく大事な用だからね、いいよいいよそんなに親切にしてくれなくても。(そしてカンザキさんの、でも——という表情に対して手を団扇のように振りながら)だいじょうぶ、ほんとに心配しないで。とにかく『すごく』大事な用なんだよ」
 結局カンザキさんはところてんが押し出されるように接待室から閉め出された。カンザキさんは若干の抵抗を見せながら出ていった。彼女の身体がのけぞった方向に見たもの——それは紫色のふろしき包みだった。
「あー、あ——ミスちゃった。お茶こぼしちゃった」
「なんでよ」
「わたしのせいじゃないわよ。あの部長が変な声出すからびっくりしちゃったの。知らない人間の前で恥ずかしいったらないわ」
「へえ、部長いったいどうしたの」
「知らない、あんなタヌキおやじ。なんだかすごくあせってたわ〈カンザキくん、きみはいいんだよ〉なんていってね」
「へえ、よっぽどないしょの話しなのね」
「うーん、どうかしら。でもあのおみやげはおいしそうだったわね。きっとどこかの名品よ。なんだか大きくて立派そうだったわよ」
「そう、早く食べたいわね」

 結局そのお菓子はカンザキさんの口には届かなかった。それではだれの手に入ったか?——トキエさんである。厳密にいってトキエさんのせいではない。接待室で財務部長たちの話しあいが終わったあと、彼ら三人は接待室を出ていった。財務部長は見送りのため、取締役と付き人の二名様といっしょに階下のロビーへと向かった。そこでトキエさんははじめて取締役との最初で最後の遭遇を果たすこととなる——それもかなり近距離での接近を。それはいったいどういったことか? 四階の総務部へ用事があったトキエさんは、階段のステップを踏みながら歩いていた。そして最後のステップを踏み終えたとき——彼女は取締役とぶつかった。話しておこう——これもまた真実の告白である。その取締役の背はわたしよりも低かった。また、断っておくとしてこれは断じて肉体的特徴を差別するものではない。背が高い人間自体が差別なのである。それがわたしの考え。正常な人間がいる。これ自体が差別だった。
 とにかく——トキエさんは取締役とぶつかった。そのとき両者の身体的特徴は、顔と顔、腹と腹、そういったシンメトリー的な衝突を実現できなかった。トキエさんの顔の前には廊下の壁が見え、取締役の眼前には漆黒の闇が広がった。それは自分の顔がトキエさんの胸に押しつけられたためだった。そしてつんのめるような両者における重心の移動は、互いの身体を磁石が吸い付くように抱き合わせる状況をもたらした。
 トキエさんは驚かなかったという。驚く前に彼女は自分にせまってくる肉体を支えなければならなかった。そうしなければせっかく上がりきった階段を転げ落ちてしまうからだった。わたしはいってあげた——それは重力のせいだと。だから宇宙へ出ていくのだ。
 財務部長と取締役、それに付き人が出ていった接待室に彼女は入っていった。その部屋のテーブルの上にふろしき包みが置き去りにされていた。そしてヒデコさんはそれを持ち帰った。それだけのことだった。
「けっきょくあのお菓子まわってこなかったわね。自分たちはいつも野球のチケットとかビール券なんかもらっているくせにお菓子だって独り占めなんだから」

 わたしの手はパテで汚れていた。指先に黄色い粉がこびりついて頬をなでるとざらざらした。そして鼻はシンナーで麻痺していて、その重みは肺の奥に沈んでいた。わたしはパテで何をしていたか?——それは『老人の首に吊り下げ式携帯電話』の型をとっていたのである。いわゆるプロトタイプというやつだった。さて、引き続き思い出したこと。わたしの脳ミソの中にある記憶のキャビネットは、こんな思い出をよみがえらせる。それはマフネちゃんはアルバイトだった。彼はスナックで仕事中、ときどき股間を掻いていた。〈かいーかいー〉といいながら。わたしはときおりそれに対して、何をしてるんだよといってからかった。マフネちゃんのしていたことは、自分のあそこをシリコーンの詰まったバケツに入れて型をとることだった。彼はそれをどうしていたか?——知り合った女性、肉体的に関係を持った女性たちにプレゼントしていたのだった。だがそれはひとつの理由で、もうひとつ理由が存在する。彼はそれを快楽に特化された品物を扱う店に売っていたのだった。マフネちゃんのあそこはそれだけの価値があった。聞いた話しだが——マフネちゃんのはとても大きなものだったらしい。そしてそれは放射能やホルモン異常といった要因によるものではなかった。まちがいなく自然なものだ。
 マフネちゃんが関わっていた店が扱うものとわたしが開発に手を貸した製品のどこがちがうというの?——なにもちがわない。老人たちもときどきではあるがマフネちゃんのものを使うときがあった。すべては共通しているのだ。それがほんとうのことだった。つまり真実である。
 重力の敬けんな信者であるわたしは、下へ下へと育ち続け、霊長類ヒト科でいわれる『成人』となってもいまだに下へと育ち続けている。マフネちゃんが自分自身のものをシリコンのなかに沈めたように、わたしはわたし自身の身体をベッドに埋め、そしてわたしの人型ができあがる。だが、わたしはそういった人型さえ満足に造り出すことはできないだろう。なぜ?——きっとわたしの身体はベッドを突き抜け、地球の中へと沈み、マグマで焼き尽くされて炭になるのだ。
 それが重力の敬けんなる信者、わたしの末路だろう。わたしはそれを自分で予言する。それがわたしの想像できる未来だった。その未来であり得ないもの。そいつはわたしにすべてのきっかけを与えてくれたナエコさんにもう一度会うことだろう。これはたぶん——きっとあり得ない。
 あり得ないこと、わたしはそれについて考えるとき、〈もしそれに遭遇したなら〉——といった状況に置かれたわたしのとる対応を考えるときがある。仮にわたしが本望であるナエコさんとの対面を果たしたとしたならば、わたしはいったいどういった言葉を、どういった挙動を見せるだろうか?——すぐに思いついたこと、それはこうだ——〈わたしはあなたが好きでした〉そしてわたしの背中はふるえる。自身の考えに自身の身体が照れているのだ。
 けれども、何をいまさら恥ずかしがることがある?
 わたしは今、何も無い状態にある。この部屋には彼女を座らせるためのイスが必要だった。そのイスは看護婦から借りよう。折り畳みのパイプイスではなく、休憩室にあるレザー張りのソファ——尻を汚さないための上掛けを掛けたものを。そして彼女をもてなすためのお茶をいれる食器も必要だ。それに菓子器も。それにはわたしの好きなイチゴのチョコレートを盛るのだ。彼女とわたしの好きなものを共有する——そういった時間は普段と変わったものだろうか?

【続く】


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