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仮題:バイバイ・ディアナ 2 [仮題:バイバイ・ディアナ]

【2回目】

(すべては、
 ・まぶたの母のために
 ・そして○▲□のために
 ・さらに生き残ろうとする☆のために——
 これはあまりにプライベートな話しである
      ——モーガン・サザーランド
 誰が彼女を火星人と信じるだろう?
      ——マーレー・フラスコ
 そんなのまるで学芸会じゃない?
      ——バンドシンガー・ナディア)

♪ 2・トマト、岩、綿花——そしてラダ

 ♭ 1 はじめに・・・

 ぶっちゃけた話し——わたしは宇宙から話しています。がっかりしました? ああ、くだらない話しだろうなと思うでしょう。でもわたしはまじめですね。
 わたしはようやく自分の仕事を完結することができました。
 わたしの仕事は他人のプライベートを犠牲にすることで完成しました。それであるから、この物語は、ほとんどが罪のない他人のプライベートについて語っていくことになります。
 わたしはじゅうぶんにひどい人間です。他人のとてもプライベートな秘密を語る男を誰が素敵な人というでしょう!
 これは他人のあまりにプライベートな物語ですが、それには他人が想いをよせる女性が大きな役割を果たしています。
 そんなもんだ。——ときに片思いはとても人間を落ち込ませ、ときにふるいたたせます。
 それでははじまり——

 ♭ 2 トマトへの回帰

 それはとても間違いのないことだった。
 彼にはテーブルの上のトマトがまるで好きな娘の顔に見えたのである。好きな娘の顔であることを確かめようと、トマトを見続けていると、次第にその姿はその娘の姿そのものになってきた。

 地球は地殻というものでおおわれ、その中にはマントルという何者も触ることのできない非常に熱い泥というか土というか鉱物が永久機関のようにどろどろとうねっている。
 そして地球の上に立つ人は皆トマトなのだ。みな柔らかい肉でおおわれているが、その中のはほとんどが水分だった。
 トマトが好きな娘に見えて当然だった。そして彼は頭の中でトマト語をしゃべりだした。
 トトトト、トマート!
 トートート、トマァト?
 以上がトマト語であるが、最後の『!』や『?』でそれがびっくしたことや疑問を表すことはわかるでしょう。

 この惑星には火星人がいる。それはディアナと呼ばれた。可愛い娘であるディアナは、インドネシアの女性を母に、ニッポン人を父に誕生した。可愛い娘であるが、大方の考えでは、あまりに世話を焼きながら育てているので、将来はアルコール好きなとんでもない女になるだろうという噂もある。お説ごもっとも!
 ディアナは火星人であるが、地球という惑星に住み着いている動物たちとまったく同じ生体を持っていた。これは当たり前の話しである。すなわち、
「人間の間で生まれたんだから人間に決まってるじゃん!」というわけです。
 じゃん・じゃん!
 とっても小さな彼女は、火星生命の正体を突き止めに来たアメリカの退役軍人に「自分は地球の人なのよ、おじちゃん」といえなかった。というわけでこうである——
「そんな赤ん坊に自分が『なんとか人』かなんてわかるわけないじゃん!」
 そのとおりである。彼女は二ヶ月にもとどかない赤ん坊だった。人間が自分の人種を意識するとき、それは国際社会への貢献という義務を完全に破棄するときでもある。なぜか? 自分の国ができて、その国——つまり自分の大事な持ち物を人にあげたがる子供がどこにいるのだろう。あるときテレビゲームに疲れた子供がいった。
「おれ、○○に生まれて良かったよ、ママ。だってこいつ(ゲームのことである)ができるんだもの」
 ○○の中には国の名前が入るのだが、たぶんここには二つの国の名前しか入らない。それはいったい何という国か?——考えるのはよそう。たぶん朝が辛くなるだけなのだ。これに対する励ましの言葉——
「考えたってしかたがないじゃん!」

 火星人の母親であるナディアはインドネシアのある町で歌っている。彼女は日本でも働いたことがある。その彼女が日本で最後にした仕事は、ヌード写真集を出すことだった。
 ディアナが火星で育っていたころ、彼女の父親は失業中だった。以前にいた会社を辞めてしまったばかりだった。彼は休養中だった。入院でもしなければ取得できないであろう一カ月という暇な時間を楽しんでいる最中だった。彼が火星にいるあいだ、彼の銀行口座には毎月マーレー・フラスコからの振り込みがあった。それは彼が後から知ったことだ。フラスコ氏が考えるに、その金はアユムが火星上で普通の人間なら耐えられない、あまりある時間を食いつぶしたことに対する報酬だった。彼の名、つまりディアナの父親はアユムといった。そしてナディアとアユムはおたがい夫婦とはならず、何事もなかったかのように火星でくらす前のようにそれぞれの国で生きていた。
 ナディアは悲しみを抱え、アユムは少し大人になった。——ただそれだけのこと。そして二人に共通していることは、ディアナのことを決して忘れてはいなくとも、そのことを口にするのは止めていた。
 ナディアは失業中の男と好きで寝てしまったわけではない。それは自然の成り行きだった。男と女のそれには不自然という言葉は存在しますか? それがあまりに自然な行為であるためにこの惑星は繁栄してきたのです。
 今のアユムは失業中ではない。彼は契約社員となって元の会社の下請けに勤めていた

 ディアナは三歳になった。彼女は地球語のうちの英語といわれる言葉をしゃべっていた。彼女の姿は、皇室や王室の子供が言葉をしゃべりはじめたり歩けるようになった姿をスクープされるように、何かの進化——それがほんとうに小さなことでも——を見せるたびにテレビの映像や森林を切り開き出版される雑誌に掲載され、地球人に紹介された。

 ちなみにそのテレビをはじめ、あらゆる電気的、電子的なネットワークのほとんどはWC—COMにより提供されていた。そしてそのシェアは日毎に拡大していった。
 また、WC—COMのネットワークの中核となる、アヒルの形をした衛星のコンピュータに搭載されている画像同期チップは、ディアナの父、アユムの生まれ故郷にある工場で生産されていた。一九九五年から稼働しているその世界的企業の工場がアユムの生まれ故郷に対してもたらす利益は、公共費と税金意外にはほとんどなかった。完全なオートメーションで稼働する工場に人材は不要だった。工場誘致で何百人の雇用達成を皮算用していたタヌキ顔の市長は、市民に対して平謝りするだけだった。そして彼は次年の市長選で敗退することになるのだが、産業のない地方は悲惨である。稼働以来工場が人員募集をしたのは、守衛が退職したとき、それ一回きりだった。
 技術は未来の子供になんらの光や利益も与えない。人はますます少なくなる。子供の減少は人間の本能によるものだ。
 今の子供はいうだろう——「将来なんかわかるわけないじゃん」である。

 アユムの故郷の人びとは、その工場が半導体を製造していることを知っていた。それは本社からのリモートコントロールによって、クリーンルームに据え付けられた機械から吐き出される——そのなかのひとつが画像同期チップだった。だが人びとは、工場の中に人体を含めた物体輸送を可能にする、てっぺんに電極の取り付けられた巨大な試験管があることを知らなかった。
 アユムはそれを知っていた。が、それを口にすることはなかった。その試験管のなかからWC—COM社の会長であるマーレー・フラスコが素っ裸で現れ、その試験管で火星に送られた。——それについてしゃべったところでどうなるものだろう? ほんとうに自分は火星にいたのだろうか?——アユムは自分が経験したことが現実にあったのだと信じながらも、同時に信じられなくなっていた。自分は火星にいなかった——意識不明のままどこかで眠りこんでいたのか、——実際にどこかへ行っていたのだとしても、そこは地球のどこかで、たとえば家の近所にある父親の葬儀をした公民館のなかに閉じこめられ、自分は火星にいるのだと信じこまされていたんじゃないか?——そこで出会った女性が元タレントの外国人というのも、都合のいい自分勝手な夢みたいじゃないか! ディアナが誕生するきっかけとなった一夜も、眠っている最中に果ててしまう夢精ではなかったのか?——
 アユムとナディアが火星で行った異性間のなかでもっともプリミティブな行為と、その結晶がディアナであることを知っているのは二人いた。
 その一人はマーレー・フラスコであり、他の一人はモーガンであった。
 アユムはモーガンの行方を知らない。モーガンはナディアに会いに行ったときに遭遇した暴動のなかに巻き込まれた。その後をアユムは知らない。

 ——しかしアユム、君はほんとうにいたのだ。火星に! そして、——そしてわたしがそのモーガンなんだ!

 わたし——わたしの名はモーガン・サザーランドといいいました。それはわたしが地球と呼ばれる惑星上での通り名だった。わたしにはたくさんの親戚がいた。わたしにモーガンと名前をつけてくれたのは、十二人いた叔父のなかの一人だった。叔父を含め、親戚のほとんどはなくなっていた。わたしは今宇宙のなかを漂っている。だがわたしは、わたしより先に時間を放棄した叔父をこの宇宙で見かけることはなかった。アパートの屋上から落ちたわたしを狂ったように抱き上げた母親の姿も見ることはなかった。彼女は一年前まで生きていた。彼女は盗難車にひかれて時間を放棄した。近くに見える白いもやに包まれている惑星は地球である。
 アユム、君は心配することはない。
 記憶はあまいなものだ。

 つまりトマトである。
 彼が食卓に並べられたトマトを見て好きな娘の顔を思い出したことは、アユムがもつ概念を常識として支えていたなにかがゆるみはじめた兆候でもあった。彼はこれからゆるみはじめる。ゆるんだからといって、アユムは機械のナットではない。だがどうだろう、わたしにしてみればアユムを含め地球上で生活している全ての宇宙人がボルトやナットに見える。彼らは一生懸命にお互いを締め付けあわせる。わたしが火星で見たことのあるアユムはそうではなかった気がする。あのときの彼は火星人であったのか。だがわたしに火星人の友達はいない。本当にいないのだ。
 アユムの概念を支えていた常識はある方向へ向かいはじめた。彼は本能的に、それとも変質的にそれを求めたのであろうか。たぶん、そのときの彼の方向転換を支えていたのは単純な『郷愁』からだった。
 もう一度いうが、アユムは断じてナットではない。だいたいの地球人はナットになる前に機械化されていることが多いからだ。本来、彼らの姿はトマトだった。
 アユムはトマト化しつつあった。それをわたしは見届けなければならない。
 みずみずしいトマトのふりをしながら、彼は自分に絶望しつつあった。ぷりぷりとしたトマトの皮の中は化石化しつつあった。アユムはその結果、自分の存在を消すことになるのだ。

 死人のわたしはナディアやアユムの悲しみを知っている人間でもあった。ただわたしは未だに自分のことを、あの世の人間であると認めることができない。わたしの頭のなかで一時の記憶が欠落しているのだ。その記憶とは何か?——それは自分の時間が消えてしまったという記憶である。わたしの時間は消えてしまった。そして新しい時間が手に入った。速度がゼロに等しい時間だった。星と過ごす時間はとても退屈だ。
 ある暴徒が投げつけたブロックが偶然にわたしの頭にぶつかったとき、わたしは自分のほとんどが水分で満たされている肉体から投げ出されてしまった。わたしの魂と肉体を結んでいた超常的な糸は簡単に切れてしまった。
 わたしの額には血がこびりついている。それはつまり、わたしが肉体から離れる瞬間にわたしの肉体が持っていた特徴をそのまま受け継いだ結果であった。あと十分だけ肉体とわたしを結んでいた糸が切れるのが遅ければ、今のわたしは首なし男だった。なぜなら、わたしが倒れた十分後に、わたしの頭は軍の戦車にひかれてペチャンコになってしまったからである。これはほんとうに幸いだった。わたしが入り込んでいた肉体は、十ぱひとからげの無縁墓地へ納められている。アユムがわたしを見つけることができなかったのも無理のないことだ。ほんとうにわたしの身体は首なし死体だったのだ。
 もう少しわたしの話しをしたいと思います。わたしはたぶん——いや、確実にさみしいのだろう。このあたりにはわたしの話し相手をしてくれる人がいないのだ。
 自分が肉体から離れてしまったことに気づいたとき、わたしはほんとうに悲しくなった。涙すら流した。わたしのこぼした涙は太陽のまぶしい光を受け、星となって地球を取り囲む空に浮かんだことだろう。ひしゃく星が、わたしのニッポン人に較べれば大きな目から落とされる涙の滴をすくい、それはさそり座のはさみにはさまれ宝石となりました。わたしはアユムに負けず劣らずロマンチストであった。特に今は。たいがいの人間も独りのときにはロマンチスト化するのだろう。
 今ではどうだろうか? わたしはやっと自分の目的への道が目の前に開いたのだと思いはじめている。それは何か?——それは火星宗教の発展である。わたしがアパートの屋上から落ちたときに見たペトロがわたしに頼みたかったであろうことを今からならかなえられそうな気がするのだ。世の中がすべてウソであることをわたしは知っている。キリストを否認したペトロは誰よりもキリストの復活を望んでいた。その復活をわたしはウソの火星人創造計画に賛同することで応えた。どういった形であれ、ペトロが——というよりも地球人が望んだものは地球的規模を越える救世主だった——か?
 そんなことはない。正直にいって、わたしは目的を遂げてから、火星宗教に興味を失っていた。もともと火星宗教は、選ばれた畑のようなものだったかもしれない。
 そんなわたしが最近興味をもつようになったのは、みずみずしいトマトである。地球を間近にみたとき、地球はトマトだった。たいがいのものは中味があって殻がある。そしてよっぽどデリケートに作られている。
 それでもたしかに、わたしは自分が創造主であるような思い上がりを感じるときがある。
 今、わたしは地球外から地球を覗いている。
 ほんのわずかの疑問——。
 宇宙のなかを漂っていても、創造主に出会うことはない。少なくとも今まではそういった機会に巡り会うことはなかった。わざわざそういわせていただくのは、わずかながらでもわたしは『創造主は宇宙にいる』と思っていたからだ。
 そしてもうひとつ。わたしはあいかわらず親指を鼻の穴に突っ込んで『BOO』とやっている。誰も見ていないのに。これは癖だった。

 わたしが関わった火星人創造の成功は、そのほとんどが一企業の技術力によるものである。マーレー・フラスコ独りによる力だった。彼は偉大なウソつきである。ディアナは一企業がつくりあげたウソの火星人だった。
 はたしてマーレー・フラスコは詐欺師であろうか。彼にいわせれば、「すべては仮定からはじまる」のである。彼は『ウソ』という言葉を使わなかった。そのかわりに使った言葉が『仮定』なのである。
 イサオ・セキグチはウソをつく政治家だった。ただ彼はウソをつき、それを丸く納めることができた初めての政治家だった。それは重要な違いであった。
 マーレー・フラスコはその力を息子のビル・フラスコに引き渡しつつあった。ビル・フラスコはのちのニッポンの首相イサオ・セキグチと同じ世代といってよかった。ただ、文化的世代の共通性は二人に対しなんら意味をもたない。多くの人が差別化された世代の間に国を越えた共通性を見いだしたがる。が、結局はただのレッテルにすぎない。ここで同じ世代という説明をしたことは、この二人の年齢が似通っている——それだけのためである。
 いずれにしろ、この二人には、おのおのの国を代表する機会が与えられ、それに従順することになる。
 結局世の中って金じゃん!
 親のナナヒカリじゃん!
 また、アユムもまたこの二人に関わることになる。アユムは優柔不断に見えながら実は意固地だったのである。彼がもっとも苦手だったのは恋をすることだった。
 アユムはトマトに戻ろうとしている。『戻る』なんてそれは退化じゃないか?
 ——ご名答! アユムは化石化しつつあった。

 ♭ 3 止まったラダ

 中央アジアである。
 そのなかにあるウズベキスタンという国のある町で——。アユムはそこで冷や汗をかいていた。
 となりの国、タジキスタンで起こった内戦は、徴兵されている市民の血を熱くたぎらせる。
 アユムは一介のエンジニア、つまり日本ではサラリーマンだった。しかも臨時雇いの。
 彼はクーラーのきかない車のなかで熱にうなされていた。病気ではない。腕と足の骨折による熱である。汗はべったりと額に髪の毛を貼り付けた。彼は車の後部座席で骨折した足をフロアに放り投げ、骨折した腕を腹の上におき、力無く横になっていた。ビニール貼りのシートにはプールのように汗がたまっていた。
 その車は首都を目指していた。確かに目的はそうであったが、今はただ首都の方角を向いているだけである。怪我人を乗せながら車は止まっていた。アユムの他にも男がいた。開け放した運転席のドアの側でただ遠くを見ている中太りで背の低い男。
 その男の名前はナビといった。彼は通訳兼ドライバーだった。彼は今では鉄の塊となってしまった車を恨めしそうに見た。

 その車の名前はラダといった。ラダはロシア製自動車の名前である。
 アユムとナビ、そしてラダが立ち往生している国はウズベキスタンといった。この国の主生産物は綿花である。それはバーター取引の材料ともなっていた。シルクロードのオアシスであったその国には岩山が多かった。ラダが止まってしまった場所はアフガニスタンの国境沿いにあるテルミスという都市と次の都市カルシを結ぶ道の真ん中あたりだった。その一帯で見えるのは道を挟んでいるいびつな岩山だけだった。その道沿いにヤギの乳を売る幼い子供がいた。売り子はうれしそうに手を振る。
 ラダは自分の生まれ故郷のなかにいた。以前のラダは鉱物だった。彼は今、自分の元素を生んだ故郷に帰ろうとしていた。しかし、かわいそうなラダは故郷である岩山と同化することはできなかった。
 人工的に鉄にされ、油にまみれたラダは物理的につながりのある岩山に囲まれながらも、そのままさびつき癒えることのない惑星の表面にできたニキビとなって永遠に残るのだ。
 ラダの死因はナビの父親と同じだった。彼の心臓であるエンジンの内部には粗悪なガソリンを使い続けられたために真っ黒なカスが幾層にもたまり、それが内燃機関としての機能に致命的な欠陥を与えてしまった。ナビの父親の死因は肺ガンだった。
 ラダには愛する人が必要だった。
 が、ナビはラダよりもパンを愛した。彼にとってパンは神と同じだった。彼はパンを裏返しにおく息子を手厚くしかった。ナビが息絶えてしまったラダを見て考えたことは、
「ボルガにしときゃよかった」——である。
 ボルガとはラダより造りの良い車で、荒れた道でもクッションが効いて乗り心地が安定している。彼は多少精製の悪いガソリンも受け入れる。そうしたことのできないラダはデリケートな車だった。繊細なのである。
 わたしはラダを救う決心をした。

 ナビはいった「ちくしょうこいつは直らないな」
「ナビ——ここはどこだ」アユムが平坦な英語でいった。その問いナビは答えなかった。その代わりに、「心配するなボス」——ボスという言葉は人を敬う意味においても、また、さげすむ意味においても使える応用の利く言葉である。むかし、わたしの爺さんは旦那に向かって『サー』といった。爺さんを含め何人の人々が旦那を敬ったろうか?
 ナビの使う『ボス』という言葉は、彼の徴兵経験によるものだった。二年の徴兵期間のうち、最初の六ヶ月をディザックの軍学校で過ごし、その後は国境沿いを転々とした。彼が軍として経験してきた当たり前の訓練の他に学んだことは、いくら年をとった人間——たとえば自分の三倍もの人生をかろうじて生き抜いてきた人間でも、アメ玉をもらっただけでよろこぶということだ。
 ナビはトランクを開けるとパンを探した。トランクのなかは、ニッポンでいう市場に似たバザールで買ったたくさんのパンや果物が、主人であるアユムの荷物を覆い隠すように詰め込まれていた。地方では首都の四分の一の値段で食料を購入することができた。アユムの場合、ホッカイドウでありながら、名産といわれる海産物をほとんど口にすることができなかった。彼が食べていたのはタラやイモである。ホッカイドウの人間なのだからイクラばかり食べているのだろう、というのはほとんど伝説に近い。それは迷信である。余談であるがタラをブタの餌と呼ぶ人もいる。タラは穀物にたとえればヒエや粟かもしれない。だが国によってはそれらはメインディッシュの立派な添え物になっている。

 アユムがウズベキスタンの岩山のなかで額に汗を浮かべながらうなっているとき——
 ニッポン国首相イサオ・セキグチは734便のタラップを踏んでいた。広いグラウンドにコンクリートを敷いただけでどんな設備も見あたらなかった。カバンを上下左右を無視して山のように積み上げたトラックが白い煙を吐き出しながら遠くを走っていた。イサオ・セキグチはにんにく混じりのげっぷをすると、昨日食べた生やけの骨付きカルビを思い出した。
 イサオ・セキグチがこの国にやってきた目的は、ある町の誕生二千年を祝福するセレモニーへの参加だった。彼はニッポン国の首相でありながら、一般機でウズベキスタンの空港にやってきた。公用機は緑色に塗られて、三十人のメンバーで構成される三重県のボランティアグループに寄付されていた。リーダーである三十四歳の女性は、その飛行機にピース号と名をつけた。彼女は三重県市長の了解を得て県の空港にピース号を駐機したが、パイロットが見つからず持て余された機体はアフリカに寄付された。緑色に塗られたピース号の機体は土着民族の新たな崇拝物となって、毎週木曜日には必ず機体の上にバラバラになったヤギがまき散らされて血だらけになった。彼らなりの優しさである。彼らはこの世で動く全ての物がすべてが食欲を持っていると信じていた。ピース号の空腹を癒すのに必要なものは油だった。
 土着民がまき散らかしたヤギの破片から放たれる腐臭は無数のハエを呼んだ。その中には排泄物に群がる金色の身体をした金バエくんもいた。
 飛行機ピース号とハエの金バエくんに共通なものがある——それは「どちらも飛ぶことができます」ということ。
 では決定的な違いは何か?——金バエくんはこわれないが飛行機ピース号はこわれてしまう。こわれるとはどういうことか。墜ちるということである。金バエくんは滅多なことで墜ちなかった。
 戦争中において飛行機は攻撃されて墜ちるものであった。わたしは戦争を知らないがたぶんそうなのだと思う。だが今では人間が墜とすものだった。
 さらに飛行機に関して——
 実際に飛行機はなかなか墜ちないものである。ただ人間の心理としては、それがなぜ墜ちないか——それがわからなければわたしはこれからも飛行機を利用することはないだろう。——そうはいっても、もうわたしに飛行機は必要ない。今のわたしの体重は限りなくゼロで、浮いているからだ。まったくゼロといいきらないのは、わたしはいまだに魂にも重さがあると信じているからである。ものには必ず質量があるはずだ。
 わたしの名前を忘れてしまった人のためにもう一度——『モーガン』である。
 たいがいにおいて名前はたいして重要ではない。
 念のためにもう一度——わたしは宇宙に浮いている。

 イサオ・セキグチは二人の秘書を連れてきた。一人はロシア・中央アジアの歴史に詳しい男で、イサオよりも頭ひとつ背が低かった。彼の名はフナイといい、イサオが会長である通信会社と取引のある商社の社員であった。
 もう一人は女性で、イサオ・セキグチと同じ年齢だった。彼女の名はアヤベ・クミといった。クミとイサオは同じ大学の同期生だった。彼女は大学で生理学を専攻し、今ではイサオ・セキグチの会社に付属する生物研究所で研究を続けていた。クミがイサオ・セキグチの旅に同行したのは、二千年前の土を持ち帰るためだった。
 彼らはファーストクラスでやってきた。彼らの周囲に座るものは誰もいなかった。イサオ・セキグチは今回の旅が私的な旅券を使用したものにも関わらず、国と飛行機会社によりそうした配慮がなされたことに対して口には出さずとも気を良くはしなかった。
「クミ、なぜこの航空会社はこんなくだらない気を使うんだ」
「そうねイサオ。プライベートサービスもつけるべきね」
「そうじゃない、今回の旅行はプライベートなんだ」
「そうはいったってね、無理に決まってるじゃない。あなたは首相になったのよ。あなたの身元なんか誰にでもバレバレ。パスポートコントロールのおじいさんなんかお辞儀してたじゃない」
「もうぼくは好きな旅行もできないのか?」
 イサオ・セキグチはむかしむかし——今からほんの十八年前、彼はアルゼンチンからペルーまでをバスで旅行したことがあった。大学生のころだった。香港からロシアの国境まで、中国を横断したこともあった。そのころの彼はマンボズボンみたいなジーンズで細い足を包む若者だった。彼の多感期の頃、ラッパズボンははやりではなかった。しかしラフな若者の姿を見せながらも、彼はガバメントケースを持ち歩き、必要なときにはスーツを着た。そして実際にそれを着た。それはどんなときかというと、各国の大使館の門をくぐるときとクレジットカードを使うときであった。
 大使館はよろこんで自国のビザを発給してくれた。イサオはそれが親の後押しのおかげであることを承知していた。その頃彼の父親は、受け継いできた電気会社の社長という身でありながら、自分の全精力をほとんど趣味であるラブホテル経営に注いでいた。
 イサオは自分が経験してきた気ままな旅を懐かしむと、なおさら今の状況に腹が立ってきた。
「しかたないことね。もう忘れなさい——昔を思い出すのは」クミがそういいながら、イサオの膝をさすった。
 若きイサオの旅は確かに気ままだったかもしれない。が、実際には今の状況とほとんど同じだった。彼は常に独りなわけではなかった。彼の背後にはいつも親のナナヒカリがさんさんと輝いていた。彼の背後には、あるときは一泊三百ドルのホテルのなかをサンダルで歩き回るバックパッカーの姿で、またあるときはバスにもまれる乗客の姿でボディガードがついてまわっていたのである。知らないのはイサオだけだった。
「それでもほんとうにイライラさせる。旅は本来自由であるべきだ」
「自由につかってるじゃない、この飛行機を。ここの席はみーんなあなたのものよ。それにスチュワーデスも。でもちょっとかわいそうね。みんな緊張しているみたい、あなたみたいなお客がいるから。それにしてもよく揺れる飛行機ねぇ」
「旅においては危険すら僕にとっては楽しみのひとつなんだ。それが旅人のリスクなんだ。旅の最中なら飛行機が落ちたってかまいやしないね——それがリスクだ」
「わたしはいやよ。飛行機で墜ちて死ぬなんて。自動車事故もいや、地震もいや、火事だっていや、刺されて死ぬなんてまっぴらね。病気で死ぬとするなら未知の病気ね——医学の進歩のために。わたし自分の臓器全部ドナー登録しているの。そうするともっとも安全に臓器を提供できる死に方は——」
「そりゃ自殺だ。老衰じゃ臓器も古くなって若い子には不似合いだ」
「そうなるわよね、ガスなんか使って。でもイサオ、あなたもそろそろ考えるべきよ」
「何を?」
「ドナーの保険制度。つまり自ら死を選んでも保険がおりるの。自分の臓器と引き替えにね」
「ぼくは君の頭を買うよ」
「売らないわ。それにしてもほんとによく揺れるわね、こいつ」
「そんなに気になるなら眠ることだ。そこのフナイみたいにね」ちびのフナイは首まで毛布をかけて寝ていた。クミはフナイの姿をちらりと見ていった、
「わたし寝ているうちに死んじゃうのはきらいよ。自分がこの世からいなくなる瞬間くらい目をさましていたいわ」
「死ぬ瞬間か——少なくとも僕は生まれたときのことを覚えちゃいない」
 わたしは自分の魂が肉体から離れていく瞬間の記憶がない。わたしが気がついたとき——わたしの目の前には地面に横たわった抜け殻があった。
 実際の話し、誰もその瞬間を書物に残すことはできないだろう。再び人間となって生まれ変わったことに感謝しないかぎり、誰もそれを説明することはできない。

 アユムはヒポコンデリーだった。
 アユムは疲れはてていたのだ。何に疲れはてたのか——それは恋に疲れはてたのだ。
 何年間もの間好きだといい続けてもさっぱりその苦労は報われない。彼は日々を重ねる度に好きという言葉に疑問を感じることが多くなった。彼の親父がよくいった言葉は、今の彼にとって皮肉でしかない。それはこういった言葉だった。
『きらいきらいも好きのうち』
 父親がどういったときにこういったかというと、たとえば「勉強がきらい」とか「人参がきらい」だとかそんなときである。
「お前はきらいきらいといっているがほんとうは好きななのだ」——といわれてもきらいなものはきらいに決まっている。だが父親がいうには、「きらいと思っているということは好きという前提があって、初めてきらいだと思うのであって、もとをたどれば好きなのだ」——らしい。すいませんがどう思いますか?
 わたしの父親は「隣人を愛せよ」といった。これは聖書からの受け売りである。誰でも心の中ではそう思っている。イサオの父親はラブホテルを愛するあまりそれを事業の一部としてしまった。
 ラブホテルといえば、アユムが三十一年生きてきていちばんセクシーだと思った言葉、それはAっちゃんによるものである。彼女は自分が運転する車の中でこういった。
「あのラブホテルに入って『満室』だったら最高にかっこわるいね」
 最近の人々は、愛という言葉を使うのに照れがないようだ。愛・愛・愛・ラブ。アイアイ。アイアイはお猿さんである。愛とお猿さんの共通点。そんなものはない。失うことはたやすくて、見つけることは難しい。
 もう一度——アユムはヒポコンデリーだった。色々な人がヒポコンデリーだった。
 彼はディアナを思い出すことがあった。
 思い出す度に化石となった。無力さがつのる度に——
 アユムは後部座席でときおりうめいた。そのうめき声の端々にディアナの名前があった。彼を乗せたラダは微動だにしなかった。

 ♭ 4 愛とディンギ

 ラダから少し離れた場所——ナビは都会よりも四分の一で買うことのできたリンゴを頬張り、道の真ん中につったっていた。彼は家族の待つ方角を見据え、自分が今行えるべきことについて考えあぐねてはいたが、正直「どうにかなるさ」と思っていた。そんな彼がひとつだけ決めていたこと——それはラダを手放すことだった。
 ナビは家で待っている妻、そして二人の娘たちのことを思い出していた。娘たちの目元は父親であるナビそっくりだった。おかっぱの頭がカツラのように小さな顔にのっかっていた。ナビは軍隊でその爽快さを知ってから、ずっと坊主頭を続けていた。彼は短い髪が好きだった。それだから、自分の娘たちにも髪を短くすることをすすめていた。アパートの二つどなりに住んでいる若い母親は、娘の髪を切ろうとはしなかった。生まれたときから切られることのなかった娘の髪の毛は尻まで伸びていた。ナビはその娘の髪の毛を見ると、若い——たしかにその娘は若いという言葉ではいいきれないほど若い娘の髪が気になってしょうがなかった。
 しかし、ナビの妻は、肩まで伸びた髪の毛にカールをかけ、この国の娼婦よろしくといった姿をしていた。ナビは妻のことをきらいではない。彼は妻を心から愛していた。妻はナビが——自分の夫がこの髪型を気に入っていると思っていた。それはなぜかといえば、毎晩ベットに入る頃、ナビがいつもその髪型をほめてくれるからだ。たとえば、「セクシーだね」とか「その髪の毛が肌にふれると気持ちがいいんだ」とか。
 ナビの本心は妻の髪型をきらいだといっていが、本心をねじ曲げていることを責めはしなかった。それは彼に逃げ道が残されていたせいだった。
 ナビの行動的な愛は、この国で最初に建てられた『ツーリストホテル』の六階にたむろしているアロアという名の女性に向けられていた。ショートカットの彼女は、実に具合の好い女性だった。ナビの個人的な話しはここまで。
 アユムはナビを信じていたか?——悲しいかな、アユムはナビをあまり信じてはいなかった。それはナビがラダを手放そうとしていることによく似ていた。つまり限りが見えれば要らないよと、いった程度の関係であった。アユムは人間関係——特に金の支払いの上での関係に対してはヒポコンデリー的心境にあった。アユムがナビを信じ切れない理由には、仕事中にナビが見せる態度にも関係があった。通訳の任務を逐っているナビの仕事ぶり、アユムの目から見てけっして公平であるとはいいきれなかった。これにも一部、アユムのヒポコンデリー的体質が影響している。が、アユムが見るに、ナビはつねに交渉先——つまり『お客様』よりであるように見えた。ナビは客がいうとおりに通訳する。素晴らしいことではあるが、交渉に熱が帯びてくると、ナビは客の感情まで通訳しだした。身振り手振りによるジェスチャーが激しくなり、唾がテーブルを汚した。ナビは客の代理として長い時間を費やし能弁に発言し続ける。アユムが自分の意見をできるかぎり濃縮した結果十五分かけて発言した。ナビはそれを真剣に聴き客へ話す。その所要時間はわずか二分だった。客がナビに話す。それに要した時間は十分間であるが、ナビがアユムに話すとき、彼の発言は三十分間に及んだ。
 ナビの話し方には感情があった。彼が発言するとき、小太りながら筋肉質の彼の小柄な身体は生命で満ちあふれ、皮膚に浮かんだ汗は光輝き、みずみずしい生身の人間の姿であった。彼は鉱物ではなかった。ナビはトマトで、そのなかには『心』という臓器があった。

 アユムがナビに対して不信をつのらせてみるものの、ナビの存在を無視しないわけにはいかなかった。アユムはこの国の言葉をしゃべることができなかったからである。それでもアユムは生活するための最低限の言葉を覚えようと努力はしていた。たとえば、『ディンギ』という言葉である。
 ディンギ——これは重要な言葉である。この国では金のことをディンギといった。金とは紙やニッケルなどでできた、ものを手に入れるために必要なものである。いい換えれば、『もの』と同じ価値をもった物体である。
 この国では——それはどこの国でもいえたことだが——ディンギをつかうことによって、たくさんの不可能が可能となった。アユムはディンギをつかうことで滞在許可をもらい、交通違反も許してもらえた。もらい忘れた滞在証明も、ぜんぜん関係のないホテルがコンピュータの中に入った大福帳をわざわざ書き直して発行してくれる。その仕事内容に見合ったそれなりのディンギで。警察も許してくれる。——だがたいがいの場合、われわれに非はない。悪いといわれることをしていないからだ。警察のある一部の人たちは罪を犯していないわれわれのなかに罪を見つける。地球上のどの国の警察にも、そうした人間を抱えている。その比率は国の統率者しだいである。今後も統率者の能力や政治采配しだいでは、そういった警察官が増えていくだろう。
 ディンギによりナビは食事をすることができる。ディンギをつかう人びとはそれを有効利用するためにあれやこれやと考える。ある人はその場しのぎの金でさえ、株券というこれまたディンギに似た紙を購入して利益を得ようとする。地方で買い物をするというのも原始的なひとつの手段である。都会に住むナビは仕事先の田舎で四分の一という値段でリンゴを山ほど買い込んだ。だが地方の人びとはどこで買えば良い?——ディンギは常に都会に住むものに対して恩恵を与え続ける。
 ディンギどの国にも存在するが、その国が世界の経済に与える影響の度合いによって、同じディンギでもそれぞれが持つ価値がちがってきた。ナビをはじめ、この国の人々が重要視してきたのはアメリカ国産のフランクリンやその他、その国の歴史的英雄が描かれたディンギだった。国の間のディンギの違いは価値だけではない。価値の他に『信用』のちがいがあった。欲しいものは自国のディンギでは買えなかった!——まったくなんてことだ。
 だが心配は要らない。再び機上の会話——
「クミ、ぼくはこの金を変えるよ」イサオはそういって平たいウォレットから一万円札を取りだした。「ぼくはこれを変えるんだ」
「どうするの」
 イサオは一万円札を指でもてあそびながらいった「ドルにするんだよ。アメリカドル。それに言葉も変える」
「英語にでもするの?」
「ああ、そうだ。ニッポン人のためにね」
 ご安心あれ——ニッポンはいくらでも外国のものを買える。自分の国の金の捨てたもんじゃないでしょう?
 ナビはアユムからディンギを受け取っていた。そうした事実からナビはアユムをボスと呼んだ。それにはさげすむ意味がほんの少し含まれていたが、ナビにとってアユムはボスとして悪いタイプの人間ではなかった。このニッポン人のボスは、いままで彼が会ってきたボスの中でいちばん口数の少ないボス——アメ玉をもらってよろこぶタイプの人間だった。旧知のボスともっともちがうところは、金払いのよさだった。ほめ言葉にいいかえると、アユムは約束を守る男だった。ナビは今まで他の外国人と似たような仕事をしてきたが、肝心な金を払う段階になって「あーでもないし、こーでもない」とケチをつけられたものだった。
 しかしナビは何ものをも生産することはなかった。ディンギの代わりにナビが提供しているものは、自分の耳と口だけだった。彼は何も創造しない。ディンギというものは、生産するためだけにあるのではないということ——アユムに雇われているナビは必要じゅうぶんな自由意志を持つ生きた創造物だった。
 ナビは金で買われた創造物である。人間はすべてのものに値段をつけることができる。欲求を満たすためには、男性自身の入れ物を三十分間だけ好き放題にするためにも、その入れ物に値段をつけてしまう。たとえばツーリストホテルの六階である。ナビのオアシスであるショートカットのアロアにも値段がついていた。
 ものを買う行為すべてが法律すれすれなのである。ああ、ディンギよ永久に生きよ。

 ♭ 5 トマトの病気

 アユムの身体はべったりとラダのビニールシートに貼り付いていた。目は覚めていたが、まぶたは閉じたままだった。彼は動かなかった。ひたすら首都に着くことを待った。そして頭の中では、夕べ起こったことを後悔しながら何度も再生反復させていた。
 それはこうである——
 アユムは昨夜お客様とウオッカを飲んだ。仕事が終わった後の食事会の席でだった。アユムは酒の飲めない男ではなかったが、適量というものは人それぞれである。いくら身長が二メートルあろうとも、飲めない人はまったく飲めない。アユムの適量はグラスで四杯だった。だが最初、彼は自分が飲むべきものがウォッカとはわからなかった。その無色透明の液体は、ラベルの貼られていない何度も使い古したようなボトルに詰められていた。
 異国の客は、ウォッカをグラスになみなみと注いだ。注がれたウォッカは軽いスピーチの後で一息で飲み干さなければならない。それがこの国における酒席でのしきたりなのだ。スピーチ——それは悲鳴や奇声をあげることではない。すべての友人のために捧げる敬愛を込めた言葉である。たとえばそれはこうである。
「この席の友人たち、そしてその家族のために——」
「短くとも苦をともにしたあなた方との永劫の友情のために——」うんぬん。だが、それは時に友情の範囲では終わらない。
「この国の将来の発展のために!」
 こうした心にもないスピーチを一席『ぶった』あと——そう、そうしたスピーチはまさしく『お話しをする』のではなくて『ぶつ』のである。なんともいかさまっぽくて、『ぶつ』といういい方がふさわしい。その一席『ぶっ』ているアユムもこの国の将来など何も考えていなかった。
 アユムは一席ぶってはウォッカを飲み干し、またぶっては飲んだ。とくに食事もとらずにそれを何度も繰り返した。彼が食事を口にしなかったのは、少しでもウォッカの入るスペースを空けておくためであった。
 酒席ではアユム以外は外国人——というよりアユムだけが外国人だった。時が進んでゆくと話題のなくなったアユム以外の人間は、自分たちの言葉でしゃべり出す。アユムには彼らのする話しの内容がさっぱりわからなかった。彼はただ、客の話しに耳を傾け、退屈でないような顔をしながら時間をもてあます。
 アユムには特異な才能があった。これはアユムの国籍であるニッポン人共通のものかもしれない。その才能とは我慢強さである。アユムは我慢強い男だった。それは彼の父親の言葉でいい表せる。
「おまえはな、寝れといわれたら寝る子だったから、兄貴にくらべてぜんぜん苦労しなかったよ」
 アユムはまったく周りがわからない状況にあっても、ただひたすら黙っていることができた。彼は何もしゃべらない。そしてときどき笑顔を見せる。ただそれだけのことを三時間ただじっと動かずに続けることができた。彼がなぜまったく利益のない時間を不平もいわずにつぶすことができるのか——それにはある理由があった。それは女である。『女』——なんとも魔性なひびきであろう。
 アユムは好きな娘のことを考えていたのである。彼がにやついた顔さえして無駄な時間を過ごせるのは、好きなAっちゃんのおかげである。彼女は常にアユムの夢のなかにいた。彼はいつでも、どこにいてもAっちゃんの顔を思い出すことができる。もし想像に色を塗って——透明人間に色を塗ることができるとしたら、アユムの頭上には無数のAっちゃんが現れる。知らない店で飲んでいるとき、仕事をしているとき、風呂で熱い湯の中で放心しているとき、すべてのあらゆるときにAっちゃんはあらわれた。
 真っ赤なトマトがAっちゃんに見えたのは、九杯目のウォッカを飲み干したときだった。客は、ウォッカを飲んだ後はトマトを食べると良いとすすめるので、少し前からつついていたトマトは、酔っぱらいの手元のおかげでおせじにもきれいな食べ方をされているとはいえなかった。トマトはワイルドなほどに内部のやわらかさをさらけだして皿の上にのっていた。アユムにはそれがAっちゃんに見えた。彼は彼女のすばらしさをどれほど相手に伝えたかったのかもしれないが、彼女の名前さえ伝える相手もいなかった。
 アユムが骨を折る原因となったのは、ホテルの階段で転んだことと、バスタブの中で足を滑らせてしまったことにあった。
 酒席が終わったとき、アユムの胃と血液は十三杯のウォッカに占領されていた。ナビは「オーライト・オーライト」といいながらアユムの肩を抱いた。それだけアユムの足どりはおぼつかなかった。目の前には優雅な中国風のカーペットが敷かれた階段があった。彼の部屋は二階であった。アユムは肩にかかるナビの手をやさしくどけると階段を一歩一歩のぼっていった。彼は足どりをしっかりさせながら、胃の中のものを吐き出してしまわないように喉をしめつけていた。
「ヘイ、ボス——ちゃんと歩けるのかい」背後から聞こえるナビの声に手をふって応える。階段もあと三段で踊り場に届くところで彼は足を踏み外した——カーペットがずれてしまったのだ。アユムはバナナの皮にでも滑ってしまったように背中から倒れた。下が見えないながらも受け身をとろうとして伸ばした腕は、異常な曲がり方をして彼を受けとめた。そのときアユムは今まで感じたことのない痛みを感じた——それはまさに何かが折れた感じだった。が、その痛みを感じながら同時に、胃の中にため込んだものがこみ上げてきた。彼は痛みによる悲鳴をあげたとたんに、すべてを吐き出してしまうことを恐れ、思いきり力をいれて無理矢理喉頭をしめつけた。喉元の筋肉にひきつるような痛みを覚えた。目玉が飛び出るように見開かれた目は古ぼけたシャンデリアのぶら下がる天井を見た。
「ボス、ボス、だいじょうか——それでもいいのみっぷりだったよ」
 ナビはそういいながらアユムを抱き上げ、部屋の前まで連れていった。その間もナビは何度かボスであるアユムに話しかけたが、アユムは応えなかった。アユムは吐き出さないことだけに神経を集中していたのである。ナビはアユムの骨が折れているとは思わなかった。ナビは『骨折』したことがなかった。アユムもそうだった。ナビはアユムを部屋に入れるといった、
「ちゃんと部屋をロックしておきな」
 アユムはドアをロックした途端にその場に横になってしまった。しばらく静かにして吐き気を鎮めたかったのだ。左腕にしびれを感じたが、それには構わず静かに呼吸を整える。整えながら彼はシャワーを浴びることを考えていた。髪の毛を洗いたかったのだ。限られた時間しか水の出ないホテルで彼は二日間シャワーを浴びるタイミングを逃していた。彼の頭は脂ぎっていた。このままほおっておけば、明日の朝はフケだらけになるだろう、それに毛も抜ける——彼は枕元に並ぶ無数の抜け毛を想像するとぞっとした。
 吐き気がおさまりそうになると、酒で力の出ない身体をなんとか起こし、服を脱ぎ捨てて浴室へ向かった。
 このアユムの切実な行動は、彼のすね骨を折ってしまうことになる。バスタブの中に落ちていた石鹸に足を滑らせてしまったのである。
 バスタブの中でうつ伏せになったアユムの顔面は蒼白状態だった。痛みによるショック状態なのである。すねに異常な痛みを感じた。彼のすね骨は完全に折れてはおらず、ひびが入っていた。しかしそれがひびであろうと、アユムには未知の痛みだった。その痛みが絶頂になったとき、左腕が丸太のように腫れあがっていた。
 彼は何とか損傷していない利き腕の力をたよりにバスタブからはい出し、浴室の床にうつ伏せになった。何か行動を起こすたびに足と腕ををおそう激痛に彼は歯を食いしばり、ときにうめいた。オットセイのように背中をのけぞらせドアに手を伸ばすと何とか客室へとはい出ることができた。——が、そこまでだった。彼は痛みを我慢しながらも多量のウォッカが持つ作用により、素っ裸のまま客室のカーペットの上で意識を失った。
 酸素を失った脳とひからびきった喉が彼の目を覚まさせた。その瞬間に激痛が走った。腕と足はさらに腫れあがっていたが、その状態を目で確かめることはできなかった。ドアをノックする音が聞こえるがそれに応じることができない。
 ナビはドアをこじ開けて入ってきた。部屋のドアロックはそんな程度のものだった。
 ナビは素っ裸で寝そべっているアユムを見るなり笑った。ニッポン人の白い尻を見るのは初めてだった。しかも男の尻を。ナビはホモセクシャルではなかったので、素っ裸のアユムの背中に性欲を感じることはなかった。それだからアユムはいまだにバージンなのだった。しかし、性欲はわきあがらないにしろ、興味は湯気をたてながらわきあがった。——それにしても白い肌だ、だけれども、いったいなぜこのニッポン人は裸なのだ?
 ここで一言。地球に住む人びとは、それぞれに国籍がある以上、裸に対しても国分けをする。たとえば、アメリカ人の裸、オランダ人の裸、ロシア人の裸、エスキモーの裸、ニッポン人の裸——うんぬん。それらを国分けしたからどうだということはない。ただ、なんに対しても国分けしたがるだけなのだ。それだけ。
 ナビはアユムを病院へ連れていった。

 アユムはディンギの力により、他のどの患者よりも早く医者の診察を受けることができた。ディンギとは金のことである。
 この国の医者と教師の給料は安い。なぜ安いのか? たとえば医者である。古くニッポンでは、医は人術といった。この国では共産主義という国柄か、人のためになる仕事の給料は安い。その職業は金を稼ぐために行われるものではないとされているためであった。
 医者の給料は人が無事生きようが、家族の期待むなしく命を失ってしまおうが、彼らがもらう給料は変わらない。ある患者は植物人間となり、一方では足を切り落とされた。医者はせめられるべきではない。
 患者はかわいそうである。患者の身内はあわれである。いくらディンギを使おうが消えてしまう命があった。それを知りながらディンギを払うものもいた。患者は自分が死に絶えながらも足りない金を払い続ける。保険という手段によって、または遺族の手によって。
 医者に責任はない。彼らがガンに対処できなかったときの述懐はこうである。「転移が早すぎました」あるいは「すでに手遅れでした」または「手の施しようがありませんでした」
 しかし医者に落ち度はない。人類にも限界がある。「手遅れでした」——この言葉には重みがある。
 そうはわかっていても、わたしはあまり医者が好きではない。医者は人間の回復力を一心に願うことがある。そして医者は患者にモルヒネを投与することがある。これは患者の苦痛をやわらげるためである。このモルヒネ代も彼らが作成する精算書のなかに含まれている。
 わたしが医者をあまり好かない理由は、わたしの母親が医者をきらいだからかもしれない。わたしの母親は、医者が父親のガンを早期に発見できなかったことを生涯恨んでいた。
 わたしは母親にはあまり賛成しない。母親のいうとおりにしたい大人がこの世にいるとは思えないのだ。
 アユムはディンギのもつ『ワンダフル』な力により医者の親切な診察を受け、適切な整骨を施してもらい、彼の足と腕は石膏により固められた。そして一人部屋に寝かせられブドウ糖の点滴を受けた。医者はアユムの症状を、左腕上腕とすね骨の骨折、そして『急性アルコール中毒』と診断した。アユムの胃の中からは、多量の酒気を帯びた息があふれ出していた。医者はその匂いを別段特別なものとは思わなかったが、アユムのほとんど蒼白な顔は気にならずにいられなかった。それで医者はとりあえずアユムにブドウ糖の点滴を施したのだった。
 アユムはすぐに街へ帰らなければならなかった。帰りぎわ、医者はアユムにモルヒネを処方し、そして使い捨ての注射器を二本渡した。アユムはモルヒネという名前を聞いて興味はあったものの少しの怖ろしさも手伝って、「別な痛み止めはないか」と医者に訊いた。しかし、医者は「これしかない」といい、何が不服なんだ? という顔をした。
 アユムはモルヒネと注射器の入った袋を手渡されるとカバンに入れた。彼の世界はこれで変わることになる。彼はそれまで、薬といえばアスピリンしか知らなかった。
 わたしの一家には誰もモルヒネだとか、いわゆる神経系の薬物の常習者はいない。だいたいの人びとはそうしたものを常に摂取するような習慣を持ってはいないが、だいたいの人がそれがどういうものか理解している。それを経験したことさえないというのに。
 アスピリンはその名前を変えてどこの小さな薬局にも売っている。アユムは無性にそれを欲しくなるときがあった。アスピリンの効能はだいたい薬に添付されている説明書に書かれているが、特にいえば解熱作用である。つまり発熱があった場合に服用すべき種の薬である。アユムがアスピリンを飲むのは疲れた身体をいやすためと、自分の動きに活力を与えるためであった。
 彼がわたしに語ったアスピリンを服用することによる効果をかいつまんで挙げれば、「身体が軽くなる」「脳ミソに余裕ができる」のふたつであった。わたしは最初「脳ミソに余裕ができる」という意味を理解できなかった。アユムの分断された言葉によると、「情報でいっぱいになった脳ミソに、さらなる要求を受け入れることのできる余裕ができる」ということらしい。わたしはそれをストレスからの回避と結論づけた。欲求のために薬物を利用する理由はそういうものではないだろうか。世の中はストレスでいっぱいである。いつの世代にも存在する怒れる若者たちはストレスでいっぱいである。そのストレスを解消するための薬がないこともない。それは愛である。愛は科学的に製造された薬ではないが、その効能は多岐にわたる。ただ最近のわたしは、『愛』という言葉を使うことに年甲斐もない恥じらいを感じる。それはなぜか——。それがわたしには当たり前のことだからである。ごちそうさま。
 アユムはストレスを回避するためにアスピリンを服用したのだろう——そして彼は今でもそれを使い続けている。彼はよりよい効能を得るために、一度に十二錠程度のアスピリンを服用した。ちなみに最初は六錠だった。
 アユムの愛は、ストレスを回避するためにはあまりにもひとりよがりすぎたのだ。
 わたしにもストレスはある。この宇宙では誰も話し相手がいない——これはわたしにとっては悲しいことである。だからわたしにはラダが必要なのだ。まだわたしのドライバーライセンスには二年の猶予がある。

 そういうわけで、ラダのトランクの中に納められたリンゴやパン、果物で埋められているアユムのカバンの中には、注射器が三本とモルヒネのアンプルが三本入っていた。医者がアユムに説明したことはこうである。
「どんなに痛みが激しくなっても、使用する量はアンプルの三分の一にするように」つまりこれが中毒にならない適量だということらしい。そしてこうもいった、「中毒は度を過ぎることからはじまります」
 アユムはナビを通じて頷きながらその話しを聞いた。最後に医者はいった、「どんな病気や怪我にしろ、薬にはあまり頼らないことです」医者は自然治癒力を信じていた。
 薬や医者に対する話しがしつこくなるが、アユムにはこういったこともあった——
 アユムの父親はガンで死んだ。入院しているとき、父親は毎晩全身の痛みでうめいた。つきそっていた母親は父親の身体をさするが、それで痛みのやわらぐことはなかった。ナースコールに応じた中年の看護婦が部屋へ入ってきた。彼女はすばやく注射器にモルヒネを吸わせて空気を抜くと、父親のパジャマの袖をまくりあげて、消毒液に浸した脱脂綿で拭き、ほんのわずかな時間を費やしてモルヒネを注射した。
 母親は信じていた。その薬は一時的にこそ痛みを感じることを麻痺させるが、その効果を失ったときにいっそうの痛みがおそうことを。それしか方法がないとあきらめながら、医者は薬の投与を続けた。母親はそんな医者がきらいだった。彼女は今でも医者がきらいだった。
 そうした父親や母親に対照して、アユムは自ら薬を選んだ。存在しない臓器である『心』を休めるために。身体をふらふらにし、重力の弱まった世界を楽しんだ後、翌日の朝には強い心臓の息苦しさを覚えた。この心臓には『心』という言葉が添えられているが、間違っても心ではない。
 この惑星に住む人間たちは、つねに薬らしきものを用いている。歯磨き粉にはじまり、うがい薬、毛生え薬、点眼薬、さらには精力剤まで、人類が「健康のため」に利用するものは多い。
 ラダは健康のために作られたものではなかった。彼は「楽をする」ために作られた内燃機関をもつ機械である。彼は人類に讃えきれない効率化をもたらした。が、人類はいう、「おまえの吐く息はくさい。それに健康に悪い」かわいそうとは思いませんか?

 しかし、ボスに見捨てられようともラダの行く末はけっして暗くはない。わたしはラダを側においておきたい。彼は良い話し相手になるだろう。わたしは車と話しをしたことがない。これから自動車語の勉強をしよう。ブーブーブッブッ。それになによりもラダはわたしの尻を落ちつける先を提供してくれる。今のわたしは重力のなかでただ浮いている。これも結構つかれます。

 ♭ 6 ヘリコプター

 アユムはまだディンギを持っていた。それを持っているかぎり、彼は今を生き抜くことができる。そして、そのディンギにより雇用されているナビは、自分がボスのためにとれる行動を見いだすことに全力を注いでいた。ディンギをもらっている手前と、これから手に入るであろうディンギのために。
 彼らの頭の上には雲ひとつない空が広がっていた。岩山沿いの道をときおりウシ飼いがウシを連れて歩いていった。ナビはボスをウシの背中に乗せてやろうかと考えつくが、そんな冗談の前にあまりにウシはひ弱すぎた。
「せめて連絡ができればな——」ナビは考えた。「そうか——」
 ナビは後部座席のドアを開いた。アユムはその音に気がついたが反応は鈍かった。ナビはうめいているボスにはかまわず、ポケットの中をまさぐった。
「な、ナビか——なんだよ」
「ヘイ・ボス、電話はないか——ハンドフォンだ」
「おれのモバイル? あ、あぁ、カバンの中だ」アユムはとぎれながらいった。彼はそういいながら、この山間で電波がとどくのだろうかと思ったが、それを説明する方が面倒くさくていうのを止めた。それよりもアユムが考えていたのは、今の痛みにモルヒネを使うべきか否か——だった。これは真剣な悩みだった。
 ナビはラダのトランクを開けると、乱暴にリンゴの中からアユムのカバンを取り上げた。そしてハンドフォンを取り出すと、とにかく番号を押した。太い指は二回番号を押し間違えた。バッテリーの残量は少ないながらも、電波は微弱ながらとどいているようだった。だがナビにとって、液晶のパネルに浮かんでいる子供だましのシンボルの意味など関係なかった。彼自身ハンドフォンを使うのは初めてだった。ちなみに彼は徴兵されている間、通信兵だった。
「ヘイ、ボス。番号を押したがつながらない——いったいどうすりゃ良いんだ?」
「最初は——たしか——『8』だ」
「8の次は?」
「市外局番」
「それはなんだ——?」
「市外局番だ」
 ナビはよくわからないままに自分が連絡しようとしている先の番号を押した。
 彼が連絡した番号は彼の友人のものだった。徴兵されていたときの友達だった。
「アロー? デミはいるか? デミだ、デミ。空軍第四中隊の」
「アロー、デミだ。今飯を食べてる。手が放せないよ」
「おお、デミか——俺だよナビだ、ナビザンだ」
「こいつはめずらしい。ほんとうにナビか? 元気なのか」
 電話で話し終わったあと、ナビがいった、「ボス、よろこべ。もうすぐ俺の友達が来る。ヘリコプターでな」

「これがニッポン人か?」
 ヘリコプターに乗ってやってきた男の名前はデミといった。彼は幸いに基地から首都へと移動する命令を受けていた。その途中の寄り道だった。
「そうニッポン人。そして俺のボス」
「おまえのボス——おまえはいったい何をしてやってるんだ? このボスのために」
「今、通訳をやってる。あとドライバー」
「へー、通訳か。そういえば最近は外国から仕事に来るやつが多いらしいからな。で、いったいディンギはいくらもらってるんだ?」デミはそういいながら親指と人差し指で輪を作って見せた。
「七〇〇くらいかな——」
「お、おったまげた。七〇〇って七〇〇ドルだろ? これはすげえ給料だな。おまえの英語も役に立つものだ。やったな通信兵」
「それはいうな」
 ナビが自国以外の言葉を修得したのは徴兵時代のことだった。彼には通信兵の仕事が与えられた。小柄だが筋肉質の彼は、陸軍だろうが、海であろうが空だろうが、とにかく前線での仕事を望んでいた。が、筋肉質で力があってちょこまか動き回るナビの背中には、旧式で大きくそのうえ重い通信機が良く似合ったらしい。通信兵は他の班との連絡を行うが、上官からの命令も伝達したりする。そのとき、上官が命令した内容は、そっくりそのまま復唱し、さらにそれをそのまま班に伝えなければならない。たとえばこうである。
「わが班は昼食に入る」
「わが班は昼食に入る、どうぞ」
「わが班はポイントBに移動する」
「わが班はポイントBに移動する、どうぞ」
「全員、点呼をとれ」
「全員、点呼をとれ、どうぞ」
 と、例を挙げるときりがない。が、このためにナビは仲間内で『リピートのナビ』とか『どうぞのナビ』と呼ばれる羽目となった。ナビが、「ビールでものまないか」と友人にいうと、「ビールでものまないか、どうぞ」という具合に必ず復唱されたのだった。
「止めてくれよ、今は仕事中じゃないんだ」
「止めてくれよ、今は仕事中じゃないんだ、どうぞ」
 そうして最後にはケンカになった。ナビはだいたいのケンカで勝った。彼の腕はまさしく『丸太のよう』に太かった。彼はろくに仕事のない世間を考えると、無性に徴兵されていたころをなつかしく思うことがあった。ほんの二年前のことなのだ。自分の国がすべてにおいて良いとは思わない。が、せめて公務員の口でもあれば当面は安泰なのだ。
「それにしても助かったよデミ。ラダがイカれちまって立ち往生していたんだ」ナビはラダに冷たい目線を投げると、デミもラダを見た。デミの目には哀れみがこもっていた。
「ラダも持っていくのか」そういうデミにはさらさらその気はないようだった。彼のヘリコプターは三人乗りだった。ナビは首を振った。
「新しいやつ——ボルガでも買うさ」
「そうか」
「それじゃデミ、行こう」
「それじゃデミ、行こう——どうぞ」
 ナビは拳をつくるとボクシングのポーズをとった。「だからやめろって」

 アユムは空の上にいた。窓から外を見ていると、彼はある映画を思い出した。その映画は、幼なじみに腹を刺された主人公が救急隊のヘリコプターに乗って空を飛んでいるシーンで終わった。アユムがその映画を見たのは十九のころだった。場所は学生街の安映画館だったが、成人映画を三本上映する映画館よりはいい匂いがした。
 地上にはラダが残された。岩山の中でドアを開け放しにされたまま置き去りにされていた。ラダは地に変えることもできずにそのまま息を引き取り、人類が滅亡後に現れであろう新たなる人類へのやっかいなプレゼントとなった。地球にはそういったものが多い。地に戻ることのできる可能性の少ないものであふれていた。
 マーレー・フラスコもそういった現状を指摘する一人だった。彼のもとで開発されたトランスポーターもそういった未来を救済するための一手段ではあったが、マーレー自身、それだけで世界が変わるとは思わなかった。この無駄な資源の山は到底消せるはずはなかった。自分も含め、あらゆる人類は今の現状に荷担しているが、都合のいいことに将来を憂える人びとは、すべての過去を棚にあげる。
 彼がトランスポーターを創造した理由は、人類の駆逐だった。地球が破壊される前に人類をこの世から追い出すことで、その寿命を少しでも伸ばす——それが目的だった。その追い出し先が火星だった。
 ディアナは火星人である以上、火星に帰る日がやってくる。そのとき、火星に行く人間はディアナだけではない。ディアナを信じるもの、ディアナを敬愛するものが彼女の後を追うだろう。人間とはそういうものだ。
 ディアナを信ずるもの——それは火星宗教の信者である。
 ディアナの誕生のみを求めたわたしと、ディアナの追放さえも考えたマーレーの関係において、ディアナの誕生だけが接点である。
 はたしてディアナに火星に帰る日は来るのだろうか? わたしにはそれが疑問である。マーレーはそれを信じている。彼女自身がいい出さなくても必ず帰ると。彼はいう——「それが人間だと」
 だが彼女は人間であって人間ではない。彼女は『火星人』なのだ。ウソ火星人ではあるけれども。
 まだディアナは三歳だった。

 とにかくわたしはラダを救おう。それは幾分私欲が含まれている。とにかうわたしはゆっくり座りたかったし、話し相手が欲しいのだ。ちなみにわたしはモーガンである。

(続く)



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