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仮題:センス・オブ・グラヴィティ 2 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【2回目】

 まあ、とにかく・とにかく・とにかく——わたしは詩を口ずさみながら公園の掃除をしたのだ——たった一人で! 直径四十センチメートルはある大きなゴミ箱のなかを総ざらいし、木の下に落ちた腐った実や花を拾い集めた。わたしにはこの上ないよろこびだった。昼になれば、子供たちが集まった。彼らを連れてきたのはお母さんだった。お母さんたちのほとんどは若くてわたしよりも年が下だった。すばらしいことだ。世代の移り変わりはわたしを化石にする。ある時期多かった皮脂もいずれ干からびる——化石化の始まりだ。
 ところで子供を連れた彼女たちとわたしの持っていた『時間』は異なっていたのだろうか?——異なっていたはずだ。わたしには今でもわたしの『血』をひく子供はいない(もしもわたしに子供がいたとしたならば、わたしはあの公園に自分の子供を連れてきただろうか?)
 人に何も与えることのできない人間に何かを与える人がいたとしたなら、わたしは間違いなくその人についていくだろう。現にわたしが今まで人に与えてきたことは何もなかった。こんなわたしに何かを与えてくれる人がいた。そういった人は何人かいた。そういった人々のすべてはわたしが好きになった人である。そういった人のほとんどは女性だったが、彼女たちはわたしに何かを与えた記憶など見つけられないだろう。
 ものにつられたわけではないのだ。
 彼女たちが与えてくれたものは『モノ』ではなかった。それでは『愛』だったか。いや、それでもない。彼女たちが与えてくれたものは真意の計りきれない『やさしさ』だった。わたしは優しくされると涙が流れ出る貧歯類のアルマジロだった。わたしの殻は堅い。堅くて堅くて——抜け出ることができないのだ。しかし——だれもかれもがわたしの殻の中に足を踏み入れる。靴も脱がずに。下駄箱さえ見つけようとはしない。

 さて、わたしの所有するものをひとつ紹介しよう。それは飲料を入れるためのポットだった。数あるポットのなかからわたしが選んだものは、ハンドルのついた一リットルの水分を入れることのできるメタリックグレイのポットだった。わたしがそのポットを持って歩くことにしたのは、好きなときに好きなものを飲みたかったらである。
 それを買うきっかけになったのは、老人ホームでの作業がきっかけだった。そこで補充できる水分といえば、缶ビールが何百本も入る冷蔵庫でたったひとつ輝いていた麦茶だった。わたしはその麦茶で腹を下した。介護しているわたしがオムツをつけなければならないくらいに。重力がわたしの腹を押さえつける。わたしと同じ麦茶を飲んだ老人たちも腹を下した。
 たまたまその日の麦茶が悪かったのだと思う。だがわたしはあえてポットを買った。それは貧歯類のアルマジロが持つ堅い皮のようなものだった。単純な頭脳の持つ本能だ。実は霊長類ヒト科の生物よりもしたたかなのだ。

 わたしには真実が二つあった。それはのちに明らかになるだろう。そしてわたしの不正はその腹を下した老人たちに関係することだった。
 介護される老人にはかなり痴呆の進行した人もいた。わたしが働いていた会社では福祉に関する事業を行おうとしていた。あながち間違ったマーケットではなかった。時折、いや、頻繁に人は口にした——
「介護は金になるんだよ」
 正直いってわたしは世間一般でいう生っちょろいケツの青二才だ。そんな青二才もそういった仕事がほんとうに会社に対して有益であろうと考えていた。事実——有益だった。

 会社が人々のために創造したもののひとつは、首からぶら下げる発信器付きペンダントだった。そのペンダントから発信される電波は街中に取り付けられた受信器に引っかかる。
「携帯電話みたいなもんだな」
 そういった人もいた。
 そんなものか、とわたしは考えた。

 わたしがそういった仕事に手を染めたとき、わたし自身若造だった。テクノロジーの偉大さに心酔しきった右と左がようやくわかりはじめた、ケツの生っちょろい青二才だった。小さな子供の頃のわたしが将来に対して希望した職業は『タクシーの運転手』または『バスの運転手』である。けれども今じゃどうだ?——車の匂いで吐いてしまうくらいのデリケートさだ。多感なころのすり込みは一生消えない。とにかく、まあ、結局のところ——わたしは『凡人』だった。それが無難な回答だ。

 仕事に熱中していたとき、わたしは自分がケツの生っちょろい青二才であることに気がつかなかった。それだからペンダントや必ず公共の役に立つと信じて疑わなかった製品を作り、そして売り歩いたのだ。
 わたしは盛岡にいったことがある。盛岡とはすばらしい街のことをいう。これは大げさな話しではない。わたしは今でも盛岡が好きだ——もう二十五年は訪れてはいない。最近、もう少し前からかもしれないが、わたしは旅行という他人の住む地を訪れる行為に恐れを抱くようになっていた。それはこうしたことによる——『だれも歓迎してはくれないのではないか?』——しかもわたしはそこ、盛岡でもデリケートなようでまったくデリカシーの欠落した製品を売り歩いていたのだから。『老人の首に吊り下げ式携帯電話』やその他の製品を心から賞賛できるほどわたしはもう子供ではない。
 わたしにとっては聖地ともいえる盛岡は、二回目に訪れたとき、惨たんたる思い出の地と変わった。それはちょうど、わたしが自分の仕事にある疑問を抱いたことに同期していた。
 盛岡には好きだった女性もいる。それがほんとうの理由?——そういえないこともない——よ。
 二回目の盛岡でわたしは何をしていたか?
 それは『老人の首に吊り下げ式携帯電話』を利用するためのステーションの設置場所調査——つまり老人たちを電波で接続できるようにすることだった。
 老人の首に吊り下げられた機械は、電波を受けると小さなランプが点灯する。そしてこんな音もする——『ピッ・ピッ』
 そういった音を鳴らすという動作の目的——それはそうした動作がなければ動いていることが確認できないためである。
 つまりみんな不安だということ。
 その頃のわたしは仕事が嫌いになりかけていた——いや、嫌いになっていた。夜独りで雪のような酒を飲んだ後、捨て鉢でファッションヘルスに入った。勘違いしないでください——わたしはその部屋で通常行われる行為といったものは一切行わなかった。それでは何をしたか?——わたしは寝たのである。器械のように店のメニューを説明する女性の言葉を無視してわたしは小さな——ソファのようなベッドの上で寝た。おそらく女性の目にはわたしが単なる酔っぱらいにしか見えなかっただろう——ところがそうじゃない——わたしは疲れていたのだ。それはとても間違いのないことだった。
 捨て鉢! 捨て鉢!
 もしもそのときにその女性がわたしに何かのクスリを与えてくれたならわたしはよろこんでそれを服用しただろう。わたしの気分は病気に近かったからだ。
 ベッドの上で横たわるわたしは死んだ魚のようだった。死んだ魚の目からは涙がこぼれていた。そう——わたしは泣きながら寝ていたのだ。わたしは捨て鉢だった。わたしの目が覚めたのは二時間半後のことで、部屋の中にはわたししかいなかった。その部屋を使用した代金は時間で計算され、一万八千円という代金を支払わなければならなかった。
 それが『惨たん』たる思いである。これが三十を過ぎた男がとるべき行動だったろうか?——大きな口を開けて笑うか、それとも口を閉じてあきれ、そして落ち込むか——そのどちらでもかまわない、わたしは病気なのだ。
 その病気はまだ続く——
 部屋を出た後のわたしは洋酒のバーを見つけた。そしていつもは電源を切っている携帯電話を手にすると、ナプキン(それは食堂のテーブルに置いてあったもので、婦人生理用品ではない)に殴り書きをしたメモを見ながらその時分にたぶん好きであった女性に電話をした。わたしはその子が自分に対して感じていることについてほとんど悲観的であった。
 今となって考えてみれば——わたしはその女性に話した内容をひとつも覚えていない。それは当たり前だ——もう二十年ほど経っているし、脳ミソに仕組まれている記憶装置はわたしが扱っていた半導体のそれとはちがって、年を経過するとともにその品質は下降する一方だった。容量も減るばかりで、記憶を保持することは楽なことではなかった。
 そのあいまいでくだらない記録であふれている脳ミソがはっきりと覚えていること——それはその女性が既婚者であったことだ。既婚とはすでに結婚しているということで、常識ではそこに他人が入り込むことができないとされていた。そして早い話し——わたしにはその女性に対して十分な『未練』があったのだ!——参考までにわたしは未婚である。未婚とは既婚に対峙する言葉で、まだ結婚していないということである。結婚とは?——わたしにはわからない。結婚していないからである。だからわたしは子どもの意味も知らない。
 まあ、わたしの状況は差し引いて、盛岡はわたしにとってとてもすばらしい街だ。

 わたしが仕事を嫌になったのは『老人の首に吊り下げ式携帯電話』のおかげだったろうか?——『イイエ』でもなければ『ハイ』でもない。物事で困ったことは、すべてが理由になる要素を持っていて、そのほとんどがあてにならないことである。わたしはどのようにして現在の自分——つまりベッドでただ時間を放棄することを待っている自分になってしまったのか——その理由が思い浮かばない。それだから今まで話してきたことにはいかなる理由も含まれていない。
『老人の首に吊り下げ式携帯電話』がわたしに与えてくれたこと——それは電波の使い方だった。それは『幸い』のために考案されたもので実際に使われている。それで助かった人々もいる。わたしが会社を辞めたのは、その『老人の首に吊り下げ式携帯電話』の次に開発された『湿度感知式オムツ』が完成したあとだった。それは自分のオムツが濡れていることに気のつかない痴呆性の病気を持つ人や、老化により寝たきりになった人にあてがわれるオムツで、排泄による湿気などを感知して音で知らせる革命的電子オムツである。介護する人々はこれにより、タイミングよくオムツを取り替えることができた。これは音だけではなく、外部装置への接続も可能だったが、その方法は『老人の首に吊り下げ式携帯電話』のように電波を利用したものではなく、電線で接続するものだったので評判は良くなかった。わたしは『湿度感知式オムツ』のパンフレットのためにその応用例として〈外部装置との接続〉という説明図を書いた。できあがた絵はどうしてもリモコンで動く人間か、鎖でつながれたサルのようになった。一本の電線——ひもの役割はしょせん縛るか引っ張るしかないようだ。
 わたしは『湿度感知式オムツ』が完成したとき、『老人の首に吊り下げ式携帯電話』と同様に「絶対に自分は使わない」——そう考えていた。だが正直にいおう——わたしは『湿度感知式オムツ』を身につけている——というよりははかれされている。病院の看護婦にとってこれは便利なものらしかった。わたしが開発に加わった『湿度感知式オムツ』は現在でも基本的な構造は変わらず、そのオムツ本体の改良が重ねられて今では日常品のように売られている。アラームだけではなく振動モードも加えられている。それは音による報知ではなく、オムツに取り付けられた超小型低電力モーターが回転することにより発生する振動でおもらしを報知するものである。
 再度——わたしは『湿度感知式オムツ』を身につけている。それだからわたしは入院しながらもベッドの上で緊張している——オムツのアラームが鳴らないように。それはこんな音だ——『ピンポーン・ピンポーン』
 だがたいがいの人はアラームを使わずに振動モードを利用していたらしい。そしてその利用者のなかには痴呆や失禁にほど遠い若者たちもいる——要は使い方なのだ。
 ああ——なぜわたしはこんなものを造ってしまったのだ。そして今のわたしの状況にもっとも近い言葉——それはこうである
 『自業自得』

 ベッドの中での重力体験——それはときどきベッドに押しつけられている感じがすること。わたしのあいまいな記憶は遠いナエコさんを思い出させる。それだけが鮮明に思い出されることなのだ。一度しか会ったことのない彼女は現時点のわたしにとって最愛の女性である。もう二度と会えないのだろうか?
 ベッドサイドのワゴンには一冊の本が載っている。それには『子どもを産んで』というタイトルらしいものがつけられていて、看護婦がおいていったものだった。いつだったかわたしが夜中じゅう高熱でうなされていたとき、付き添いの看護婦がひまつぶしに読んでいた本で、それから一ヶ月以上の日数が経っているが、その本はまだそこにある。それはある女優が子ども産んだ感想を大きな文字で何枚もの紙を費やした大作だったが、中味は非常に単純だった。たいがいにおいて物事は単純だ。こんなことでも本になるのか、これじゃ小学生の書く夏休みの日記じゃないか?——わたしはそう思ったものだ。わたしはその本をゴミ箱に捨ててしまいたい衝動に駆られるが、いつか看護婦が取りに来るだろうと思うと、そうもできなかった。早く取りに来てほしい。
 今、わたしは入院している。入院しているわたしはモシアズという作家の作品を読んでいる。それは出版されていない。わたしはそれをインターネットという方法で知った。もうずいぶん前のことだ——たぶん今から十七年前?——たぶんそのくらいの年数が経過しているはずだ。入院中もわたしはモシアズの作品を読むことができた。それは小さなアンテナ付きの電話におかげである。その電話は電波によって通信することができる。その通信の利用料はどこから徴収されていたのか?——それは不正金がたっぷりと積まれている銀行口座からである。それはわたしにとって意義のあるディンギの使い方のひとつだった。
 さておき——アンテナ付き電話で通信をするさいに使われる電波が医療器具に干渉してはいけないので、わたしは夜中にこっそりと病院の外に抜けだしてそれを使った。そうやって得た彼の作品をベッドの上でゆっくりと読んでいるのだ。掃除中に詩を創作するわたしにとって彼は『師』といえる人間だった。
 彼はわたしにとってとてもかんじんな人間だ。彼は霊長類ヒト科の生物ではないのかもしれない。

 モシアズの書いたモノの中で、わたしが感銘を受けた作品——それは子孫を増やせないニッポン人たちを造り出す神の話しだった。
 神は女性に疑似卵子を与え、男性の精子は水で割らなければ飲めない濃厚で甘いシロップになった。彼ら異性たちはどれだけの努力をしようが子どもをつくることができなくなった。すでにホ乳類ヒト科ではなくなった。それでは彼らはどのように反映するか?——彼らは養子をもらうのである。その養子はまた養子をもらう。
 彼らに血のつながりはなかった。
 そういう話しもあるものか——

 この今まで——わたしは重力により支配されてきた。もちろん現在もそうだ。重力はわたしの腐りかけている胃や肝臓を下へ下へと押し下げ、心臓すらも肋骨がへこむほど垂れ下がりつつあった。そしてわたしの日常はほとんどベッドの上だ。ああ、なんというベッドの心地よさ!——仮に今のわたしが保険付きのジェットローラーコースターに乗せられたなら、遠心分離器にかけられたごとくわたしの身体は見事なまでに分解されるだろう。人を一回こっきりしか斬ることのできない刀——たぶんわたしはたったの一度で、あっさりと分離されるにちがいない。ああ、できるならそうしてほしいほどだ。わたしの身体は分離されるべきだった。そう——そうすることができたならば、わたしは今頃魂だけの身体となり、宇宙を放浪し続けていたことであろう! わたしは暖房能力のない毛を刈り取られた羊だった。幼い肉ほどうまい羊だった。しかしそれもたぶん思い上がりに過ぎない。なぜならわたし自身はどう転んでみても貧歯類のアルマジロという生物だったからだ。そうなる——否が応でも。
 どれだけの文句を較べてみても、それがわたしに『かぎって』の話しであっても、わたしの肉体と精神のバランスを保ち続けているものは重力だった。その重力を一瞬の間に解き崩す日常——それはエレベーターだった。わたしは病院の三階——それは最上階よりひとつ下のフロアーだった——までのぼるために階段を利用している。わたしの身体はエレベーターさえも目を眩ませる対象になっていた。
 わたしはとある知識人に訴え続けた——たとえばテレビというメディアに顔を出しているときに。それはこうしたものである。
「ああ、あなたは何もない世界を満たすためにあらゆるモノが造り出されているという——しかし——果たして、実際そうだろうか?——わたしはそう思わない。この世にモノが造り出されるのはなぜか?——それは『重力』があるおかげなのだ。重力のない世界でどれだけの人間が——生物が食を欲しようとするか?——だれも欲しがらない。そんな世界でだれが車に乗ろうとするか?——地上には空中よりもどれだけの利益が存在している?——地底を掘り起こそうとしても、皆がマグマの存在に目を白黒させるだけだろう。そう地上ではすべてが熱いんだよ——まるで老舗の温泉旅館——公営浴場——まるで垢の浮きすぎた風呂場さ。重力に満たされた世の中でだれがそんな場所に住みたがる——それだから人間は、もとい生物はたくさんの『モノ』を産み出したのさ。わかるかいみんな——『熱さ』から逃れるために行為を施すんだ——行為をね!」
 こういった発言を堂々とでっち上げたとき——わたしの肩書きは『論理生産評論家』だった。論理生産評論家とは、ありもしない架空の世界でありもしない生産物が流通されるさまを口にする人間である。現在、それは電子化されたディンギ——『電子マネー』と呼ばれる。
 すべてがなりを潜めているとき——それは寒いのではない。そのとき、『なり』は熱くぶくぶくと泡を立てながらそこら中に潜んでいるのだ。そう——まるで『老舗の温泉』みたいに。
 そういえば——昨晩わたしがこの身を浸したバスの湯は肌がビリビリするほど熱かった。わたしがまだニセボランティアに身を投じていたときわたしはそんな真似をしなかった。そのころのわたしは、将軍や天皇の元で毒味をするように湯の温度に気をつかっていたのだ。
 気をつかう——それは悲しい言葉だ。わたしは気をつかいすぎた。すべてに通じてわたしの精神は奉仕と、そしてたっぷりの謹慎でなりたってきた。わたしは総じて控えめだった。わたしの行き場は酒の入ったディレクター、そしてプランナーたちの意見によってのみ返ってくることのないウソ混じりの事実を投げかけることができた。
 そうわたしのウソは事実だった。
 すべては——ウソも交えて——すべては総じて事実だった。なんでも投げかけることができ、そしてどれだけ投げかけようと、なにも返ってくることはなかった。それがすべてなのだ。
 身よりのないわたしのウソはどこにでも、そしてそこらじゅうに放り出されていた。この老いぼれた脳ミソの、使い古されて、半導体の性質さえ失いつつある記憶装置の中の情報は時間を重ねるごとにつれ、加速度的スピードでその能力を失いつつあった。けれどもわたしが話すかぎり、わたしの話したすべてはわたしにとって事実である。
 わたしはたぶん今までウソをついてきたがそのウソのほとんどが結果論的見地に立てばまったくのウソではないといえた。そう、たいがいにおいてウソは——わたしのウソは事実になっていた。
 それはわたしの『みじめ』さにおいてである。
 どれだけの賢いウソを生物はつかなくてはならないのか?

 さておき——わたしは市役所の窓口を訪れた。そのころ、わたしはネットワークだとか、通信を通じて成立するネゴシエーションの手段のほとんどに興味を失っていた。それは情報と通信料を単純に比較した結果のことだった。それだからわたしの探索する情報はわたしの足が出向くところ——そこにしかなかった。
 ちなみにわたしがそのネットワークを自らの生活から遠ざけた期間はわずか五年ほどの間である。それはわたしが不正金を流用し、その罪悪感に目覚めるとき——そのときまでのことだった。わたしはだれに救いを求めただろう?——わたしの救世主たる人物は二人いた。ひとりはモシアズ、そしてもうひとり——もちろんそれは——もう会うことはないだろう彼女——ナエコさん(仮名)だった。わたしにボランティア、ほんとうの『福祉』を教えてくれた彼女である。それまでのわたしは『老人の首に吊り下げ式携帯電話』や『湿度感知式オムツ』が福祉だと信じていた。今でもそれが福祉だと思っている人間がいた。そしてそう信じたたいがいの人間はそれのお世話になっている。例外なくわたしもそうだ。これが悲しいといわずして何といおう?
 わたしがネットワークを再開した理由のひとつ、それはモシアズである。それは子どもの頃の麻疹がまたでてきたようなものだ。歴史は繰り返し、個人的な歴史はまた楽しかったであろう頃に戻る。それを楽しかったと気づくのはたいがいがずいぶんと後のことである。もちろん人生の。生きている間にそれに気づくことははたして悲しいことだろうか? たぶん悲しいことだ。少なくともわたしはそう思う。
 どれだけの救いをモシアズは与えてくれただろうか? 彼はそれなりの救いを与えてくれた。彼はわたしが時間を放棄するまでに持て余していた時間の大部分を潰してくれた。
 彼女はどれだけの思いをわたしに与えてくれただろうか?——彼女はわたしを生かしてくれた。彼女への思いがあったからこそ、わたしは生きてきた。このベッドの中でわたしはときおり口にする——彼女の名前を。独り言が出始めた頃、わたしの気はほとんど狂っていた。
 たいがいの人間は仕事に対して、過激すぎるほど前向きであったし、彼らにはそうするだけの責任があった。わたしは自分がそうすべき理由となる責任の所在を探し出そうとするが、見えてくるものはまったくなかった。わたしは温度を感知する不思議なオムツの開発にたずさわっていた頃から——特にその終盤から仕事に没頭する気など失っていた。

 最近、朝立ちをするたびにわたしはマフネちゃんのおこぼれだった女性を思い出す。いつまでも女性では失礼であるのでわたしは彼女をヒデコさんと呼ぼう——もちろん仮名である。ヒデコさん(仮名)はわたしにとって初めての女性であったことは前にもいった。その性的関係の衝撃さがヒデコさん(仮名)を朝立ちへと結びつけるのか?——いってしまおう——皆無とはいえない。わたしにとって彼女はどんなテレビスターにも勝るセックスシンボルだった。しかしわたしはヒデコさんを愛していたわけではない。だが好きだった。彼女のことは今でも好きだ。それだから思い出す。それでもひねくれたホ乳類ヒト科の生物はいうだろう——「憎い奴ほど覚えているものさ」——ごもっとも。だからわたしは憎い奴のことは忘れるようにしている。わたしの逆恨みは自分が恐くなるほど激しいので、思い出さない方がいいのだ。それだからわたしの世界は加速度的に狭くなっていく。今のわたしの視界は病的に狭くなっている。どこを見ても白いせいだろう。病室の壁は広さを忘れさせるほど狭かった。実際狭かったのだが——
 ヒデコさんは今どうしているだろうか? そしてマフネちゃんは?

 ヒデコさんやマフネちゃんがいた店で一度だけディンギが紛失したことがあった。それはレジの中に入れられていたものだった。誓っていうがわたしはそれを盗ってはいない。わたしが店に入ったとき、すでにマスターは興奮状態にあった。
「いったいだれよ! 持っていったのは?」
 わたしはマスターのいっている状況がよくわからなかった。それでも雇い主と雇われ人の関係から、控えめに訊いた——「いったい何があったんでしょう?」——マスターは答えなかった。そのかわりに答えてくれたのはお客のヒデコさんだった。
「お金がなくなっちゃったの」ヒデコさんの声には落胆しいるようすがなかった。しかし店の女性——つまりホステスたちはそうではなかった。彼女たち三人は被害を受けたと思われるレジの隣でカウンターをに寄りかかったり、テーブルに尻をついたりしながら下を向いていた。彼女たちの心配は給料だった。
 髪の毛が短くまつげの長いナナちゃんは昼間わたしが勤めていたところの遠い親戚のような会社で働いていた。その他の女性たちはまだ学生だった。それでもわたしより年が上だった。つまりその店ではわたしがいちばん年下だった。——話しはそれたが、彼女たちはそれぞれ店のバイト料を遊びやローンの支払いに充てていたので、それなりに深刻な問題だった。わたしはバイト料をなんの宛てにもしていなかった。その頃のわたしは——労働によりディンギを得るという事実だけを欲していたのだ。考えてみれば、わたしには欲がなかったのかもしれない。
「あんたってほんとのんきね」
 それは髪が短くまつげの長いナナちゃんの言葉だった。彼女がなぜそういったことをわたしにいったか?——その現場でわたしは何をすることもなく、ただニコニコしていたからだった。
 そのころ——わたしは彼女たちにくらべてケツの青い子どもだった。そのころに限った話しではない。たいがいにおいて——そして今でもわたしはケツの青い若僧だった。わたしが若僧たるゆえん。いろいろな理由が見つかる。最期まで——この期に及んでいうことではない——と思う。
 今考えてみるとわたし自身その場でニコニコしていたなどという記憶はない。しかし、これだけは間違いない——わたしは興奮していたのだ。犯罪があったのではないかという状況に。
 たぶんナナちゃんたちには罪がなかった。彼女たちは前の晩、マスターといっしょに帰ったのだ。わたしはそのころどのように店から家に帰っていたか?——ゲームセンターで時間をつぶし、深夜営業の喫茶店で砂糖たっぷりのホットミルクを飲みながら始発電車を待っていたのだ。わたしはその電車で自分の住むアパートへと帰り、十五分で顔を洗い会社へと向かった。いつ寝ていたのだろう?——わたしは会社へ行きしなの電車の中で寝ていた。口を開けながら。ただし下を向いていた。

 この世の中で見てきたものは、たいがいにおいてきれいだった。そう、おどろくほどきれいだったのだ——ときにそれは非常にうざったく見えたものだ。だがよく見てみればきれいだったのだ。
 たとえば思い出すもの、それはわたしがマフネちゃんといっしょにバイトをしていた店だ。店の看板は今わたしがいる病院の救急玄関と同じくらいに派手な色使いでしかも汚れていた。マスターは看板を拭いておきな、とわたしに注文したことは一度もなかったが、それでもわたしはその看板をきれいに拭いてやった。店に客がいないとき、そんな時間を見つけてはわたしは店の外で看板を磨いた。わたしは外に出たかったのかもしれない。ああ、あの夜空——それは深い深い暗黒色だった。あの空は吸い込まれそうな色でわたしの目をうばったものだ。
 わたしは看板を拭きながら空を見上げた。とてもすてきな夜空を。
 印象に残る夜空は突然現れる。独りぼっちの夜空はとても感傷的で、あれはいつだったろうか?——暑い夏に地下鉄の階段を駆け上がって通りへ出た。そこに待っていたものは涼しい風と丸い月——そして遥か上だが今にも手が届きそうな夜空だった。夜空——夜空はいつか、いつかきっと舞い降りてくる。
 霊長類のなかで、こうしたことを聞いてくれる生物はいなかった。少なくともわたしの周囲には。周囲を囲んでいたのはだれだったか? それは『涙』である。

 青い服を着た市役所の女性は、わたしに食事をごちそうしてくれた。彼女にとってわたしは明日の食事に困るほどの人間に見えたらしい。わたしはこう思ったものだ——『あなたにはボクが人間に見えますか?』
 推測するに——彼女はわたしを人間だと思っていたにちがいない。彼女はわたしに人間が普段食べるものを与えてくれた。それは薄い焼き肉だったり、細かくミンチした肉をパンでつないだハンバーグだったりした。時には反対側が透けて見えるような——そこにはその女性が見えたのだが——フグの刺身だったりした。後にも先にもフグを食べたのはそれが最初であり最後だった。二度と食べることのない食事は多々ある。わたしはもうプラフは食べないだろうし、トマトソースだけのかかったウドンみたいなタジャリンには二度とお目にかかることはあるまい。最近のわたしが食しているもの——シラスという生物の遺がいに数百年前から栽培し続けられている稲という植物の穂先についている小さな——とても小さな粒だ。それをとても柔らかく煮たものをほぼ毎日食べている。土曜日と日曜日には蒸しパンがそれの代わりをする。それらは総じて病院食と呼ばれるもので、たいがいの人々は「毎日こんなんじゃ力もでないし飽きちまう!」——そういってその食事を敬遠した。
 病院食に対するたいがいの評価は味が薄いということだったが、わたしにはなんの障害にならなかった。わたしはしょう油やソースがきらいだったから。
「○○○くんはよくしょう油をつけないで刺身が食べれるわね」
 訊かれてもしようのないことだった。わたしの舌はそのようにできていた。わたしは心底神経過敏な生物だった。
 過敏なのは霊長類ばかりではない。最近では部屋の窓から見える鳥たちも少なくなった。木さえ見えなくなった。すべてのものたちは一言の書き置きさえ残さずに去っていった。そして今も彼らは理解できない言葉だけを残して去りつつある。それだからわたしは窓を眺めるたびに置き去りにされる自分を知るのだ。彼らはわたしになにも言い残さない。

 青い服を着た市役所の女性——彼女の名前はトキエさんといった。もちろん仮名だ。わたしは亡くなった人からその人権を奪おうとは思わない。ただ、自分がいいわけをするためにその存在を明かす——それは必要なことだった。なんて自分勝手だろう。信じてほしい——わたしは他人のことをとやかくいいたくはない。そしてそんな権利もない。だが不可欠な場合もある——そういうことだ。
 トキエさん(仮名)とは市役所の窓口で顔なじみになったのだが、その前に食堂で顔を見たことがあった。覚えている限りでは、彼女はざるソバといなりずしのセットを食べていた。わたしが選んだものは親子丼だった。
 それはさておき——食事をしていたときトキエさんがいった。
「みんな賭けをしているの。だれが市長になるかってね。一口千円なの」
「ふーん、でも市長になるなんてだいたいきまっているんじゃないんですか?」
「あら、そんなことないわよ。選挙っていうものがあるでしょう。それに今度はおもしろいの。六十五の現職に四十一歳の対抗馬——すごく若いんだから」
「見たことあるんですか」これは事実の確認だった。
「あるわ、市役所に届けに来てたのよ。すごくかっこよかったわ。スーツがとても似合っててタバコは吸わない。それまではあの若い年で社長さん。あなたたちの税金が安いのはその人のおかげね。その人の会社が持っている株の上がり方って知ってる?——最初二千五百円と思っていたら、一年で六万五千円なのよ。仕事の方向が的中したって感じね」
「ふーん、それじゃすごくやり手なんですね」
「『やり手』だなんてなんだか下品。頭が良いのよ。それに度胸もあるかもね」
「その人に賭けてるの?」
「全然」
「それじゃだれ?」
「残るのは現職だけでしょ。人気がないから確かに大穴だけどそれだけじゃないわ。株を上げるのと役所の仕事はちがうのよ」そしてトキエさんはこうもいった、「わたしってけっこう人を見る目があるの。わたしが良いと思った人は、絶対良い人なんだから」
「何口?」
「十口よ。一万円——だから当たれば今だと七倍の七万円。家賃くらいにはなるわね」
 今までわたしは賭事に手を出したことはなかった。わたしの回路ではパチンコを賭事と見なしていない。それだから競輪や競馬そして株といったもの、それがわたしにとっての賭事である。会社は社員に対して自社株の購入を奨励していたが、わたしは一切の株に手を出したことはなかった。わたしは株やらそういった金券めいたものがきらいだった。なぜ?——それらはどうみてもディンギである様相をしていなかったからだ。そもそもディンギ自身もほんとうにディンギであるかは怪しいところだ。それがディンギであるかどうかを見極めるいちばん簡単な方法はそれを遣ってみることだった。ところがそうする上での問題——それは〈どこでディンギを遣うか〉または〈遣えるか〉である。問題は永久に生まれ続け、わたしたち——特にわたしはそれに対処する知識を得続けなければならない。いいかげんにしてほしいものだ。
 ところが——わたしは思わず口にしてしまった。「ボクも一口乗ってもいい?」それはわたしの意志を越えて放たれた言葉だった。話しのついでともいえる。たぶんわたしはトキエさんに対して話す言葉が見つからなかったのだ。わたしはすぐに失敗したと思った。賭けに乗るような手持ちがなかったのだ。だがトキエさんはいってくれた。
「いいわ買っといたげる。何口?」
 わたしは二口といった。一口ではさみしかったからだ。
 結局わたしがその掛け金をトキエさんに払ったのは、現職が当選してディンギを得てからのことだった。わたしは現職の当選が決まるまでの一ヶ月半の間、トキエさんという女性からディンギを借りていたことになる。これはわたしの人生のなかではじめてのことだった。なにが?——女性からディンギを借りたことである。
 考えてみれば——トキエさんはわたしに色々と、特にディンギを与えてくれた。彼女には婚約者がいたらしい。といってもそれは恋愛の対象が成るべき姿ではなく、見合いの果ての婚約者だった。しかし彼女はわたしに食事をごちそうしてくれたりした。それがなぜであるかわたしは訊いたことがない。それを訊くには少し不安があったせいだ。
 だがもうトキエさんにその理由を訊くことはできない。彼女はもういないからだ。

 ナエコさんという女性はわたしに『ボランティア』を与えてくれた。
 トキエさんはわたしに『ディンギ』を与えてくれた。
 ヒデコさんはわたしにやけっぱちでも『愛』を与えてくれた。
 会社が最後にわたしに与えてくれたものは『福祉器具』だった。
 そして父親が与えてくれたもの、それはハナの下の『赤ヒゲ』だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
 見ているものは六十億光年前の姿だった。それがわたしたちに見える銀河だった。なんという時間差! 順序どおりに生きることはとても無意味なことかもしれないが、とてもとても高度な技術であるかもしれない。
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 ほんの少しのことを今明かすことにしよう。店のディンギを盗んだのはたぶんマフネちゃんだった。直接的に手を出した者はマフネちゃんにぞっこんの女性だった。だがそのほとんどはマフネちゃんに貢がれていたので彼も同罪だ。わたしがなぜそのことを知ったのか? だれがそれをやったか?——そんなことはわたしの気に掛かることではなかった。わたしがディンギを失ってしまったわけではないからだ。それではだれが?——それはわたしの耳に偶然入ってきた店の客同士の会話だった。
「このあいだのお金チエコさんみたいよ」
「やっぱり?——最近来ないものね」
「ぜんぶマフネちゃんのもの?」
「やっぱりお金よね」
 わたしはその会話を、テーブルの灰皿を取り替えていたときに聞いた。マスターはそのことを知っていたのだろうか? この世の中にわたしよりにぶい者はいないことを考えるとマスターも知っていたにちがいない。そう——わたしの知っていることはだれでも知っている。そしてわたしの知らないことはだれでも知っていることだ。
 自分の蒙古斑はとれかかっているだろうか?——少しはすてきなところも探したい。トンネルはあまりにも長く、かといって身を隠すところもなかった。そして今のわたしは明るい色調のアジトにいる。この病室の訪問者は定期的にやってくる。それは白い制服を着た看護婦だった。彼女の役目はわたしの『オシメ!!!!!』を取り替えることである。わたしは取り替えなくてもいいと思っている。なぜならその中に用を足した覚えはないからだ。だがうすうす感づいてはいる——たぶん汗のせいなのだ。汚れた下着は取り替えなければならない——ああ、そんなことすら忘れてしまうのか?
 大事なことは——思い出すことだった——少なくともわたしにとって。
 だがそれも長くは続くまい。わたしはある種のガンなのだ。

 気分転換のためにわたしは寝返りを打つ。本は読みたいがどんな本が刊行されているのかわからなかった。テレビジョンを見る時間は決まっていた。過度の視聴は病気を進行させるためだ。

 つまり、わたしはいろいろな制約から解放されつつあった。解放は人を解き放つことである。

 わたしが開発にたずさわってきたモノの中でいちばん売れたモノ——それは今わたしが身につけている『湿度感知式オムツ』である。
 モノはいつから造られてきたか?
 わたしの知る限り、急激なモノの製造は一九五四年や一九五五年に始まっている。それはわたしが大半の時間を置いていた世紀でもある。今は世界貿易機関となっている関税貿易一般協定に加盟したころでもあった。

 そのころ、わたしは時間的距離に対する評論家でもあった。同時にふたつ存在するそれを使い分ける方法についていくつかの意見を述べた。それはなぜか南北戦争に端を発した評論を行うためだった。今では両者をつなげる理由すら忘れてしまっている。たいがいの評論において芸術思考が強くなってきた時期だったのかもしれない。突飛な思想はよほど脳ミソの記憶装置に——それが断片的空間であるとしても——空きがあるか、非凡人的思考感性がなければ覚えてはいるまい。評論のためのそうした知識は前日二時間——それは店で酒をたしなんでいる時間と同じ点で行われていた。つまり酒を飲みながら予習していたわけだ。まあそういうこともある。予習に対してはテキストが必要である。わたしのテキストは書店に売っているものだった。そのころのわたしは書物を買うことに対して違和感がなかったので、なんの精神的疲労もなく購入することができた。カビ臭い書物がわたしの胎内宇宙規模的に納められていた図書館にさえ容易に足を踏み入れることができたのだ。たぶんわたしの鼻の穴を覆う粘膜はそうした場所で吸い込んだカビ、あらゆる菌が付着しているにちがいない。鼻の穴を洗うことを下手なわたしは、粘膜をこすりすぎて何度も血を流した。巨大なホコリを捕獲するために本能的に伸び続けている鼻毛を切るときでも同様だった。わたしの不器用な指先は、ついつい刃先で粘膜を傷つける。そのおかげでたいてい鼻の穴には薄く血がにじみ、そして中途半端なかさぶたで覆われていた。それもまた事実である。

 モノについて——
 わたしが嫌悪する飛行機がこの国に民間として誕生したのは一九五一年のことである。できることならわたしはこの誕生を阻止したい。時間的距離をほんとうに理解しているのならばできることだったかもしれない。しかしわたしはそれについて勉強することを止めている。もうだれもそれについて説明することを要求してこないからだ。飛行機を嫌悪する理由のひとつは、重力を逆らって宙を浮いていること、そして揺れることだった。嫌悪するくせにわたしは百回には届かない程度に旅客として飛行機を利用した。それは仕事のためだった。その経歴の後半は、ソシアル——福祉が進んだ国の状況を視察することに費やされた。今考えてみれば——そういった国のだれが『湿度感知式オムツ』やそのほかもろもろの機器を望んでいただろうか?——思い当たるふしがない。
 一九五三年——それは国産テレビの第一号が販売された年だ。それは白黒だった。病院の娯楽室にあるテレビはたくさんの色で情報を表現する。それでもわたしがそのテレビを拝むのは日増しに少なくなっている。そして今のわたしには用無しだ。テレビ誕生と同じ頃、電気で動作する洗濯機が生まれた。その二年後には普及型の電気釜が現れた。そして三年後——一九五八年にはフライされたヌードル——インスタントラーメンが生まれた。わたしが生きてきた時間の中盤から後半の前半までを、わたしはこの一九五八年に生まれたヌードルを食し続け、その場しのぎの満腹感に浸っていた。
 この病院ではインスタントラーメンにお目にかかったことはなかった。
 最近気がついたこと——それは食事をするにも個人的にリスクを負わなければならないことである。粉ミルクにもリスクがあった。

 わたしが『消費評論家』または『時間点距離評論家』として述べたこと——
「環境に革命をもたらす商品の創造は、自動車の一般化を含め、だいたいが一九五〇年代の後半から一九六〇年にかけて完了してしまいました。もうこれ以上必要なものはない。そうした点についてふまえてみればわたしたちはいつでもその頃までならタイムトリップできるのです。困ったときにはいくらでも逃げることができます」

 最初のソシアル的製品が現れたのは一九六一年だった。それはナプキンである。
 それはわたしがやろうとしていたことと似ていた。わたしにしてみれば生理と福祉は同等のものだった。わたしはそれを無料で配布してやろうと考えていた。たとえば街でくばられている小さなティッシュのように。
 小さなナプキンはわたしが開発にたずさわった『湿度感知式オムツ』よりも偉大だった。しかしわたしの『ナプキン評論家』としての立場からものをいえば、それは無料で配布されなければならなかった。その理由は?——生理の後始末にディンギが必要な限り、世界の霊長類の性的関係にある差別がけしてなくなることはないからだ。
 オムツとナプキンは同じものか?——ナプキンが受け止めるものとオムツのそれは同じものか?
 数十年を経てわたしが身につけているものは『湿度感知式オムツ』である。それは今、保険で買うことができた。しかし保険が適用できる確率は下がってきている——保険ですべてをまかなうには、生理的分岐があまりに複雑になってきたためである。

 わたしの周囲にあるものでよく使う製品といえば電気スタンドである。これには小さな蛍光ランプが取り付けられていて、水銀の放電により発生する紫外線を可視光線に変え光を与えてくれるものだ。『電気スタンド評論家』としては、この蛍光ランプは白熱電球に較べて、熱も少なく寿命が長くて拡散性の大きいものだが、少々電圧の変化に対して従順すぎるようだ。これは非常に便利なものだが、昼と夜の感覚を麻痺させるものでもあった。わたしは病院が消灯してもこの電気スタンドの光を灯し、夜と思われる時間を過ごした。小さな窓にはカーテンがなかったので、そこからこの小さな電気スタンドが放つ光が漏れていたにちがいない。それだからわたしの部屋は、世界に対してわたしの存在感を与えることができた。それがわたしであることはわからなくても、ここに『だれか』または『なにか』がいることを示しているのである。しようのないことだがそれは夜だけのことだ——つまりそこに窓が見えたからといって何かがそこにあるとはかぎらなかった。この電気スタンドは移動できなかった。台座が固定されていたのである。
 その電気スタンドは、いつも見回りに来る看護婦によって消されていた。朝に光の消えた電気スタンドを見ると壊れているのではないかと不安になる。しかしその機能は正常だった。
 つまり——わたしの生活はベッドと電気スタンドで成り立っている。部屋を除けばわたしの生活はこれだけで十分やっていけるのだ。後は想像力だけだった。わたしにはその力があまりに少ないので、小さなコンピュータを持ち込んでいた。そしてそれはもっぱらモシアズの作品を読むために使われている。これは電気スタンド代わりの灯りにもなる。
 わたしは何を造るべきでもなかった。
 かんじんなものはすでに創造されていたのである。
 今創造されているものはすべてが娯楽のため、そして消費のためだった。
 そういった点において、『湿度感知式オムツ』は他の消費性や娯楽性のために造られたものよりは、少々良い出来だったのかもしれない——ケツの青い青二才もまんざらでもない?——いや、それは何のなぐさめにもならない。
 たいがいにおいて反省は自分で行われるものであり、賞賛は他人から与えられるものだった。自分で自分を認めることは反省する以外の何ものでもない——仮に自分を賞賛するならば、それは反省の裏返し。ただのなぐさめだった。
 わたしはやはりどこまでもケツの生っちょろい青二才だった。青くてけっこう!——それならば肌色に塗ってしまえばいい——それだけだ。

 ときどきわたしは性的区別でいわれる女性が男性の発展、または進化した姿ではないかと思うときがあったし、それは最近でも変わらない。女性には無駄なものがないからだである。かんじんなものは精子だけだったので、それがふたつの性を分け隔てていた。『均等評論家』して意見を述べたときわたしは同様な意味の発言をした。そしてこうもいった——「将来、女性は自ら精子を造り出すことができるでしょう——それは容易なことです」そしてこうもいった——「それがいつのことになるのかわかりませんが」
 正直な話し、このテキストはモシアズからの引用である。つまりわたしはパクったのだ。
 『自殺評論家』であったわたしは、どうしても自殺ができない人間のためにこういった——「見知らぬ人——別に家族でもかまいません、そして限りなく社会的に弱い人の時間をより多く放棄させなさい、そうすれば社会があなたをゴミのように破棄してくれます」
 そう述べたとたん、テレビ局へは多数の苦情を陳述する電話のベルが鳴り、その場においては、わたしの陳述に不満な聴講者からの罵声や、コーラが入ったままの紙コップを投げつけられた。ディレクターはいった——「すごいじゃないか? え? ようやくわかってくれたね。そう、そうした論説が必要なんだ」
 わたしは正直すぎたのかもしれない。
 そしてモシアズはわたしだったかもしれない。

 どこの世界で人が生きているだろうか?
 わたしが見たテレビでは、たいがいの人が時間を放棄していた。彼および彼女たちはなぜ時間を放棄してしまったか?——病気?——それもあるだろう。そういった霊長類が対処しきれない病気にはどんな手も見つけられない。それでもいいんだろうか?——たぶんいいはずだ。だって見つけられないものは見つけられないだけではないか? そんなものだ。

 どこかで見つけたものは、どれだけの光を放っていただろうか?——うつ伏せになりながらあたりを見回す。わたしに見えたものは人々——つまり生物の足にすぎなかった。足を棒のようにしてまっすぐと立っていた。まるで木であるかのように。だがそこに緑にあふれた木が立っているはずはなかった——なぜならわたしの部屋の窓から見えたはずの木はすでに去ってしまっていたからだ。それが真実だった。彼らを枯らしてしまった原因は白い粉だった。どこかにあったものは不自然に去っていた。彼らはとても敏感だった。

 わたしは敏感だったろうか?——そんなことはない。わたしはカメよりも鈍感だった。マフネちゃんが店の人間と出ていったことも知らなかった。そしてわたしがマスターの店に残った最後の雇われ人だということも店が閉じられた日に知った。わたしが得たものの中でもっともすてきだったもの——それはたったひとつのコルク栓だった。ワインのボトルにはまっていたものだ。なぜだかわたしはそれを大事にとっていた。いったいどういうわけだ?——理由ははっきりしている。それは○○○さんといっしょに飲んだワインだったからだ。若い頃のわたしは柄にもなくロマンチストで、ゴミの価値さえないものにでも深く情愛を捧げたものだ。今ではなんの価値のないものが身の回りを埋め尽くしている。そして今、この部屋にわたしが持ち込んでいたものは、いつ契約が破棄されるかわからない携帯式の小型電話と、モシアズの小説を読むための小さなコンピュータだった。幸いなことに——わたしが存在する小さな部屋には電気が配線されていた。これは脅威的なことだった——わたしはその利用料が部屋代に入っていると思わなかったのだ。今までわたしは電気を利用するために部屋代とは別にディンギを支払っていた。
 最後に残ったくだらなくてロマンチックなモノ——それはコルク栓だった。わたしの手の中にあるコルク栓は何の利用価値もなかった。わたしの口の穴をふさぐには小さすぎ、もっとも適した穴といえば——それは恥ずかしい話しケツのそれだった。『ケツの青い青二才』にはじゅうぶんすぎる道具じゃないか? たいがいのものの利用価値はくだらない。わたしの口座にある大した量の不正ディンギにたいした利用価値はなかった。
 使い道を見つけるのは難しいことだ。
 それと同じように使い道のあるものはなんとすばらしいものだろう。
 要は——『使い道』なのだ。

 わたしは今まで生かされてきた後半のほんの一瞬だけ——そういった期間だけがほんとうにわたしが生きていた瞬間なのだと思う。その瞬間——それはつまりわたしがボランティアに身を投じていた期間だった。考えてみれば、その瞬間だけが、わたしをディンギの支配から切り放した時だった。常に自分の存在をディンギから切り放そうとしていたわたしにとってボランティアは、もっとも適した行動だったのだ。
 すてき・すてき・すてき
 すてきという言葉がわたしは好きだ。
 この世のはてに国境が見える。この世の果てに地平線が見える。白い部屋は境界が見えないが、実際はせまかった。だからわたしはこの世界から動かない。

 わたしが彼女と会えたのは重力のせいだった。重力によりわたしはこの身を道ばたに押しつけ、そのいきおいのためにわたしは前に進まざる終えなかったのだ。それも決まり切った範囲に。だがぐうぜんにも彼女はそこにいたのだ。そして今、わたしは彼女のことを考えている。それが始まりで、今も続き、そしてこれからも——
 彼女に会える兆候はまったくない。
 できるだけのことはしよう。わたしのできるだけのこととは?——ただ祈ることだ。

 ・・・・・・・・・・・
 ある子どもは何かに気づいた。それは地球が滅亡する危機に関係することだった。地球に迫る悪魔の足音を聞いたのだ——それは子どもにとって確かなことだった。周囲の人間たちはそれに気がつかなかった。子どもは「パパ! パパ! たいへん!」とか「おじさん! 聞いて! たいへんなの!」とことあるごとにふれ回った。子どもはその『たいへんなこと』が近づくたびに恐怖におののき、毎日声をあげながら泣いた。その結果地球上の人類は滅亡した。それはなぜか?——
 危機を感づいた子どもには説明するための知識が不足していたのだ。
 ・・・・・・・・・・・
 ——以上はモシアズの書いた小説のあらすじだ。わたしはこの小説を小型携帯電話と薄いコンピューターを利用して読んだ。わたしの知るかぎりでは彼の最新作だった。彼——モシアズのなかには時間が複数あるのではないだろうか?——わたしはそう思った。彼の小説は時折稚拙であったり、そうかと思えばずいぶんと昔風の改まった文字使いになった。
 わたしはモシアズの書いたこの子どもと同じだった。わたしには何かを説明するための知識が不足していた。それは現在でも不足している。だがたいへんのろまながら進歩はある——少し前のわたしならば『現在』とはいわずに『今』といっただろう。だがその言葉が本当に同じ意味を持っているのかわからない。すべては経験だった。——そう、経験。わたしは霊長類の生物よりも胎内時間が遅いくせに、肉体的時間においてはほぼ同様に機能していた。おかげでわたしの頭は薄くなっているし、今、たった今——いや、現在にでも進行中である。

【続く】



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