SSブログ

仮題:バイバイ・ディアナ 6 [仮題:バイバイ・ディアナ]

【6回目】

♪ 4・やむを得なく変わる世の中

 ♭ 1 清掃

 カンイチは母を見た。その事実は直ちに母性省が関知することとなった。
 金具の所々にさびが浮かぶ大小まばらな通信機の箱を前に座るオペレーターがいった。
「省長、ホームから連絡がありました。母を見たといって騒ぐ男がいるらしいです」
 省長は爪を噛んだ。「速やかに保護せよ」
 省長がいうとオペレーターは返事もそこそこにコードのジャックを灰色の箱に接続しホームとの回線を保留解除した。頭に被ったヘッドセットから飛び込んで来たのは接触不良のノイズ——これにはまだ我慢することができた——と鼓膜が割れんばかりの地鳴りのような騒音だった。五秒ほど待つと次第にその音量は下がっていった。
 ヘッドセットの受話器を耳から話しながら、またか、という顔でいった。「まだ通信室の場所を替えていないんですか」
〈——まだなんです〉ヘッドセットからかすかにホーム警備室の男の声が聴こえる。オペレーターがスイッチを操作すると、声は通信機に内蔵されたスピーカーへと切り替わった。発せられる声はスピーカーの質のせいか子供のように甲高い。はっきりいって耳障りである。
「たしか引っ越しの予算もらってますよね」
〈——私みたいな平にはわかりません。何せ忙しいもんで〉
「でも引っ越しなんてお金が無くてもできますよね——」
〈——それがこの部屋の設備は旧式の物ばかりでやたら重いんですよ。腰が曲がっちまいます〉
「そりゃ大変だ」
 オペレータと警備室の男の会話はなかなか本題へ入らない。彼らはこの後昼飯とロマンキャバレーの話しを続けるのだが、彼らの世間話しに気づくこともなく、省長は両目をつぶり腕を組みながら独り言に熱中していた。「——そう対処は迅速であるべきなのだ。どんな些細なことでさえ見逃してはならない。ほんの小さな種が三メートルのひまわりになるように、どんなことから煙が出てこないとは限らない。それを見抜けない政治家の何と間抜けなことよ、あいつらの書棚には千軒分のトイレットペーパーに交換できる謝罪マニュアルがあるというじゃないか。あいつらがやることはみんな後手後手後手、食中毒に発ガン剤——すべてが後手だ。そしてその代償には必ず死がついて回る。あげくの果ては、僕らって素人なんです!——なんていいやがる」母性省長は部屋中を歩き回る。「その点俺はしっかりしているぞ。人の振り見て我が振り直せ——あいつらにはそれができないんだな。やっぱり男は不言実行だよな。結果はデータで出せば良いんだよ、広告なんか打つこたぁないんだ!」
「省長、ホームと繋がりましたが」オペレーターがいったが省長は顔に満面の笑みを浮かべ歩き回っている。「省長、繋がったんですけど——」オペレーターは口を尖らせながらまた警備員との雑談へ楽しもうと、通信機に顔を寄せた。
「保護せよ! 速やかに保護せよ!」省長の声が部屋中に響く。
〈何かいってるの?——〉
「そうそう忘れてました、保護してください」
〈保護?——〉
「そうです。先ほど連絡がありましたよね、あの母を見つけたって男」
〈でも——もう逃げたかもしれないですよ〉
「とにかくボクは命令を伝えるだけなんだから聴いておいてください『保護』するんです」
〈わかりました。とりあえずやってみます。もし保護できましたら連絡します。でも——たぶん無理だろうな〉
 オペレータは回線を切った。そして高速道路で車が合流するように省長に合わせて歩きながらいった。
「保護するよう連絡いたしました」
「よし、ご苦労——どんな小さな芽でも摘みとらなくてはいけないのだ」

 カンイチの挙動を母性省に報告したのは、たまたま——ほんとうに運よくいあわせた車掌であった。ナミオは動かないカンイチを、いつもの気まぐれから来るしぐさのひとつと思っていた。
 ナミオがカンイチとなぜ知り合ったのか——彼らがお互い——赤ん坊の時にというのではなく——お互いを意識する立場にあったのは、B—1203地区における都市区域清掃の時間であった。
 都市区域清掃は『二』のつく日に行われていた。ただし、居住区域ごとにその数字は異なり、カンイチたちのは区域は『二』であった。彼らは七月一二日顔を合わせた。
 区域に住む住民はお互い手ぶらで、指定された集合場所に集まる。都市清掃局局員を乗せた、悪いガスを使っている青色の旧式ダンプカーが全ての住民に割り当たる数だけの道具を積んでやってくる。ダンプの荷台から顔を出すのは、柄を継ぎ足したほうき、金物のちりとり、透明な色をした石灰混入ポリ袋。住民は二台のダンプの後ろに列をつくり、道具を受け取る。順番をまつ彼らの顔には、避けようもない習慣と化した義務性から、焦りの顔は無い。中には犬が定期的に散歩に出してもらえる——そんなよろこびを犬の如き動きで体現する者さえいた。
 ダンプの荷台に乗った清掃員がほとんど気まぐれで道具を取り出し、機械的な作業で住民に渡す。その光景は見事なまでに反復を練り返す作業であり、オートメーションの見本であった。作業員には二通りの動作しかない——道具を取る、そして渡す、ただそれだけの動作、そして住民は、前に出る、受け取る、去る。
 カンイチが受け取ったものは少し歪んだ金物のちりとりであった。ナミオが手にしたものは、彼の身の丈よりも長い柄の——本来ならばモップの柄であるのだが——ついたほうきだった。机と椅子がお互いを必要とするように、カンイチのちりとりはほうきを求めた。それがナミオだった。
 地球外からは、彼らB—1203地区の住民がいくら清掃をしようとも、みじんの変化も見られない。しかし、B—1203地区を空から見下ろせば、舗装するほどにひどくなる埃が真っ白に舞い上がり、その中で点のように動くものがかすかに見える——それはなにかその区域だけが人工的な霧かガス——そういった、何か危険なもので汚染されているように見えた。

 ♭ 2 個庭システム

 一九九八年七月に制定・施工された『個庭システム』は、個人同士の接触を極力抑えることを第一前提としていた。それは全てにおいて抑え込むことは不可能であると判断したからこそ、『極力』と、一見妥当な判断がなされている。では、個庭システムがなぜ制定され、そして施工されたか——それは至極単純なことであった。
 『運動面における優秀かつ純粋な種族の繁栄』
 それが個庭システムの目的であった。
 評論家・国民は、従来の論争を主とする政治体質——つまり一九九六年までの常識を打ち破ることのできない政治体制では個庭システムを施工することは不可能であっただろうと評価している。
 個庭システムは国家事業であり、その設備面の必要性から考えられる経済への影響は、決して少ないものではなかった。しかし、それは少ないものではない、というだけで、それまでの国家事業を覆い隠すほどの経済的規模を持つことはなかった。それは、与えるべきシステムの規模に対し、それに充分な投資をすべき余裕が存在しなかったことを示す——政府の財は底をついていたのである。
 多数の不名誉な問題は不世出の私生児たる政治家の流し目のようになめらかに対処されていった——ただし子供が成長するくらいの時間を費やしながら。
 密集したエレクトロニクスで密封された超小型ではあるが小豆粒よりも大きい数個の電子接点と、何度もさびを落としつづけた南京錠で閉じられているかまくらのような国家金庫のなかには、極力変動を押さえるつもりで購入した金の延べ棒、そして有価証券が納められていた。
 金の延べ棒——一キログラム一五本、一束の有価証券。
 それが政府の総財産であった。
 金庫に財産を納めるべく残された収納空間はひたすら広い。本来そこにあるべきものが、空となってしまったことに見合うような国家的・国民的な資産は国中を探してもどこにも見あたらなかった。
 一九九六年当時、ニッポンでいちばんの販売部数を誇り、出版界での地位を揺るぎないものとしていた総合誌『週刊ダリア』——その本が費やしてきた紙量は地球を何百回も包帯のように巻くことができる。そして現在でも『TVC—ダリア』として生活・商業・バラエティ風俗など、あらゆるジャンルにおける情報を新聞・週刊・月刊・季刊・隔刊とあらゆるインターバルで発行をつづけている——では、紙面を三十ページ費やしてその国家財産の使途を公表している。
 そのなかで、カラー印刷された紙面では、各一面に一項目で財産使途内容が写真付きで記されている。
 ・白昼の地下鉄薬ばらまき事件——未曾有の犯罪は予知されていた。証拠固めに時間をかけすぎ。国防費を削った政府の恐るべき大失態。被害者に対し4千万円の即金保障! 判決の遅さに他国からの非難続出。
  (写真は、地下鉄の惨状・左下には国防省長官の丸写真——「ケチったのはわしじゃない!」の吹き出しつき)
 ・恐怖の集団食中毒——文部・厚生省のずさんな食品検査、我知らずの対応の遅さに被害者の怒り爆発。慎重すぎた特定伝染病への認可。全国の被害者に対し八千万円の保障。被害者の大半は未来明るい子供たちであり、国民は満足せず。感染は妄想テロ集団による人為的な工作と、市が放置した汚染下水道によるものであり、根拠のない誤報により感染源とされて潰れた数千を越える業者のデモ行進が全国を行脚。苦渋の顔で九千万円の保障を約束。通産省・厚生省・文部省は血友病犯罪に続き全国民へ全裸で土下座講演を行った。
  (写真は感染源となった細菌の顕微鏡拡大写真、その横にタマネギやかいわれ大根を手にした生産者デモ。左下の隅には、恥部を黒丸で塗りつぶした三大長官そろい踏みするの図)
 ・遥か彼方の戦後補償——お見舞い金と称した戦争被害者への補償金提出を確約。
 ・住専処理案に激しい非難
 ・原発強制建設に住民への違約金——政府は住民投票により決議された原発誘致反対を完全に無視。暴力団を使った土地の買収が明らかになった。行方不明の住民多数。
         ——その他たくさん
 そしてカラー誌面の最後には、政府のPR広告が掲載されていた。
 『未来に向けての電車ホテル』
 ・電車のホテル化計画にご協力ください
 ・多忙なあらゆる職種のビジネスマンに最適
 ・オプションで寝台つきも検討中(タオルとかみそりつき)
 ・熱いカップル/夫婦用の車両の開発進行中(休憩、お泊まり、ご予算に応じての暖かいサービス)
          車両省(旧運輸省)
 また、とりあえず政府に罪がかぶせられた食中毒について補足しなければならいことは、これにより、ニッポンが半鎖国的状態となったことである。出国には手続き前に検疫官の手によって検便を行わなければならなくなり、人々は二日ないし三日の検束を余儀なくされた。また、中毒発生から指定伝染病へと移り変わる長い長い期間の中で、他国からの入国者の数も目を見張るように減っていった。現TVC—スターネット新聞を含めたマスコミの騒ぎ様はペンと言動で国の閉鎖を実現した。
 政府の財源の全てが補償金やそれに似たようなもので費やされた。国民が未来のために得るものは何もなかった。
 一九九八年、とにかく政府には金がなかった。
 世の中は宇宙時代へと向かっていた。
 最後のODAは大国の核実験に使われた。
 アメリカにおける地中での千百回に渡る核実験は作物を汚染するとともに、土地の不毛化を促進しつつあった。
 他国はその解決策を模索しつつ自称『最後』の核実験を行った。
 ニッポンは安い小麦をアメリカから輸入した。(これはほとんど売れなかった。倉庫に眠る小麦は、ディスカウント革命のバッタ屋に原価の四割引で引き取られた)
 そして燃費の安い車を選ぶように、原子力を選択した。
 ニッポンには金——ディンギがなかったのだ。
 彼らの財産がつき果てたのは、対外的問題や自発的事故の他に、政治家による政治家の政治家でのみ通じる、財産の私有化が挙げられた。私有し、着服したものであるからこそ、子供のパチンコや賭博でドブに捨ててしまったような使途不明の金によるものが半数を占めていた。本来あるべきではない国民と政治家の分離が常識となっていた体制において、政治家は国民の無関心をよそに、ぼんやりとイメージしか捕らえられないハーレムを目指すべく湯水に金を使い、そのハーレム幻想が経済危機により指先から離れかけた頃、彼らは国民への意思表示を仰いだのである。国民がその内容をある程度——断片的ではあるが——把握しはじめたとき、彼らは再び口を閉ざした。
 大蔵省は構造改革を推進しつつもそれをできないジレンマに陥った。
 金策に困り果てたニッポンは、民間伝承された行事のように国債の発行をごく当たりまえにおこなった。それはパチンコに熱中する大人のようにも見える。
 国債に限らず、あらゆる事柄が制定・実行されることに関して誰にも責任の所在はない。仮にそれがあるとするならば、それを認め、調印するその瞬間に限られた。そして運用以降発生する問題についての責任は、水掛け論という名前の論争の中で何年もの長い時間を費やしながら消えていく。いやしくも生き残ってきた時に神となりえる精神論だけで存在してきた超高性能先進国には、責任を形とする習慣は育まれなかった。
 政治家の大半は痴呆症の気があるらしく、ときおり、というかしばしば年寄りの世迷い言に似た意見を発した。彼らはずいぶんとお金に執着がないらしく、千万や億単位の金の所在さえ忘れてしまう。彼らの身ぶり素振りは、世の中は金だけで動いているのではない、ということを小学校の教科書のごとく体現していた。
 それが現実だった。
 いったいなぜなのだろう?——多くのニッポン人はそう考えたことがある。思想と宗教は別なものであると考えられるが、多くのニッポン人にとってニッポンは思想国家であった。思いめぐらせるだけのイマジネーションの大量生産と、出ることのない結論。しかし、思想という国家の中で絶えず思想するという意味ではニッポン人は統一されていた。
 ニッポンは思想国家であった——常識は政治抜きでつくりあげられた。
 常識の源である企業は、ある線までの浮き沈みを保ったまま、互いに肩を並べあっていた。浮かれ果てた経済の主体は、通信という新しいインフラを基として傷口を修復していったが、あまりに変化のなさすぎる政府による規制に対する姿勢を考えてみれば、わりかし見事な建て直しに対する努力をしていたことには異論がない。
 空洞化、構造変化に対する恐れは存在しても、官から民への移行は誰も口にするまでもなく、思想として人々の頭の中をさまよっていた。当然人々のなかには政治家も含まれた。つまり、既存の政治家たちの老練な手には負えないほど、国の立場は複雑、かつ危うくなっていったのである。そして国民は自分たちとはちがう柵に囲まれている政治家たちの能力に対し、口にも出せない不満を抱え込んでいたのである。
 民間はタフである。政治家は空洞化、構造変化に対し、新分野が必要であることを懸念し、それに対するおざなりな策を思案するばかりであったが、対外的な手腕を、貿易、技術提携で磨いてきた民間企業は、新分野開拓の具体的提案をあるものは他を見習い、あるものは独自で検討していった。元手数十万円の冒険的企業、商売が、雨後の竹の子のように顔を出した。彼らが現状を打開すべく意欲的な行動で光を見つけようとしたとき、その行き先を阻むものは、政治家が唯一自分たちの存在証明とする『規制』であった。
 政治家はこの規制について、民間の話しに優しく耳を傾けるときに『先生』となり、その話しを緩和までつなげようとすると『神様』になった。政治家はこの瞬間に生き甲斐を感じた。彼らはそんな自分たちを民間がどう考えているかは知っていた。が、政治家はそれを知っているからこそ、知らない振りをすることに官能を覚えた。
 政治家が新しい何かを求めるとき、第一に現れるものは思想である。そして彼らはそのイメージでしかない思想を実現するために互いの意見を尊重しすしながら国家予算を決定する。大蔵省主体の予算決定は、あくまで主体を大蔵省自身が持ち、国民主体へとは移行せず、政治主体にさえなり得るはずもなかった。
 ただ、この予算決定すら、清潔な政治へと改革せしめんとする与野党における運動の前には後回しとなり、保守・革新・福祉その他諸々のベクトルに散らばった政党は断固としてひとつになり得ず、予算の採決は日々遅れていく。結局決定された予算は前年度に理由付けをした焼き直しで、その中の公共費が若干利上げされたとしても、赤ん坊を三人抱えた二十の母の家の前の下水道は直らない。
 しかしこれは幸いともいえた。政治家が放ったらかした下水道が中毒症状の媒介となり、国から原子力発電所のとなりの一戸建てを購入できるほどの補償金が手に入ったのだから——。
 しかし、死んだものは帰ってこなかった。
 民間企業はできる範囲での努力を行った。
 国民はあまり良くやったとはいえない。が、それは指導者のせいにされた。
 民間は結局国となった。
 原因はあらゆる分野において、政治家の根本的なものの仕組みに対する能力が追いつかなくなったためであった。彼らは知らないが故に義務的な経過報告を憶測で伝達し、その都度民間生産者の非難を浴びた。それは一握りの食品、野菜から、薬の分野まで及び、ある省の上役は、「私たちにものの是非を判断する能力はありません」とまで泣き声でいい放った。
 一九九七年の夏を迎える頃——ある民間企業が自分たちに政治をやらせてもらえないかと直談判を行いに首相官邸に入った。
 歴代首相の中でも若い部類に入る首相はやせ形で、華族の血を引く男だった。党からの離脱、リベラルの意味を知らない吹き出物の存在に頭を痛めた彼の頭には、歳にはふさわしくないと思える量の白髪が鈍く光る。彼のポリシーは政治とは本来自由であるもの——であった。ただ、彼が実行して見せた自由は、いい放題の自由——言論の自由だけだった。はい、いいえをきちんと口に出していう——そんな小学一年生のお手本は、その場でのくだらない議論を短縮こそすれ、非難は読み終わった新聞紙のように毎日確実にたまっていった。
 彼は疲れ切っていた。
「君は代わりに首相をやってくれるというのかい」首相は深く椅子に腰掛け、背もたれに身を投げ出し、憂うつそうである代わりに割とフランクにいった。彼は柔らかいカジュアルスーツを身に着けていた。そして、
「僕の家を華族として国が保護してくれるのなら構わないよ」といった。
 官から民への行政移行は約一週間で行われた。国の財源をはるかに越える資産を持つ企業は紳士的な買収により各地に存在する与党の後援会を解散させた。
 後援会を失った政治家たちは、そのまま活動を停止せざる終えなかった。組織暴力に似た献金制度をもつ政治団体は、その収入源を失い議会での座席数の九割は三日間で消えた。ディンギが無くては議会にもいけなかった。バス賃はあってもバスには乗らなかった。野党による解散要求が出されるもつかの間、民間党、というその場限りらしい幽霊会社にも似た名前の政党が残った座席を埋めた。
 彼らのほとんどが、首相と直談判をした男が社長である企業の経理からの出向で占められていた。
 後に、この男は『世界一安く国を買った男』として、フォーチューン誌において千五百六十七回目の巻頭インタビューを受けることとなる。
 今、国を代表するものは元ニッポン通信機器株式会社社長——現『デバイス社』の会長、イサオ・セキグチであった。
 このイサオ・セキグチが首相になったとき、国民がいった言葉は——、
「若いわねぇ」
「一三男って何て読むのかしら」
 一三男とは、漢字を常用字として認めていたころのイサオのことである。現在において漢字の使用は古典以外では廃止である。もっとも古典の教育自体が自由課題となり、もっとも人気のない地位に納まっていた。来年には消えてしまう教育のひとつとなっている。
 一九九七年の暮れに民間党は、デバイス党と名を変えた。
 華族出の前首相の保護は、イサオ・セキグチの指示ではなく、国民の要求によって取り消された。

 一九九八年一月に首相イサオ・セキグチは、ある制度の草案を二日間で書きあげた。そのほとんどは、彼がまだ民間企業の会長であった頃にできあがっていた。そして半日——その大半は着席と挨拶、そして出席取りであった——を要して議会の満場一致のもとその制度——『個庭システム』が可決された。
 施行は一九九八年七月十二日とされた。
 個庭システムの完全なる導入には、十二年が必要とされたが、柔和な安全係数により算出された予定年数よりも八年早い四年間でほぼ完結したといってよい。
 個庭システム導入による外観的な変化は特に見られない。経済発展により建築された構造物、国民の適度な増加に対応する居住物が増えていることを除けば、ほぼ一九九六年のままと考えてよい。ただし、この個庭システム制定内容においては、建築物について次の条項がある。
 ・新規に建築されるべき居住用構造物は『個庭システム法令別冊居住用構造物について』の要項を満たすこと。
 ・一戸建て、あるいは家と呼称される居住用構造物の建築は許可されない。
 このなかで、個庭システム法令別冊居住用構造物に記載されている要項をかいつまんで抜き出すと——
 ・鉄筋コンクリートによる建築物であること。
 ・居住用構造物は一個庭(旧一世帯)を1DKとした集合型住宅であること。
 ・個庭(旧世帯)数は敷地面積により異なるが、最大百五十個庭(旧世帯)までとする。
 ・集中型非反射光ファイバによる幹線を引き込むこと。また、各個庭(旧世帯)への配線を行うこと。
 ・建築行程の簡略化を考慮し、構造物は一個庭(旧世帯)をひとつのブロックとし、それを組み上げることにより、完成するものとする。
 ・ブロック構造を別図に示すので、それを建築する業者は、それに従わなくてはならない。
 ——つまり新しく建築される構造物は全てが一九九六年までに乱立していたワンルームマンションと似たようなものである。このブロックは民間政府が発注する数によりその下請け業者にばらまかれた。製造を担当する業者はその図面を見ると口々につぶやいた、
「このドアロックは時限式だぜ——」
 各ブロックに取り付けられた出入り用のドアにはある決まった時間内しか開かないようになっていたのである。そしてひとつしかない窓には、公園などで見かける可愛らしい柵——花の柄をあしらった——が取り付けられていた。
 条項には他に、古い一戸建ての家の改築は認めない、などが記されていた。
 個庭システム——それは先にも述べたように個人の接触を極力排除することを目的としている。もっとも影響を相互に及ぼしやすい家庭というシステムを解体し、あらゆるマスコミニュケーション、メディアからの隔絶しやすい生活システムへの切替を行うための手段がとられた。法令で定められたブロック式の家はその一例である。
 個庭システム施行当時、家族を構成する父、母、子たちは、それまで住んでいた家を巣立ち、それぞれ別の家へと移っていった。そして空き家となった家には、他の家からの居住者が入る。その家も解体され、その固まり毎に、法令に定めるブロック家が建てられていった。個庭システム施行に当たっての経済的効果は主に無線、画像などの通信や、構造物建築に波及したが、これはこの国の経済史上、目を見張るほどのものではない。波及した経済的効果のうち、家の建て直しは数パーセンテージにしか満たなかった。
 個庭システムに対する国民の反応——TVC—TVの電話世論調査によれば、草案発表当時、賛成数が多数を占めていた。これは国民が昭和から平成に変わった以上の変化を求めていると政治評論家はいった。この評論家はそのころ、この個庭システムの施行により、自分たちが姿を消してしまうことなど考えになかった。芸術、映画、建築、何か新しい波が生まれる度に評論家はそれに吸い付いてきた。そして政治に対しても、「もし——だったら」調で第三者的立場をちらつかせながら結果論を遊説する。官による政治は問題を雲の中に隠しながら綱渡りの行政を行い、それが評論家たちの飯のタネとなったわけであるが、自己完結を第一とする企業政治には評論家が入り込む隙間はなくなった。責任を徹底追及し、その補償に全力を尽くすに彼ら企業政治に対して反発を感じる国民は多くはなかったし、国民は終わってしまったことを二度も三度も重箱のすみをつっつく評論家から訊かされるほど柔和ではなかった。
 個庭システム施行後の評論家たちが選ぶ道は伝記作家しかなかった。が、古典と同様歴史もまたワースト課題のひとつとなっていた。誰も彼らの本を買うものはいなかったし、取り扱う出版社さえ片手で足りるほどだった。
 この個庭システムに対する世論調査により、まったく政治に無関心であった若年層の大多数がシステムを指示していることがグラフとして明らかに浮かび上がった。賛成数において従来の調査では類を見ない割合を示していた。しかし、国民の半数にも満たない若年層だけではなく、全ての層において賛成数の傾向が多かった。TVC—TVがまとめたその賛成理由の主なものには——
 ・親からの自立
 ・人生をやりなおしたい、独身に戻りたい
 ・もう一度恋をしたい
 ・家庭のために働きたくはない
 そしてもっとも驚くべきものはこの法令可決に対して事前に行われた国民投票である。
 投票に対する選挙権は字の読めるもの、理解できるもの全てに対して与えられた。成人に満たないものたち——それが小学生であろうが幼稚園、はたまた保育園であろうが、字の読めるもの、そして理解できるもの全ての国民に与えられたのだ。

 『こていシステムとうひょうようし』
  「あなたはこていシステムに
        さんせいしますか?」
   □ さんせい
   □ はんたい
    (どちらかの□をこいえんぴつ
       でくろくぬってください)
        わたしたちのくにの
           みんかんせいふ

 投票用紙の文字は、すべてひらがな、もしくはカタカナの三六ポイント文字で書かれていた。
 政府は、自立を目指す若者たちを、「自衛隊に入りましょう」と同様な感覚で静かに仰ぎ立てた。繁華街の公衆電話には電話会社の広告のようにビラが糊付けされていたし、ポケットベルはコールを受ける度に「ジリツシヨウ! コテイシステム」と十数文字のメッセージが必ず表示された。携帯電話も同様なメッセージの音声が必ず流された。蛇足であるが、こういったメッセージの使用は違法でも何でもなく、すでにスポンサー付きの電話通信サービスが行われていた。スポンサーからの広告収入を得ることにより、電話加入者が支払う通信サービス費が劇的な低下を見せたのである。これは通信インフラにいっそうの加速をつけるための、イサオ・セキグチ率いる民間政府の呼びかけによるものだった。
 とにかく、この個庭システムは受け入れられたのである。親がきれいに染め上げた赤い髪の男の子は「これで自由にテレビゲームができるじゃん」と思ったし、女の子は顔が厚くなるくらいにファンデーションが塗れる! とか、「自宅をテレクラにして売春できるわ」と、密かに思っていた。通信のインフラは性的電話サービスをも加速する。年頃の男は、テレビドラマのようなワイルドライフがすぐそこまで近づいている! と考えた。そして大人たちは、手の付けられない娘たちと女房におさらばできることは何とうれしいことか! と顔には出さず、一見厳粛そうに受けとめた。
 この投票は後に、このシステムは、『世界一安く国を変える方法』として、ハウ・ウィ・ダニット誌において全ての誌面を費やして特集されることとなり、世界各国の国を変えたがっている自称『良識ある首脳』のバイブルとなる。
 この個庭システム条例では結婚することについて、以下のように記されている。
 ・基本的に結婚は存在しない。
 ・ただし、特例を除いては子供の生産を許可される。
 一九九八年にいなくなった母親の数は正確には把握されていない。個庭システムの施行される前であり、家族の形態がほぼ崩壊することが秒読みで待ち続けられた頃である。母親は、失踪、家出、そしてある時は死亡など、ごくありふれた自然な理由でその姿を消していった。
 次にあげる『週刊ダリア』で発表された記事は母親がいなくなったことに対する格好の事例である。
 四月二十四日・・オリンピック女子柔道代表の母親行方不明となる。三日間消息無し。家族で新潟県美浜海岸へ小旅行のおり、海岸で泳いだ後から母親が見つからず、日が沈むまで待ったが結局現れなかった。地元警察の出動、青年団の草の根捜索が行われたが、いまだ母親の行方は知れず。アメリカでのオリンピック代表に決定した女子柔道代表の○○さんは、悲痛な面もちで練習に打ち込んでいる。
 五月二十一日・・福岡医大にて精神構造の遺伝を研究中のアヤベ・クミ教授が食事に出ると昼に研究室を後にしたが、それっきり消息が不明。行き付けのソバ屋・信濃庵に入る教授の姿を目撃したという通報があった。また、大もりを食べているという通報もあり、教授が最後に信濃庵にいたのは必至とみられる。博士は精神構造の遺伝性をDNAとの関連を含め研究中であった。また、DNAによる疾病治療のように、精神とその性格も自在に変えることができるという、論文をアメリカ科学アカデミーに提出したばかりだった。
 また、後に『週刊ダリア』と合併し、新聞部門を受け持つこととなる総ページ三十枚の国内日報は、北海道版四月十四日号紙上にほんの小さく次の記事を掲載している。
 【函館発】牛追町三丁目に住む女性の消息が不明となっていることが八月二十四日、知人の届け出により明らかになった。その女性は本土の鑑別所において息子との面会を終えたあとに行方不明となっている様子。女性が本土からの帰省に利用した旅客機に乗っていたことまでは確かめられており、道内での捜索を続けている。
 母親たちがいなくなったことは、ごく普通のことであった。

 ♭ 3 母親たち

 一九九六年に開催され第百回を記念するオリンピック——期待されていたほとんどの精鋭たちは、マスコミの仰ぎ立てた能力を全て出し尽くすことはできなかった。新潟県出身の女子柔道代表選手も、金メダルを逃した。彼女は近い昔に国が侵略を行ったアジアの一国の選手の前に惜しくも敗退してしまった。彼女はまだ行方不明であった母親の写真の前で銀色に光るメダルを握りしめ、泣いた。
 誰もが彼女をたたえ、なぐさめた。彼女とは遠い親戚にもあたらない見も知らぬ人々は彼女の優勝が間違いないことをこぞって宣伝した。彼女自身は自分の能力を吹聴いたりするような性格は持ち合わせていなかった。彼女は真剣なのである。ただ柔道を、スポーツをやりつづけただけなのである。自分の進むべき道をただ歩いていたに過ぎないのである。ただ、宣伝する人々の心理は火事場の野次馬に似て常に恒常的である。彼らは自分たちが賞賛し宣伝するものに、それを自覚させることによって、一区切りの満足を得る。彼らは自分たちが宣伝するものに対する確証を欲したのだった。そして若き女柔道家は大衆という人々の意思統一を司るテレビという媒体のなかで日夜CMの女王となって現れた。彼女は自分の確実な勝利を純情な笑顔とともに吹聴せざる終えなくなったのだ。これは彼女だけに限ったことではなく、期待されるものはほとんどが多数の指示でチョコレートを溶かす熱いスタジオ照明の中で余計な労働を強いられたのである。
 人々——大衆の意思統一は全て何らかの媒体によって行われた。
 その媒体は何百通りもの仮想状態を創造することが可能だった。
 これが現実であった。
 媒体であるテレビ放送は多くの即席不眠症患者を生み出した。
 現在の『デバイス党民間政府内通信省付属TVC—TV・テレビジョン通信株式会社』となる『テルTV』は、一九九四年に合弁したアメリカメディア業界の大手『AMF—TV・アメリカ自由放送』と、通信衛星を十一機所有する『CWC—COM・ケーブル&ワイアレスコミュニケーション社』、そして同社が四十パーセントの資本金を出資する『NASS・アメリカ宇宙事業団』を交えた連携により電波の瞬断、障害のひとつもなく、バーグ・ホワイトのごとき、ドキュメンタリー精神にあふれたクリアな映像を他のクズ民間放送局のこれもまたクズのような番組を後目に、独占して流し続けた。
 とにかく彼らは地球の裏側にある国で開催されている平和のためのスポーツ祭典を、各競技種目に一チャンネルの衛星回線を与え、一日中二十四時間、一分の休みもなしに放送した。開催国が寝酒のワインを飲み、羊を数えはじめる時間であろうと、衛星カメラはときおり寝袋の中でうずくまっているレポーターにカメラを切り替えながら無人の競技場を映し続けた。偉大なアートの創始者ウォホールは一日中ニューヨークを撮り続けたフィルムを早廻しの映画にしたが、テル—TVとその合弁一派は、普通速で、それも十三日間立て続けで完全生中継を行った。
 アートと呼ばれる芸術と商業との間にはホンのわずかの違いも存在せず、共通項を見つけだすことのほうが子供たちを泣かせるくらいに容易なことだった。それらが創造される過程はどうであれ資本は金である。しようないことなのだ。
 大衆と呼ばれる人々は仮想気味な別の世界・次元を体験するために寝ることを忘れた。寝ること——就寝は、人の生理作用という糊付けされたラベルのおかげで、人間の持つ『欲』には組み込まれなかった。就寝は度々、食欲や性欲と肩を並べるくらいの心地よさを与えてくれるというのに——。
 テルTV——現在のTVC—TVが彼らの資産、コネ、空洞化のあげく、職人化された技術という全勢力をもって昼夜の殺人的放送作業を敢行しているころ、他放送局——受信料検収に力のほとんどを使い果たしてきた国営放送も含め——つまりTVC—TV以外の放送・通信メディアはニッポン国西地区で発生しつつあったある食中毒について報道していた。
 食中毒——従来のそれとはその性質が異なり、緩い便と脱水症状だけではおさまらなかった。その食中毒の原因となる菌は、今までの何百分の一というわずかな数で、血便から始まり、大腸の出血と腎臓障害をもたらし、発病後わずか三週間で患者の命を奪った。多くの医師はその未体験の病原菌に対する処方に戸惑い、そしてそこから派生する不安を覚え、一時患者が快方に向かった後、容態が急変し約二週間の集中治療の甲斐なく逝ってしまうことに眉間に冷や汗をたらしながら責任の所在を模索した。
 一九九六年にTVC—TVがAMF—TVとCWC—COMとの協力のもと、オリンピック中継を独占しているころ、地中、空気中、下等な生物中に生き残り、その耐性を確実に向上していった精子のような大腸菌は、大衆の腹の中で徐々に目を開きつつあった。
 付け焼き刃の対応や古い教訓、結果論に支えられた思想を後目に死んでいった患者は、全て小学低学年までの幼児と六十歳以上の高齢者たちだった。
 死んだ患者の数は、保菌者五千三百四十七人のうち、十八人だった。
 人々の口から漏れる悲劇の溜息は、二酸化炭素を吐き出すように口々からもれ出し、交通事故で破壊されたプライドがたどる末路に似ていた。
 連邦を破滅させた寒く赤々とストーブの火が燃える国で完全なる解放を求める地方都市とそれを武力で鎮圧しようとする首都との戦争では、その地方都市の人工の半分——およそ十万人が死んだ。
 国の精神的支えとなった神社には三万人の霊兵が行き場無くさまよっている。
 一年の間に一千人がガンで死んだ。
 そして十八人の小さく、そして老練な命もまた、大腸菌で死んだ。
 そしてある食品業社は裏庭のポプラの木に首をつって死んだ。バイオ牛肉は毒薬と同じ効果をもっていた。
 そのあいだにニッポン柔道家は銀メダルを握りしめた。
 けれど彼女は泣かなかった。
 現在であろうが過去の出来事であろうが、全てが、お互いが現実には存在しない対岸の火となって大衆は映画のように鮮やかな仮想現実を体験した。

 ♭ 4 イサオ・セキグチ

 『WC—COM・ケーブル&ワイアレスコミュニケーション社』はもともと名前のとおり、通信を基盤においた企業である。なかなか結婚をせず、五十になってようやく身を落ちつけた初代経営者であるビル・フラスコから数え、二〇〇四年の現在では四代目であり、ビルの曾孫にあたる三十五歳のマーレー・フラスコがトップに立っている。彼らの歴史は古く、一八六一年から五年間続いた南北戦争の中で、極秘にテレグラフ通信機を納入、調整をしたことから、その業績は始まった。WC—COMの業績の大半は軍事機密に関するものであったが、表向きは家庭用のブタの形をした電話機や、広告に人気子役マーク・ハーミットを起用したポップコーンメーカーをピンクの箱にパッケージして売っていた。また、二代目のハービー・フラスコはほとんど自分の五歳になった息子——マーレーの父親に当たるジョセフ・フラスコ——だけのために、バウー、とかアギャーだとかアウチ!、という言葉が間髪入れずに飛び交う子供向け絵本『アストロノーツの宇宙冒険』を新聞社に出版させ、それはすぐに舞台役者をひとからげ集めたラジオ番組となり、ジョセフの代にはテレビ放送にと切り替わった。これはコンピューターグラフィックを駆使したハイテク映像となり、現在でも十六年のロングラン放映を続けている。一九六〇年半ば、年老いた二代目ハービーと若き三代目ジョセフの二人は衛星通信事業に着手した。
 そして現在十一機のWC—COMのトレードマークであるアストロノーツ坊やが船体に描かれた通信衛星が地球を回り続けている。
 一九九五年、三代目ジョセフ・フラスコは、デバイス社社長イサオ・セキグチが座る部屋に世界各国への通信が全て無料であり、どんな非常事態でも特別優先権の与えられる通信回線、そして開発中である特殊衛星信号を利用した近未来サービスを受けるための信号解析・復元器をプレゼントした。これは『AMF—TV・アメリカ自由放送』を介した、テルTV——国内最大の民放局であり現在のTVC—TVからの賄賂といえるものだった。
 彼らがなぜデバイス社イサオ・セキグチに通信回線・そして特殊衛星回線を与えたか——?
 イサオ・セキグチは大のスポーツ好きだったのである。それは一九九六年に開かれるオリンピック観賞を目標とするものだった。
 イサオ・セキグチは外に出たがらない。
 それだから、オリンピックを見るために競技場へ行くことは論外であった。
 彼は社長室にはキッチンがあったし、常勤のコックに料理を作らせ、整然とした時間割にもとづいて、桧の決して黴びることのないバスルームでシャンパンを楽しんだ。シャンパンはきっかり二杯と決められていた。もちろん彼自身が決めたことである。彼の健康状態は一二〇パーセント良好で、一週間に一度の献血を欠かすことはなかった。
 イサオ・セキグチはスポーツを好きで愛しこそすれ、その運動能力は人並みかそれ以下であった。現在、彼がトップに立つ事業は父の代から受け継いだものであり、幼い頃の彼がなりたかったのは、どこかの社長のおかかえ運転手だった。しかし、彼は免許を持っていなかった。持たなかったのは、彼自身、自分にはそれを持つ運動能力がない、と確信していたからであった。もっとも彼は運転免許を持つ必要などなかったのだが——
 イサオ・セキグチは、自分の運動能力に限界を感じていても、プライドの高さは決して下降することはなかった。彼は常に、胸を張った態度と、上背の伸びた姿勢、力の入った目元、汗ひとつかくことのない顔と手のひらで高貴さを見せしめていた。自宅のグラウンドで行う三角ベース遊びにおいて、彼はいつも四番でサードだった。そして彼は常に予定をたててから行動した。
 小学生の時である。プライドが欠損しているとしか思えないジャージ姿の教師が夏休み計画表の提出をせまった。彼のとなりに座る将来は相撲家にしかなれないようなデブの男は、肥満児特有の汗で顔中をべっとりとさせ何度も手の甲で拭っていたし、クラス一可愛いといわれているくせに、ほとんど脳ミソのない楽天的な女の子は自分と同じ境遇の人を見つけるために盛んに首を回していた。小学生のイサオ・セキグチは教師の言葉を訊くと、特別仕立てで小さめに作ってあるランドセルの裏ポケットから小さく折り畳んだA2サイズの紙を取り出し、椅子を引く音も小さく教壇に向かい、
「先生、これの七月と八月のところを見てください」
 それは彼が去年の三月に吟味した一年の計画表だった。
 イサオ・セキグチは実に慎重な男である。子供の頃からそうであったように、かなり計画性を重んじる男である。それは祖父の次の代——つまり彼の父親から教育された帝王学によるものだった。その計画性、慎重さに加え、イサオ・セキグチはとばく性——だが決して打算的ではない——を持ち合わせていた。
 イサオ・セキグチの祖父は自分の息子を家内、外ともに厳格に育てた——つもりであった。丁稚奉公から始まった祖父は、商売の決め手を書き記した半紙を息子に与えた。
  一、 女遊びはしないこと。
  二、 賭事はしないこと。
  三、 数字は必ず検算すること。
  四、 お家やお客に気に入られること。
 この四つが記され、このほかに補足として、
  補一、 肉はあまり食べないこと。
  補二、 一日一回、ソバを食べること。ただし、揚げやてんぷらはのせないこと。
 が、補記されていた。
 しかし、息子——イサオ・セキグチの父親は、四番だけを守った——いい返ればほとんどの約束事を破った。ただし、三番に関してはほとんど廃止されても異論は無いものといえた。コンピュータを使う時代になってしまえば、検算は企業の中でもっとも非能率・非生産的な作業のひとつとなってしまったために、この約束事は自然と意識の中から昨日食べた昼飯のように忘れ去られてしまった。だが実際は、原価の入力ミスで、九千万円という金がふいになってしまったこともある。それは入社して一年にも満たない平社員が提出したプラント工事の見積もりで、数字を三桁減らして入力してしまったことが原因であった。イサオ・セキグチの父親は、自分の五年前に入手した絵画を一枚オーストラリアのルートに売り払いその損害を埋めた。
 見積もりを間違えた社員は、デバイス社ビルの清掃をしている会社に出向させられた。
 後にこの清掃会社は、国が唯一残した不要物のための出向先である『都市清掃局』——別名『ホウキ屋』となる。
 イサオ・セキグチの父親は、厳格な父親に反発して残された女と賭事に関して、トイレットペーパーを次から次へと引き出すように遊び回った。遊ぶことは非常に容易なことであった。彼にとって、女と賭事に手を出すことは、坊さんが肉を食うことと同じくらいにごく自然な行為だった。
 イサオ・セキグチには何人の母親がいたかわからない。生みの母、育ての母は常識で、まま母に自分より二つ年上のお下げ髪の母(イサオ・セキグチの父は彼女のことをお姉さんと呼ばせなかった。その点では厳格であった)、スナックのママ、銀座のママ、新宿のママ、ヤンママ、そしてこのママあのママと、アラブ人が見れば一夫多妻制がニッポンの新しい基準になったのかと思いかねないエジプトのハーレム状態となっていた。事実、イサオ・セキグチの父は自分でうちわを使ったことがなかった。しかし、彼は空調機よりもうちわの風が好きな男だった。彼はある意味で厳格だったのだ。
 イサオ・セキグチの父は息子に十本の指では数えられない母親を与えた。この母親の中の一人からイサオ・セキグチは生まれた筈なのだが、年を追うにつれてそんなことなどどうでもよくなった。日替わりで家で訪れる母親の前で、彼はよく三号とか二号さんですか、とか口にした。彼は彼女たちの名前を覚えることに自分の若く青い匂いのはじける労力を費やしたくはなかったのである。青い髪をした女は一号、手首に傷があっていつも幅の広いブレスレットをはめているのは五号だった。必ず店の制服——胸に『まるとみラーメン』という刺しゅうの入った白いユニホームを着てくる母は十二号で、いつも昼時、出前箱にチャーシューめんとシュウマイを入れて家にやってきた。イサオ・セキグチはこのラーメン屋の女を初めて見たとき、さすがに自分の母だとは思わなかった。父は息子に「お前がラーメンを好きだっちゅうから、お前の母親にしたんだよ」といった。
 ラーメン屋の母は三十四歳だった。
 亭主公認の愛人生活らしかった。
 イサオ・セキグチを取り囲む母親たちは、「イサオちゃん、何でお母さんたちのことを番号で呼ぶの? お母さんはお母さんなんだから『お母さん』って呼べばいいのよ」とよく文句っぽくなくいった。彼は自分がイサオちゃんと呼ばれることをはなからダメとはいわなかった、どちらかというと嫌だった。『お母さん』という件に関しては、問題外だった。どこの世界に十何人もの母親を持った子供がいるのだ——。彼にとって彼女たちの役割自体は母であったが、存在はただうっとうしい障害物でしかなかった。彼が許容できる母親は二三人だった。彼女たちは彼が幼稚園に入園するかしないか——そんな頃までに家に入ってきたものであった。彼女たちは彼が甘えたいときに甘えさせてくれたので、少年となった彼にとって、何かしら甘酸っぱい思い出がついてまわる。しかし、多感な少年期——小学校高学年、中学校、高校と進むにつれ、性的感心に否が応でも応じなければならなくなったとき、次第に母親という存在が汚らわしく、まるで知能をもたない、ただ肉体だけでこの世に存在する独り言の多い『酸素吐き出し/吸い込み魔』という、彼が独特に創造したイメージへと変化していった。時に水っぽい性格であり、かと思えば干物のようにカラカラで、少しの水気も感じさせない情愛を身体で示してみせる。次第に母親たちが家に来た理由が情愛であれ、究極は金銭面の契約であれ、結局は彼女たちを『女』というんだ、という点で彼の理論はとりあえず落ちついた。自分が通学しているエスカレータ式の学校で会う女生徒の将来を自分の母親たちに垣間みて、男として生まれてきたことが、とても幸運なことであることを感謝した。
 イサオ・セキグチは、素晴らしい母親リーグと父親のおかげで、大学に入る頃には女性への関心をほぼ失っていた。彼は大学のキャンパスでたがいに髪をいじくる女性たちを見た。ただ見ただけだった。
 イサオ・セキグチは恵まれた容姿を持っている。いい寄ろうとする女性は数多い。だがそれは『いい寄ろうとする』だけであって、実際にそうした行動をした女性はいなかった。彼の頭はその理由を考えることを思いつくまでにいたらなかった。
 そして彼は三十五歳の時に見合い結婚をした。彼はコンピュータオンラインで全国につながれている結婚相談所へ赴き、ウソの肩書きと年収(これは実に大衆並のものだった)を受け付けにいい、三カ月待った。
 三カ月の時間を焦りもせずに彼は待ち続けた。結婚相談所から『進展』の通知が届き、彼は封筒の中に入っていた八センチ×六センチの写真を見た。先の丸い襟をしたブラウスがやけに大きく見える細い首だった。
 封筒の中に入っていた案内書には、年齢は三十一歳、出身が熊本県であり、現在の職業は地方銀行でカウンターに座っている、そして趣味は読書と編み物だった。
 イサオ・セキグチが結婚相談所へ出向くと、対応してくれている担当者の女性が、見合い写真とデータ用紙の山に埋もれながらいった、
「あら、あなたごめんなさい——え? 何? どうでもいいけどダメなのよ——あなたの条件じゃね——うーんあの年収じゃ——」四十に手が届きそうな担当者は、フィットしないメガネをときおり直しながら、一人勝手に口を開き続けた。「とにかく、今のあなたは、まあ、いっちゃなんだけれど中流のなかの並、っていうところなの。そりゃ胸がこんなんだとか(といって担当者は手で山盛りの乳房を模す)、それから顔は細くて唇がセクシーでとか色々注文するけれどなかなかね——」担当者はそこで言葉をにごした。彼女には次の言葉が浮かばなかったのだ。しかし、彼女は明らかに、『こんな年収でね——』と、続けたかったのは間違いなかった。それを察したわけでもなく、イサオ・セキグチがいった、
「ボクはこの人でいいんです」
「あ、そう——やっぱりダメなの、困ったわね——、えっ、今何ていったの? 『これでいい』っていったの?——」
「『これ』じゃなくて『この人でいいんです』といったんです」
 担当者は一瞬顔を輝かすが、すぐに首を傾げた。「そう、困ったわね——」イサオ・セキグチはその顔に重要な隠しごとがあることを悟った。担当者の表情には京劇の要素が含まれていた。
「ボクはこの人でいいんです」
 担当者はしょうがないわ、という顔つきで口を開いた。「——あなたに送った写真なんだけど、少し修正してあるのよね。ほんとうはもっとソバカスが多いの」
 イサオ・セキグチにはソバカスなど関係なかった。彼は派手ではなく、静かで地味で、彼自身が憂いなく仕事ができ、家の空気を波風なきよう保ってくれる女性が欲しかったのだ。それに対して容姿は不要だった。
 彼がそのソバカスがあるという女性を結婚相手に決めたのは、彼女の三十一という年齢だった。
 イサオ・セキグチの祖父の結婚も、奉公先の旦那が持ってきた縁談だった。
 イサオ・セキグチの母は避暑先の旅館のまかないだった。実のところ、父親は彼女と結婚したことを後悔していた。しかし、息子——イサオ・セキグチに関していえば、どんな女を母に持とうと、それなりの子が産まれてくると信じていた。つまるところ、自分のタネは高性能と決めつけていた。
 感受性の強かった頃のイサオ・セキグチはそんな父が手の付けられない天然の野生児かバカに思えたものだ。
 結婚は彼自身がしきったが、父親は息子には極秘で産業スパイの任務を遂行できる専属の部署を使い、相手の素性を探り出した。その結果父親は息子に対して口出しをすることを止めた。女に対しては百戦錬磨を自負する父親も息子が選んだ結婚相手にケチのつけようがなかったのだ。はっきりいって拍子抜けの体だった。彼女は父親が経験上修得したあるべき女性の全てを満たしていた。
 イサオ・セキグチの父親が最終的に求めた女性は一言でいって、『パッとしない女性』だった。
 イサオ・セキグチは三十八歳を迎えたとき、筆頭株主の前で社長になることを宣言し、父親を引退させた。
 父親の業績は、数字だけを見ればとりあえずは毎年度の予算を達成し、利益は可もなし不可もなし、といったことろだった。その業績は、『まあ、並の社長ですね』と評価されるところであるが、彼の強欲さと男っぷりがよい、と評価されるであろう根拠のない判断力は、活気というメンタルな部分で割といい方向に会社を動かした。しかし、彼の事業に対するバクチ性は、株主はおろか、同社内の役員連中に、常に緊張感を与えていた。
 イサオ・セキグチの父親は、技術力の空洞化対策と力の確保の一端として、屋根がさびつき、壁の窓に板が貼ってあるような町工場を経営者と職人ごと買収し、彼らにしかできない超ニッポン的技術を自社の独占とした。そして数々のシリコンを生み出す化学工場を口先甘く手中にし、半導体生産独占の一歩を切り開いた。そこに勤める工場長たちの待遇は自らが涙を流して約束を交わしたが、彼らの大半は清掃会社出向かリストラで職を追われた。社長の演歌、任侠的な口約束に引っかかった末路であった。
 こういった手腕は社内・外から大いに買われたが、その偉大さから誰もが目と口を閉じざる終えなかったのは、ラブホテルの買収であった。父親は正妻以外の妻たち——イサオ・セキグチにとっては母たち——の数だけラブホテルを買収したのである。そしてホテルの最上階にジャグラー付きのペントハウスを建て、妻たちを住まわせた。
 イサオ・セキグチの母たちの内、何人かは何らかの理由でこの世を去っていった。彼が父親に対して、意外であり、口には出さずともいくらかの尊敬の念を持つところは、父親が彼以外に子供を作らなかったことである。そのおかげもあってか、母たちのしがらみは彼女たちの死をもってそれ以降引きずることはなかった。彼は引退した父親が母親九号との性交中に心不全で死んでしまうと、母親たちへの扶養義務に頭をひねった。が、それは簡単にことが運んだ。彼は何をする必要もなかったのである。父親は妻を捜す度に、妻名義の生命保険に加入していた。
 セキグチ家はみなある方面では厳格だった。
 イサオ・セキグチは死んだ母親のうち、墓を持たないものには墓を建ててやった。しかし、二度とその墓の前に立つことはなかった。
 父親のラブホテル買収は割と正解であったかもしれない——イサオ・セキグチはそう思う。彼自身ラブホテルを利用したことはないが、アミューズメント施設など、娯楽部門を扱うアミューズメント統轄本部での経常利益の内三割をラブホテルからの収入が占めていた。本部の担当部長の話しを聞くと、父親が自分の趣味で部屋の設備に色々と手を加えたのが功を奏したようであった。
 その設備の中のひとつに『プールベッド』というものがある。それはその名のとおりのプールがそのままベッドになったベッドなのである。水と肉体運動に対する耐圧を考えた準水族館仕様のプラスチックで出来た水槽のプールで、素敵なカップルたちは口からあぶくを出しながら水中で楽しんだ。この水は一回の利用ですぐに毛だらけになるので部屋の利用が終わる度に超高速ポンプで水の入れ替えをし、最後に塩素を加えてお客を待った。似たようなものには『シーベッド』がある。『シー』とは海のこと。大きさが長さ五メートル、幅四メートルの高さがプールベッドよりもいくらか低いプラスチック水槽の半分に砂浜を造り、残りには海水が張ってある。このシーベッドは、海や砂浜でしたいしたい、と思っているがなかなか大胆になりきれない恋人同士に、ロマンチックで開放的な仮想野外における楽しみを提供した。もちろん部屋には高性能スピーカーにより波の音が流れ、仮想現実の世界を盛り上げる。『プールベッド』、『シーベッド』ともにレンタル、もしくは販売用の豊富なデザイン、柄、サイズの流行を問わない様々な水着が揃えられており、試着や水着選びのためにホテルへやってくる女性同士の客も少なくなかった。高齢の男子に人気があったのは赤か白の越中ふんどしであった。
 イサオ・セキグチの父親は、野外だとか現実に存在しながら利用できない状況を好んでホテルの設備に取り入れた。野外関連ではプールベッドやシーベッドの他にターザン用設備や、無重力を体験する宇宙旅行設備があった。その他、変わり種では、『夜の企業オフィス部屋(ベッドはもちろんスチールせいの机かコピーマシンである)』や、実際の映画(快活なエロ映画がほとんどである)も見れる『映画館部屋』があった。こういった設備にはオフィス部屋なら椅子に座っている社員や、映画館部屋なら親子連れやカップルの客などの本物そっくりの人形があたかもそこに人がいるかのように備え付けられていた。それら人形の目は、利用客がどこにいてもトリックアートの絵のように絶えず視線は利用客を見ていた。
 イサオ・セキグチの会社は二〇〇四年の今でも父親が買ったラブホテルを全て所有している。
 イサオ・セキグチのプライドは服装にも現れている。大学時代にはフランスにオーダーした微妙なシルエットを持つ山吹色のスーツを着ていた。いつも彼は山吹色である。そしてダブルのスーツは着なかった。ダブルのスーツは太った腹を隠すためのもの、というポリシーがあった。七五三の時も自ら自分の衣装を選んだ。上着には三つの金ボタンが付いていて、ズボンは膝上一センチのスーツ——これもまた山吹色だった。また、小学校の入学式でも山吹色で、どんぐりの背比べの新入生を壇上から見上げると、彼の所在はすぐにわかった。他の新入生はみな、形はどうあれ紺色の服装だったのである。イサオ・セキグチの祖父は彼の山吹色好みを、幼くして老練な精神を持つ者、と目を細めながら評価したが、父親といえば、七五三のときに用意していた紫のはかま着てくれなかったことにえらく憤慨した。父親は紫色が大好きだった。
 イサオ・セキグチはいつも何かしらの長であった。小学校時代から委員長であり、四年生からは生徒会長であった。
 彼は自らそうなろうとは思わなかった——実際それは時間の浪費だけで何のメリットもない。まして学校の中で政治を行うこと自体がばかげたことだったが、それはとても楽な仕事だった。アヒルの群の中の誰一人、イサオ・セキグチの前で手を挙げる者はいなかった。
 なぜなら、イサオ・セキグチは金持ちだったからである。
 正確にいって、彼が金持ちなわけではない。その親が、家が金持ちであるだけなのだ。しかしアヒルたちにはイサオ・セキグチが金持ちだった。
 イサオ・セキグチはそれ以来——正確には幼稚園という集団生活に入った頃から——長になることが金持ちの運命であり天分なのだ、と悟るようになる。
 しょうがないなと皆の羨望を引き受ける彼の顔に不安はなかった。なぜなら、彼は金持ちであるのだから。
 イサオ・セキグチが大学へ進学する頃には消防車が血の虹をつくりだした学生運動は終わっていた。一人の尊い命を奪って、何グループかの残党をつくりだして終結した紛争の後、台頭してきたのは空前のシラケ世代だった。それは経済の歴史上、その発展が飽和を見せたときに必ず現れる世代現象と見られている。
 イサオ・セキグチもそういったお年頃であった。が、——
 ここで彼はニッポンに見切りをつける。父親の会社が電子式卓上計算機の爆発的ヒットを飛ばしたころのことだった。
 発展の飽和状態にあったニッポンの技術力は、ルーチンワークへと終結し、外的ショックのために現状維持へ力がそそぎ込まれた。この中で、たったひとつの知る人ぞしる技術が、数百万という夕飯のおかずにさえ困る人々によって、無数のクローン物体として具現化されていった。新しく入社した者に待ち受けていたのは、ただただ品数と日数を数え上げる作業であった。
 イサオ・セキグチの父親が経営するニッポン通信機器株式会社は稼働したばかりの半導体工場、そして電子式卓上計算機と、数多くの古くさい特許——それは自転車のタイヤでダイナモを回転させて電気をつくる夜間用ライトに端を発したものである——で揺るぎない地位を確保していた。だが新参技術者の力量の低下は確実の低下しており、かといって、会社の将来を危惧するものはいなかった。また、するものはいても口に出すものはひとりもいなかった。
「そんなこといったって、俺が定年の頃までは安泰だろうしな——」
 しかし、つけ加えねばならないのは、新参者の力量は大いにあり、そして各個人が未知数の能力を秘めていたのである。その能力を踏みつぶした大半の原因は、経済のしおれた時代のおかげであり、シラケ世代というマスコミ命名のマスメディア精神伝染病のせいだったのである。マスコミはその精神伝染病の症状をこうふれ回った。『週刊ダリア』からの抜粋——
 「最近の若者の間で広まっているシラケ風潮、これは現代社会が引き起こした精神病である。彼らをニッポンの将来を危うくするシラケ病にしたものは好景気を未来へと存続させる手段をとらなかったニッポン国行政府の重大なる過失であり、その大国に屈服するぞんざいな政治力と、生半可な国際勉強によるものにほかならない。政治は若者たちが未来へ担うべきその知力、能力、突進力を奪った。そして敏感な若者の心は政治の腐敗をたやすく見抜き、自分の住む国の知性を嘆き、自らの明るい将来を開拓していくその想像力を自らの手で放棄していったのだ。いうなれば・・・」——うんぬん
 イサオ・セキグチはMITに入学することとなる。
 彼は七十年代初頭、『将来における性格の物理化、そしてその相互接続に対する検討』、という九十八ページに渡る論文をテレックスでMIT学長あてに打電したのだ。イサオ・セキグチが父親の会社で夜十時から打ち続けた紙テープは、MIT内のテレックスマシンの周辺に、子供がトイレットペーパーでもひっくり返したかのように、約三十メートルに及ぶコンピュータ用紙をうずたかく積もらせた。
 テレックスマシンから吐き出された論文は、巻物のように丸められて学長行きのフォルダに納められ、MIT内のメール室から帽子のつばを真横に向けたメールボーイにより、口笛のバックグラウンドとともに配送された。
 この前触れのない論文がなぜMIT内部で読まれることになったか——それは最初に打たれている文章のためであった。
『——以下に打電する内容を読んでいただけることにより、わが社は貴大学への月五万ドルの援助をお約束いたします。
       ニッポン通信機器株式会社』
 そして最後には、
『——この論文の優秀さがもしおわかりいただけたならば、研究する精神を重んじる貴大学は、金銭、その他援助を受け取ることなしに当イサオ・セキグチを入学させるべきであります』
 彼の論文の評価は高かった。また、ウェブスターを改訂するには至らなかったが、その語彙の豊富さは、読むものを圧倒させた。
 イサオ・セキグチはMITでの学生と研究員としての生活を七年間続けたのち、帰国した。彼がこのアメリカ生活で得た知識は、後のデバイス社に対して確実に大きな利益となった。ただし、見聞という面において、彼は大いに不満であった。それは、人々があまりに宗教を崇拝しすぎること、そして何よりも家庭内の愛情であった。彼は同じ学生が財布やケース入れの中に、また、研究室においては、壁のコルクボードにピンで留められた恋人や家族の写真がうっとおしく感じてたまらなかった。
 だが、アメリカで結んだ貴重な友人関係は彼が企業を運営していく上で有益となった。
 キャンパスには将来エレクトロニクス——ハードウェア、ソフトウェアとも——技術において一端を担うであろう人物が育っていたのである。イサオ・セキグチが論争相手として、また、時にホットドッグや今月のピンナップガール(彼は最初、陰毛の下にあるものが何なのか理解できなかった。そしてそれがプッシーということも)を見ては「オーイェー」などと奇声を上げていた男たちのほとんどが、各自の分野における専門の研究院や、一大産業の基となる会社を設立した。彼がデバイス社の社長となってからも、その友人たちの交流は続き、彼らがニッポン法人の設立、また、その資本参加においてデバイス社は多大なる援助を惜しまなかった。

 WC—COM、テルTV——現TVC—TVがイサオ・セキグチに専用回線や特殊衛星回線の信号解析・復元器をプレゼントしたのは、単に彼のご機嫌を取るためのものほかならない。デバイス社は彼らの株を四十パーセント所有しており、イサオ・セキグチの判断ひとつですぐにでも買収されることは、明日が来るくらいに確実だった。また、彼らが業務にて使用している光学カメラ、通信設備、自社ビルの屋上にそびえ立つワイドレンジアンテナなど、事務用品を除いた全ての機器がデバイス社製のものだったのである。
 そして彼は自社関連の512ビットデジタルストップウオッチがオリンピックでの正式記録時計に選ばれなかったことに対して何の関心も示さなかった。彼いわく、
「そのために作ったものじゃない」
 そのとおり。『もの』は目的があって作られる。

 ある日、若いビル・フラスコはイサオ・セキグチに話したことがある。
「イサオ、ボクの家はみんな五十で結婚するんだ——そのほうが跡を継がせるときに調子がいいんだよ。跡継ぎの仕事が波に乗ったときにたいがいにおいて前任者はいなくなるんだ。それがフラスコ家のしきたりといってもいい。そして妻には社交界にもつれてゆかれないような女性を選ぶ。そういった女性は自分から家にいつくからね。彼女たちはあまり派手なこともしようとはしない。ただ宝石は毎月プレゼントしているよ」
「ビル、ボクは女性に対してあまり感心はないんだ。女性というより——何というかな——ボクは彼女たちの妊娠・出産という、その機械やコンピュータでは創造できない、まして代用などできない、その究極なメカニズムに興味を覚える」
「父のマーレーがいっていたとおりあなたは実に好奇心が旺盛な人だ。あなたは母親の代用品について——」
「うーん、ボクはもうそのことについては話したくはないな——かといってあきらめているわけではない。その代わり、ボクは生身の女性を徐々に人工化していくことを考えている。本社から離れて北方の島なんだが——」
「ああ、あの何年でしたっけ——一九四〇年?——アメリカはロシアのニッポンの侵略には賛同したが、領土の境界線をはっきりさせなくて後から問題になった島でしょう」
「そう——その島。ボクは思うが、植民地支配は中途半端じゃ後が困るよな。歴史的に見れば、戦争があった頃の植民地はほとんど解放されるという常識がある。それだからその時に署名を持って決めてしまえば良かったんだよ。」そしていった、
「全ては後の祭りだね」
 ときおりイサオ・セキグチをたずねてくる、かっては国を代表する産業であった自動車会社社長はすでに宅配会社との合併という、企業存続の道を選んだ。
 イサオ・セキグチにとって通信とは、郵便はもちろんのこと、自動車産業、交通路建設、そして宅配業者まで含まれた国の血管ともなり得る産業であった。彼はデータのみの通信によって市場が開発されとは考えていなかった。経済の重荷となってしまった自動車産業に救いの手をさしのべたのは、彼の計画上、必要であり、自然なことであった。
 それよりも前に——ニッポン国にはある『生産』が完全に停滞の道をたどっていた。
 経済を発展させるためには人工は不可欠である。しかし、その人工は確実に減少の道をたどっていた。

『首相当てにお便りをください』——その連絡は、メディアを通じた放送や、広告で毎日どこかしらで流れていた。それは市民の声を直接聞きたいという首相からの要望だった。
 首相イサオ・セキグチあてに接続されているテレタイプライター端末は、市役所や公会堂、図書館などといった公共施設には必ず設置されていた。だがその中には実際に首相官邸には接続されておらず、ソフトプログラムでテレタイプライターの画面上、あたかも接続されたかのように見せるだけのものもあった。
 その端末は消防、警察署、そして街に点在する交番にもおいてある。これは行政の下で働く者たちの自己PR用であり、彼らは何かひとつ手柄をたてる度——覚睡剤を使った電車での痴漢行為、地下鉄での不法移民逮捕——そういったわずかでも昇級につながりそうな手柄を個人の自由意志でテレタイプから首相にメールを送信した。
 イサオ・セキグチあてに首相官邸テレタイプライター端末まで届いたメールは、一日に一度回線を切られ孤立した状態——スタンドアローンとなってメール内容の解析が行われる。これは端末から侵入するウィルスに対してもっとも原始的な防御策であった。これまでにも何台かの端末は廃棄処分がなされてきた。基本的にメールの発信は自由であり、ある運動家からの脅迫めいたメールを受け取ることもある。こういうメールにはウィルスが混入されているケースがほとんどで、既存のウィルスに対しては、送信側端末でくい止めることができるよう、つねにセキュリティが改善されてきたが、そのウィルス解析パターンに合致しない新規ウィルスに関しては、それが発生した段階で、官邸内の防諜部によって解析プログラムの作成が行われてきた。
 首相官邸直結のテレタイプライターメールネットワーク構築しているアメリカ『ユニソフト社』は、自国の通信ネットワークインフラに追われていたが、社長と首相イサオ・セキグチとの旧縁から、官邸内防諜部内に二つの机を並べ、エンジニアを配置した。彼らの作業は現ネットワークの構築、増築、および障害処理であったが、大部分の時間は新種ウィルスに対する解析、攻防であった。ウィルス自体の破壊規模は着実に大きくなっており、各行政地区へと伸びた枝の中心となっているメインフレーム内の主記憶装置への損傷をもたらすまでとなった。その事故においては、複数用意されたサブシステムへの切替で被害はネットワークの十分間断という規模で終わった。そしてこれを機に首相官邸内のイサオ・セキグチのネットワークは、メインより完全に切り放され、単独で運用することにより、メインフレームへの干渉を抜本的に根絶した。しかし、防諜部に勤務するユニソフト社のエンジニアが最も危惧するものは、ウィルスによるテロであった。具現化された事例はまだ報告されていないにしろ、一部の研究資料が出路不明でユニソフト本社内で公開されていた。エンジニアたちはユニソフト社社長のテロウィルスに対する見解をつづった文書を、あくまで友人からの私文書として提出し、その口外を柔らかく禁じた。エンジニアたちも同様口を閉ざし平常業務へと戻ったが、最悪の事態を勘案し、当面、首相官邸へのネットワークシステムを全て放棄することが最善であると彼らは腹案していた。
 蛇足であるが、ウィルスとジャンル分けすることはできないが、アメリカにおいてこういう事件があった——。
 ネバーランド州に住む主婦が草の根ネットワークから料理のレシピを入手し、古い歌をハミングしながらその料理を試してみたところ、できあがったものは一口食べれば死んでしまう毒薬だった。
 いちばん賢い、と自負のある者は、決してネットワークの情報などTVC系列が発行するスポーツ新聞の『私のヌード』欄の職業のように信用しなかった。

 首相へ届けられるメールは全国から送られていたが、実際に開かれるのはB—1203地区からのものだけだった。その他のメールは首相の目を介さずにそのまま公共部へ回されるが、そのほとんどは丁重に記憶装置の片隅で磁気の中で埋もれ、または確実に消去された。
 B—1203地区からのメールのうち、ユニソフト社によるウィルス検閲を通過したものが再接続されたネットワークを通じて首相イサオ・セキグチの端末へと送られる。
 首相イサオ・セキグチは、十九時にメールを見る。彼は祖父の代から使われている幅六尺の洋机の上におかれた端末の電源を入れた。モニター画面には何の変化も認められない。彼はキーボードを叩く。八桁のコードをタイプした——「H5S9IRE0」彼はコードをつぶやきながらタイプする癖を直そうといつも腹に決めていたが、ついつい暗唱してしまう。
 モニターがプッ、という音とともに灰色の背景を映しだし、その上ふたつのウィンドウ——枠が一部重なって浮かび上がった。右には実行可能なタスクのリスト、そして左には関連企業や、個人的メール、各国首脳よりの公的メールが届いていることやその件数が表示された。そしてその中には『市民の声』と題されたB—1203より到着しているメールの受領状態も含まれていた。
 彼は市民の声に一度あわせたマウスをためらいがちに動かすと、個人用メールのテキストにマウスを会わせ、その着信メールの一覧の表示を指示した。メッセージが着信件数を伝え、リストが表示された。
 英文字の表題が並ぶなかに一列だけ、カタカナのものがあった。
〈イッチャン ヘ オシラセ〉
 彼はその内容を開封した。
〈イッチャン ウマクイッテルカイ. コンド ドウソウカイ ヲ ヤルケレド キミモ コナイカ. ボク ハ マタ ケーキ ヲ ヤクンダ. コレ ヲ ヨンダラ ヘンジ ヲ オクレ.
                ハル〉
 『ハル』、というのは男の名前である。イサオ・セキグチが小学生の頃の同級生で、中学校まで同じクラスにいた。個人用メールのなかに投函してくる人々のなかで、ニッポン人はハルだけだった。ハルの家は代々洋食屋を営み、今ではその店の主人となっている。個人用メールあてのアドレスを知っているものは、少なく、ニッポン人はハル一人だけだった。彼がハルにメールの宛先を教えたのは三年前のことだった。
 ハルの洋食屋は湾へと流れ込む川の下流にある北側のC地区にあり、この地区は一九九〇年以前から街の雰囲気は悪く、年少のものによる犯罪が頻発していた。その犯罪数は年々増加の一途をたどっていた。イサオ・セキグチが民間政府の首相となったときには、駅前に面する商業地区の、関西に本社のある大手スーパーで爆弾テロが発生し、買い物客、店員あわせ約三百八十人の死者が出た。歩道、車道に飛び散る血にまみれたガラス、そのなかにボロボロに破けた服をまとい倒れ込むしわくちゃのナスビのような人々がいた。そして爆発点付近で大破し、崩れ落ちた建物の外壁跡は、戦車の砲弾に穴を開けられたロシアの会議場を連想させた。その景観は、テレビのニュースで報道していたレバノンやボスニアでの惨劇を思い起こさせた。その違いは土のうの有無でしかなかった。
 人間同士の中で欲以外の行いの共通点を見つけることは難しい。が、惨劇はみな同じ様な様相を見せつける。
 首相イサオ・セキグチが、官型政治よりは能率の良い会議を夜七時半に終えて現場を視察したとき、夜勤で泊まり込みの警備員たちに夜食の仕出し弁当を配っていたのがハルだった。店の名前の書かれた岡持を両手に抱え、店から連れてきたらしい男にアゴをしゃくって指図をしながら、二手に別れて弁当を配っていた。
「あれ、あんたどこかで見たことがあるな?」それがイサオを見たハルの第一声だった。ハルはイサオに弁当を手渡そうとしていた。弁当は岡持の中で激しく揺られたせいか油が隙間からはみ出し、箱全体がベアリングのようにぬるぬるとしていた。
「食事は済ませてきたからけっこうです」イサオはいった。ハルは弁当を片手に持ったままイサオの顔を眺め続ける。
「ん——、誰だったかな?」
 そうしたところへ、イサオの側に立っていた都知事が、セキグチ首相——、と話しかけはじめると、ハルがすっとんきょうな声で、イサオの顔に向かって指を指しながらいった、
「おお、いっちゃんだ! いっちゃんじゃないか!」イサオは目の前の男の正体をつかんではいなかった。イサオは目をこらしてハルの顔を凝視する。金持ちはつらい——イサオはそう思った。金持ちは同時に有名人であり、自ら知らない振りはできても、他人は見逃さない。そう金持ちの辛さを自覚しながらも、彼は目の前の男の顔を見続けた。「おれだよ、おれ——ハルちゃんだよ、小学校や中学校のときにいっしょだったじゃないか、覚えているかい——」そしてハルはニッと歯を丸出しにして笑った。前歯が一本なかった。イサオは何か頭の中でひらめくものがある。そんなイサオの記憶をよみがえらせたのは、ハルの次の言葉だった。
「ほら、うまいケーキを食わせてやったじゃないか」
 イサオは思い出した。舌で歯をなめると、今にもあのザラザラとした砂糖の感触がよみがえる。「ハル——ちゃんか」ハルのあとに続くたどたどしい『ちゃんか』の部分で、所在のない手をパントマイムのように動かしてしまった仕草は、こういう対面に馴れていないことを性格俳優真っ青に体現していた。
 横から都知事は口をはさむ。「——セキグチ首相、対策本部はあちらです——」
「へぇ、いっちゃんは首相になったんだ。それじゃあの議事堂だか皇居だかに住んでるんだろう?」
「皇居は皇室のものだ。それに議事堂は仕事をするところで、家は別にある」
「へえ、そうか。でもすごいな——首相なんだ。でも国でいちばんおえらい人は天皇さまだよな」
「うん、ボクたちはうやまわなきゃいけないな。ところでこんなところでなにをやってるんだ?」
「うーん頭が悪いな、いっちゃんは。弁当を配ってるんだ。夜食だよ、だから君にもやるよ」イサオが食事を済ませてきたのでいらないと、頭の中でまた返答を組み立てている最中にハルはいった、「——ああ、金のことを心配してるんだないちゃんは。大丈夫さ、こっちも商売だぜ、あとからまとめて伝票を警察の本部長さんに出しておくから」
「そ、そうか大変だな」適当な言葉がイサオの口から勝手に出た。
「いや、大変でもないさ。こんな火事場泥棒みたいなことでもしないと金はもうからないよ」——都知事が『首相——』、とまた口を出す。イサオは都知事の横槍がなくても会話を早く済ませたかった。が、なぜかこのハルちゃんをそのままにしておくわけにはいかない気持ちも働いた。「ああ、あんたもどうだ、ほら、一個もってけよ」ハルはそういって新しい弁当を取り出し都知事に差し出した。
「いや、先を急ぐので——さあさあ、首相急ぎましょう」都知事はイサオの横腹を優しく押した。
「ああ、そうだな、それじゃハル——ちゃん」
「なんだ、もう行っちゃうのかい、忙しいんだな、あ、そうだ連絡先教えてちょうだいよ」
「ああ、——」イサオは裏ポケットから個人用名刺を取り出した。この名刺には彼の職業や肩書きは印刷されていない。ただ、イサオ・セキグチという名前と連絡先——メールアドレスが記されていた。「——ここに連絡を——ください」
 ハルはにっこりと歯を丸出しにして、「おお、わかった!」彼は旧知の友の頼みを心して聴いた、という体で、片手を後ろに残った手を力強く振りながらガニ股で去っていった。
 この後からメールはよく受け取るが、ハル本人と顔を合わすことはなかった。
 ハルはイサオ・セキグチと割と親密に話しをした数少ない男の一人である。ハルは変ではないが、周りの友達からはバカだといわれていた。たいがいのものは普通ではない金持ちというだけでイサオを敬遠したが、小学二年生のハルはあっけらかんとイサオ・セキグチの前に立ちはだかって虫歯で真っ黒になった歯を見せびらかしながらいった、「こんどうちのケーキを食べにきなよ」
 中学生のとき、イサオ・セキグチはハルに訊いたことがある、なぜケーキを食べに来いといったのか——。ハルは答えた。「だって君はいつも不機嫌そうな顔をしていたからさ——美味しいものを食べれば楽しくなれるからね」
 ハルの家で食べたケーキはイサオ・セキグチにとって美味しいものではなかった。イサオの家は常勤、または非常勤で雇っていたフランスやイギリス、中国など、諸国からのコックによる『世界の食事見本市』の様相であり、彼はたいがいのものを食べ尽くしていたのだった。ずんどうのコック帽を被る職人が作ったフランス製ケーキにくらべ、ハルの店のケーキは、生クリームを使っていなかったし、バターは溶けず、砂糖の粒が歯の上でざらつくくらいの甘さであった。
 ハルはやっぱりバカだったんだろうか——ハルはバカだったのかもしれない、同じことをふたつ同時に考えることができないという点においては。それともふたつかそれ以上あるうちのひとつしか考えないバカなのか。彼はハルの顔を思い出そうとした。浮かんでくるものはやはり、真っ黒のみそっ歯だった。ハルは中学校を卒業すると、私立の調理師学校に入学した。イサオ・セキグチはハルからのメール全体を目で見渡しながら、返事の内容を思案した。思案した結果、彼はそのメールを削除した。
 その他のメールはどれも似たり寄ったりの内容が予想された。友人あての雑談で覆い隠されたメールの究極は、事業援助や開発援助を願うものであった。
 ハルはバカであるが、彼のメールがいちばん優秀な内容だった。
 首相イサオ・セキグチは『市民の声』のリストを開いた。
 B—1203地区からのメールには、みなさんのどんなささいな意見でもおよせください、という表看板を真にうけた言葉であふれかえっている。
 ・清掃局の掃除道具を電動に替えて。
 ・名前はいえませんけれど町会役員がお中元を要求するんです。
 ・となりのブロックの犬がうるさい。
 彼はこういったメールをすべて捨てる。彼が首相直結ネットワークを構築したわけは、ただひとつの、ただひとりからの情報を得るためであった。
 モニターに『DIANA』という文字が映し出された。

(続く)



共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。