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仮題:センス・オブ・グラヴィティ 1 [仮題:センス・オブ・グラヴィティ]

【1回目】

重心——または恋の重力
センス・オブ・グラヴィティ

 わたしの身体に重力がのしかかる。それは見えない力だ。そして重力を受け止めるさいに働く重心はたぶん腰だった(それは支点であったが)。この腰に存在するであろう重心が少しばかりはずれたために、わたしの力は半分以下に減衰される。
 その重力とは恋である。
 空の上には宇宙がある。
 わたしはそこに存在しない限り、まともに恋などできないのだ——たぶん。
 小さい頃は車が好きだった。それはそんじょそこらを走っているようなものではなく、いわゆるレースカーやスポーツカーの類である。ところが今のわたしはどうだ?——ガソリンの臭いが極端に嫌いなスピード恐怖症だった。ローラーコースターに落下シャトル——あらゆるスピード的遊技はわたしにとってとても縁遠いものとなっていた。それにあらゆる進化——それは主にテクノロジーについてであるが、そういったものについていくことができなかったのだ(——人間も含めてほとんどのモノは『進化』していなかった)。そのなかでも特に『接続性』という進化はわたしにとって悩みのタネだった。
 わたしは未だに他の人とうまく接続することができなかった。

 ある晴れた夜だった。わたしの父は酒をほとんど飲まなかった。わたしもどちらかといえば酒をうまいと思ったためしがない。だが、部屋での仕事が一段落し眠りにつく前の瞬間を酒で埋めることがあって、それはほぼ毎日の習慣だった。
 タバコは山のように吸っていた。わたしが十六歳の時からの習慣だ。それは今でもかわらない。習慣なのだ。わたしは進化のかわりに退化を繰り返している——医者ならばそういうだろう。そして詰め込まれてきたたくさんの知識もまた、自身の退化を助長しているとしか思えない。
 内蔵からなにから——すべてが退化だ。つけくわえてわたしは父親の年齢に近づきつつある。父親は退化の要因になるようなものをいっさい排除した生活を送りながらも、結局はガンのおかげでこの世にはもういない。たぶん働き過ぎだった。病気が心身の疲労から現れると思っている人々もいる。そして現代にはストレスが多いともいう。それはハゲの原因ともいわれている。
 ストレスはたぶん現代病だろう。糖尿病みたいなもの。そして遺伝だ。

 チンパンジーのダーウィンはわたしの友人だった。彼は餌を与えるとなんでも一生懸命に食べる。このチンパンジーは知能を持ってしまう。
 彼の知能が示した行動は、わたしのためにペンを取ってくれることだった。ダーウィンは机の上から落ちたペンを拾い、もとの場所に戻した。わたしの手からこぼれ落ちたペンは、またわたしの手の中に戻された。彼はゴミ箱に放り投げられたものと、そうでないもののを分別することができた。
 文化とは、社会的な学習を必要とし、世代から世代へと受け継がれる行動様式だった。だれもが受け継ぐモノを持たなければならない。
 わたしの片耳はだんだん聴力を失いつつある——それは『病気』のためだ。

 そしてまた、わたしの片思いがはじまったのだ。それは古い月を見てからのことだった。

 これはその『恋』の物語だ。

 その中で必要なものは『重心』だ。

 わたしはスピード恐怖症のうえ、高所恐怖症でもあった。わたしの高所恐怖症は地球の引力、そして自転との合力により緩和されていた。そう、地球は回っていた。わたしはそのおかげで助かっているのだ。それからもうひとつ——わたしのちっぽけでかつ大げさ、そしてみじめでしみったれた恐怖心がわたしをスピードと高所から遠ざけてくれている。いちばん身を守るもの、それは『恐怖心』だった。恐怖心はわたしを救ってくれている意味不明なひとつの精神宇宙だったのだ。
 わたしに限らず、わたしに似た『人類』たちはみな重力の空間に存在している。その世界は四次元の世界だった。縦・横・垂直——それら三つのベクトルに加えて『時間』、その四点で定義される空間だ。つまりこの中の時間という点を失ってしまえば、わたしたちはただ『存在』するだけになってしまうというわけだ。時間を放棄した人間——つまり死人だ。死人でも存在するんだから手に負えない(ゆえに犯罪があった)。
 わたしは今日も位置情報としてその四つの点を常に捜しながらこの空間の中で生きている。だがわたしは平面の世界でもかまわない。それはなぜか?——先ほど白状したようにわたしは高所恐怖症だからである。一次元でもかまわない——それどころか無次元でもよろしい。移動しなくて良いのだから——つまりわたしの中を埋め尽くす恐怖の一要因であるスピードが存在してくれないわけだから、これほど都合の良い次元があるだろうか?

 空間——それがわたしの存在する場所だった。これかもそうだろう。それは永遠に変わらない(だろう)。

 わたしは足が遅いほうなので、さほど身体に抵抗を受けない。光速に近づくことが無理なのはこの抵抗のおかげである。具体的にいってしまえば、ローラーコースターに乗って顔が歪むあれである。
 つまり人々がローラーコースターくらいの速さで歩くことができれば、たいがいの人間の顔はへこんでしまうだろう。おまけに質量と速さの二乗はエネルギーであるわけだから、もしも彼らの肩がふれあいでもすれば、それは偶然がかもしだす愛のきっかけとはならず、バラバラどころか、微粒子のように粉砕された肉片が街を汚すだろう。それは原爆と似たようなものだ。ほとんどのエネルギーはバラバラ、そして分裂されるときに放出される——ああ、神秘かつ原始の目覚め——なんという細胞分裂の美しさ!

 わたしが通りを歩くことは、物理学とは何の関係も持たない。関係があるとするならば生理学だ。それは生物学から細胞分裂したものだったが、その生理学の中でも特に形態学や行動科学に関連するものだろう。そうしたことを追求する学者たちはご丁寧にもあらゆる動物たちを、人間も含め十羽ひとからげで研究してくれたのだ。おかげでわたしは学問上他の人々と同じように霊長類ヒト科に分類されている。
 分類、分類!
 分類された上には標本番号が必要だ。わたしにとってそれは、唯一の通信手段である携帯電話や、運転免許証、それに保険証——そして年金番号だ。たいがいにおいてそうした番号は国で管理されている。管理という面において、わたしたちは刑務所の囚人たちと何ら変わりはしない。動物園の住民とも変わらない。
 それもそのはずだ——わたしたちは霊長類ヒト科の動物なのだから。
 神は自分の楽しみのために動物園を創り賜った。彼らはときおりわたしたちの戦争を見ながら賭事をしているし、私たちが死にそうになると空から農薬や消毒剤——そういったいわゆる『クスリ』をばらまいてくれる。

 たぶん行動科学はわたしの行動から、人類の行動を抑制する方法を得ようとしたり未来を予測しようとするだろう。だがそれはまったくのお門違いで見当違い。わたしの行動からはいくつもの未来も予測できないよ! それに抑制する方法どころか、抑制しなければならないところを見つけることさえできないだろう。分子生物学的に考えてもわたしの外観や内部において特に変わったところはない。わたしの細胞は将来ガン細胞に侵される運命にあることをのぞけば至極平凡なものだ。わたしといった生物体が生まれた過程においても何の圧力も加えられていない。人工的に精子を注入されることもなく、原始的きわまりない方法で生物としての形を与えられた。そして今わたしは息をしている。脈拍は最低で七十、高いところで百三十ある。医者がいうには「差が大きいからいいでしょう」
 医者はわたしの身体に異常を認めていない。ときおり再診をいただいたことがあるが、それは極端な肉の摂取と前日の酒のためである。
 つまりわたしは『平均』なのである。
 そして重力と自分の恐怖心によって命を先延ばしにしている、『自己管理型生物』である。
 ちなみに民間の保険はわたしをずいぶん助けてくれた。そのサービスの中にはガンに対する条項も添えられて、それはわたしの入院費のほとんどをまかなってくれた。これが国と民間の差だった。しかし、わたしが貯蓄していた銀行のひとつはつぶれてしまった。それはまあいいとしよう——その口座に入れられていたディンギのほとんどが不正から得た金だったから。

 学者たちはわたしの行動やその形態に何か見つけようと努力するだろうが無駄なことだ。しかしわたしの行動範囲——テリトリーはあまりに狭いので、わたしの動物的ななわばり行為を定義することは容易だろう。そこらへんの犬となんら変わりがない。それを悲しいと思うか否か?——たぶんそれは誇りや自尊心の問題となるにちがいない。わたしと生物学的形態が非常によく似た人間は、自身を「犬といっしょにするな!」と一喝するだろうが、わたしはどうだろう?
「特に何とも思いません」——というのがわたしの意見である。こういった回答はよく国民のアンケートで使われるものだ。
 ただひとつだけ断っておくと、わたしは犬と違ってなわばり、もしくはテリトリーを計り知るのに鼻を使わない。それでは何を利用するか——それは『記憶』である。
 記憶、つまり『覚える』という行為は人生において何度も何度も繰り返される。それはまるで食事をするようなものだ。覚えるといった行為にはよく『考える』という行動が伴う。たくわえてきた知恵が新しい知識の足下にも及ばないとき、わたしの頭脳は知恵熱を放出する。知恵熱は子供のものだと思うでしょうが、そうじゃない。もしわたしの考えが間違っているならば、たぶんわたしは子供なのだろう。
 子供——この定義がわからないままわたしは自分のことを『子供』であるという。まったく子供だ。

 さて、わたしがこの狭いテリトリーのなかでいったいどこに行き着くのだろう——?

 ピンポーン——わたしはボランティアをすることになる。
 わたしがなぜそういった奉仕行為に望むことになったか?——それはわたしが恋をしてしまった女性に関係したことだ。
 たぶん——どちらかといえば——わたしは『ひねくれ者』だった。世の中をひねた目で見ていた。それは年を追うたびに——つまりわたしが年老いていくごとに風格を伴って確立されていった。
 だがなぜわたしがひねくれていたか?——それはわたしがわたしよりも悲しい境遇にある人々の姿から目をそらしていたからだ。

 わたしはよく小説の書き方を勉強することが今でもよくある。これは全くの独学だった。ある日わたしは思ったものだ。
 ——愛について書けばよいのだ!
 そう、たいがいの物語は愛について書かれていた。それが映画であれ演劇であれ——幾何学的な数の人間が傷つく物語であれ、その下敷きはたぶん文字である。文学ってことは小説みたいなものだ——でもとにかく——なんであれ——こうであれ——すべてのストーリーは『愛』で完結するのだ!
 そう、わたしは『愛』について書くべきだ!
 そうした思いにいたったのはほんの偶然のことだった。わたしはこともあろうかSMクラブに足を踏み入れた。わたしのまちがいはそこがマッサージ屋だと思ったことだ。
 尻をけられ、罵倒されたり、ムチで打たれたり——とにかくSMといった愛もあった。そうした行為で愛が得られることは、数学における別解は、わたしの目からウロコが落ちる回答を与えてくれた。
 痛めつけられようが傷つけられようが——青アザを頂こうが、常に基本は愛であり、愛が中心だったのだ!——それがわかっただけでもありがたいことだった。それを知り得た頃、わたしの身体にある一部の細胞はガン細胞へと変化を開始していた。変化だ——変化!
 医者は患者の前ではなかなか病名を口にしようとはしない。ある病院——それはわたしの父親が入院していたところだが、その病院には『ザンゲ場所』と呼ばれる踊り場があった。そこは医者が患者の身内に、○○○さんは助かりませんと告げる場であった。踊り場の電気は薄暗かったが、それもそのはずで、そのときはもう使われなくなって久しい場所だった。ホルマリンや消毒剤の臭いがする場所では、オシッコさえ飲める気がしたものだ。
 まあ、そういった理由でだれもわたしをガンだとはいわなかった。ところがたいがいにおいて病人は自分の病名を知っている。残された遺族はよくこう口にするものだ。
「あの人、知っていたんです。自分がガンだってことを」
 そう、わたしも知っていた。自分がガンだということを。

 ニセ評論家および学者となってテレビに出るようになってから、わたしが口にする意見は『文化人』として受け入れられるようになった。わたしの目の前におかれたものは——多額のワイロだった。
 わたしはテレビに出て何かを喋らなければならなかった。そこでわたしは自分の考えを簡潔に語った。
「国は家を無料で提供すべきです。犯罪があなぜ増えるか?——それは霊長類ヒト科の生物の落ち着く場所がないためだ。住む場所がなければボランティアもできはしないじゃないか?
 そして生物は本来の土着性を持つべきです。なぜ生物は移動し、わざわざ遠くまで行こうとするのか——彼らはテリトリーを持つべきだ。土着すればおのずからその土地は発展する。わたしは提案しよう——ヒトは一生を自分の土地で、自分の家で終えるべきです」

 わたしがテレビ出されるきっかけとなったのは、わたしの限られたテリトリーの中にあるバーでの会話がきっかけだった。
 その頃のわたしの容貌はわたしの好きな作家の受け売りだった。その姿は時にある高名で偉大な学者にもたとえられた。なんとももったいないことだろう——
 つまりわたしはそうした類の人間に見られていた。ごく普通またはそれ以下の細胞によって形成されているこのわたしがだ。
 そうそう、きっかけである。そのきっかけは、バーに顔を出していた男性——その男はテレビ番組をプロデュースしている人間だった——の一言だった。
「最近の学者先生や文化人は法外な出演料を要求してくる。困ったもんだ——こちらは何の演技も要求しちゃいないのに」
 そしてもう一人——こんどは女性である。イベント会社で広報を担当していて、その男性プロデューサーと親睦が深い女性だった。
「まったくね、素人が出しゃばっちゃ困るわよね。わたしらがひろってやらなかったら、うだつの上がらないただの教授だったわよ。セクハラでお縄をいただくような——ね」
 要するに彼らは怒っていたのだ。

 わたしが最期に好きになった女性はわたしよりもずいぶんと年下だった。わたしが四次元という空間の『時間』という点を放棄するまで、彼女とわたしの間には干支がひとまわりという年数の差が開き続ける——そのくらい下だった。彼女は他の人々と同じく霊長類ヒト科だった。その頃のわたしはまだホ乳類の形跡を残していたが、人生の後半は貧歯類に近かった。まるでアルマジロだ。
 彼女のイメージは青だった。それは彼女が青い服を着ていたからである。細い身体にぴったりと吸い付いたその服はまるで彼女のためにあつらえたもののように見えた。彼女は他の色にもよく似合った。わたしが最初に青い姿の彼女を見たのはとても幸運だったと思う。それだけ彼女には青が似合っていたということだ。その頃のわたしがよく着ていた服は茶色とか緑——まるで植物だった。それに比べて彼女は重力がとても小さな『宇宙』だった。わたしの世界において、ユニバースは見あたらなかった。あくまでわたしの世界においてである。
 頭が痛くなると重力の重みをしっかりと感じる。彼女を見たとき、わたしは自分のケツがふわりと浮くような感じを覚えた。床に着いている足の力はほとんど抜けおちていたが、それでもわたしは立っていた。それは宇宙で恋をした気分だった。ただしその時のわたしはライカ犬やガガーリンではなかった。悲しいことに貧歯類のアルマジロだったのだ。
 たいがいの霊長類ヒト科は自分と違ったものを好きになる。わたしの場合もそうだった。彼女はナマケモノではなかった。ナマケモノはアルマジロと同じ貧歯科のひとつである。
 自分と違ったものを好きになって、それに夢中になりすぎると周りのものが見えなくなる——わたしの場合もそうだった。恋をしたわたしは宇宙に存在していて、重力という古典的な障害さえ忘れていた。
 周りのものが見えなくなると何も手につかなくなる——(くりかえし)わたしの場合もそうだった。わたしはわたしのするべきすべてのものから手を放さずにいられなかったのだ。

 ここでひとつ謝らなければなるまい——わたしには『すべきこと』など何もなかった。崇高な彼女とちがって——
 ——失礼

 わたしはなんとか冷静さを装っていた。同じバーのカウンターで並ぶ彼女に愛しさを覚える自分がとても恥ずかしかった。そのことをだれも気がついているはずがないのに。
 彼女にあったのはわたしが六年間思い続けた片思いに『ケリ』をつけて四ヶ月が経とうとしていたときのことだった。目の前にあったのはわたしの親がとりなした見合いだった。
 話しは変わるが——わたしにも親がいた。だがほんとうの親ではない。仮にわたしにほんとうの親がいたとするならば、その人は世界でいちばん不幸な人だったろう。だが人生のお終い付近で、わたしはその人が自分の親だと思いはじめた。それはガンに冒されたわたしを前にして泣いたからだ。だが、それ以上の理由がバーで会った彼女にはある。
 それは彼女がわたしにこの世の中で過酷なものを見せてくれたからかもしれない。そうした世界に較べてみればわたしの奇形など鼻くそにも値しない。
 わたしが見てきたものはあまりに少なかった。わたしには物事を判断する基準が多分に抜けていたのだ。
 わたしは植物で身を固くした貧歯科のアルマジロ、そして情報の欠落した乱丁本のようなものだった。

 わたしが市役所の福祉課に勤めるようになったのは彼女のおかげだった。それもまっとうではない方法で。わたしは公務員ではなかった。その前に公務員など願い下げだった。それは国が嫌いだったせいだ。わたしの好きな場所はひとつしかない。それは市役所の中に建てられた図書館だった。そこにはたくさんの本があっただけでなく、何より——『静か』だったのだ。
 彼女のおかげで市役所の福祉課で働くことになったのだが、彼女のためにいおう——「彼女は一切の不正を行っていない」 彼女がわたしにしてくれたこと、それはボランティアを紹介してくれることだった。
 知恵を持った霊長類ヒト科の動物にはよくあることで、時には社会に貢献することをしたくなるものだ。ヒューマニズム——わたしもそれに乗せられるたちだった。わたしが社会に貢献することは、サルが人間を助けるようなものだった。霊長類ヒト科はそれだけ苦しい状況にあったのだ。
 ああ、空から降ってくるもの——それは神が蒔いてくれたダイ○キシン。苦しい! 苦しい!——わたしは苦しかったか?——ぜんぜん——まったく——わたしを苦しませるのは恋だけだった。当時のわたしは恋という空間に慣れていなかった。そのあまりの浮遊力はわたしに宇宙病をもよおさせた。彼女はわたしの胎内宇宙の均衡を破壊し、重力を崩壊させた後にビッグバンを発生させるだろう——そしてわたしは生まれ変わるのだ——超新星として! わたしはいったい何度超新星となっただろうか?
 バカだと思うだろうが、恋はわたしがすねてしまった原因のひとつでもある。わたしの精神は超新星として生まれ変わるたびに変調した——共鳴する周波数が変動するのだ。そしてそのたびに生活の糧を捨ててきた。恋なんて幼稚園児でさえうまくやれる——それが自分を霊長類ヒト科と確信できない理由のひとつである。
 そんなわたしが最期に得た生活の糧——それが市役所の福祉課だった。
 その前に——わたしはテレビにも出た。別に出たくはなかったのだ。それだけは信じて欲しい。わたしの肩書きは『ボランティア科学研究家』『酒類評論家』『武器評論家』『文学評論家』『離婚評論家』『子育て評論家』その他いろいろ——だった。わたしの肩書きは番組の台本によって変わった。霊長類ヒト科の世の中では評論家不足だった。

 テレビにおけるわたしの最初の仕事は『ボランティア評論家』だった。なぜわたしがそういった仕事を引き受けたか?——彼女がわたしに老人福祉介護を教えてくれたからだ。それは初めて彼女とバーで会ったときのことだった。やせた彼女の身体は仕事疲れでくたくただった。よほど疲れていたのか彼女はときおりカウンターの上に顔をつっぷしたりした。それでも起きあがったときの顔は、暗いバーのなかで太陽のように明るくなっていた。わたしとちがって彼女は生きていた。
 彼女は働いて一年目を迎える女性だった。彼女はわたしにこういった。
「ボランティアをしてる人にはほんとに頭が下がるの! あの人たちは無給なのよ。わたしはまだお給料もらってる——でもあの人たちはぜんぜんもらってない」そして、「わたしがここまでやってこれたのは『仕事』だからなの」
 そんなものだろうか——わたしはそう思った。ボランティアとは仕事のひとつだと思っていたのだ。しかしディンギをもらわないということはやはり仕事ではないのだ。仕事ではない——この言葉にはわたしを魅了するものがあった。
 ちなみに『ディンギ』とはロシア語で『お金』のことをいう。
 彼女を目の前にしたわたしは合計十七年内中休み一年で働いてきた貧歯類だった。それだから仕事という点においては『ナマケモノ』ではない——と思う。だが、たいがいにおいて、働きはじめたばかりの若い霊長類ヒト科の生物を見ると、わたしが蓄えてきたキャリアはすべて消え去る。彼らの輝きにくらべてわたしが得たキャリアはくすぶっていてひどくすさんで見えたからだ。それだからわたしは人に対してそのキャリアをひけらかすことはしないし、年功でいけば目下の者にさえ汚い言葉を一切使わなかった。
 それらのすべてはわたしが霊長類ヒト科から外れた生物であることに起因している。わたしは重力と恐怖に依存しながら、生存し続ける緑色と茶色が好きな植物、もしくは貧歯類だった。

 キャリアがなんだ(ってんだ?)——

 わたしが不正行為のおかげで得たディンギはすべての不正行為で行われているお金からみればほんのわずかなものだった。
 彼女はボランティアを教えてくれた。わたしが今までボランティアをしたことがあったか?——それがあったのだ。仮にボランティアを無料奉仕とするならばそうした機会は多々あった——わたしは記憶している。貧歯類の脳みそも捨てたものではない。わたしの行ったボランティアは、会社に対するものだった。手当て無しの休日出勤が二百二十三日、残業代無しの時間外労働が六千八百二十五時間、自費で購入したものが二百六十万円。そしてその前の日、わたしは4時間の時間外手当無しの労働を行っていた。そのすべては会社のためだったのか?——バカバカしい。それではそのすべてはなんだったのか? たぶん自分のためだ。他に何があろう。わたしは常に会社とフィフティーフィフティ(おう! かっこいい!)でありたかったのだ。わたしは会社に借りというものを作りたくはなかった。その代わり、借りならばいくらでも与えてやろう——それはわたしの恐怖心から行われたことだったのかもしれない。会社の空間には周りと違った重力場があった。その場所は他の場所よりも自転するスピードが速かったので、わたしの胎内宇宙は今にも異変を来しそうだった。単純な話し重力とは引力と加速による力の合力であらわされる。その場はあまりに加速度が強かったのだ。

 いつだったか——わたしが出演したテレビの討論会のこと。大きなドーナツ型のテーブルを囲むわたしたち評論家や学者たちの間で水掛け論的論争が始まったことがある。それは子供たちの不良化や子供たちへのしつけに関するものだった。あるものはすべてを親の責任にしようとしていた。たいがいの子供たちは他人のいうことを聞かない。彼らはきまってこういうだろう——「なんであなたにそんなこといわれなくちゃならないの?」——ごもっとも。彼らはだれのいうことを聞くか? だれのいうことも聞かない。たぶん彼らは自分たちの子供に対しても何もいわず、最後には捨ててしまうだろう。水曜日は生ゴミの日なのだ。
 まあとにかく——子供の不良化の原因はなんであるか? それが論争における争点だった。その論争はたしか一時間半ほど続いただろうか——ほんとうにヒマな番組だった。わたしだけだったかもしれない。そのときのわたしは眠いのが先か興味がなかったことが先か——まあどちらも正解だったが、その論争に加わる気がまったくといっていいほどなかった。わたしは眠くてこっくりすることがうなづきにかわるリズムマシーンになりはてていたのだ。その論争の中心は春の日差しでいっぱいだった。ほんとうによく寝られたのです。
 時々思い出す。よく昼間に公園で弁当を広げたものだ。もしかすると睡眠につぐわたしの好きな瞬間かもしれない。天気の良い空の下で食べる弁当は栄養と滋養の固まりだった。それはほんとうのことである。わたし——この貧歯類のアルマジロが唯一常習とした健康的な一瞬だった。それだけ春の日差しは心地よいのだ。
 その昔に浴びた春の日差し——そいつの代わりに降り注いでいたものは、あらゆるものを溶かしそうなスタジオの照明だった。胎内宇宙ならぬスタジオ宇宙の生命は人工太陽で支えられ、実際の宇宙のごとく酸素が薄かった。わたしはそんな過酷な状況で至福の極みである『仕事中の居眠り』にうつつをぬかしていた。それは八回目のテレビ出演だった。ギャラは千五百円。一時間あたり五百円という計算である。交通費は清算後支給してくれた。だがたいがいにおいて仕事は真夜中に終わり、その晩は公園かサウナで寝る羽目になった。電車の運行が終了した後のタクシー代まではもらえなかったのだ。
 わたしはその番組で二時間前に一度口を開いたきりだった。そのときの言葉は「よろしく」——それは司会の女性に紹介されたあとにわたしの口から放たれた言葉だった。
 そして二時間後、男性司会者がわたしに対して発言を要求した。彼はようやくわたしの存在に気がついたのだ——よろこばしいことか?——いや、わたしにとっては迷惑なことだったのだ。それでも彼に対して敬意を示すべきである。この霊長類ヒト科になりきれない生物の存在にわざわざ気を止めてくれたのだ。どこの世界に自分のペットでもない犬の安否を遠くの空から気遣う人間がいるというのか?——
 わたしは驚くほどの切り替えで、居眠りを吹き飛ばし、立ち上がり、眉間にしわをよせて——少しの苛立ちを紛らせながら——ひと呼吸をおいてゆっくりと発言した。
「——月は見る前に存在しないのか?」
 その言葉は量子論を信じないアインシュタインがおっしゃった言葉である。
 そのありがたい言葉を放った後、わたしはまた居眠りの姿勢に入った。二時間言葉を口にしなかったわたしはまた二時間の長い冬眠に入るつもりだった。結局生物は、季節にしたがって生きなければならない。実際だれもわたしの存在に気がつかなかった——それだけわたしの身体から発せられる光は弱く微弱だったのだ。霊長類ヒト科にかぎらず、あらゆる生物、物体やモノがなぜ『見える』のか? それは光のおかげだった。それだから彼らはそこに——その存在することが証明されたのだ。すてきじゃないか? 粒子である光は物体に跳ね返り、そのエネルギーが強いほどそこから電子をはじき出す。そこら中が電気だらけ——電子のイオンは肩こりを治す。そして生物の身体はみなタコになるのだ。よくこんな世の中に住むことができるものだ。わたしはニセ学者でほんとうによかったと思う。そんなことを真剣に研究し、論ずることのできる体力をわたしは持ち合わせていなかった——何しろ恋だけでこの身体は重力崩壊しビッグバンを起こすほど、か細く、きゃしゃな肉体なのだ。それ以上わたしに永遠の摂理を考えろというのが無理な話しだ。

 ところでわたしがボランティア研究家および専門学者として発言したことに次のことがある。わたしが述べた意見は霊長類ヒト科である他の人々を感心させたようだった。だが、わたしの意見はわたしの風貌ほど深くはない。すべての知識は彼女からの受け売りだったのだ。
「この国、ニッポンには介護される側もする側も他人の関与を強く拒んでいる節がある。それは今の時代だけにいえることかもしれないが、事実そうなのです。介護される側のおばあさんは、他人に風呂に入れられることを嫌がる。まして尻を拭かれるなんてもっての他だ。介護する側はどうだろう? 彼らには見栄やプライドがある。それは多分『世間体』に基づくものだ——彼らは自分の親を老人ホームに入れることを決意したとしても、そこへ連れて行くときでさえ時間を選ぶだろう。まるで夜逃げでもするように。これは欧米とはまったく異なる考え方だ
 彼らは自分の子供をベビーシッターに預ける。時にそのベビーシッターは陰でで麻薬を打っている高校生だったりする。しかしとにかく——彼らは自分の息子を他人に預けるのだ
 介護は他人が行うべきだ——家族意識を捨てなければほんとうの介護は始まらないだろう——いや、けっしてはじまりはしないのです」
 以上がわたしの発言だった。そのあとであわたしはこういって茶目っ気を出した——
「そうでしょ♪ 思うでしょ♯」
 周りの生物たちがいやにしかめ面を見せていたからである。そうした顔つきを見せる彼らにわたしの意見は受け容れられただろうか?——それが受け入れられたのである。わたしはたいした期待はしていなかった。わたしの仕事はニセ評論家だったのだから内容はどうでもいいことだった——つまりはテキ屋の相棒、サクラと似ているがそれよりは少しばかり程度や活発さの度合いが低いアジテータだったのである。少なくとも『もっともらしく』——それが大事だった。
「アユムさん、もっともらしくね、ただ座って黙りながら時々頷いて、それから時々目を閉じたりしてればいい」
 プロデューサーがわたしの耳元でささやいた言葉である。わたしは忠実にそれに習った——そう、忠実に習ったのだ。それはわたしにとって快い『従属』だった。数ある従属のなかでもっとも快かったのは『カツラ』をかぶったことである。それは真っ白なカツラだった。プロデューサーがいった言葉はこうである——「いいね、似合うよ。まるで本モノだ」プロデューサーわたしに様々な評論家を演じさせるため、それに見合った衣装や外観を用意していた。
 プロデューサーがわたしにいった『本モノ』には二つの意味があった。ひとつはそのカツラがまるで地毛のようにわたしにフィットしていたこと、そしてもうひとつは本モノの学者に見えたことである。素直なことをいうと、わたしはあのカツラを非常に気に入っていた。それはまるで毛が伸びすぎた帽子だった。
 そのカツラの行方はわからない。それは衣装係のモノで、わたしのモノではなかったのだ。
 まあいいじゃないか? 消極的なわたしは霊長類ヒト科の生物に逆らえなかった、というよりは従わざるおえなかったのである。従いながら腹の中で「バッカじゃないの」と思っていた。たいていのヒト科を含め生物はみなそうである。人の話しを自分のためにと思いながら聴くにはじゅうぶんに年をとりすぎていたのだ。
 そんなわたしが話しを聴く相手、それは彼女だけだった。彼女・カノジョ・かのじょ——その言葉だけではこれからの説明に不十分であるので、その名前を明かそう。
 彼女の名前は「ナエコさん」という。
 もちろん仮名である——たいがいにおいて生物の半生はプライベートなものだから。まだわたしは生き恥をさらすわけにはいかない。だがそれももうすぐだ。このちっぽけで低燃費な命はあと数日か数十時間しかもたないだろうから。わたし身体は縦・横・垂直・時間で定義される空間から解き放たれたれるのだ。
 いつまでも隠しどうせはしない犯罪により警察からお縄をちょうだいする前にはなんとか時間を手放したい、この身体を重力から解き放したい——そんな思いがつのるのだ。
 ナエコさんとは会っていない。わたしが彼女に会ったのは一回きりだ。たぶん彼女はわたしのことなど覚えてはいないだろう。だがわたしにはある予感がある。わたしが最近頂くことになった『ボランティア功労者』の称号——これが彼女との再会を導くのではないかと思えるのだ。

 わたしがテレビに出ていたことはだれも知らなかった。それは幸いなことだった。わたしは自分の犯罪行為——社会的に身分を偽ることは『犯罪』であると思っていたからだ。わたしはディンギをもらいながらウソをぶちまけていた。ウソはよくない。そういった良心からわたしはそのことを他人に打ち明けることができなかった。また、わたしのような容貌はどこにでもあるもので、テレビで一見しただけではそれが『わたし』であるとはだれも思わなかった。わたしは普通どおりに働きながら放送の電波に身売りし続けた。時給五百円のディンギをもらいながら。
 そのころのわたしはけっこう働き者だったかもしれない。会社の仕事の他にスナックのアルバイトにテレビの仕事、そしてボランティアも行っていたからだ。時間の流れにしたがっていえば、アルバイトが最初だった。周期的に精神が不安定になるわたしは仕事に対して疑問を思っていた。珍しいことではない。ほんの少し知恵をつけた生物はすぐに道を迷いたがるものだ。わたしは仕事ではない仕事を探していたのだ。繰り返し——わたしの捧げるボランティアに出会ったのはナエコさんの言葉のおかげだ。
 ナエコさんの言葉がきっかけで市役所の窓口を訪れたわたしはさっそくボランティアの口を見つけた。それは老人ホームに住む老人の身体を洗う係りだった。

 ここで思い出すこと——それは会社に入り立てのころのことだ。わたしは電気会社に入ってすぐにアルバイトをはじめた。それはなぜだったか? ディンギが欲しかった?——それは不正解。なぜだったかわたしにもわからない。あえていえばヒマだったのだろう。それで勘弁してほしい。
 そのアルバイトとはスナックのウェイターだった。ちょっと広めのその店は会社からずいぶん遠い街の繁華街にあった。わざわざ遠い場所を選んだわけではない。都会にやってきたばかりのわたしは、アルバイト広告を集めた本に掲載されていたそのスナックの住所が示す場所を地理・距離的に理解できなかったのだ。何度か電車を乗り継いだあげく行き着いた街はわりとこじんまりとしていた。その店を探すのに苦労はしなかった。そういった店は隔離されるように一カ所に固まっていたから。
 働く話しについてはすでに電話でケリがついていたので、わたしはその日からさっそく勉強がてら店に出ることになった。初日から気づいたことだったがその店はやたらと女性客が多かった——もちろん霊長類ヒト科の生物のことである。その理由はすぐにわかった。わたしはマスターに新入りらしくていねいに訊いた。
「みんなマフネちゃんが目当てなの」
 マフネちゃんというのはその店で働くウェイターでかなりの好男子——マスターは、そのウェイター『マフネちゃん』に会いに来る女性客が多いと説明してくれた。その好男子は夜十一時のご出勤で、三時には女性を同伴して店を出た。
 この店でわたしは十八年間保ち続けてきた童貞を捨てることになった。
 童貞保持年数を白状したところで、もうひとつ白状しよう——わたしは大学も出ていない。これでわたしの罪状はひとつ増えた。わたしはこれまで自分が田舎の大学を卒業したことにしていた——表向きは。わたしはやはり犯罪者だ。自白で少しは罪が軽くなるだろうか?——もう遅いな。
 わたしが童貞を捧げた相手——その女性はマフネちゃんのお眼鏡にかなわなかった人で、けっして美人ではなかったが、とてもやさしい女性だった。わたしとナエコさんほど年の差は離れていなかったが、それでもわたしにとってその女性はずいぶんと大人に見えた。たぶんナエコさんにとってわたしはえらいジジイに見えただろう。

 まあ、マフネちゃんをはじめそのスナックでの話しはおいおい語るとして、なぜわたしが入社したての頃の自分を思いだしたか?——それは仕事以外の仕事をすることがとてもうれしかったことである。
 それはボランティアも同じことだった。
 わたしは仕事ではない仕事が性にあっていた。ボランティアはなんとすてきな仕事だったろうか。失礼だがわたしはボランティアになんの意義も持ち合わせていなかった。それが社会に貢献するなどと考えてはいなかった。そうした思いをわたしはそのまま発言したことがある。
「(どうしてボランティアをはじめたのか? という問いに)——別に意味があってはじめたことじゃありません。(ボランティアをしている人々の社会的貢献はすばらしいものがあるという言葉に)——そんなことないよ。社会なんか知ったことか」そういってわたしは手鼻をかんだ——ちょうど風邪をひいていたので。
 なぜかわからないがわたしの言葉は理解された。ある筋がいうにはわたしの話しを聞いた人々は社会について話しをはじめたらしい。わたしは頭が痛かった。

 『わからない』ことが多すぎる。

 がっかりだ、すべてにがっかりだ。

「○○○さんよく来ますね」
 受付の女性がそういったのは、仕事そっちのけでボランティアにせいを出しているわたしを心配してのことだった。
「そうやって手伝ってくださるのはうれしいんですが、お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「会社には休みをもらってます。ボランティア休暇です」
 それはウソだった。その休暇制度は前の会社のものだった。そのころ働いていた会社ではそういった制度がなかった。わたしは欠勤を重ねていた。有給休暇はすでになくなっていた。
 受付のあなたは心配しなくていいのだ——わたしは心の中でそう思った。その思いは笑顔となった。受付嬢は苦笑いをした。人はほんとうに純真な表情を見ると時にまごつくものだ。特にいい年をした男がそんな笑みを見せたときは。
 わたしに世話された仕事——それはわたしの住んでいる町ではない公園の清掃だった。わたしはその作業を聞いてにんまりとした——ひさしく大きな掃除はしていなかったからだ。受付嬢の顔は語る、『あなたってマニアでしょう』——そして考える——社会のためになっていれば生きていける権利があると主張するどうしようもない非現実的で、ああいえばこういう的なひねくれ者だと。
 霊長類ヒト科の生物たちは言葉の他に表情という言語を持っていた。その表情を見れば言葉がなくても通じ合うものだ。
 この社会、少なくともわたしが籍をおいていた市が必要としていたものは『税金』だった。ボランティアはその税金を節約するための格好な隠れみのだった。
 わたしは自分に与えられた仕事をはコツコツとする生物だ。だから仕事を与えられることによろこびを感じる。そしてそれを達成したときにはなんともいえない至福を感じるのだ。与えてくれるモノにはそれなりの代償が必要だとかたく信じていた。

 わたしは仕事や何かをしているときには決まって別なことを考えている。何を考えているかは恥ずかしくて口にできるものではない。いいですか?——時間の大半はプライベートなものです。しかしひとつだけ——公園の掃除をしているときに思いついた詩がある。これを『詩』であるとしたのは、ずいぶんと後のことだった。失礼——実をいうと今である。それはこんな詩だ。長くて申し訳ない。

【ホッペさん】

 ホッペさんは歩く、でも時々転ぶ。それでもまた立って今度は走る。走ったかと思うと今度は立ち止まってふぅっと息をつく。そして腕を組考え事をする。考え事は長く続くこともあればすぐに終わってしまうこともある。それが長いにしろ短いにしろしばしば困ったことになる。困ったことが起これば、それを何とかしようと躍起になる。でも躍起になってもなかなかうまくいかないことがあるのでゆっくり一個ずつ片付ける。それでも階段を一足飛びに駆けた方が早く解決するときがある。なかなかケースバイケースというのは難しいようでほとんどの時を困った顔で過ごす。その困った顔はほんとうに魅力的でこちらもいっしょになって困りたくなる。それだけ精一杯やってもダメなときには少しのお酒に頼るときもある。こいつは見事な大酔っぱらいだっと思うときもあるが本人はそんなに酔っちゃいない。その証拠にちゃんと勘定ができる。好きなお酒なんて特にないわといいながら結局何でも飲んじゃう。そんなことで解決できることは少ないけれど、それはホッペさんもよくわかっていて、何とかしなきゃと真面目に考える。よし考えたっと思ったら今度は勉強をはじめる。どんな勉強かなと思ったら、それはスペイン語のことだったり、語学かと思ったら簿記だったりする。でもホッペさん簿記の免許を持っているのでまわりの人がなんでまた勉強するのと訊くと、復習しなきゃ忘れちゃうでしょという。うーんなんて勤勉なのだ。でもホッペさんはあせっている。こんな調子で復習ばかりしていたら、ちっとも新しいことができやしない。なんとかしなきゃ。ホッペさんが考えたのはフルタイム操業で一分たりとも時間を無駄にしない方法を色々と考えた。たとえば、トイレに入るときにも本を欠かさず、お尻を拭くのも忘れて読みふけった。お尻を拭く時間を節約するのにボタンを押すとお湯や風の出る便器に取り替えた。少し高かったけれど、維持費である電気代も高くなった。なぜならホッペさんはいちばん熱いお湯が好きだったから。それに安全のため、全ての器具は電気を使っていた。アイロンは当たり前、電気ストーブ、電気扇風器、電気歯ブラシ、電気乾燥器、電気ブラン、おっとこれはホッペさんの好きなお酒のひとつである。チェイサー代わりのビールがとってもうまい! っていっていた。電気ブランはとにかく、みんな電気のかかるものばかり。冬なんかは大変ですべてを働かせようものならヒューズはとぶし、明りは消えて真っ暗になるので部屋の中を転げまわったり、そのおかげで一日に二本吸うタバコが消されている灰皿をバーンと辺りにひっくり返したり、吸いかけのタバコが置いてあってそれが布団に巻き散らかされようなものなら、毛布をサッと両手一杯に広げてワーっと身体ごと布団に飛び込む。そんなとき一階で寝ている学生は何事だ! と口には出さなくても飛び起きる。で、上のホッペさんかと思うとあきらめてヘッドホンをつけてまた寝る。結局、飛び上がるような電気代をよろこぶのは電力屋だけで、毎日契約ブレーカーのアンペア数を上げようと絶えず機会を探っている。なぜそんなに電気代が高いのかと考えると、ホッペさんとその一帯の電力は火力により供給されているからだと思い込んだ。そう時代は原子力である安全な原子力をたくさん使えば私の電気代はもっと下がるはずだ。そして抱えるようにしなきゃ暖かくなくて、それでも背中は冷えてしまう電気ストーブを一万ワットに代えたって、電気代はきっと今のままよ、そう、きっとそうだわ。この時のホッペさんの脳ミソはアトムで一杯になった。そう、アトム、アトムの力よ。家庭のアトム第一歩、それは原子力発電の開発、奨励、アトミックマザーごときの女性を目指すのよ。かくしてホッペさんは近所の子連れ、じじ連れ、ばば連れ、全ての人を集めまくってニュークリア町内会を発足する。支払いが安くなるならそれで良いなんて人がいっぱいなんだからそれぞれ勝手なことを考える。考えていくうちにだんだんギアの噛み合いがおかしくなる。私はこうよ、僕はこうだ、おいらなんてこんなんだぜ、じゃぁわしゃこれじゃ、やたらめったら飛び出す意見にオピニオンリーダーのホッペさんも困ったものだ。なぜこうも好き勝手なことがいえるのかしら、リーダーのことなんかちっとも考えちゃいない、全てがバーラバラ。でもホッペさんは冷静だ。こういうときはゆっくり考えよう。思うに皆の望むことはいっしょのはずなんだが、なぜこうもいろんな意見がある?

【終わり】

 わたしは広い公園の落ち穂やゴミを拾いながら長い長い詩を、そして歌——しかもそれはロックンロールだった——を口ずさんだ。そのテンポが速くなるごとに作業をする手も早くなる。なんという能率のよさ! わたしは空き時間を利用してベンチでの休憩を計画していた。そう、その日におけるわたしの一大プロジェクト——それは公園のベンチに座りながら砂糖のいっぱい入った缶コーヒーを飲む。それがその日の計画だったのだ。
 ほんとうに日差しの下で休むのはすてきなことだ。わたしはわざわざ遠くに出かけない。日差しはどこにでもある。

 話しはもう最期——だからお互いの秘密をいいっこしよう——それは時間を放棄する前に。

 ちなみにわたしが生まれたときは、皇后が軽井沢で静養している月のことだった。そしてわたしの誕生日はアメリカが誕生した年でもある。そういったことのほとんどは偶然としてとらえられている。そう——どうせすべては偶然なのだ。何かに引っかけるなんてバカバカしいことだ。しかし現実の世界では、わたしが生まれたために家の財政は厳しくなった。それが普通の家庭だ——だがほんとうにわたしは自分の母親から生まれてきたのだろうか?——怪しいものだ。わたしは自分がどこから生まれてきたのか覚えていない。父親は冗談交じりにいった——『おまえは橋の下から拾ってきたんだよ』——それならそれでもかまいはしない。

【続く】



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